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隣国からの訪問者(クレア)

 セディが帰宅したとメイドが知らせてくれたので、私は部屋の中で可愛いらしくちょこちょこと歩き回っていたメリーを抱き上げた。


「お父様をお出迎えしましょうね」


 そう言うと、メリーは「お父様」という単語に反応して嬉しそうな声をあげた。


 しかし、私が扉に向かって一歩踏み出しかけたところで、バタンと大きな音を立ててそれが開き、セディが飛び込んできた。


「クレア」


「お帰りなさい、セディ。いったいどうしたの? メリーが吃驚してしまうわ」


「ただいま。メリー、ごめんね」


 そう口にする様子もやはり慌しい。


「あのね、クレア。お願いがあるんだけど」


「何かしら?」


 メリーがセディに向かって手を伸ばしたので、私はセディの腕にメリーを渡した。

 セディもすっかり慣れたもので、愛娘を抱く腕には見ていて安心感がある、のだけれど。


「来週の王宮のパーティに、僕と一緒に出てくれる?」


 そう言うセディの表情は眉が下がっていて何だか情けなく、あまりメリーには見せたくない。


「来週のパーティって、使節団の歓迎パーティのこと?」


 セディがコクリと頷いた。


 隣国から使節団がいらっしゃることは数か月前に発表され、宮廷ではそれを迎える準備が着々と進んでいるらしい。

 その歓迎パーティに我が国から出席するのは王族と宮廷で働く方々で、女性は王族と高官のご夫人方くらいだと聞いている。ちなみに、お義母様は当然そこに含まれている。


「使節団に女性はいないし、あなたは会場の隅に立っているだけでいいから大丈夫、ではなかったの?」


「そのはずだったんだけど、陛下が僕にパーティで通訳をしろって言い出して」


「まあ。ずいぶん急なことね」


 秘書官であるセディの普段のお仕事は翻訳で、通訳というのは外交官の担当分野のはずだ。


 そもそも、近隣諸国の中で学問の中心地とされる隣国の言語は、我が国の貴族が身につけるべき教養の1つに数えられ、学園の必修科目にもなっている。なので、王族や高官方ならわざわざ通訳を介す必要はないように思う。

 となると、陛下が敢えてセディのために言い出されたことなのかもしれない。


「でも、通訳が妻を同伴する必要はないでしょう?」


「あるよ。クレアがそばにいなかったら通訳なんて無理」


 セディは泣きそうな顔になった。ああ、もう、メリーが見てるのに。


「陛下も、クレアが出て構わないって」


 せっかく成長の場を与えるなら、駄目だと言ってくださればいいのに。まったく陛下もセディに甘いのだから。


「わかったわ」


 陛下と同類を自認する私が嘆息交じりに言うと、セディの顔が輝いた。


「ありがとう。あ、パーティでカイルに紹介するから」


 私は目を瞬いた。


「カイル様って、確かあなたのお友達よね。センティア校の同級生で、ルームメイトだった」


 セディが時おり手紙のやり取りをしているのが、確かカイル様だ。


「そうだよ」


「若いのに使節団の一員になるなんて、余程優秀な方なのね」


「卒業の時は次席だったよ。あ、主席だったイアンと、ティムも来るって」


 以前セディに聞いた話によると、留学時代にカイル様たちにはずいぶんお世話になったらしい。朝が苦手なセディを毎日起こしてくれたとか。

 今でもセディが自力で目を覚ますことはないけれど、結婚前から考えれば起こすのはずいぶん楽になった。3年間もセディを叩き起こしてくれたカイル様たちには、お礼を言わなければいけない気がする。


 そう言えば、お義父様の「セディは子どもを作れないのでは」という懸念を見事に裏切って、今こうしてセディの腕の中にメリーがいるのも、どうやらカイル様のおかげらしい。だけど、それについては知らないふりをしておきたい。


「それなら、是非ご挨拶をしたいわ」


「うん。そうと決まれば、急いでドレスを頼まないと」


 いやいや、1週間ではさすがに無理でしょう。


「ドレスはいいわ。まだ着ていないのもあるし。それよりも、あちらの国の言葉を教えてちょうだい。挨拶くらいはできるようにしておきたいわ」


 もちろん私も学園で学んだのだけど、これまでに使う機会がなかったので残念ながらうろ覚えだ。


 セディが目を丸くした。


「僕がクレアに教えるの?」


「当たり前でしょう。お願いね」


「う、うん」


 セディが自信なさげな顔をした。

 セディが人に教えるなんて苦手だろうことは予想がつく。だけど今回は私が相手なんだし、何とかなるだろう。




 さっそくその夜から、セディによる隣国語講座が始まった。


「『初めてお目にかかります。セドリックの妻クレアにございます』はどう言うの?」


 私が尋ねると、セディは大して考える様子もなく答えを口にした。


「それじゃあ、『夫が色々お世話になり大変感謝しております』は?」


「『セディはセンティア校ではどんな様子でしたか?』は?」


「『娘も夫に似てとても可愛いです』は?」


 私の言う言葉をセディが忽ち隣国語に変換する、というやりとりを繰り返すこと十数度。


「『セディはいつも王宮近くのお菓子屋さんで美味しいお菓子を買って来てくれます』は?」


「……ねえ、クレア。カイルに会う時は僕も一緒にいるんだから、こんなにたくさん覚えなくても大丈夫じゃないのかな?」


 珍しくセディが冷静な意見を言ったので、私は我に返った。


「ああ、ごめんなさい。あなたの口からスイスイ隣国語が出てくるのが面白くて、つい夢中になってしまったわ」


 セディがあまりに滑らかにいつもと異なる言葉を話すので、すっかり止まらなくなっていた。

 学園で隣国語の授業を受け持っていたのは隣国出身の教師だったけど、セディの発音はその先生と遜色ないほどに綺麗なのではないだろうか。


「あなた、本当に凄いのね」


 私は感嘆の声をあげたけれど、セディはなぜ褒められたのかわからないようにキョトンとした。


 翌日の夜には、私は教わるべき挨拶の言葉をきちんと決めてセディの隣国語講座に臨んだけれど、今度は隣国以外の国の言葉に変換してもらって楽しんでしまった。


「あなたは本当に何か国語も話せるのね」


「でも、他の国から使節が来る予定は今のところないよ」


「そうだったわね。隣国語だけしっかり教えてちょうだい」




 そして翌週、隣国の使節団は無事に王宮に到着された。


 私がお義母様とともに歓迎パーティの会場に向かうと、入り口の手前でセディが待っていた。セディは私に気づくと安堵の表情になった。

 お義母様はお義父様と合流するため先に会場に入られた。


「通訳がこんなところにいて良いの?」


「だって、始まる前にクレアの顔を見ておかないと落ち着かない」


 さすがに通訳として陛下のおそばにつくセディの隣にいてあげるわけにはいかず、私は会場の後方から見守る予定だ。


「大丈夫。あなたはできるわ」


 私はセディの手をしっかりと握った。セディも握り返してきた。

 そのままふたりで会場に入った。私はすぐに目に入った柱を指差した。


「私はあの柱の近くにいるわ。ちゃんと見ているから、安心して行ってらっしゃい」


 セディは決意を固めたような表情で頷くと、私の手を放して会場の前方へと歩いていった。何度も私のほうを振り返りながら。


 やがて、陛下と隣国の使節団の方々も入場されて、パーティが始まった。

 私は約束どおり柱のそばからセディを見守った。


 まず陛下が使節団を歓迎するお言葉を述べられた。予想どおり隣国語を淀みなく話されていて、セディは出番なく後方に控えていた。

 続いて、使節団の代表である隣国の第二王子殿下がご挨拶をされた。こちらも通訳を使わずに、我が国の言葉で話された。

 第二王子殿下は私よりもいくつかお若く見えるが、さすがに代表を任されるだけあって、ずいぶんしっかりした方のようだ。


 その後、乾杯が行われ、歓談の時間となった。


 陛下は王子殿下と何やらお話しをされていた。先ほどの様子では通訳など必要なさそうだが、セディはおふたりの間に立って時おり口を開いているようだった。

 それにしても、我が国の国王陛下と隣国の王子殿下、2か国の王族に挟まれているというのにセディに緊張している様子はない。やはり私がいなくても大丈夫だったのではないだろうか。


 だが、陛下のお話相手が使節団の別の方々になると、セディの表情はやや固くなった。陛下の後方に立ってはいるが、あまり通訳として活躍しているようには見えない。


『陛下、今回はずいぶん美しい通訳を伴われておりますね』


『これはコーウェン公爵の嫡男なのですが、なかなか語学に堪能で』


『ああ、ではそちらがセンティアに留学していたという甥御殿でしたか。素晴らしい』


 なんて感じで、ただ陛下は可愛い甥を見せびらかしたかっただけなのかしら。


 ああでも、使節団の中にセディのお友達がいるのだから、その方たちにセディが宮廷でしっかりお仕事をしているところを見せる意図もあるのかもしれない。

 確かに使節団にはお若そうな顔も見受けられる。どなたがセディのお友達なのだろうか。


 そんなことを考えているうちに、セディが陛下と分かれてこちらへと歩いてくるのが見えた。


「クレア、見てた?」


 セディの顔にはまるで一仕事終えた後のような充足感と解放感が浮かんでいた。それほど通訳として働いてはいないはずだけど、陛下についてたくさんの方にお会いしただけでも、セディとしてはやり切った気分なのだろう。


「ちゃんと見ていたわよ。お仕事しているあなたは素敵だったわ」


 甘い妻の自覚はある。でも嬉しそうにヘニャッと笑う私の夫はとにかく可愛いのだ。


「クレア、こっちこっち」


 セディはそう言うと、私の手を取って会場の中央へと向かった。いよいよカイル様に紹介してくれるのだろう。

 パーティの参加者たちがそれぞれに立食形式で食事をしながら会話を楽しんでいる中を、セディにエスコートされて進んでいく。すると、お姿が見えてきたのは第二王子殿下だった。


 え、まさか違うわよね。確かに王子殿下はお若いけど、セディよりは歳上でしょう。

 そんな私の葛藤をよそに、セディはズンズンと王子殿下のほうへと近づいていった。


「カイル」


 セディの呼び声に振り向いたのは、やはり王子殿下だった。その表情からは、セディへの親しみが窺える。

 セディと王子殿下は隣国語で言葉を交わした。セディは「こちらが妻です」と言ったようだ。いや、「妻だよ」かしら。


「初めてお目にかかります。セドリックの妻クレアにございます」


 私は隣国語の挨拶を口にして、カイル殿下に丁寧に礼をした。内心は、バクバクだ。


「セディから、あなたのことはよく聞いていました。お会いできて本当に嬉しいです」


 殿下は我が国の言葉で和かに返してくださった。

 と言うか、よく聞いていた? セディ、私の何を殿下に話したの?


「私こそ、光栄にございます」


 どうにかそう言ったものの、せっかくセディに教わった隣国語もそれ以上は出てこなかった。一旦心を落ち着かせたい。


「申し訳ありません、少しだけ失礼いたします」


 本当に失礼なことは承知の上でそうお断りして、セディの腕を引いて殿下の前から退がった。


「クレア、どうしたの?」


 セディはまったくわかっていない顔だ。


「ちょっと、セディ、あなたのお友達が第二王子殿下だなんて、聞いてないわよ」


 私がセディを軽く睨むと、セディは目を瞬いた。


「ごめん、言うの忘れてた。僕にとってカイルは王子様である前に、友達だから」


 そんなことだろうと思ったわよ。


「こんな大事なこと、忘れないでよ。心の準備ができないじゃない。というかあなた、寮では毎朝、王子殿下に起こしてもらっていたってこと?」


「うん、そうだよ」


 セディはあっけらかんと答えた。私は小さく溜息を吐く。

 ふと気がつくと、笑うのを堪えるようなお顔をしたカイル殿下がすぐ近くにいらっしゃった。


「セディの言うとおり、私はセディの前ではただの一友人です。どうぞ、気楽に接してください」


 どうやら会話を聞かれてしまったようだ。


「はい。本当に色々と申し訳ありません」


 私は身を縮めて頭を下げた。


 その後は、セディに通訳をしてもらいながら、何とかカイル殿下とお話をした。

 さらに殿下の側近のイアン様と、護衛のティム様とも挨拶を交わした。おふたりもセディの同級生でお友達だ。

 同年代の男性たちに囲まれて楽しそうにしているセディの姿も新鮮だった。だけど、私の夫はやはり歳より少しだけ幼く見えるのかもしれない。




 その数日後には、カイル殿下方は非公式に我が家にもいらっしゃった。メリーに会いたいと仰ってくださったのだ。


 3人はそれぞれメリーの顔を覗き込んだり、恐る恐る抱き上げたりされた。

 メリーも物怖じせずに3人を見つめている。


「本当にセディにそっくりだな」


 イアン様の口にした言葉を、セディが私に通訳してくれた。


 イアン様は昨年結婚され夫人は妊娠中だそうで、興味深そうにメリーを見つめていた。

 カイル殿下は3歳下の婚約者と半年後にご結婚の予定なのだとか。

 ティム様は、まだ婚約者も決まっていないという。


「ティム、メリー嬢をもらうのはどうだ? 今でも可愛らしいが、きっと将来はとびきり美しくなるぞ」


 殿下が冗談ぽく仰った。

 ティム様は良い方のようだけど、父親と同じ歳の婿かあ。お義父様とお義母様以上の歳の差婚ね。


 セディは眉を顰めて、まず隣国語を口にしてから、わざわざ我が国の言葉で言い直してくれた。


「ティムがメリーと結婚するの? それなら、家に婿に来てね」


 ああ、セディが気にするのはやっぱりそっちなのね。


 セディは一時、メリーをこのまま自分のそばに置くべく婿探しをしようとしていた。だけど、メリーが結婚する時のことを想像して虚ろな表情になっていたので、「そんなことはまだ早すぎるからやめなさい」と止めたのだけど。


「いや、それは私が困る。だいたい、セディにはこれからまだ息子だってできるだろう」


「だとしても、メリーを遠くにお嫁に出したりなんて絶対にしないよ」


「そうか。残念だったな、ティム」


「いや、私は何も言っておりませんが……」


 セディがお友達とじゃれ合う様子を、私は微笑ましく見守った。

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