21 給料
「なあ、椎名」
「はい、なんでしょう」
「この状態は、いつまで続けるんだ?」
「今日一日はずっとです」
「そうか……」
椎名を膝の上に乗せたまま、かれこれ一時間。
一時間も経てば、さすがの彼女も飽きるかなと思ったのだが、俺の考えは浅はかすぎた。
彼女が飽きることがないのと同じように、俺の心拍数も一時間経って正常に戻る気配はなかった。
なぜ俺は一時間もの間、椎名のパンツの感触を感じなければいけないのだろうか。
「先輩、さっきからソワソワしてますけど、もしかして……」
「(ギクッ)」
「私の匂いを嗅いで興奮して……?!」
「匂いじゃねえだろ」
「え?」
しまった。ツッコミを間違えた。
「ドキドキはしても興奮まではしてねえよ。生徒に手を出す先生がいてたまるか」
「えー、たまにいるじゃないですか」
「やめなさい」
普通はいません。いつからそんな悪いことを考える子になったのかしら! そんな子に育てた覚えはありません!
「私がこーんなことまでしてるのに興奮しないなんて、先輩もしかして……」
「おい待て。言っておくが、俺はノーマルだからな」
「ホントですか?」
「ああ、それだけは絶対だ」
そこだけは勘違いされては困る。もし、そんな噂が流れた時には、絶対それに過剰反応するやつが出てくる。
具体的に言えば、俺の幼馴染の今井なんちゃらさんとか。
「……じゃあ、私ってそんなに魅力ないですか?」
「は?」
唐突に、椎名がおずおずと自信のない声でそんなことを聞いてくる。
その声はこれまでに聞いたことの無いほど震えていたような気がした。
彼女は、ゆっくりと再び俺のほうに体を向ける。
顔は俯いていて、表情が伺えない。
「何回も言ってますが、こんなこと先輩にしかしませんからね? 私にとって、村上先輩は特別なんです」
「………」
「わ、私だって、結構恥ずかしかったりもするんです……。なのに、でも、先輩にとって私は……」
「ばーか」
右手で、椎名の頭をぽんっと叩く。
そのまま右手を動かし、頭を撫でながら彼女に言う。
「何変なことで弱気になってるんだ。椎名らしくもない」
「へ、変なことって! 私にとっては大事な──」
「分かってるよ。でも、これだけは言っとくがな、椎名」
「な、なんですか」
「俺にとっても、椎名は特別な存在なんだよ」
「っふぇ!?」
これまた、聞いたことの無いような変な声をあげて、顔をあげる椎名。
……なんで、そんな必死で悲しそうな顔をしてるんだよ。
「俺にとって椎名は後輩の女の子で、そして唯一の生徒だ。それだけで俺の中では特別だ」
「私の特別はそういう意味じゃ……」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
「それは……」
大事なところで言葉を濁す椎名。釈然としないな、まったく。
「どんな特別だっていいじゃないか。お互いにそれぞれ思う特別な人なんだ、それだけじゃ不満か?」
「不満では……ないです」
「だろ。それならもうそんな顔するな。心配になる」
「はい……。ごめんなさい、私変なこと言ってました。忘れてください」
「おう、綺麗さっぱり忘れたよ」
「それはそれでムカつくんですけど」
「どうすりゃいいんだよ」
理不尽な椎名にそう返すと、彼女は表情を和らげてふふふっと笑った。
いつものかわいいその笑顔に安心感を覚える。
「ほら、気を取り直して勉強するぞ」
「はーい」
体の向きを戻して、勉強を再開する椎名。
そんな彼女の背中を見守りながら、一人考え事をする。
「(椎名の給料か……どうしたものか)」
さっきまで椎名と話していた給料の話。
無しでもいいかなと考えたいた俺は、見事に椎名のお説教を頂いた。
あらためて、椎名の給料について考えなければいけない。
椎名は何かとお金や体で払おうとするのだが、さすがによろしくない。特に、女子高生が体で払うなんて言うのは洒落にならない。
とはいえ、他にこれと言って思いつくもないし、本当に困ったものだ……。
「何考えてるんですか? 先輩」
「え?」
その声で意識を戻すと、いたずらな笑みをしながら俺の顔を見つめる椎名が。
「おい、勉強に集中してなかったのか」
「してましたよ、しっかり。それを言うなら、先輩だって家庭教師に集中してください」
「ぐっ」
「全く、太ももの辺りをまさぐっても気づかないなんて、そんなに何を考えてたんですか」
「今聞き捨てならないセリフが聞こえたんだが。というか全然集中してないじゃねえか」
「もしかしなくても、さっきの給料のことですか?」
「聞けよ……」
「給料のこと考えてたんですよね?」
「……そうだよ」
察しのいい椎名さんにはお見通しだったらしい。
あんまりぼーっとしていると、色々と弱みを握られそうだな。これからはしっかりと太ももをガードしておこう。
「給料のことなら、私も一緒に考えるって言ったじゃないですか。私だって真剣に考えてるんですから」
「わ、悪かったよ。椎名は勉強に集中しないととか思ってたんだよ。実際は集中なんてさらさらしてなかったみたいだが」
「そんなことないですよ。しっかりと先輩に払う給料の案も考えてたんですから」
おい、勉強しろ。
「いくつか考えたので、一つずつ発表していきますね」
「……了解」
「それでは行きますね。一つ目は、先輩にメイド服で御奉仕を」
「却下」
「ちょっと! 最後まで聞いてくださいよ!」
「そこから先の内容で軌道修正されることはないと判断した上での判決だ。異論は認めない」
どう考えてもメイド服の時点でアウトだろうが。
なぜそれで俺のオーケーがでると思った。
「先輩ってば、御奉仕の意味しっかり分かってますか?」
「分かってるつもりだが……そうだな、誤解があるかもしれないし、一応聞いておこうか」
「はい。その内容を聞けば判決だって覆りますよ。勘違いされたら困ります」
「悪い悪い、具体的にどんな御奉仕をしてくれるんだ?」
「そうですね、まずは一緒のお風呂で背中を流して」
「却下」
「なんで!?」
「なんでもクソもあるか。アウトを越えた場外アウトじゃねえか。メイド服はどこ行ったんだ」
「えー? 先輩、喜んでくれると思ったのに……」
「はっ倒すぞ」
こいつの頭はお花畑を通り越して、天国だったのかもしれない。
勉強よりもこの頭をなんとかする教育を施した方がいいかもしれない。
椎名は残念そうな顔をしながら、また考え込む。
次の案も嫌な予感しかしない。
「あ、メイド服がダメなら、チャイナ服で」
「却下」
「うーん、それならナース服で」
「却下」
「かくなる上は水着」
「却下」
「もー、先輩ってばワガママさんですよ。どんな服ならいいんですか」
「まず服の問題じゃねえだろうが」
こいつの頭は天国も通り越した桃源郷だったようだ。
これ、椎名と一緒に考えない方が断然いい気がしてきたのだが、気のせいだろうか。
「そうですね……私が先輩に何かプレゼントとかはどうですか?」
「プレゼント?」
「はい。元を辿ればお金にはなっちゃいますけど、生のお札を渡すよりかはいいかと思いまして」
「そうだな……椎名はなんとも思わないのかもしれないが、やっぱり後輩に何か買わせるっていうのは気が引けるんだよな」
後輩の女子に物を買わせるなんて、そりゃあどうしても抵抗がある。
椎名の言う通り、直接お金を貰うよりかは断然マシなのかもしれないが……。
「先輩は謙虚すぎるんですよ! 対等な見返りを貰ってくれなきゃ私は納得出来ません」
「……それもそうか。わかった、それでいこう。ただし、あんまりにも高いものは受け取れないからな」
「もう。ほんとに謙虚なんですから、先輩は」
「悪かったな」
「別にいいですよ。プレゼント、考えておきます。期待しててくださいね♡」
「ああ」
とりあえず、給料の件は一件落着。
未だに、少しだけ気が引ける気持ちもあるが、椎名の言うことは正論だ。
家庭教師とその生徒。対等な取り引きをしないといけないのは当然。
まだ、椎名がプレゼントという案で納得してくれただけマシかもしれない。
女の子からのプレゼントか。楽しみにしておくことにしよう。
そんなことを考えながら、家庭教師としての仕事を再開するのだった。
「ところで椎名さん。そろそろ膝の上から降りてもらっても」
「却下」
「ですよねー」
却下です。