4 間違えたからやり直す
翌日になって、僕はどうやら自分が色々と間違いや勘違いをしていたらしいことがわかった。
朝、気づくといつものように馬車の中でサンドイッチを食べていた僕は、すぐに昨夜のことを思い出して落ち込んだ。
でも父上は、クレア姉様が「無理」と言ったのは僕の求婚が突然で驚いたからだと教えてくれた。
さらに父上は、求婚前には相手の父上に許可を得なければいけなかったのだと、僕をクレア姉様の父上のところに連れて行ってくれた。
きちんと挨拶したら、バートン伯爵はすぐに僕とクレア姉様の結婚を認めてくれた。
だけど、僕はちゃんとクレア姉様に「セディと結婚するわ」と言ってもらいたかった。
夜、お屋敷に帰ると今度は母上に、再会した日に求婚してはいけなかったのだと言われた。先に「旧交を温めて気持ちを伝える」のだということを、昨夜の僕はすっかり忘れてしまっていたのだ。
クレア姉様への求婚をやり直すことはできない。その代わり母上の助言に従って、僕は毎日クレア姉様に会いにいって、改めて「旧交を温めて気持ちを伝える」ことにした。
明くる日、僕は室長にお願いした。
「大事な用事があるので、今日からしばらく昼休みの時間をずらして外出させてください。もちろん、普通の昼休みの時間はしっかり働きます」
「大事な用事って何だ?」
室長の問いにどう答えようかと僕が迷っていると、近くにいた先輩が先に口を開いた。
「セディ、おまえは先日の夜会で歳上の令嬢に求婚したらしいな。その令嬢に会いに行くんじゃないのか?」
僕は驚いて、その先輩を見つめた。
「何で知ってるんですか?」
「あちこちで噂になってるぞ。両方のお父上は認めてるんだろ」
「それは私も聞いた。じゃあ、あの話はやはり本当なのか」
別の先輩に言われて、僕は正直に頷いた。
「でも、まだ返事をもらえてなくて、だから会いに行きたいんです。どうかお願いします」
僕は頭を下げた。
「まあ、良いだろう。仕事は今までどおりにきちんとやるんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
「セディ、必ず承諾をもらってこいよ」
「はい」
その後、陛下にも許可をいただいて、僕は無事にクレア姉様に会いに行けることになった。
いざ僕の昼休みの時間になると、僕にはバートン家の場所がわからないし、わかってもそこに行くための足がないことに気がついた。だけど、宮廷の外でちゃんとトニーと家の馬車が待っていてくれた。
僕が馬車に乗り込むと、馬車はすぐに走り出した。そして、僕がトニーに手渡されたパンを食べ終わらないうちに、馬車は見覚えのあるお屋敷に到着してしまった。
宮廷からの方角は違ったけど、僕の家に帰るより早かった。遠くはないはずだと思っていたけど、こんなに近い場所にクレア姉様はいたのかと、僕は呆気にとられた。
僕は食べかけのパンをトニーに預けて、馬車を降りた。
最初に応対してくれたのは、バートン家の執事だった。多分、昔も会ったことがある。執事も僕を見て懐かしそうに目を細めた。
執事の後ろから、若い女性が出てきた。この人は知らない気がする。僕の足は勝手に後ろに退がった。
「まあ、コーウェン公爵子息、いらっしゃいませ」
女性は和かにそう言った。あれ、知ってる人だったのかな。
「初めまして。私はヘンリーの妻のエマと申します。あなたのことは夫や義姉たちから聞いておりました。義姉に会いに来られたのですよね。少しお待ちくださいませ」
やっぱり初めて会う人だったけど、ヘンリーの奥様だとわかって僕はホッとした。それに、良い人そうだ。
ヘンリーが結婚したなんて聞いてなかった。でも僕が結婚するんだから、ヘンリーだってしててもおかしくないんだな。
しばらくして、クレア姉様が現れた。クレア姉様は驚いていたけれど、僕を追い返したりはしなかった。
僕はまず、求婚が突然だったことを謝った。それから「クレア嬢」は呼びにくいから「クレア」と呼んでいいか訊いてみたけど、駄目だった。
僕が改めてクレア姉様と結婚したいと伝えると、クレア姉様は僕のことは好きだけど返事は待ってと言った。
とりあえず、父上が言ったとおり、夜会の時の「無理」は拒否ではなかったとわかり、僕は安心した。それに、人がたくさんいた夜会とは違って、落ち着いて話せた。
これから毎日クレア姉様に会いに来れるんだと思うと、僕は気持ちが弾むのを抑えられなかった。
ところがその夜、僕は再び母上から間違いを指摘された。僕はクレア姉様が喜ぶような贈り物を持って行かなければならなかったのだ。
僕は困った。昔、クレア姉様のお誕生日に庭に咲いていた花をあげたことはあったけど、ちゃんとした贈り物なんてしたことがない。
でも、母上はどんなものを贈ればいいのかもしっかり教えてくれた。
そこで次の日、僕はバートン家に向かう前に、宮廷の近くにある花屋に寄った。母上によると、花は定番らしい。
店で買い物するのは初めてだったので、トニーと一緒に店に入った。迎えてくれた店員が女性だったので、僕はトニーの背中に隠れつつ、たくさん並んだ花の中から、何となく目にとまった可愛らしいピンクの花を選んだ。
「セドリック様、またいらしたのですか」
僕の顔を見るなり、クレア姉様はそう言った。
「うん。クレア嬢が僕と結婚するって言ってくれるまで、毎日来るよ」
クレア姉様は顔を顰めた。
「そんなにお仕事を抜け出して、大丈夫なのですか?」
「平気だよ。それよりも、はい、これ、クレア嬢に」
僕が小さな花束を差し出すと、クレア姉様は両手でそれを受け取った。
「あら、ありがとうございます」
クレア姉様は最初はちょっと驚いたみたいだったけど、ピンクの花を見つめ、その香りを嗅いでいるうちに、その表情がふわっとした笑顔に変わった。
僕はそれを見て、母上に感謝した。クレア姉様を喜ばせるための贈り物のはずなのに、僕が嬉しい。
こんなことなら、何となくではなくて、もっとしっかり選べば良かった。いや、これからはそうしよう。
僕は前日と同じように居間に通された。そして、前日と同じように謝罪からはじめた。ずっと気になっていたこと。
「クレア嬢、約束を破ったこと謝ります。ごめんなさい」
クレア姉様は首を傾げた。
「約束? 何のことですか?」
「手紙をいっぱい書くって言ったこと」
「ああ」
「やっぱり怒ってる?」
僕が訊くと、クレア姉様は思い出すように視線を上げた。
「そうねえ。手紙が来なくなった時は、『ずいぶん薄情だったのね。帰ってきても知らんぷりしましょう』と思ったわ」
「ええ、そうなの?」
僕が思わず声をあげると、クレア姉様はフフと笑った。
「冗談よ。この前だって、知らんぷりなんかしなかったでしょ」
「あ、うん」
「私はそのくらいで怒らないわ。もう何年も前のことだからよく覚えてないけど、手紙にも書かなかったかしら」
きっと僕が読まずに仕舞い込んだ手紙のことだ。でも、読んでないとは言いにくい。
「家に帰ったら読み直してみる」
「まだ持ってたの?」
「もちろん捨てたりしないよ」
「私も捨ててないわ」
やっぱりクレア姉様は優しいクレア姉様のままで、僕の気持ちはすっかり楽になった。
その夜、僕はお屋敷に帰ると、文箱からクレア姉様の手紙の束を取り出した。その中に1通だけ、封をしたままのものがある。
僕はそれを4年越しに開いた。
そこには僕が怖れていたとおり、「手紙はいらない」と書かれていた。だけど、僕が考えていたのとは違う意味だった。
『セディ、私に手紙を書く時間がなくなってしまったのかしら? 別にいいのよ。あなたは今、色々なものを見て、吸収して、成長しているところなんでしょうね。もう手紙はいらないわ。その代わり、帰ってきたらお土産話をたくさん聞かせてちょうだい。それを楽しみに待ってるから。もちろん、また手紙を書きたくなった時には、是非書いてほしいわ』
読みながら、僕の目頭はすっかり熱くなっていた。でも、大切な手紙を濡らしたくなくて、僕は必死に堪えた。
クレア姉様に手紙を書けば良かった。あの頃すぐには無理でも、センティアに入ってからなら書くことはいくらでもあったのに。
ずっと手紙のやり取りを続けていれば、帰国して真っ先にクレア姉様に会いに行けたし、昔みたいに「クレア姉様」と呼びながら抱きついても許してもらえた気がする。
次の日には、僕は宮廷近くにあるお菓子屋に行った。先輩が「あの店の菓子は美味いぞ」と教えてくれたから。
甘い香りの漂う店内に並ぶ色々なお菓子を、トニーの後ろからじっくりと見つめ、悩みに悩んでクッキーを買った。
僕がクレア姉様にそのクッキーを渡すと、紅茶と一緒にそれを出してくれた。クレア姉様はクッキーを食べると、にっこりと笑った。
「これ、美味しいわね。ありがとう」
「うん」
クレア姉様がまた喜んでくれて嬉しかったけれど、買い物に時間がかかったせいでクレア姉様と過ごせる時間が短くなってしまい、お土産話はできなかった。