26 旅行
中間テストが終わってから一週間後。
毎日の家庭教師は少なからず役に立ったらしく、椎名はかなりの高得点を取った。
かく言う俺も、家庭教師の中で勉強をさせてもらったり椎名に感化されたのも相まって、これまでで一番高い点数になった。
そしてすべてのテストの結果が帰ってきた後の、最初の休日である今日。
俺の家の前には、つい二週間ほど前に開いた勉強会のメンバーが再び勢ぞろいしていた。
紗月と椎名、奏と俺。今日はそれに加えて母さんもいる。
なぜ休日の今日、家の前に全員集合しているのかと言えば、
「ありがとう、椎名ちゃん。温泉なんて久しぶりだし、テンション上がっちゃうわね」
「どういたしまして。福引の景品ですけど、喜んで貰えて何よりです」
そう、ここに集まっている女子たちと俺は、今日四人で温泉旅館に行くことになっている。
きっかけは二週間ほど前の、勉強会の帰り際に椎名が放った言葉。
あの言っていた「俺の給料」が、一応今回の温泉旅館のことらしい。
なんでも勉強会を開く少し前に、商店街の福引で特賞の温泉旅館四人チケットを当てたらしい。なんという強運。
そして、俺への給料……少し前約束していたプレゼントとしてこの温泉旅館への旅行を提案してくれた。
椎名曰く、本当はペアチケットで俺と二人きりが良かったなんて言っていたが、四人分使わない道はないだろう。
そんなこんなで、この四人でプチ旅行となったのだ。
「ほらほら、早く乗っちゃいなさい」
駐車場に止めた車の運転席から、母さんの声がかかる。
今日の母さんは、さしづめ旅行バスの運転手と言ったところだ。
公共交通機関という手段もあるのだが、今回の話をすると快く引き受けてくれた。
だから、今回のプチ旅行は実質タダの旅行ということになる。
なんとも学生の財布に優しい計画だ。椎名と母さんには感謝しないと。
そんなことを思いながら母さんの言葉通り、さっさと車に乗り込もうと……。
「先輩、ちょっとストップです」
したところで、ドアに伸ばそうとした腕が椎名の手によって引きとめられる。
「どうした椎名。乗らないのか?」
「いえ、せっかく先輩のお母さんに車を出していただけることになったんですし、乗らせていただきます」
「じゃあ、どうしたんだよ」
「まったく、先輩は察しが悪いですね。女の戦いはもう始まっているということです」
そう言って後ろを振り返る椎名。その視線の先には、何やらやる気に満ち溢れた紗月と奏が。
ゲームのラスボス戦のような緊張感漂う雰囲気の中、紗月が口を開く。
「よし、それじゃあ始めるわよ」
「「はい!」」
紗月の言葉に元気よく答える二人。
え? なにこれ。何が始まるんです?
「さて、いきなりだけど。やはりここは、幼馴染である私が陸の隣に座るべきだと思うの」
ん?
「失礼ですけど、後輩たる私が先輩の隣以外の場所に座るなんてことはありえないと思います」
うん?
「椎名さんと紗月姉さんのどちらかには申し訳ないですが、兄さんの隣は妹の私が座る。これはもう確定していることです」
なるほど?
「ふふ、本当は争いたくなかったけど仕方ないわね」
「悪いですけど、今井先輩にも奏ちゃんにも手加減出来ないので」
「兄さんの隣は絶対に譲れません。紗月姉さん、椎名さん、ごめんなさい」
ゴゴゴゴという効果音とともに、バチバチと火花を散らす女子三人。
あー、うん。だいたい状況は分かったよ。なんていうか、もう勝手にしてくれ。
「こうなると、あれで決めるしかないようね」
「そうですね。もうそれしか方法はありません」
「兄さんのためにも、私、頑張ります」
そう意気込んだ三人は、それぞれ利き手を握り腰を低くして構える。
ファイティングポーズの三人は、誰かが合図したかのように揃ったタイミングで互いに拳を勢いよく振りかざし──
「「「じゃーんけーん!」」」
史上最も平和的解決法である掛け声を発した後、
「「「「ぽん!」」」」
──無慈悲にも計三つの手のひらは、たった一つのハサミによって討ち取られるのだった。
* * *
「うふふ。私、昔からじゃんけんは強いのよね~♪」
「「「………」」」
一人、ハンドルを握りながら楽しそうに笑う母さんと、後部座席で沈黙を貫く敗北者たち。
助手席に座る俺は、バックミラーに映る不満そうな女子三人を見て思わず苦笑いする。
「母さん。ある意味助かったけど、なんか大人げなかったぞ」
「なんだか楽しそうだったからお母さん混ざっちゃった☆」
ハンドルから手を離して、キラッとポーズを決めて舌を出す母さん。おい、手放し運転。
とはいえ、安息の地である助手席に座ることが出来たのは本当に助かったのだが。
「納得いかないわね……」
「納得いかないです……」
「ママだけズルいです……」
仕方ないことだが、女子三人は言葉通り納得いっていない様子。
母さんがその様子を見て、また楽しそうに笑う。
「もう、陸ったらいつの間にこんなモテモテな子になっちゃったのかしら」
「あれはそういうのじゃなかった気がするんだが」
三人ともが、独占欲というか変なプライドを持っているせいだと思う。
あれはモテるどうこうじゃなく、ただ自分の立場のプライドを賭けた勝負だったのでは。
「またそんなこと言って。陸はどの子を選ぶのよ」
「だからそういうのじゃないって」
「照れなくてもいいのよ。もっと自信を持ちなさいな」
ニヨニヨしながら、うりうりと肩をちょんちょんしてくる母さん。だから運転に集中しろ。
そんな俺たちの様子を見かねたのか、紗月が母さんに話しかけ話題を逸らす。
「陸ママ、車出してくれて本当にありがとうね。すごく助かっちゃった」
「いいのいいの。紗月ちゃんには陸も奏もお世話になってるしね。若い子が遠慮なんてしなくていいのよ」
実にフレンドリーに話す紗月と母さん。
うちと紗月の家は母親同士の仲が特に良い。俺たちが小さい頃はお互いにおもりを頼んだりしていたそうな。
そんな距離感のおかげか、俺と紗月にとってそれぞれの母親は二人目の母さんのような感覚だ。
「それにしても、紗月ちゃんたら少し見ない間にすっかり大人びちゃって。私ビックリしちゃったわ」
「もう、陸ママったら。陸ママだって昔と変わらず綺麗じゃない」
「あらあら~、ありがとう。もう、ほんとに紗月ちゃんはいい子ね~。早く陸を貰ってくれないかしら~」
「ふぇ!? それは、その。ま、まだ早いというかなんというか……」
さらっと出た母さんのとんでも発言に不意をつかれて、おろおろと取り乱す紗月。
自分で言うのもなんだが、俺と紗月だって色々難しい歳になって来たんだし、母さんはデリカシーがなさすぎる。
「母さん、紗月困ってるだろ。そのくらいにしといてくれ」
「何よ陸。最近紗月ちゃんと話す機会なかったんだし、ちょっとくらいいいじゃない」
「それは構わないが、話題のチョイスを考えろ。一応あれでも女子高生の端くれなんだよ」
「い、一応って何よ! 私はれっきとした女子高生よ!」
「そうよ陸、あんたこそ紗月ちゃんに失礼なこと言うんじゃないわよ」
女子二人……片方は女子というには厳しい年齢だが、二人揃って俺を非難してくる。
まともに相手するのも面倒なので窓の外へ視線を流して、ついでに耳に入ってくる声も流しておく。
少しすると、俺なんかの話題より昔話のほうに話題がスルーしていき二人で盛り上がり始める。
昔、俺と紗月でこんなことをして遊んでいただの、あの時三人一緒にどこどこに出かけただの。
俺と紗月の過去の話なんて特に面白いこともないのだが、二人はとても楽しそうに思い出話に花を咲かせる。
そんな笑い声をBGMにしながら景色を眺めていると、いきなり座席がどんどんと揺れる。
母さんの運転が過度に荒い訳ではなく、あきらかに後ろから直接攻撃だった。
おそるおそる、窓と座席の間から後ろを覗くとそこには大変不満そうな椎名様のお顔が。
「な、なんだよ」
「別に、なんでも、ないですよっ」
言葉の切れ目に合わせて再び座席を蹴ってくる椎名。あの、一応これ母さんの車なんですけど。
そんなに俺の隣に座れなかったのが不満だったというのか。いつも嫌というほど隣に座って勉強しているというのに……。
呆れながら体を元に戻すと、次は奏から声をかけられる。
「兄さん兄さん」
「ん、どうした奏」
「今日行く温泉ってどんなところなんですか?」
「ああ、俺も詳しい訳ではないが結構有名なところらしいぞ」
「そうなんですか?」
「なんでもこの辺ではダントツに高い旅館らしい。料理も温泉も文句なしなんだとさ」
「ふわぁ、素敵ですっ。奏、楽しみです」
「だな。たまにはまったりくつろいでも、バチは当たらないだろう」
「はいっ」
ソワソワした様子で体を乗り出して可愛く返事する奏。
俺はそんな奏に手を伸ばし頭を軽く撫でてから、再び体を戻し前を向く。
久しぶりの温泉。初めての女子三人との遠出。
自分でも意外だが、俺は今回の温泉旅行に思いのほか胸を膨らませていたらしかった。
ジャンケン、昔から勝てません。