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奪われる(ユージン)

 偶然すれ違っただけの彼女のどこに魅かれたのかと言えば、多分その表情だった。


 王宮の夜会は、我が国でもっとも多く貴族が集う場であり、15歳前後の子息や令嬢の社交界デビューの場ともなっていた。


 デビュタントの令嬢たちの多くは緊張と興奮を漂わせながら、はにかむような微笑を浮かべるものだ。

 しかし、彼女はまるで何度となくそこに立った経験があるかのように、落ち着き払った様子で周囲を見渡していた。

 もしかしたら私が初めて見かけるというだけで、デビュタントではないのだろうかとも考えたが、明らかにデビュタントの令嬢たちと会話を交わしていた。

 さらに、彼女が同世代の男から誘いを受けてダンスをする姿も伺っていたが、彼女は淑女らしい愛想笑いを浮かべることもなかった。


 何人かとダンスをしてから、彼女は知り合いと合流したようだった。その顔には見覚えがあった。学園で私の1年上にいたクレア・バートン伯爵令嬢だ。

 ふたりは面差しに似たところがあるから、おそらく姉妹か従姉妹だろう。仲の良さそうな雰囲気だ。


 ふいに、クレア嬢を見上げていた彼女の顔に笑みが浮かんだ。はにかむような微笑でも、淑女としての仮面でもない、気を許した身内の前だけで見せる種類の笑みだった。

 私はその笑顔にしばし引き込まれていたが、彼女のすぐ前を通り過ぎる集団があって、次に彼女の姿が見えた時にはすでに笑みは消えていた。




 1か月後、私はバートン伯爵家の応接間で彼女、レイラ嬢と向き合った。


 あの夜、帰宅してから勢いで結婚したい令嬢を見つけたと両親に告げると、それまでほとんど女性に興味を示さなかった嫡男のために、喜んで奔走してくれたのだった。


 しかし、いざ彼女を目の前にすると、私の勢いは急速に萎んでしまった。

 とりあえず用意してきた贈り物を渡し、簡単な自己紹介が互いに済むと、あとは何をすればいいのかまったくわからなくなった。


 レイラ嬢も無言のまま私を見つめていた。そこに淑女の礼儀としての微笑はなく、そのことでむしろ私の彼女に対する好感は増していた。


 やがて痺れを切らしたのか、レイラ嬢が口を開いた。


「お聞きしたいのですが、私を王宮の夜会で見初めていただいたというのは本当なのでしょうか?」


「本当です」


「申し訳ないのですが、私にはあなたにお会いした記憶がまったくありません。挨拶を交わしたとか、ダンスに誘ってくださったとか」


「そういうことはしていませんので」


 レイラ嬢が怪訝そうな表情になった。


「言葉を交わしてはいないのですか?」


「はい」


「それなのに私と結婚しようと思われたのですか?」


 しばらくの間、レイラ嬢が納得してくれそうな言葉を求めて頭を捻ってみたが、良さそうなものは出てこなかった。


「巧いことは言えそうにないので正直に言いますが、あなたの表情には嘘がないように見えます。他の方々のように微笑みを作ったり、誰かに媚びたりしていない」


「淑女として失格、ということですね」


「そのように言う方もいるかもしれませんが、私にはそんなあなたが誰よりも美しく見えたのです。夜会の間、あなたから目を離せなかったくらいに。だから……」


「もう、結構です」


 彼女に強い調子で言われて、私は口を噤んだ。自分が何を口にしたのかを思い返して、彼女が引いてしまったのではないかと不安になった。

 恐る恐るレイラ嬢の表情を伺うと、彼女の頬が色づいているように見えた。


「私は我儘ですから、あなたを振り回して困らせると思います」


 彼女の表情と言葉の意味を慎重に探るような気持ちで返した。


「あなたに我儘を言ってもらえるような関係になりたいのです」


 彼女の口元がわずかに緩んだように見えた。




 翌年。一緒に参加した王宮の夜会で、私はレイラに1年前に初めて彼女を見た時のことを語った。

 レイラは眉を顰めた。


「夜会の間ずっと私を見ていたっていうのは、比喩じゃなかったのね」


「もちろん」


「それにしても、私そんなに偉そうに見えたの? 結構緊張していたんだけど」


「うん。今ならわかるよ」


 あの時のレイラは落ち着き払って周囲を見渡していたわけじゃない。落ち着くために周りを眺めていた。

 私との初対面の時にしばらく無言だったのも、緊張のせい。

 昨年のレイラは間違いなく、社交界デビューしたばかりの初々しい令嬢だったのだ。

 そして、彼女は表情を作ることが苦手な可愛い人だった。


「それなら、あの時の私がデビュタントらしい顔をしていたら、私たちは今頃こうなっていなかったのね」


「いや、私がレイラに気づかないなんてありえない」


 私の大真面目な言葉に、レイラが笑った。妻が私だけに見せる極上の笑みに、この夜も私は目を奪われた。

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