新婚旅行(セディ)
結婚してから1年半ほどがたち、僕とクレアはコーウェン公爵領へ行くことになった。だいぶ遅くなったけど、新婚旅行だ。
クレアは領地に行くのはもちろん初めてだけど、僕も8年振り。
「メリーは大丈夫かな。泣いてないかな」
公爵領へ向かう馬車の中では、今回は都でお留守番になったメリーのことが気になって仕方なかった。
「大丈夫よ。お義父様やお義母様がいらっしゃるのだし、カーラや皆がきちんと見てくれているわ」
クレアは普段どおりの声で言ったけど、ちょっとだけ眉が寄っていた。本当はクレアもメリーと長い時間離れるのは不安なのだと思う。
でも、もう父上や母上、それに乳母のカーラやメイドたちを信頼するしかない。
「それよりも、セディは今回の自分のお役目をしっかり果たすことよ」
クレアの言葉に、僕は忽ち身を固くした。
公爵領にはただ遊びに行くわけではない。僕は次期公爵としてたくさんの人たちに会ったり、あちこち視察もしなければならない。はっきり言って、僕の不得意分野だ。
「だ、大丈夫だよ。だって、僕はひとりじゃないから」
僕はそう言って、クレアに笑ってみせた。ちゃんと笑えたかな。
クレアが柔らかく微笑み返してくれた。
「ええ、私がずっと一緒にいるわ」
「うん」
僕はクレアに身を寄せた。繋いでいなかったほうの手を伸ばして、クレアが僕の頭を撫でた。
領主館で僕たちを待っていたのは、お祖父様とお祖母様、叔父上とその家族だ。
慌ただしく挙げた結婚式、盛大に開いた披露パーティー、そしてメリーが生まれた時にも王都まで来てくれたので、クレアがお祖父様お祖母様に会うのも4回目になる。
「お祖父様、お祖母様」
「セディ、クレアもよく来たな」
「待っていたわよ」
「どうぞよろしくお願いします」
クレアと僕は皆に歓迎されて、領主館に落ち着いた。
翌日には、館でパーティーが開かれた。クレアを領民に披露するための場だ。
クレアの「領地の方々にも見てほしい」という希望で、パーティーで僕たちは結婚式の時と同じ衣装を纏った。
そう、クレアのウェディングドレス姿をまた見られたのだ。やっぱりクレアは最高に綺麗で、僕はうっとりした。
本来なら公爵である父上の主催になるけど、今回は領主代理として叔父上が主催者になり、挨拶をした。
叔父上の次は僕の番だった。僕が立ち上がると、クレアが隣に並んだ。
一生懸命練習してきたはずなのに、挨拶の言葉はなかなか出てきてくれなかった。頭の中が真っ白だ。
「セディ、とりあえず深呼吸して」
すぐそばで穏やかな声がして、僕の手に小さいけど温かい別の手が触れた。
それをしっかり握り締めて深呼吸をすると、ようやく言葉が口から出てきた。
「皆様、今日はお越しいただきありがとうございます。久しぶりにここに帰って来ることができて、それに妻のクレアを皆様に紹介できて、とても嬉しいです。これから次期領主としてクレアと一緒にしっかり努めていきます。どうかよろしくお願いします」
1度もつっかえることなく、最後まで言い終えることができた。
小さく頭を下げると、会場から大きな拍手が湧いた。ホッとしてクレアの手を掴んでいた力を緩めてから、かなり強く握っていたのではないかと気づいた。
椅子に座りながらクレアのほうにちらっと視線を向けると、クレアも僕を見てにっこり笑って囁いた。
「完璧だったわ。さすが私の夫ね」
僕は慌てて口元を引き締めた。そうしないと、頬がゆるゆるになってしまうに決まってるから。
ああ、ふたりきりなら抱きつけたのに。
次の日からは、面会と視察の予定がぎっしりだった。お祖父様や叔父上とともに、僕はそれらをこなしていった。もちろん、隣にはいつもクレアがいた。
毎晩疲れきってベッドに入る僕を、クレアが優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。クレアの寝息を聞くより早く、僕は眠りに落ちた。
そんな日々が1週間ほど続き、あと1日乗り越えれば残りはのんびりできるという日。
クレアの声で目を覚ましてベッドの上に起き上がった途端、クレアに心配そうな顔で尋ねられた。
「セディ、あなた、体調が悪いんじゃないの?」
確かに体が重い。でも、あと1日だけだ。
「大丈夫だよ。支度してくるね」
寝室から出ると、僕の部屋で待っていたトニーにも言われた。
「若様、今日の予定は変更していただきましょうか?」
僕は慌てて首を振った。頭が痛んで唸りそうになるのを堪えた。
「皆忙しい中で都合をつけてくれてるんだから、そんなことしなくていいよ。僕だって明日からはクレアとふたりで過ごせるんだから、予定をずらしたくないし」
トニーは嘆息した。
「わかりました。でも、無理は禁物ですよ」
僕はこくりと頷いた。
あまり食欲はなかったけれど、クレアに強がった手前、半ば無理やり朝食を口に運んだ。
この日も午前中には次々と館を訪れる人たちに会った。
クレアは隣からチラチラと僕のほうを伺ってくるけれど、何も言わなかった。
昼食も何とか口にした。
午後からは、館からそう離れていない場所にある林檎農園の視察に出かけることになっていた。林檎は領地の特産品のひとつだ。
農園に向かう馬車の中では、怠くてクレアに寄りかかりたかったけど、何とか姿勢を正したまま我慢した。
林檎農園に着いてからは、ぼんやりしてしまいそうになる意識を必死に繋ぎとめていたけれど、農園主の話はほとんど頭に入らず、ただ途中で味見した林檎ジュースの美味しさだけが印象に残った。
ようやく視察を終え、農園主たちに見送られて馬車が走り出した。
あとは館に着くまでの辛抱だと思った途端、僕の体が強く引かれて、気づいた時にはクレアの膝を枕にして横になっていた。
「もう意地をはることはないでしょう」
いつの間に用意していたのか、僕の額に濡らしたタオルが置かれた。冷たくて気持ちいい。さらに、トニーが僕の体を手早く毛布で包んだ。
「うん。ありがとう」
僕は安心して目を閉じた。
結局、その後の2日間を僕はベッドの上で過ごした。「またか」という感じだけど、今回もクレアは僕のそばにいてくれた。
「昨日いただいた林檎をすりおろしてもらったわよ。これなら食べられるでしょう?」
「クレア姉様、食べさせて」
「仕方ないわね」
そう言いながらも、クレアはスプーンで掬った林檎を僕の口に運んでくれた。
「美味しい」
「私も朝食でいただいたけど、本当に美味しい林檎ね」
「ごめんね、クレア。綺麗な場所とかいっぱいあるから連れて行ってあげたかったのに」
「ここがとっても良いところだってことはもう十分わかったわ。だから、その場所には今度連れて行ってちょうだい。きっと次はメリーも一緒に来られるでしょうし」
「うん、そうだね。……こんな格好悪い姿、メリーに見られなくて良かった」
「格好悪くなんかないわ。次期領主としてお仕事してるあなたは素敵だったわよ」
「本当?」
「ええ」
クレアが柔らかく微笑んだ。
多分、クレアの僕に対する評価は甘いんだと思う。でも、クレアが笑って褒めてくれるから、僕はこれからも頑張れる。




