4 隣にいるから
正式にセディの婚約者になった私は、コーウェン公爵家のあれこれを学ぶため、毎日、お屋敷に通った。
最初こそ緊張したものの、昼間のお屋敷にいるのはカトリーナ様だけで公爵にお会いする機会はほとんどない。お屋敷で働く使用人たちは、私に対して概ね好意的だ。私の気持ちはすぐに解れた。
セディはと言えば、相変わらず仕事を抜け出して私に会いに来た。カトリーナ様はむしろそれが当然という顔をされている。
よく考えてみれば、セディがお仕えしている国王陛下はカトリーナ様の兄君なので、多少は目を瞑ってもらえるのかもしれない。自分が陛下の甥と結婚するという事実に改めて気づき、私は少しだけ恐れ慄いた。
またもや夜会に出席することになった。しかも、今回はコーウェン公爵家で行われる。
元々は公爵一家が無事に帰国されたことを報告するために準備されていたものが、急遽、私たちの婚約をお披露目する場にもなったのだ。
当日、公爵家に着くと、私は「若奥様の部屋」に案内された。夜会が終わったらそのままお屋敷に泊まる予定になっていたのだが、客室を使わせてもらうものだと思っていたので驚いた。
部屋に入ってみるとソファやテーブル、棚などが置かれた居間のようだった。奥のほうに扉が3つあり、1つはウォークインクローゼット、1つは寝室、もう1つは洗面所と浴室だと説明された。
とりあえず、私は夜会のための準備をはじめた。実家からついてきてくれたアンナと、公爵家のベッキーというふたりのメイドの手によって、私は普段よりも手間をかけて淑女らしく整えられていった。
私が着るドレスはセディから贈られた。家族以外からドレスを貰うなんて初めてのことだ。といっても、おそらくドレスを選んだのはカトリーナ様で、金銭面は公爵だろうけど。
婚約直後にウェディングドレスのために採寸を受けていたが、このドレスもそれをもとに作られたのだろう。驚くべき早さだが、これも公爵家の力に違いない。
ドレスは淡いブルーのとても上質な生地で作られている。自然と背筋が伸びるようだった。
最後に身につけたアクセサリー類は、カトリーナ様がお若い頃に使われていたというものだ。
私が身支度を終えた頃、扉がノックされた。私の返事を受けて入ってきたのはセディだ。彼もすっかり紳士らしい正装に身を包んでいた。
セディは私の姿を見ると、顔を綻ばせた。
「クレア、とても綺麗だ」
「ありがとう。セディが素敵なドレスを贈ってくれたおかげよ」
「うん。よく似合ってる」
「セディも格好良いわ」
お屋敷の広間には、徐々にお客様が集まってきていた。私たちもそちらに移動する。セディがエスコートしてくれるが、不慣れなのはすぐにわかった。
一旦、広間のすぐ近くの控室に入った。改めて見上げたセディは明らかに緊張していて、顔色も悪い。
「セディ、大丈夫なの? 無理しないでね」
「大丈夫だよ。やっとクレアは僕のだって言えるんだから、少しくらい無理もしないと」
そう言って笑ってみせたセディは、紳士の姿をしているくせに昔のままの天使に見えて、何だか胸のあたりがキュッとした。
私はセディの腕にしっかりと手を添えて言った。
「それなら、私はずっとセディのそばにいるから、駄目だと思ったらすぐに言ってね」
「うん」
セディは頷くと、甘えるように私の肩に額を乗せてきた。私はセディの体に腕を回して、その背中をよしよしと撫でてやった。
ちょうどその時、扉が開いて部屋の中に公爵夫妻が入って来た。公爵と目が合ってしまった私は気まずい思いになったが、公爵は手を上げて私を制した。そのままでいいという意味だと捉え、私は頷いてそれに応えた。カトリーナ様の顔にわずかな微笑が浮かんでみえた。
多分、セディのこういう性質については、私なんかより両親であるおふたりのほうがずっとよく理解しているはずだ。私はフウと小さく息を吐いて体の力を抜くと、公爵夫妻からセディへと意識を戻した。
セディは一度私をギュッと抱きしめてから体を離した。
「ありがとう。クレアのおかげで楽になった」
そう言ったセディは、確かに先程よりも顔色が良くなっていた。
「それでも、さっき私が言ったことは忘れないでね」
「うん。ちゃんと覚えとく」
その日の夜会は順調に進んだ。
私とセディは公爵夫妻の隣に並んで、たくさんの方々と挨拶を交わした。
私はその合間合間にセディの様子を伺い、時々は彼の腕に触れている手に少しだけ力を入れたり、親指を摩るように動かしたりした。セディは前回の夜会と違って俯くこともなく、しっかりと顔を上げていた。
私がセディの婚約者だと紹介された後には、微妙な顔や嫉妬のこもった視線なども向けられたりしたものの、私はそれはそうだろうなと思うだけだった。
ちなみに、私とセディの婚約が決まったと知った時にはヘンリーも微妙な表情をしていたが、この夜もやはり同じような顔で現れて、エマに窘められていた。他の人たちとは意味が違うだろうけど。
シンシアも夫婦で来てくれた。シンシアにはセディとの婚約に至った流れを手紙で知らせていたのだけど、顔を合わせるのは彼女から「新しい秘書官」の話を聞いた日以来だった。
「想像以上に綺麗な方ね。だけど、私の勘も満更ではなかったってことかしら」
シンシアは私だけに聞こえるようそう囁いてから、今度はセディに向かって言った。
「クレアは自分より人のことを考えてしまうから、その分もあなたがクレアのことを大事にしてあげてくださいませ」
セディは神妙な顔で頷いていた。
セディとの2度目のダンスはまあまあ上手くいった。セディも前回よりは楽しんでいるように見えた。
夜会が無事に終了し、私は「若奥様の部屋」に戻った。
ドレスを脱ぎ、湯浴みをすると、私は早々に寝室に向かった。私が入った扉の反対側にも扉が見えたが、その向こうに何があるかを確かめるのは翌日にすると決め、疲れきっていた私はベッドに潜り込んだのだが。
「きゃあ」
すぐに私は飛び起きることになった。ベッドの中に先客がいたのだ。
掛布団を捲ると、わずかな灯りの中に眠そうなセディの顔が浮かんだ。
「な、何でセディがいるのよ? どこから入ったの?」
私の問いに、セディは私が中を確かめるのを先延ばしにした扉を指差した。
「あの向こうが僕の部屋で、ここは『若夫婦の寝室』なんだけど、聞いてないの?」
「聞いてないわよ。ねえ、あなたの部屋にベッドはないの?」
「あるけど」
「だったら、そっちで寝てよ」
「嫌だ。もう動きたくない」
「それなら、私がそちらを借りるわ」
そう言って私はベッドを降りようとしたが、後ろから伸びてきた腕に捕まって、ベッドの中に引き戻された。
「ちょっと、放してよ」
寝巻越しとはいえ、背中にセディの体温を感じて、私は慌ててもがいた。だが、意外に強いセディの力で私はさらにベッドの上で仰向けにされ、セディに覆い被さられた。
「セディ、私はまだ、こ……」
私の言葉は途中で遮られ、唇をきつく塞がれた。初めての経験に、一瞬、私の頭の中は真っ白になった。セディの体を押し退けようとするが、ビクともしない。
セディの唇が離れると、私は急いで声をあげた。
「セディ、私たちはまだこういうことを許される関係ではないのよ」
「この部屋を使うってことは、許されたってことじゃないの?」
確かにそうかもしれない。だが私は怯まずに、はっきりとセディに宣言した。
「私は、結婚するまでするつもりはないの」
私の最初の婚約が破棄されたのは、婚約者のアルバート様がそういうことをしたからだ。セディと私は正式な婚約者なのだから少し違うけれど、これはアルバート様に対する私の意地なのかもしれない。
いや、正直なところ、アルバート様のことを思い出したのは久しぶりだったし、もうどうでもいい人なんだけど、よりによってセディの腕の中で思い出してしまったことに何だかイラッとした。
「……わかった。クレアが嫌なことはしない」
セディは私のすぐ傍に横向きに寝転がった。私は腕の中に閉じ込められたたままだ。
「セディ、放して」
「僕の隣で寝てくれるならいいよ」
「それは駄目だってば」
「嫌ではないんだね」
「別々のほうが良く眠れるでしょう」
「僕はクレアの隣のほうが良く眠れると思う」
私は溜息を吐いた。夜会の前はあんなに可愛いかったのに。
「わかったわ。ここで寝るから、腕を緩めて」
セディが私の言うことを聞いてくれたので、私はホッとしながらセディのほうを向いた。
「まったく、仕方ない子ね」
私はわざとセディを子ども扱いしたが、セディはちょっと嬉しそうだった。
「夜会の間、約束どおりクレアがずっと一緒にいてくれたから、すごく安心できたんだ。もう、クレアを手放せないよ」
柔らかな表情で紡がれたセディの言葉に私はドキリとする。そのままセディが近づいてきて、再び口づけられた。私も今度は大人しく目を閉じた。