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私の好きなもの(アメリア)①

クレア母視点です。アメリアとカトリーナのお話は連載当初からずっと書きたかったのですが、ようやく書けました。

長くなったので2回に分けました。よろしくお願いします。

 王妃様主催のお茶会の会場である王宮の庭園には、大勢の貴族の夫人や令嬢方が集まっていました。


 私はたくさん並んだ円卓のひとつに腰を下ろして紅茶をいただきながら、こっそり欠伸を噛み殺しました。

 しかし、隣にいたお姉様には気づかれてしまったようで、鋭く囁かれました。


「はしたないわよ、アメリア」


「すみません。昨夜、ほとんど眠れなかったものですから」


「お茶会くらいで緊張していてどうするの」


 緊張で眠れなかったわけではないのですが、本当の理由を知られては拙いので黙っていましょう。

 私より6歳上のお姉様には、昔から何かと口煩く注意されてきました。私のことを心配してくれているのはわかりますが。


 ああそれにしても、昨夜のことは考えないようにしていたのに思い出してしまいました。途端に体がソワソワしてきます。


 運良く、そこへお姉様のご友人たちがいらっしゃり、お喋りが始まりました。


「お姉様、せっかくなので庭園を見学してきます」


 私はお姉様にそう告げて、いそいそと円卓を離れました。


 一旦、会場の隅に控えていたメイドのもとに向かって預けていた荷物を受け取ると、ひとり人気のなさそうなところまで歩きました。

 あたりを伺い、綺麗に整えられた庭木の陰にしゃがみ込むと、荷物の中から取り出したのは1冊の本でした。『クライン帝国シリーズ』と呼ばれる、剣と魔法の世界を舞台にした冒険物語です。


 私はこの『クライン帝国シリーズ』が大好きなのですが、家族には「そんな子ども向けの本なんて」と言われてしまいます。

 仕方ないではありませんか。『クライン帝国』の第1巻が出たのは私がまだ幼かった頃でしたが、私が子どもだったうちに物語が終わらなかったのですから。


 待ちに待ったシリーズ最新巻は、昨日発売されました。

 私はさっそくこれを購入して、翌日がお茶会だというのも忘れて寝不足になるくらい遅い時間まで、というか明け方まで読み続け、起床後も可能な限り本を手にしていたのですが、残念ながら最後の数頁を読めずに時間切れになっていたのです。


 私は栞を挟んでいた頁を開き、瞬く間に物語の世界へと入り込んでいきました。

 おそらく、読み終わるのにそれほどの時間はかからなかったと思います。私は本を閉じてホウと息を吐き、余韻に浸りました。


「あのう」


 突如すぐ近くから聞こえてきた声に、私は慌てて顔をあげ、そして息を呑みました。

 いつの間にか私の目の前に、いくつか歳下らしい令嬢が立っていたのです。


 私が驚いたのは、彼女の煌めくような美貌。まるで『クライン帝国』と同じくらい大好きな『妖精の谷シリーズ』に出てくるエルフのエレノーラ姫のようです。

 エレノーラ姫はその美しいお顔に済まなそうな表情を浮かべて私を見つめていました。


「その本なのだけど、もしかして『クライン帝国』の最新巻ではない?」


「ええ、そうです」


 私が頷くと、エレノーラ姫のお顔がパアッとさらに輝き、私の前に勢いよくしゃがみ込まれました。


「ああ、やはりそうだったのね。もう読んでいるなんて羨ましいわ。私はメイドの今度のお休みに買ってきてもらうことになっているのだけど、待ちきれなくて」


 どうやら、エレノーラ姫も『クライン帝国シリーズ』の愛読者らしいとわかり、私は嬉しくなりました。


「良かったらお貸ししましょうか?」


「え?」


「たった今、読み終わりましたので」


 エレノーラ姫は悩ましい表情になりました。

 初めて会ったばかりの相手と物を貸し借りするなんて、私だって普段なら悩むに決まっています。だけど、このエレノーラ姫はどう見ても悪い方には見えません。


 しばらく視線を彷徨わせていたエレノーラ姫ですが、ふいにハッとした様子で立ち上がりました。


「ごめんなさい。私、行かないといけないの。ああ、でも……。あなたも一緒に来て」


 そう言ってエレノーラ姫は私の手を取りました。

 てっきりお茶会の会場へ向かうのかと思いましたが、エレノーラ姫が駆け出したのは逆の方向でした。王宮の建物へと近づき、回廊を通り抜けて中庭らしき場所へと出たところで、エレノーラ姫は足を止めました。


 こんな王宮の中ともいえるような場所まで来てしまって良いのかと私が戸惑っていると、私たちが先ほど通り抜けたばかりの回廊を、ひとりの男性が歩いていらっしゃいました。

 男性は回廊の中ほどで立ち止まると、中庭にいる私たちに会釈をされました。私たちがここにいることがおわかりだった様子です。ああ、エレノーラ姫がいることが、でしょうか。

 私も礼を返しました。


「こんにちは、コーウェン次期公爵」


「こんにちは、姫。確か今日はお茶会ではありませんでしたか?」


「こちらの方と仲良くなったので、私の大好きな場所を案内していたの」


「そうでしたか」


 コーウェン次期公爵が私を見ました。


「初めまして。コーウェン公爵家のウィルフレッドです」


「初めてお目にかかります。ヒューズ伯爵家のアメリアと申します」


「私はこれで失礼いたします。どうぞ、お茶会を楽しんでください」


 コーウェン次期公爵の姿が見えなくなると、それを見送っていたエレノーラ姫が再び私に向き直りました。

 いえ、次期公爵から敬われ、「姫」と呼ばれていたこの方の正体に、私も気づいてしました。国王陛下の末の妹君カトリーナ姫に違いありません。

 この方は本物の姫君だったのです。もちろん人間の、ですが。


「ここまで引っ張ってきてしまってごめんなさい」


 私は急いで首を振り、頭を下げました。


「いいえ、私こそ失礼なことをいたしました」


「そんなことはないから、顔を上げてちょうだい」


 カトリーナ姫の言葉におずおずと顔を上げると、姫は麗しく微笑まれました。


「自己紹介が遅れたわね。私は前国王陛下の第三王女カトリーナよ。どうぞよろしく」


「ヒューズ伯爵家の次女アメリアにございます。よろしくお願いいたします」


「ところでアメリア、先ほどのお話なのだけど、本当に借りてしまってもいいのかしら?」


 カトリーナ姫が可愛いらしく小首を傾げました。


「はい。カトリーナ姫にも早く読んでいただきたいです」


「では、どうか貸してください」


「ええ、喜んで」


 私がカトリーナ姫に『クライン帝国』を差し出すと、姫は嬉しそうにそれを受け取られました。


「ありがとう。3日でお返しするわね。申し訳ないのだけど、私からお返しに伺うことができないので、アメリアがこちらに来てくれるかしら?」


「はい。わかりました」


 私はそう答えつつ、内心焦りました。まさか、王宮に姫君を訪ねることになるなんて。


「ところで、コーウェン次期公爵のこと、どう思いましたか?」


 カトリーナ姫の問いに、私は少し考えました。きっとカトリーナ姫は、私の正直な印象を聞きたいのですよね。


「ギデオン様のイメージにぴったりだと思いました」


 私がやや声を抑えて言うと、カトリーナ姫の目が輝きました。


「でしょう、でしょう? 私、それに気づいた時には興奮してしまって、だけど、誰かに話しても理解してもらえそうになくて」


 ギデオン様というのは、『クライン帝国シリーズ』に登場する剣士です。寡黙だけど常に冷静に物事を見極め、とても頼りになる方です。


「わかります。私の周りにも一緒に『クライン帝国』のお話をできる人はいません」


 私たちはお互いに見つめ合って笑いました。が、ふいにカトリーナ姫の眉が下がりました。


「私が会わせておいて何なのですが、その、コーウェン次期公爵のこと、好きにならないでほしいの」


 ああ、やっぱり。カトリーナ姫はコーウェン次期公爵をお慕いしているのですね。お茶会を抜け出して中庭に行ったのは、一目あの方にお会いするためだったのでしょう。

 コーウェン次期公爵はカトリーナ姫よりずいぶん歳上に見えましたが、恋する乙女に年齢など関係ありません。それに、コーウェン家は私でも知っている我が国指折りの名家です。


 コーウェン次期公爵のお気持ちはわかりませんでしたが、こんなに麗しい方から好意を寄せられたら、心が動くに違いありません。

 それを想像しているだけで、私までカトリーナ姫に落ちてしまいそうです。


「ご安心ください。私が好きなのはロイド様ですから」


 私がそう言うと、カトリーナ姫はみるみるうちに安堵の表情になりました。本当に可愛いらしい方です。


「ロイド様も素敵ですものね」


 ロイド様は、同じく『クライン帝国シリーズ』の魔法使いです。頭脳明晰で敵には容赦ありませんが、仲間には優しい方。


「それから、私、3か月後に結婚するんです」


「まあ、そうなの。お相手はどんな方? ロイド様のような感じかしら?」


「バートン伯爵家のご嫡男でジョセフ様とおっしゃるのですが、宮廷で財務官をされています。ロイド様とは違いますけど、優しい人です」


 少なくとも、私の読書趣味に理解があります。


「それなら、私も会う機会があるかもしれないわね」


「ロイド様とは全然違いますから、期待しないでくださいね」


「お友達の婚約者がどんな方か見てみたいだけよ」


 カトリーナ姫はフフと笑いました。


 私たちは一緒にお茶会の会場に戻ってから分かれました。

 私はすぐにお姉様に捕まりました。


「ちょっとアメリア、どこまで行ってたのよ」


「申し訳ありません。ついお喋りに夢中になってしまって」


「ねえ、あなたが一緒にいたのって、まさかカトリーナ姫?」


「はい。何だかお友達になってしまいました」


 お姉様は目を丸くしました。




 3日後、私は緊張しながら馬車で王宮へと参りました。

 門前で衛兵に名乗りカトリーナ姫との約束を告げると、話が通っていたらしく、すぐに王宮のメイドが現れて私を案内してくれました。


 私が連れて行かれたのは、王宮でも奥のほうにある王族方の私的空間です。私がこんなところに入ることを許されるなんて、興奮してしまいます。

 キョロキョロと周囲を眺めたい気持ちを抑えて、メイドに導かれるまま進みました。


 やがて、メイドがひとつの扉の前で止まり、ノックしました。


「姫様、ヒューズ伯爵令嬢がお見えです」


「入ってちょうだい」


 部屋の中に入ると、カトリーナ姫専用の居間のようでした。そこでカトリーナ姫が先日以上に煌く笑みで迎えてくださいました。


「ああ、アメリア、待っていたわ。大切な本を貸してくれてどうもありがとう」


「本日はお招きいただきありがとうございます。それで、全部お読みになれましたか?」


 挨拶もそこそこに尋ねてしまいました。


「ええ。今回も本当に面白かったわね」


 カトリーナ姫と私はソファに腰を落ち着け、メイドが淹れてくれた紅茶を飲みながら、しばらくの間『クライン帝国』の話で盛り上がりました。


「そう言えば、あなたに聞きたいことがあったのだけど」


 そう言って、カトリーナ姫がテーブルの上に置いていた『クライン帝国』の頁の間から栞を取り出したので、私は思わず声をあげそうになりました。栞を挟んだままにしていたことをすっかり忘れていたのです。


「これは、どこで手に入るものなの?」


 私は正直に答えました。


「それは、私が作りました」


「まあ、アメリアが作ったの?」


 栞は厚紙を挟んで布を縫い合わせただけのものですが、その布には刺繍を入れてありました。


「これって、ロイド様の杖とローブよね?」


「わかりますか?」


「もちろんよ。アメリアは器用なのね」


 カトリーナ姫に褒められて、私は恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになりました。


「以前はまったく駄目だったのですが、『クライン帝国』を読んでいるうちにどうしても何か作りたくなってしまって、色々やっているうちに少しずつ上達してきました」


「そうなのね。刺繍やお裁縫は苦手なのだけど、私も作ってみようかしら」


「ええ、是非。カトリーナ姫が作られるものも見せてくださいね」


「見せられるようなものができたら良いのだけど。……そうそう、私ばかり借りるのは申し訳ないから、アメリアも私の本棚に気になるものがあったら持って行って構わないわよ」


 そんなことを言っていただいたら、本棚を覗かないわけにはいきません。読書好きとしては、他の方の本棚を見られる機会は逃せません。


 私は居間の隣の勉強部屋、あるいは書斎らしきお部屋に通されました。

 本棚は可憐なカトリーナ姫のものとは思えないくらい立派なものでした。そこには『クレイン帝国シリーズ』はもちろんのこと、他にも私の本棚と同じ本がたくさん見つかって、やはり趣味が合うのだと嬉しくなりました。


 ですが、カトリーナ姫の本棚に並ぶのは物語ばかりではありませんでした。

 私が手にしたことなどないような本が何冊もありました。我が国も含む近隣諸国の歴史や文化についての本が多いでしょうか。それに他国の言語で書かれた本まであるようです。


「こんな難しそうな本も読まれるのですか。やはり陛下の妹君ともなると大変ですね」


 私が感嘆の声をあげると、カトリーナ姫は恥じらうように俯きました。


「それは違うの。コーウェン次期公爵が外交官だから、私も将来のために勉強しておこうと思っているのだけど、まだほとんど読めていないの」


「コーウェン次期公爵とは、ご婚約が決まっていらっしゃるのですか?」


 カトリーナ姫が婚約されたという発表はまだありませんが、内定はしているのでしょうか。


「いいえ、まだよ。でも、16歳までに立派な淑女になれば婚約させてくれるって、お兄様とお約束したの。できたらお兄様に命じられたからではなく、私だからという理由で選んでほしいのだけど」


 まったく健気でいじらしい方です。コーウェン次期公爵が早く気づいてくだされば良いのですが。それとも、もう気づいていらっしゃるのかしら。


 私は本棚の中からまだ読んだことのなかった物語本をお借りして、帰宅の途につきました。

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