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あなたに呼んでほしいから  作者: 三里志野
光が僕を照らすから
33/55

1 僕にはできないことばかり

ようやくセディ視点です。やはり最初は暗くなりました。

よろしくお願いします。

 僕はクレア姉様と初めて会った時のことをまったく覚えていない。まだ生まれたばかりの赤ん坊だったから。

 僕が物心ついた頃には、クレア姉様は父上や母上と同じように、僕の世界に存在するのが当たり前の人だった。


 とは言っても、クレア姉様に会えるのはせいぜい月に数回だけで、いつも僕はその日を待ちわびていた。そしてクレア姉様に会えた時には、少しも離れまいと決めていた。

 クレア姉様の温かい笑顔、僕を覗き込む瞳、僕の頭を撫でる手、「セディ」と呼ぶ声、抱きつくたびに包まれる匂い、すべてが大好きだった。


 だけど、僕は父上と母上と一緒に外国に行くことになった。クレア姉様と離れることは寂しくて辛かったけど、クレア姉様の笑顔に見送られて僕は旅立った。

 クレア姉様に約束したとおり、僕はいっぱい手紙を送った。外国で見た色々な珍しいものや、綺麗なもののことなどを書いた。クレア姉様も必ず返事をくれた。

 それでも僕はたびたびクレア姉様に会いたくて堪らなくなった。




 13歳の時、僕という人間は変わってしまった。そのきっかけになった出来事も、僕はまったく覚えていない。


 新しい国に入って僕たちが住みはじめたタウンハウスからそれほど遠くない場所に、立派なお屋敷があった。そこの門のすぐ内側に植えられている大きな木には、たくさんの蕾がついていた。

 それは僕の国では見られない木だと知って、僕は花が咲くのを楽しみに、毎日のように見に行った。蕾は少しずつ膨らんでいった。


 あの日、今日こそ花が咲いているのではないかと思い、僕は我慢できずに走り出した。後ろからトニーが何か言う声が聞こえていた。

 お屋敷の門の前に着くと、数え切れないほどの真っ白な花が開いていた。空は快晴で、視界に広がる青と白は目が痛くなりそうなほど輝いていた。

 僕はその光景に魅入られながら、クレア姉様と一緒に見たかったな、と考えていたはずだった。




 気がつくと、僕はベッドの中にいた。体じゅうが痛くて、熱くて、怠くて、ちょっと身動きするのも辛かった。

 ぼんやりとした視界の中に父上と母上とトニーが見えたけれど、皆泣いているようだった。


 意識がはっきりすると、自分が見知らぬ部屋にいるのに気づいて不安になった。でも、すぐにそこが最近暮らしはじめたタウンハウスの自分の部屋だと思い出した。それから、僕が見上げていたはずの白い花のことも。

 だけど、なぜ自分がこんなに怪我をしているのかはわからなかった。


 ふいに扉を叩く音が聞こえて、知らない女の人が部屋に入ってきた。

 その途端、僕は怖くてたまらずに逃げ出したくなったけど、まだベッドから起き上がれなかった。すぐにそばにいた母上が僕を抱きしめてくれて、女の人は部屋を出ていった。


 少し落ち着いて考えてみれば、女の人はこのタウンハウスで暮らしはじめてから父上が雇ったメイドだった。何度か言葉を交わしたこともあったはずだ。

 それがわかってからもう一度彼女と会ってみたけれど、やっぱり駄目だった。他のメイドでも同じ。

 母上以外の女性が僕の部屋に入ることはなくなった。


 次には、知らない男の人がやって来た。僕の怪我を治療してくれたお医者様だと聞いたけど、それまで僕が知っていたお医者様とは違う感じだった。

 お医者様の前でも緊張したけれど、逃げたくはならなかった。

 いつの間にか薄れていた、初めて会う人の前で感じる不安が、何倍にも膨れて戻ってきたようだった。




 僕は同じ夢を繰り返し見るようになった。

 女の人が楽しそうに笑いながら僕に色々なことをしたり、そばにいる男の人たちにやらせたりする。夢のはずなのに、僕の体はその痛みを感じるような気がした。

 僕のほかにも何人か、怪我をして蹲っている人がいるみたいだけど、薄暗くてよく見えなかった。

 夢の中の僕が1番辛いのは、「もうクレア姉様に会えないかもしれない」ということだった。


 僕の怪我は少しずつ良くなっていったけれど、僕は部屋からほとんど出なかった。外の世界が怖かった。知らない人、特に女性に会いたくなかった。

 僕はカーテンを閉めきった部屋の中、ベッドの上で長い時間を過ごした。


 ある時、思いきって少しだけ窓とカーテンを開けた。久しぶりに日の光と風を感じながら、僕は微睡んだ。

 すると、クレア姉様が夢に出てきた。クレア姉様は、以前と変わらない笑顔で僕の名前を呼んでくれた。


 その数日後、クレア姉様から手紙が届いた。今までと特に変わらない、クレア姉様の日常が綴られた手紙。

 僕はクレア姉様に手紙を書こうと便箋を前にペンを握った。だけど、何を書けばいいのかまったく思い浮かばず、便箋を濡らして無駄にしただけだった。

 結局、僕はクレア姉様に手紙を出すことができなかった。


 父上が、僕に話してくれた。

 僕はあの白い花を見た日に行方不明になって、3日後に発見されていた。その時には傷だらけで意識がなく、あのお医者様のところに運びこまれたそうだ。


 自分の頭の中から3日分もの記憶が消えてしまったなんて信じられなかった。

 いや、消えたわけじゃない。だって、僕はあの夢を見る。きっとあれが、僕が忘れたことの正体だった。

 3日間の出来事をなかったことにして、僕は何とか生き延びられたんだと思った。それでも、体に残ったたくさんの傷痕と一緒に、大きな恐怖や不安もずっと抱えていかなければならないのだろう、と。




 次の国に移動することが決まり、荷造りをはじめた頃、再びクレア姉様から手紙が届いた。

 それまで、クレア姉様からの手紙は僕の手紙に返事を書いてくれる形で届いていた。だから、僕が手紙を出さないうちにクレア姉様から次の手紙が来たのは初めてだった。

 クレア姉様は怒っているような気がした。「いっぱい手紙を書く」という約束を僕が破ったから。もしかしたら、「セディの手紙なんていらない。私ももう書かない」と書いてあるかもしれない。

 僕は読むことができないまま、その手紙を荷物の中に仕舞い込んだ。


 僕は3か月ぶりにタウンハウスの外に出た。

 時間の感覚がよくわからなくなっていて、「そんなにたったのか」とも、「それだけなんだ」とも思った。ただ、僕が部屋に籠っていた間に、季節がひとつ進んでいたのは確かだった。

 母上と父上とトニーに囲まれて、僕はどうにか馬車に乗り、国境を越えた。




 10日近い旅をしたことで、僕は自分が外出できることを思い出した。母上か父上かトニーがそばにいてくれれば、だけど。

 それに、僕は外に出ても、顔を上げることができなかった。見つかることが怖かった。誰が僕を探しているのかはわからない。


 クレア姉様から手紙が届くことはなかった。僕が手紙を出さなければ、クレア姉様には僕の新しい住所がわからないのだから当たり前だ。

 でも、やっぱりクレア姉様への手紙に書くべきことは見つからないままだった。

 僕はクレア姉様に会いたかった。だけど、こんな僕を見たら、クレア姉様はがっかりするに違いない。情けない僕のままでは、クレア姉様に会えない。


 僕は、あれ以来ずっと僕に寄り添ってくれていた母上から離れることにした。本当は不安だったけど、14歳になった僕は、母上に甘えきりで許される立場ではなかった。

 小さい僕に「将来、あなたは公爵になるのだから、それに相応しい紳士にならないと駄目よ」と教えてくれたのは、母上とクレア姉様だ。


 僕はひとりで外に出てみた。

 多分どこか近くにトニーがいるだろうと思っても怖くて、隣にクレア姉様がいると必死に夢想してみたけれど、なかなか上手くいかなかった。




 ある日、父上が僕を呼んで言った。


「セディ、おまえも学問に励むべき歳になった」


 僕は頷いた。


「予定では、おまえを帰国させて学園に入れるつもりだった。だが、もしも家庭教師のほうが良いなら、それでも構わない。優秀な教師を探そう」


 14歳で学園に入ることは、母国にいた頃から言われていた。クレア姉様も通っていた。


「それから、次に行く国にセンティアという男子校がある。生徒だけでなく教師や使用人も皆、男ばかりの場所だ。全寮制だから私たちからしばらく離れて暮らすことになるし、身の回りのことも自分自身でせねばならないが、良い学校だ」


 父上がセンティア校に留学していたことは知っていたけど、僕がそこに入るなんて言われたことも考えたこともなかった。

 だけど父上の話を聞いて、そこが選択肢に入れられた理由はすぐにわかった。


「どうしたいか、おまえが決めるんだ」


 帰国すればクレア姉様に会えるという考えが僕の頭を過ぎった。でも、それでいいとは思えなかった。

 僕は、センティア校を選んだ。




 センティア校に入学した僕と寮で同室になったのは、その国の第二王子であるカイルだった。カイルはとても親切で、右も左もわからない僕に色々と教えてくれた。

 僕が怖い夢を見ることや、女性に怯えることに気づいても馬鹿にしたりせず、黙って助けてくれるような人だった。


 2年に進級した頃、突然カイルに訊かれた。


「セディには婚約者はいるのか?」


「いないよ」


「それなら、好きな人は?」


「好きな人……?」


 その言葉で僕が咄嗟に思い浮かべたのは、クレア姉様の姿だった。だけど、カイルの言う「好き」と、クレア姉様への僕の「好き」が同じ意味なのか、僕にはわからなかった。

 しばらく悩んでいると、カイルの顔が近づいてきた。


「いるんだな? どこの誰だ?」


 カイルの勢いに押され、僕はクレア姉様の名前を口にしてしまった。




 それからというもの、なぜか僕はたびたびカイルや他の同級生たちから婚約者や好きな女性について聞き、代わりにクレア姉様の話をすることになった。

 だけど、そんな風に誰かにクレア姉様のことを色々聞いてもらうのは決して嫌ではなかった。

 そうすることで、僕は自分の中にずっとあったクレア姉様への想いを、改めて見つめ直し、確認しているような気がした。


 大好きなクレア姉様。だけど、もう4年も会っていないし、最後に手紙を書いたのは2年も前だ。気づけば僕は、分かれた時のクレア姉様と同じ歳になっていた。

 僕はセンティアを卒業したら、またクレア姉様に会えるのだろうか。クレア姉様は昔みたいに笑って「セディ」と呼んでくれるのだろうか。


 クレア姉様のことを考え続けているうちに、僕にもやっと理解できてきた。僕のクレア姉様への「好き」は、皆が婚約者や好きな人に向ける「好き」とは少し違うようだ。

 僕が物心ついた時から、この世界にはクレア姉様が存在するのが当たり前だったし、僕がクレア姉様を好きなのも当たり前だった。僕にはもうずっと昔から、クレア姉様しかいなかった。


 それは僕にとって両親と同じような意味だと思っていたけれど、似ているようでどこか違う。

 父上と母上が僕を嫌いになったらどうしよう、見捨てたらどうしようなんて僕は考えたことがない。ふたりが僕を愛してくれているのを疑ったことさえなかった。


 だけど僕は、クレア姉様が僕を忘れてしまったんじゃないかと考えるだけで不安になる。僕が当たり前だと盲信していたクレア姉様の存在は、本当は当たり前ではなかったと、僕は知ってしまったから。

 クレア姉様にもう一度会って、その先ずっと一緒にいてもらうためには、僕は努力して自ら動かなきゃいけないと、初めて気がついた。


 具体的には何をすべきなのかまではわからなかった僕に、手を差し伸べてくれたのはやっぱりカイルだった。

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