18 昼食
「フォーティーラブ」
ターンと、心地よい返球音のあと、審判の点数コールの声が響く。
相手のラケットをノータッチで抜けたボールは、後ろのネットに当たり大きく跳ねて返ってきた。
その様子を見て、思わず感嘆の声がこぼれる。
その声が聞こえたのか、サービスエースを決めた当人が、わざわざこちらに振り向き、ぶいっとピースしてくる。
俺はそれに小さく微笑んでから、拍手を送っておく。
それに満足した彼女は、意気揚々と次のサーブを打ち、甘く返ってきた球を相手の逆をついて確実に決める。
「ゲーム、今井」
よし、と可愛くガッツポーズを決めると、次は俺のとこまで歩いてくる。
「ふふん、見てた? 陸」
「紗月、1ゲーム終わるごとに俺のところに来るのはやめないか?」
「え~? いいじゃない、別に」
「後ろを見てみろ。他の人からの目線がさっきから痛いんだよ」
別のコートでやっている人たちからも、ずっと視線が刺さっている。
特に、新一年生の人達からの視線が痛い。
紗月のためなら甘んじて受け入れると覚悟はしていたのだが、さすがにこれはきつい。
女子テニスを眺める男子という時点で既にあぶない匂いが漂っているというのに。
「大丈夫よ、陸。みんなにはたぶん私の彼氏っていうことで通ってるんだから」
「大丈夫じゃない、いつから俺はお前の彼氏になったんだ」
「私は何も言ってないわよ? みんなして彼氏なんでしょって言うからもうそれでいいかなって」
「よくねえ。しっかり幼馴染だって説明してくれ」
うへぇと、めんどくさそうな顔をする紗月。おい、なんだその顔は。
「お前だって、勝手に俺が彼氏認定されてれたら腹立つだろ?」
「………」
なぜそこで黙る。
「とにかく、勝手にあらぬ噂が広がるのは気に入らない。ちゃんと説明しておいてくれ」
「(…………ばかっ)」
「おい、聞いてるか?」
「聞いてる聞いてる。みんなには言っておくから~」
そう言いながら、手をひらひらさせてコートへ戻っていく紗月。
ほんとに分かってるんだろうな、あいつ……。
結局。紗月なりにそれとなく周りに説明はしていたみたいだが、毎ゲームごとに俺のところに来ることは変わらず、痛い視線に晒され続けるのだった。
* * *
「陸~、帰ろ~!」
「おう。お疲れ、紗月」
正午過ぎ。部活が終わった後で紗月と合流する。
あまり汗はかかなかったとのことで、今の紗月の格好はテニスのユニフォームにジャージの上着を羽織っただけ。
その丈のスコートで街中を歩くのか、紗月よ。
「陸、今日のお昼ご飯なんだけどね~」
当の本人は全く気にした様子もなく、呑気にお腹の方を気にしていた。
「家に親がいないから俺の家で、っていうのは無しな」
「陸、もしかしてエスパー?」
「やっぱりその気だったのか……。ダメだダメだ、お前にやる飯はない」
「え~、陸のけち~」
ぶーぶー言いながら俺の体を揺さぶってくる紗月。
駄々をこねる子どもをあしらうように、紗月を引きずりながら無視して歩く。
「むむむ……。昔は私の言うことなんでも聞いてくれたのに。いつの間にこんな融通の効かない子に育っちゃったのかしら」
「知るか。昔と比べて無愛想で悪かったな。俺だって成長したんだよ」
「そっか、陸も成長したんだね。手もこんなに大きくなって……」
そんなことを言いながら、懐かしむような遠い目をしながら、俺の手を取り指を絡めてくる。
「ふ、甘いな紗月。今更そんなことで、俺がときめくとでも思ったか」
「んなぁ! これでドキドキしない男子なんていないって書いてあったのに!」
「何に書いてあったんだそんなこと。まあ、俺以外の男子だったらもしかするかもしれないが」
「陸以外にこんなことしないわよ! もう知らないっ」
「あ、おい」
俺の態度に不満があったのか、握っていた手を自分から振り払って足早に歩いていってしまう。
俺は、心の中で一つため息をついてから紗月の背中を追いかけ、さっきまで握られていた手を俺の方から握る。
「な、なによ。わ、私だって今さらそんなことじゃドキドキしないんだから」
「そんなつもりはねえよ」
「じゃあ、なんで握ってきたのよ」
「昼飯のことだがな。俺は、俺の家で食べるのがダメだと言っただけで、紗月と一緒に食べるのが嫌だとは一言も言ってない」
「え? そ、それって……」
俺は一つ息を吐いてから、
「紗月。これから二人で、昼飯食べに行かないか?」
俺がそう言った瞬間、目を輝かせた紗月が勢いよく俺に抱きついてきた。
「お、おい」
「ふふ、陸ったらしょうがないわね~。そんなに私と二人きりでデートしたいなんてっ」
「おい、かなり誇張されてるぞ」
「気にしない気にしない♪ さ、早く行きましょっ?」
「わかったから、そんなに引っ張るな」
「れっつご~♪」
コロッと機嫌を直した紗月に連れられ、学校近くのファミレスに入る。
笑顔の眩しい店員さんに案内され窓側の席に座る。
「陸は何食べる~?」
「そうだな……無難にハンバーグ定食でもいくかな」
「ふむふむ。陸がハンバーグ定食なら、私はオムライスにしようかしら」
「意外だな。紗月もハンバーグ定食にすると思ったんだが」
「私には考えがあるからね、にしし」
いたずらに笑う紗月。楽しげなその笑顔に少し胸を高鳴らせてしまった自分が、ちょっと悔しかった。
そのあと注文を済ませ、紗月と何気ない会話や冗談で盛り上がってると、先程席に案内してくれた輝くスマイルの店員さんが料理を運んできてくれた。
「ハンバーグ定食とオムライスになります。ごゆっくりどうぞ~」
相変わらずの眩しい笑顔で去っていく店員さん。同い年くらいのバイトの人みたいだが、接客業の鏡みたいな完璧さだ。
赤の他人ではあるが、尊敬してしまう。
「うわ~美味しそう! いただきま~す」
「いただきます」
そんな店員さんと同じくらい輝いた目をする紗月。
そんなテンション高めな彼女に続き、俺も久しぶりのハンバーグ定食をいただく。
「ん~♪ ふわとろだ~♪」
「ん、うまいな」
口の上に肉汁が溢れ、とってもジューシー。久しぶりのハンバーグは思いのほか美味しかった。
ハンバーグの一口目を堪能したのもつかの間、紗月が動く。
「ねえねえ、陸のハンバーグ一口ちょうだい?」
「……それがさっき言ってた考えってやつか」
「そゆこと~。ねえ、ダメ?」
やめなさい。スプーンを口に当てて上目遣いをするのはやめなさい。
「まあ、別にいいが……。平等に紗月のオムライスも一口貰うぞ」
「もちろんっ」
「それなら、ほら」
フォークとナイフを皿に置き、紗月のほうへずらす。
「………」
「なんだよその目は。早く食わないと冷めるぞ」
「陸があーんして食べさせて」
「は? なんで俺がそんなこと」
「してくれないならオムライスあげないからっ」
そう言ってつーんとそっぽを向く紗月。
ったく。俺らが今何歳になってるのか分かっているのか、こいつは。
「はやく~」
「はあ……わかったよ。ほら」
「やったぁ! あ~んっ」
「どうだ?」
「ん~っ、おいしいわ!」
観念した俺があーんしてやると、ほっぺに手をあてて幸せそうに顔を緩める紗月。
これがそこそこにかわいいものだから困る。こっそり女子力二十点。
「それじゃあ、私のオムライスも上げるわねっ。はい、あ~ん」
「いや、ちょっと待て」
「ん? どうしたの?」
「なんで俺まであーんで食べなきゃならんのだ。俺は普通に食べる」
「え~? 私がしてもらったんだし、陸も遠慮しないでよ」
そう言ってスプーンにすくったオムライスを突きつけてくる紗月。
いくら幼馴染だからって、ほんとにこいつは色々と抵抗が無さすぎる。こっそり女子力マイナス十点。
「ほーらー、はやく~」
「わかった。わかったよ、食べればいいんだろ」
「はい、あ~んっ」
言われるがままに紗月にオムライスを口まで運んでもらう。
この歳になってまで、あーんされることになるとは思いもしなかった。
「どう? おいしいっ?」
「うまいぞ。オムライスも悪くない」
「えへへ。これでお互いに間接キスね……」
「そうだな。いつもより美味しかった気がする」
「え? そ、それってもしかして……」
「ああ、たぶん相当腹が減ってたんだろうな」
「………」
「ん? どうした紗月。そんな自分だけが間接キスを意識していたラノベのヒロインみたいな顔は」
「もう! 陸、分かってて意地悪してるでしょ!」
「なんのことだか」
しらばっくれる俺にぽこぽこと攻撃をしかけてくる紗月。
電車のときはかわいい肩パンだったが、今はキックが脛にダイレクトアタックしているので、ちょっと痛い。
「そんな拗ねるなって。ほら、もう一口ハンバーグやるから」
そう宥めながら、もう一回フォークを紗月の口元に持っていく。
紗月は何も言わずにそれを食べる。言葉は発してないが、とりあえず脛キックは収まった。
「機嫌直してくれたか?」
「……もう一口」
「はいはい」
なんやかんやあーんしてもらうのは嬉しいらしく、頬は緩んでいる紗月。
結局、紗月のおねだりはその後も続き、完全にいつも通りの紗月に戻るころには、俺のハンバーグは半分ほどになってしまっていた。
ハンバーグは貢物。




