5 とりあえず同居
翌朝、目を開けた私が最初に見たのはセディの寝顔だった。
昔、遊び疲れてセディが眠ってしまうことはよくあったが、寝顔はあの頃とあまり変わっていないような気がした。
私はしばらく懐かしさに浸っていたが、ふと我に返って時計を確認すると、そろそろ起床する時間だった。
そうして、私は気がついた。このままでは起こしにくるメイドに私とセディが同じベッドを使っている姿を見られるのではないか。
せっかく何事もなく済んだのに、それでは勘違いされてしまう。セディを彼の部屋のベッドに戻さねば。
「セディ、セディ、起きて」
私は慌ててセディの体を揺さぶったが、セディは目を閉じたまま体を丸めるばかり。
「セディってば。起きなさい、セディ」
私は声を荒げた。ようやくセディの瞼が反応を見せたが、まだ開かない。
私はセディの脇の下に手を突っ込むと、強引に彼の上半身を起こした。
「セディ」
「クレア?」
セディの瞼がほんのわずか上がった。
「起きて、部屋に戻るのよ」
私が背中をグイグイ押すと、セディはどうにかベッドから降りて立ち上がったものの、まだ目は開ききらず、足元もフラフラしている。私はセディの体を支えて部屋の端まで歩かせ、扉を開けて彼を中に押し込んだ。
セディの部屋は私の部屋より広かったが、幸い、ベッドは扉のすぐそばにあった。私はその掛布団を捲った。
「ほら、入って。こっちでならまだ寝てていいから」
私に促されるまま、セディはベッドに上がって横になった。私はしっかりと布団をかけてやると、急いで寝室に戻った。
扉を閉めてホッとしていると、セディの部屋の別の扉が開く音がした。
「あれ、若様、結局こっちで寝たんですか。若様、起床の時間ですよ」
聞こえてきた声は、セディの専属侍従であるトニーだ。セディの身の回りの世話は、メイドではなくトニーの仕事だった。
もしかしたら、私のしたことは無駄だったのかと思うが、それについて考えるのはやめた。私が立っているのと反対側の扉がノックされ、アンナの声が聞こえてきた。
そのわずか2日後。私がいつものように公爵家に伺うと突然、カトリーナ様に言われた。
「クレア、この屋敷で暮らしてみない?」
「え、それは、どのような……?」
私は戸惑い、首を傾げた。
「婚約期間が短いから、結婚する前に少しでも我が家に慣れてもらいたいと思って。それと、クレアに会うために毎日セディが仕事を抜け出してくるでしょう。さすがにそろそろやめさせたほうがいいだろうと、旦那様が仰るのよ」
「ああ、やはりそれは問題になっていたのですね。申し訳ありません。私がもっときちんと注意すべきだったのに、セディが大丈夫だと言うのを鵜呑みにしてしまって」
私はカトリーナ様に頭を下げた。
すでに、セディのそれが始まってから1月が経っている。いつの間にか、毎日セディに会うのが私の中でも当たり前になっていた。思い上がりも甚だしい。穴があったら入りたい。
結婚するまではあと1月半と少しあるが、もうやめさせるべきだ。
「クレア、違うのよ。問題になっているわけではないの。ええと、何と言ったらいいのかしら、まだセディは宮廷に入ったばかりだから、仕事に対する責任感を身につけさせたい、なんて旦那様がね」
私に気を使うようにカトリーナ様はそう言われたが、同じ宮廷で働いている公爵は腹立たしく思っていらしゃったのかもしれない。私は身を縮めた。
「とにかく、クレアが気にする必要はまったくないのだけど、クレアがここにいてくれたら、セディは朝晩あなたに会えるわけだから、もっと仕事に身が入ると思うの。ね、どうかしら?」
おそらく、もう私がいなくても実家は何とかなるだろう。エマはまだ不慣れなところもあるが、使用人たちが支えてくれるはずだ。むしろ小姑がいないほうが上手くいくかもしれない。
「はい。私は構いませんが、一応、父に確認してもよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ」
カトリーナ様は安堵したように微笑まれた。
そんなわけで、私はコーウェン公爵家で暮らしはじめた。とりあえず1か月滞在し、結婚式の前には一度実家に戻る予定だ。
私の部屋はやはり「若奥様の部屋」だった。
当然のように、セディは毎晩、私と同じベッドに入ってくる。
「私がいない時は、どこで寝ているの?」
「向こうの部屋だけど」
「そうでしょうね」
私だって、ベッドの中で私にすり寄ってくるセディを追い出そうとは、もはや思っていなかった。あの夜会の夜に言ったように、セディは私の嫌がることは決してしようとしないのだ。
ただ、口づけはしょっちゅう求められた。しかも、それは回数を重ねるごとに、だんだん深く長くなっていた。
「セディ、あなたはいったいどこで誰にこんなことを教わってきたの?」
ある時、とうとう私はセディにそう尋ねた。セディの唇が離れていったばかりで、まだ息は乱れていたし、おそらく顔も真っ赤になっていただろう。
セディはやや困惑したように私を見つめ、だが、きちんと答えてくれた。
「学校の同級生にそういう話を聞かされたり、本を読まされたりしたんだよ。実際にしたのは、あの時が初めてだから」
別にそこまでは訊いてないのだけど。
「同級生って、お友達?」
「うん。多分、僕が何も知らなそうだったから、親切心でしてくれたんだと思う」
どうやら、そういう嫌がらせを受けていたのかと心配した私の気持ちに、セディは気づいたようだ。
「それなら良かった、のかしら」
私がいまいち断言できずにそう言うと、セディが首を傾げた。
「ちゃんとクレアを気持ち良くできているなら」
せっかく落ち着いてきていたのに、また私の顔が熱くなった。抗議しようと口を開くが、声を出す前に再びセディに塞がれてしまう。これがちゃんと気持ち良いなんてこと、とても言えるわけない。
セディの手が、寝巻の上から私の胸の膨らみに触れて、すぐに離れていった。セディはいつも偶然を装うが、毎回毎回で偶然のわけがない。でも、それ以上のことはしないので、私は黙認してしまうのだ。
一方、私が半分寝ているセディを隣室のベッドに置いてくるのは毎朝の日課になった。
セディはとにかく朝が弱くて、寝起きは最悪だった。寝ぼけ眼のままトニーに身支度を整えられて、朝食の席に着く。しっかり目が開くのは、食事が終わる頃だろうか。
すっかり慣れた様子のトニーの手際に私が思わず見惚れていると、彼に軽く睨まれた。
「感心してないで、少しは若奥様が代わっていただけませんか?」
トニーの使用人らしからぬ言動に最初は驚いたが、セディに対しても同じ感じだったので、私もそのまま受け入れた。トニーは私より3歳上で、もう10年近くセディのそばにいるそうだ。
トニーには、私とセディが一緒に寝ていることなどとっくに気づかれているのかもしれない。
私のことを、公爵家の使用人は皆「若奥様」と呼ぶ。私はまだ早いと思うのだが、公爵夫妻が何も言わないのだからいいのだろう。私も嫌なわけではなく、擽ったいのだ。
私が公爵家で暮らしはじめてしばらくたった頃、私は珍しく昼間在宅されていた公爵に呼ばれた。今だに、公爵の前では私も緊張してしまう。
公爵の書斎のソファで向き合って座った私に対し、公爵はゆっくりと口を開いた。
「我が家での生活には慣れてきたかな?」
「はい、おかげさまで。とても良くしていただき感謝しております」
「そうか。セディとも仲良くやっているようだね」
「はい」
公爵の仰る「仲良く」がどこまでのことを指しているのか気になるが、とりあえず私は頷いた。
「結婚してからも今のまま、セディを支えていってやってほしい」
「もちろん、そのつもりでございます」
「私が君に望むのはそれだけだ。セディの子は産まなくても構わない。私には弟が2人いるから、養子には困らないはずだ」
私はその言葉の意味を理解するのに時間がかかり、返事をすることができなかった。
その後の会話の内容はよく覚えていない。私は気がつくと部屋に戻っていた。
やはり、公爵は息子の我儘を叶えてしまったものの、私を嫁として受け入れられないのかもしれない。だけど、私の血をこの家に入れたくないと思われるほど嫌われていたなんて。
公爵の気に入らないのは、私が伯爵家の娘であることか、それとも私が傷物だからなのか。
さすがに落ち込んだ私の様子に、帰宅したセディも気づいた。
「クレア、何かあったの?」
心配そうに私の顔を覗き込んだセディに、私は笑ってみせた。
「少しだけ実家が恋しくなったの」
「それなら、一度帰ったら? でも、必ず僕のところに戻って来てね」
そんなことをしたら公爵にもう来るなと言われないかと、私は考えてしまった。
「本当に少しだけだから大丈夫よ。それに、セディの顔を見たら元気になったみたい」
私はそう言ったが、セディはまだ不安そうだった
「クレア、嫌なこととかあったらすぐに言ってね。僕は頼りないかもしれないけど、クレアのためなら何でもするから」
「それじゃあ、もっと元気になるように、ギュッてして」
セディはすぐに私をしっかりと抱きしめてくれた。