19 目撃
◆ 椎名梓 ◆
一大事だ。私はとんでもないものを目撃してしまった。
休日のお昼過ぎ。村上先輩の家庭教師がお休みになった今日。
先輩が来ないせいで暇を持て余した私は、早めの昼食を済ませて外に出かけていた。
特に用事があった訳でもないけど、勉強の気分転換とか、そんな感じ。
そんなこんなで家を出た私は、なんとなく学校方面に歩いていき、その途中であの場面に出くわしてしまった。
まさか。
そう。まさか、村上先輩と今井先輩があーんし合っている所に遭遇するなんて……!
学校近くのファミレスを横切るとき、たまたま窓際に座る村上先輩と今井先輩を見つけた。
今井先輩がジャージ姿だったから、たぶん例の練習試合が終わったあとに昼飯を食べに来たんだと思う。
それだけならよかったものの、二人は料理が運ばれてくるまで楽しげに会話し、いざ食べ始めたと思ったら互いにあーんし始めるのだ。
村上先輩も最初は仕方なくといった感じだったのに、結局五回以上はあーんしていた。
嫌だったらそもそもそんなことしないだろうし、案外乗り気だったのかもしれない。
今井先輩とは幼馴染で、仲がいいのは充分に分かっているけど、やっぱりむかむかする。
というか、ただの幼馴染同士であんなにイチャイチャしたりするものなのかな。
あれを見たら、絶対誰でもカップルだと考えるに決まってる。
とりあえず、私が何を言いたいのかというと。
「にゃぁ~ん! 今井先輩だけずるい~!!」
家に帰ってベッドの上へダイブし、うつ向けの状態のまま思いっきり叫ぶ。
一応マンションに住んでるので、大声を出す訳にはいかず、枕に向かって叫ぶ。
「ただの幼馴染なのに、なんであんなに仲良くしてるの~!! おかしいじゃーん!」
枕を抱きしめて、ゴロゴロとベッドの上を転がり回る。
自分でも、自分がおかしいことは分かっているけど、心の奥がざわざわして落ち着かない。
自分じゃないみたいに、すごくむしゃくしゃする。
「こんなの、本当に私らしくない……」
ぼそっと独り言を呟く。
改めて口に出してみて、あまりの情けなさにため息も出た。
今思えば、ここ最近は先輩に主導権を握られっぱなしだった気もする。
「もっとしっかりしないと。こんなことじゃ、いつまでもあの日のまま……」
そう自分に言い聞かせて、パンパンと頬を叩く。
「よしっ」
そう言って、ベッドから立ち上がった私は、意気揚々と先輩が来る明日の作戦を練るのだった。
◆ 村上陸 ◆
一大事だ。俺はとんでもない状況に遭遇してしまった。
紗月の応援から一夜明け、二日目の休日。昨日は休んだが、今日は椎名の家庭教師に行かなければならない。
俺が家庭教師をお休みさせてもらうように頼んでいたとき、椎名は不満そうな顔をしていた。
申し訳ないと思う気持ちは当然あって、今日の勉強のときにもう一度謝っておこう。そんなことを考えながら、午前中に椎名家を訪ねた。
そして、開かれた扉から現れたのは──
「あっ先輩。おはようございます♡」
Tシャツ一枚姿の椎名だった。
「どうぞ上がってください、先輩」
「上がってくださいじゃねえよ、なんだその服は」
「へ? パジャマですけど?」
はてな?と首を傾げた後、両手を広げて服を見せてくる椎名。
椎名の服のサイズとは全く合わない、腰下数十センチのダボダボのTシャツ。
そしてそれ以外は何も着ておらず、おそらく下着だけ。
明らかに普通の女子高生があるべき姿ではない、マンガにでも出てきそうな格好。さすがに刺激が強すぎる。
俺はほんの少し目を逸らしつつ言葉を返す。
「そういうことじゃねえ。というかそんな服で寝てるのか、椎名は」
「そうですよ~。うふふ、想像しちゃいました?」
「バカか」
「あて」
調子に乗って、服の裾を持ちながらひらひらとターンしてみせる椎名。
見えそうで見えない。何がとは言わないし、見る気もないが。見えそうで見えない。
あれはいけない。男の本能に直接語りかけてくるから、いけない。女子力プラス十点。
とりあえず頭に軽めのゲンコツを入れて静かにさせる。
「痛いですよ~先輩」
「お前の頭は元々痛いだろうが」
「せっかく先輩が教えてくれたことが今のゲンコツで全部飛んでっちゃいましたよ」
両手で頭を抑えながら、ぶーぶーと文句を付けてくる椎名。
というか、その格好で両手を上げないで欲しい。
腕に服が引っ張られて、裾の下の絶対領域がもっときわどいことになってしまっている。
「お前のパジャマのセンスにとやかく言うつもりはないが、仮にでも男の俺が家に来るときくらいはしっかりした格好をしてくれ」
「別にいいじゃないですか。これだったら先輩も色々と捗るでしょう?」
「悪いが勉強は捗らないぞ」
「勉強じゃなくて、ほら……ね?」
前かがみになって上目遣いでそんなことを言ってくる椎名。
だぼだぼなシャツは首元もゆるんでいて、胸元が見えている。
当然、服の上からしか見たことがなかったので、あらためて彼女の大きさを把握する。何がとは言わないが。
というか、本当に今日の椎名はどうしたというのだろうか。
たしかに、いつも思わせぶりな態度であざとく誘ってきたりはしている。だが、ここまで露骨な色仕掛けは初めてかもしれない。
俺はなるべくその渓谷から目を逸らしながら、彼女の肩を持って180度回転させる。
「ほら、この際服装については無視してやるから、さっさと勉強するぞ」
「はーい♡」
ふんふふーんとスキップで歩いていく椎名。そのせいで絶対領域どころか、跳ねるたびにパンツがチラチラと見えてしまっている。
この前も椎名はピンクのパンツを履いていたし、椎名はピンクが好きなのだろうか。なるほど、女子力プラス十点。
「先輩、先に座っててください。私、お茶とか用意してきますから」
「ああ、悪いな」
いえいえ、と相変わらずのパンチラステップで台所に消えていく椎名。
あれは、わざと……なんだろうか。服装とさっきの態度を見ると、故意に見せているのではと考えてしまう。
そんな痴女みたいな、紗月でもそんなこと…………あるかもしれない。
そんなことを考え込みながら待っていると、椎名がお茶菓子を持って帰ってくる。
いつもながらに美味しそうなクッキーがお皿に並べてあった。
お皿を机に置いた椎名は、俺の隣に腰を下ろし、自慢げに胸を張る。張るな。
「今日は、私がクッキーを焼いてみたんです!」
「そうなのか。上手に出来てるじゃないか。この前の市販のやつと瓜二つだな」
「えへへ~、ありがとうございます♪ どうぞ食べて下さい。ほら、あ~んしてあげます」
「いや、ちょっと待て」
クッキーを手に持って俺の口へと差し出す椎名に待ったをかける。
当の本人は、ほえ?と言った様子で首を傾げて「どうしたんですか?」と聞いてくる。なんだこのデジャヴは。
「なんで俺があーんして食べさせてもらわないといけないんだ」
「えー? いいじゃないですか、遠慮しないでください」
「してねえ。なんでお前らはよってたかって俺にあーんしたがるんだ」
「……っ! 知らないです! いいから食べてください!」
「あぁ、もう。わかったから口に押し付けるな」
何故だかいきなり機嫌を悪くした椎名が、ムキになってクッキーをぐいぐいと押し付けてくる。
なんでこんなに怒ってるんだ、こいつは。紗月もそうだが、何故そこまであーんにこだわるのか。全くわからん。
「それじゃ先輩。はい、あ~ん」
「はいはい……あむ」
「ど、どうですか? 私のクッキー」
「ああ、美味いぞ。やっぱり料理上手いんだな、椎名は」
「えっへへ~」
さっきまでの機嫌の悪さもどこへやら。
頬を思いきり緩めて、嬉しそうな笑顔を見せる椎名。
「あとは自分で食べるから、椎名も食べていいぞ」
「え~? 私があーんしてあげたんですから、先輩も私にあーんしてくださいよ~」
「だからなんなんだ、このデジャヴは」
「先輩~?」
「はいはい。やりますやります」
昨日の時点で既にこの状況を覆すのが困難なことは把握済なので、すぐに諦める。
目を閉じながら小さく開かれた口に、クッキーを入れてやる。
「えへへへへ……」
さっきにも増してだらしなく頬を緩める椎名。
昨日にも感じていた、あーんの恥ずかしさも、この幸せそうな顔が見れるなら少しくらいは気にならないかもしれない。
俺は、そんなことを考えながら、もう一つ椎名のクッキーをいただくのだった。
おいしいクッキーが食べたい。




