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デート(セディ)

「セディ、先日の観劇のことだが」


 宮廷へ向かう馬車の中で父上がそう切り出したので、僕はドキリとした。

 クレアにすべて話したことは父上にも伝えたけど、観劇の夜のことは省いた。もしかして、そのことだろうか。


「クレアには埋め合わせをしたのか?」


「埋め合わせ?」


 予想と異なる言葉に、僕は首を傾げた。


「おまえが体調を崩して途中で帰っただろう」


「あ」


 僕はしばらく口を開けたまま固まった。


 クレアは何日も前から観劇を楽しみにしていたし、当日は顔を輝かせて舞台に見入っていた。それなのに僕と一緒に帰宅してくれたから、オペラの後半は観ていないのだ。

 あの日、馬車の中で申し訳ないと思ったはずなのに、その後はすっかり忘れていた。僕はなんて駄目な婚約者なんだろう。


「埋め合わせって、またあのオペラを観に行くの?」


「あの演目はそろそろ終わるはずだから、今から良い席を取るのは難しいかもしれん。人気があったようだから再演される可能性もあるが、どちらにせよ、それと埋め合わせは別に考えるべきだな」


「それなら、何をすればいいの?」


「私よりもクレア本人に尋ねてみたらどうだ。欲しい物や行きたい場所がないかを訊いて、その希望を叶えるといい」


「うん、わかった」




 その夜、僕はさっそくクレアに尋ねた。


「クレア、何か欲しい物ある?」


 クレアは目を瞬いてから答えた。


「今は特にないわ」


「じゃあ、行きたいところは?」


「セディ、急にどうしたの?」


「この前のオペラ、僕のせいで全部観られなかったから、何か代わりにと思って」


 父上に言われて、という部分は黙っておいた。


「ああ、そういうこと」


 クレアは納得したように頷いてから、視線を巡らせた。


「そうねえ……。それなら、今度のお休みにデートに連れて行ってもらおうかしら」


「デート?」


「ほら、セディが言ってた『お付き合い』みたいなことをするのよ。いつもは出かけるにしても私の実家くらいだから、たまにはどこか別の場所に行きましょう」


 僕は目を見開いた。

 お付き合いとは、男の人と女の人が待ち合わせをして、一緒に歩いたりお茶を飲んだりしながら「好きだよ」「私も」などと囁き合い、別れ際にこっそり短い口づけをするものだ。


「どこに行くの?」


「これから考えるわ。セディも考えてみて」


「うん。あ、待ち合わせはどうする?」


「それは必要ないでしょう。一緒に暮らしているんだから」


「えええ。せっかくだから、待ち合わせもしようよ」


 クレアが眉を寄せて僕を見た。


「では、待ち合わせのために私は実家に帰ったほうが良いのかしら?」


 実家に帰るという言葉に、僕は身を竦めた。クレアはずっと僕と一緒にいると言ってくれたのに、それを取り消されたらどうしよう。

 僕は急いで首を振った。


「やっぱり待ち合わせは必要ないね。約束の時間になったら、僕がクレアの部屋に迎えに行くから」


「そうね。待ってるわ」


 クレアがにっこりと笑ってくれたので、僕は胸を撫で下ろした。




 ふたりで話し合って行き先を決め、デートの当日を迎えた。


 僕は時間どおりにクレアの部屋に行った。

 クレアのドレスは普段の外出よりもだいぶシンプルで落ち着いた雰囲気のもの。僕の着ている服も同じような感じだ。


「クレア、今日も綺麗だね」


 僕が言うと、クレアはフフと笑った。


「ありがとう。セディも素敵よ」


 いつもの夜会や外出の時のようにエスコートすべく腕を出すと、すぐにクレアの手が触れてきた。




 僕たちは馬車で都の中心近くまで行った。


 まず向かったのは、最近若い人に人気があるというレストラン。クレアがお友達のシンシアに聞いて気になっていたという店だ。

 レストランは休日の昼食時ということで混雑していた。お客は貴族だけでなく、裕福な平民階級の人たちも多いみたいだった。


 クレアが席を予約してくれていたので、僕たちはすぐに中へと通された。

 ホールにはたくさんのテーブルが並んでいた。僕のお付き合いのイメージだとそういう席に座るのだけど、僕たちが案内されたのは奥の個室だった。


「個室なんだね」


「こちらのほうが落ち着いて食事できるでしょう」


 確かにそのとおりだった。ホールの騒めきは伝わってくるけれど、人目を気にしなくていいことで僕はちょっとホッとしていた。

 レストランで外食なんて、僕は4年振りになるのだと思い出す。


 昼食のコースはメインが2種類あって、僕は牛肉、クレアが白身魚を選んだ。


 まずはサラダやクリームスープ、パンなどが運ばれてきた。

 スープを飲みながら、僕は首を傾げた。クレアも何か考えているような顔をしていた。


 それからメイン料理。牛肉も白身魚も、焼いたうえからソースをたっぷりとかけたものだった。


「白身魚、どう?」


「気になるなら食べてみる?」


「いいの?」


「ほかに誰も見ていないから、特別よ」


 クレアが綺麗な手つきで白身魚を切り分けてくれた。僕は手を伸ばしてフォークでそれをとり、口に運んだ。




 僕たちはすべて食べ終えてから店を後にした。


「何だか味つけが濃くて、もとの素材がよくわからなかった」


 店内では控えていた料理の感想を口にすると、クレアも頷いた。


「代金からすれば決して悪くないし、以前の私ならもっと満足できたと思うの。だけど、コーウェン家のお食事が料理人も食材も超一流なのよね。それにすっかり慣れてしまったのだわ」


 支払いをしたのはもちろん僕なんだけど、それが適正なものだったかどうかまでは僕にはよくわからなかった。提示された金額を置いてきただけ。


 クレアと僕はレストランの近くにある公園の中を歩いていた。

 公園にもたくさんの人がいた。芝生の上で食事を拡げている家族連れや、僕たちのように並んで遊歩道を歩くふたり連れ。皆、穏やかな昼下がりを楽しんでいる。


 あれ、そう言えば、ここが「好きだよ」って言うところかな。

 ちょっと人が多いけど、耳元で囁くなら他の人には聞こえないよね。だけど、人前であんまり顔を近づけたりしたら、クレアに叱られるかも。


「セディ」


 僕はチラリと後ろを振り向いた。少し離れてトニーとアンナがついてきているのが見える。あのふたりなら別に聞かれても構わない。


「セディ」


 クレアに腕を引かれて、僕はハッとした。


「な、何?」


「もう、やっぱり聞いていなかったのね」


「ごめん」


「いったい何を考えていたの?」


「大したことじゃないよ」


 本当のことは言い難くて咄嗟にそう言うと、クレアは訝しむ顔をした。


「そう。私とのデート中に気にするくらいだから大事なことかと思ったわ」


 クレアの言葉に、僕は自分の失敗を悟った。でも、今から訂正するのも変だ。


「あ、後で、ちゃんと話すから」


 そう、デートが終わるまでにはきっと、僕はクレアに「好きだよ」と伝えるのだ。


「それよりも、クレアの話は何だったの?」


「私も後にするわ」


「え、何で?」


 クレアは怒ったのだろうかと不安になった。


「もう着いてしまったから」


 そう言って、クレアが目の前の建物を指差した。いつの間にか僕たちは公園を通り抜け、次の目的地に到着していたのだ。


 そこは小さな美術館だった。クレアがずっと来たかった場所らしい。

 何でも、ある平民の富豪が何代かに渡って収集した絵画などを数年前から公開しているそうで、建物も小さなお屋敷をそのまま利用したという感じだ。




「あまり有名なところではないから、人を誘いづらいのよね。ヘンリーは付き合ってはくれるだろうけど、絵に興味はないし。ああ、エマを誘えば良かったかしら」


 デートの計画を立てている時に、クレアはそんな風に話していた。


「前の婚約者は誘わなかったの?」


 僕の言葉に、クレアが嫌そうな顔をした。僕もデートの計画中に何でこんなことを訊いてしまったのかと忽ち後悔した。


「それは考えたこともなかったわ。そもそも、あの人が芸術に興味があるのかどうかも知らないし」


 僕は目を瞬いた。

 婚約破棄の理由を聞いた時も思ったけど、クレアと元婚約者の関係は、クレアと僕の関係とはずいぶん違ったようだ。何となくホッとする。


「まあ、私はこれからどこへ行くにしても、同行者に悩む必要はなくなったわけよね?」


 クレアがそう言って小さく首を傾げてみせたので、僕は急いで頷いた。




 僕たちは入館料を払って美術館の中に入った。とても静かで、他に人のいる気配を感じなかった。


 展示されている絵画は小さめのものがほとんどだった。でも人がいないので、近くまで寄って好きな角度からじっくりと眺められる。

 黄色い花畑に立つ女性、犬と戯れる子ども、聖母子、遠くの山並み、海に沈む夕日、大昔の戦に神話と様々なモチーフの作品が並んでいた。中には彫刻や、古代の遺跡から発掘された宝飾品、東の国で作られた陶器まであった。


 もっとも大きくて存在感のある絵は、壁に寄り掛かって立つ裸婦像だった。僕の知っている唯一に比べてふくよかな女性だけど、気怠げな表情が妙に艶っぽくて見ているうちにドキドキしてきた。

 ふと視線を感じて隣を見ると、僕の唯一と目が合った。


「この絵が気に入った?」


 普段より抑えた声に問われて、僕は慌てて口を開いた。


「ち、違うよ。僕はクレアの……」


 すぐにクレアの手に口を塞がれて、クレアの鋭い目が僕を射竦めた。


「セディ、こんなところで何を言うつもり?」


 僕が「何も言いません」の意を込めて、首を横に振ると、僕の口は解放された。


「気に入ったなら気に入ったで構わないのよ。私も良い絵だと思うわ。芸術作品て、絵にしろ彫刻にしろ裸身のものが多いわよね。皆それを大真面目な顔で見つめるの」


 僕は隣の部屋のほうを振り返った。ここからは見えないけど、神話をモチーフにした絵に逞しい裸の男性が描かれていた。

 クレア、あんなのと僕を比べたりした?




 予定より長い時間を過ごして美術館を出た。夕方が近くなり、公園にいる人の数もだいぶ減っていた。


「そろそろ帰りましょうか」


「あともう少しだけ。最後にお茶飲もうよ」


「それなら、そこのお店でいいかしら?」


「うん」


 僕たちは公園の端にある喫茶店に入って紅茶を注文した。混んではいないけど、それなりに席は埋まっていた。


「皆、楽しかった今日を振り返るのに夢中で、私たちのことなんて誰も気にしてないわよ」


 クレアが穏やかにそう言った。


「そうだよね」


 僕は頷いて、クレアに意識を集中した。


「あの美術館はどうだった? 作品にまったく一貫性がなくて、好きだからではなく、財力を示すために集めた感じではあるけれど、1つ1つは素晴らしいものもあったと思うんだけど」


「うん。小さいのに色々見られて楽しかった」


 僕は印象に残っている作品をいくつか挙げた。裸婦像は除いて。

 クレアは嬉しそうに笑いながら聞いていた。


「外国にいた時の手紙でも、美術館やどこかのお屋敷で見た絵のこととか書いていたでしょう。だから、セディなら私と一緒に楽しんでくれるはずだって思っていたの」


 もう何年も前に書いた手紙をクレアが覚えていたことに僕も嬉しくなった。


「美術館に入る前に私が話そうとしていたのも、そういうことよ」


 クレアがちょっとだけ眉を寄せたので、僕は身を縮めた。


「あ、う、ごめんなさい」


「それで、セディは何に気を取られていたのかしら?」


 今度こそ言わなきゃ、と僕はクレアのほうに身を乗り出した。間にテーブルがあるから、耳元で囁くのは無理だ。


「あのね、クレア」


「なあに?」


「好きだよ」


 クレアの目が丸くなった。


「え、それなの?」


「うん。いつ言えば良いのかわからなくて」


 クレアはなぜか笑いだした。


「セディ、またデートしましょうね」


「うん。クレアとならどこへだって行くから。行ったことある場所も、初めての場所も、これからはふたりで一緒に行こうね」


「ええ」


 紅茶も家で飲むほうが美味しいなって感じだったけど、今はそれで構わなかった。


 店を出て馬車へと歩き出した時、ふいに耳元でクレアの囁き声が聞こえた。


「私もよ」


 それが何に対する応えなのかを瞬時に理解して、僕の耳から全身へとゾクゾクした悦びが駆け巡った。




 こうしてクレアと僕の初めてのデートは無事に終わった。と思ったんだけど、僕は馬車の中でもう1つ大事なことを忘れていたのに気がついた。

 でもトニーとアンナが見ている前でしたらクレアに叱られそうなので、部屋でふたりきりになるまでデートは延長だとこっそり決めた。

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