ふたりめの(バートン伯爵)
お久しぶりです。
メリーを主人公に続編を書いているうちに、あれ書いてなかった、これも書きたい、というエピソードがいくつか出てきたので、おまけとして追加します。
最初は影の薄かったクレア父視点です。よろしくお願いいたします。
「私はクレア嬢と結婚したいです。だから、よろしくお願いします」
目の前で深々と頭を下げた人物の言葉を、私はすんなりとは吞みこめなかった。
王宮で夜会が行われた翌日の宮廷は、どこか気怠い雰囲気が漂っていた。そんな中でも通常どおりの仕事を心がけていた私は、昼近くになって呼び出された。
財務官室の前で私を待っていたのは外交官のコーウェン公爵だった。まったく知らぬ相手ではないが、公爵がわざわざ私に会いに来られる理由は思い当たらない。
コーウェン公爵はやけに美しい顔立ちをした若い貴公子を伴っていた。初めて見る顔だが、その正体は考えるまでもなかった。公爵のひとり息子だ。話に聞いていたとおり、国王陛下に似ている。
どうやら子息が私に挨拶したいと訪れたようだが、確かこの方が宮廷に入ったのは2か月ほど前ではなかったか。挨拶に来るには少々遅い。
だがそもそも、由緒ある公爵家のご嫡男から挨拶を受けるほど自分が重要人物でないことは自覚している。
おそらく、子息が私のところに来てくださったのはアメリアのことを思い出したからだろう。陛下の妹君でもある公爵夫人と私の亡き妻はなぜか仲が良かったので、両家の子どもたちも含めた交流があった。
ところが、そのように納得しかけた私に対する子息の挨拶は入廷のものではなく、娘との結婚の許可を得るためのものだったのだ。しかも、先日他の男との婚約を破棄したばかりの長女との。
「クレアと、ですか? レイラの間違いとかではなく?」
半ば唖然としながら私が尋ねると、公爵が呆れたように仰った。
「セディがクレア嬢とレイラ嬢を間違うはずがない。それに、レイラ嬢はもう結婚したのではなかったかな? 既婚者との結婚など望むわけがないだろう」
「いや、確かにそうなのですが……」
生前、妻は何度か「クレアは将来、公爵夫人になるかもしれませんよ」と口にしたことがあったが、私は冗談と捉え、万が一そんなことがあるとしても、この子息より4つも歳上のクレアではなく、1つ歳下のレイラだろうと考えたものだった。
それがまさか、本当にこんな日が来るとは。
「あ、でも、まだクレア嬢からは返事を貰っていません」
子息の言葉に私は首を傾げた。
「返事、とは何の?」
「もちろん求婚の返事です」
「もうクレアに求婚されたのですか?」
「はい、昨夜」
そう言えば、クレアは昨晩の夜会を体調不良を理由に早々に切り上げたし、普段なら朝からキビキビと動くのに、今朝はどこかぼんやりしていた。
「お父上へのご挨拶が後になって申し訳ありません」
子息が身を縮めた。常に堂々とした公爵の息子、しかも陛下と似た容姿をしている彼のそんな姿に、こちらのほうが焦ってしまった。
「それは構いませんが」
「じゃあ、認めていただけるんですか?」
「そう、ですね」
他の答えが見つからぬままそう口にすると、子息の表情が明るくなった。
「ありがとうございます。あ、でもクレア嬢からはちゃんと自分で承諾を得ますから」
「そう、ですか」
「セディ、そろそろ仕事に戻りなさい。後は父上が話そう」
「うん。失礼します」
公爵に頷き、私に頭を下げてから、子息は軽やかに去っていった。
公爵ひとりが残ったので、冷たく「真に受けるなよ」などと言われるのではと身構えた。しかし、公爵が私に残していったのは、子息の求婚を後押しする言葉だった。
公爵を見送ってから財務官室の中に戻ると、そこにいた同僚のひとりが私の肩をバシッと叩いた。
「すごいな。あのコーウェン家と縁組とは」
私は痛む肩を抑えながら、彼を見た。
「これは現実か?」
「夢かもな」
同僚はニヤニヤ笑いながら、今度は私の背中を思いきり叩いた。やはり痛かったが、今は腹も立たない。
「こうなると、婚約破棄したことは幸運でしたね」
別の同僚が言うと、他の者たちも同意した。
気づけば、それぞれの机で仕事をしていたはずの皆が部屋の入口近くに集まっていた。どうやら立ち聞きされていたようだ。
「甥にクレア嬢を紹介しようかと思っていたんだが、陛下の甥御が相手では敵わないな」
「クレア嬢はあんな良い令嬢だからな、神様もお見捨てにはならなかったんだろう」
婚約破棄以来、娘のことはあちこちで悪く言われているが、娘のことを知る同僚たちは同情的だった。
同僚たちの言葉と背中の痛みのおかげで、私は徐々に公爵家からの申し出を現実として受け止め、喜びを感じはじめた。
クレアの元婚約者はまったく非道い男だった。焦って決めてしまった5年前の自分を殴りとばしてやりたいくらいだ。
婚約破棄し、慰謝料をとれたとは言え、アメリアのいなくなった我が家で家族のために尽くしてきてくれたクレアに対して申し訳ない限りだった。
先ほど会ったばかりの貴公子は血筋、家柄、見目、評判、どれをとってもあの男と比較するのもおこがましい相手だ。それに、緊張した様子で私に頭を下げた彼の印象は、とても好もしいものだった。
由緒ある公爵家の嫁が本当に我が娘で良いのかとも思う。コーウェン家が我がバートン家と縁を結んだところで何の利もないはずだ。だからこそ、彼が純粋にクレアとの結婚を望んでくれているのだとわかる。
落ち着いて考えてみると、求婚の挨拶に父親がついてくるなど聞いたことがないが、あの威厳たっぷりの公爵が実はかなりの親馬鹿だという噂は真実なのだろう。公爵もこの結婚に賛成なのだから問題はないはずだ。
その日、私は同僚たちの協力もあっていつもより早くに仕事を片付けた。
屋敷に戻るとさっそくクレアを呼び、コーウェン家からの縁談について話した。
クレアから感じたのは戸惑いだった。幼馴染とは言え、歳下の次期公爵から求婚されたのだから当然だろう。
だが、決して嫌がっている様子はなかった。すぐに断るという選択をしないことで、クレアの出す結論は見えている気もしたが、子息は自分で承諾を得ると言っていたので、私が焦らせるのは禁物だ。
その後、帰宅したヘンリーにもこの話をした。
ヘンリーはクレアの最初の婚約に大反対していた。
さらに、ヘンリーは自分自身で結婚相手を見つけてきた。そのエマは、クレアやレイラとは違っておっとりとしているが穏やかで素直な良い嫁だ。
私などよりもヘンリーのほうがずっと人を見る目があるようだと、少しだけ落ち込んだのは子どもたちには内緒だ。
今回の縁談ならヘンリーも文句はないはずだと思ったが、何やら激しく衝撃を受けていた。
いくら自慢の姉とは言え、さすがに相手が公爵家とあって驚いたのかもしれない。ヘンリーにはもともと反応が大袈裟なところもあるので、あまり気にしないことにした。
そうしてそれから一月とたたぬうち、我が家にコーウェン公爵一家を迎え、正式に子息とクレアの婚約を結んだ。
「義父上、改めてよろしくお願いします」
玄関先で出迎えた私に、子息が相変わらず礼儀正しく頭を下げるので、私も慌てて返した。
「こちらこそ、娘をどうかよろしくお願いします、セドリック様」
子息は目を瞬いた。
「あの、義父上が僕にそんな丁寧な言葉を使う必要はありません。それから、是非セディと呼んでください」
私は思わず公爵の顔を伺ったが、宮廷で見かける時よりも穏やかな表情に変化は見られないので、子息の言葉に従って構わないらしい。
応接間で婚約に必要な書類にそれぞれ署名を終えてから、公爵が結婚式は2か月後に挙げると仰った。
子息、もといセディはまだ若いから、結婚はしばらく先になると思っていたので驚いた。だが、やはりこの縁談には何か私の気づかない裏があるのかと疑ったのは一瞬だった。
婚約のための手続きが一通り済んだ途端、公爵夫妻や私が見ているのも構わず、セディはススッとクレアに近寄っていった。私の前で固くなっていたのが嘘のように、安心しきった表情で「クレア、クレア」と話しかけている。
子息を見守る公爵の表情はそれはそれは優しいもので、私の頭に「親馬鹿」という言葉が浮かんできた。
私に挨拶に来た翌日から、セディは毎日クレアのもとに通ってきているそうだ。つまり、単純にセディが早くクレアと結婚したいだけなのだろう。それならば、私が反対する理由はなかった。
クレアのほうは、親たちの見ている前でセディと睦まじくすることに抵抗があるようだが、それでも彼に向ける表情は私がこれまでに目にした覚えのないものだった。
婚約して半月と経たぬうちに、クレアはコーウェン公爵家で暮らしはじめた。
これまたあまり聞かない話ではあるが、公爵家から求められているのだし、クレア本人が納得しているようだったので私も了承した。
休日などにはクレアとセディはふたりで我が家にやって来た。
最初の婚約では、相手の隣にいる時も婚約者を話題にする時も、クレアは明らかな作り笑顔を浮かべていた。
しかし、セディと並んだクレアの笑みは本物だ。セディからばかりでなく、公爵家で大事にされているようで安堵する。
さらにセディは、宮廷でも時おり私に会いに来てくれた。そうしているうちに、セディは私の前でも固くならずに挨拶するようになった。
本来なら貴族は本心を上手に隠して振る舞うものだが、セディはその辺りが不得手らしい。口数は多くないが、表情から心の内は見てとれた。彼がクレアを大好きなことは疑いようもなかった。
クレアとセディの婚約期間は当初の予定より延びたが、その終わりはある日唐突にやって来た。
「子どもができたので、来週、結婚式を挙げることにしました」
セディの表情は普段どおりどころか、むしろ誇らしそうにさえ見えて、私は聞き間違えたのかと思った。いくら婚約中とはいえ、未婚の娘を妊娠させたとその父親に報告するのなら、もっとビクビクするものではないのか。
だが、セディの隣に座るクレアが申し訳なさそうな恥ずかしそうな顔をしているので、幻聴ではなかったようだ。
「そう、か」
反応に困った私がどうにか返せたのはそれだけだった。
父親としては「ふざけるな」と怒鳴りつけて殴るくらいしても赦される場面かもしれない。目の前にいるのが他の男、例えば前の婚約者なら絶対にそうしていた。
だが、セディに対してはそうする気が起こらなかった。相手が次期公爵だからではない。敢えて言うならセディがセディだからだ。私は彼のクレアへの想いをすっかり信じていた。
いつか身を縮めて私に「クレアと結婚したい」と頭を下げたセディが、今回は堂々と私にクレアの妊娠を告げたのは、クレアと子をもうけることに、彼の中で何の躊躇いもないからだろう。順番や、世間体や、彼自身の年齢は関係ないのだ。
本来なら今頃ふたりは夫婦になっていたはずだし、結婚が延期されたのはセディがクレアを庇って怪我をしたためだし、そもそもクレアはとっくにコーウェン家に嫁いだようなものだったのだし、妊娠がわかってすぐに結婚するというのだし、子どもが生まれれば公爵家でのクレアの立場は盤石になるだろうし……。
私は頭の中にセディを擁護する様々な理由を並べてから、再び口を開いた。
「おめでとう。公爵夫妻も喜ばれたことだろうな」
セディの顔に、もはや誰が見てもわかる嬉色が浮かんだ。
「はい、とっても」
「孫か。私も楽しみだ」
そう口にしてから、本当にそんな気持ちになった。クレアが産む私の孫は、きっとコーウェン家で大切に育てられるのだろう。
クレアの顔もようやく柔らかく綻んだ。
我が娘ながら、結婚式でのクレアは輝くように美しかった。
「あのドレスはクレアによく似合っているだろう。セディが選んだのだ」
公爵が自慢気に胸を張ったが、それも納得の素晴らしいウェディングドレスだ。
貴族が妻子に豪華なドレスを着せる意味は財力を示すための見栄という部分もある。国内屈指の名家であるコーウェン公爵家であれば、嫡男の嫁に誰よりも高価なウェディングドレスを用意するのは当然だ。
しかしセディがあれを選んだと聞くと価値どうこうよりも愛を感じる、というのは婿を信頼しすぎだろうか。
結婚式では花嫁が主役になるのが普通だが、さすがにセディはクレアに負けず美しかった。ボロボロ泣いているのも彼なら様になっている。
クレアもこの日ばかりは人前だからと無理に気持ちを隠したりせずに、セディをまっすぐに見つめて笑っていた。
娘の幸せそうな姿に私の目頭も熱くなったが、セディと違って私の涙などみっともないだけなのでどうにか堪えた。
ふと通路の向こうにいる公爵を見やれば厳つい顔がやはり歪んでいて、自分のことを棚に上げて可笑しくなってしまったが、吹き出すのも我慢した。