諦観する傍観者(レイラ)②
それから少したったある日の夕方、宮廷から帰宅したユージンはヘンリーを伴っていた。ヘンリーが私と久しぶりに話したいなどと言って、無理に頼んだようだ。
義弟とはいえ歳も将来継ぐ爵位もユージンのほうが上なのに、ヘンリーには遠慮がない。
ヘンリーがさも重大な問題が起こったかのような表情で話し出したのは、想像どおりのことだった。
「セディが姉上に求婚したんだ」
「そのようですね」
「そのうえ、姉上から返事をもらおうと毎日毎日、家に押しかけてくるんだ」
「あら、お姉様はまだお返事してなかったのですか」
「まったくだ。早くきっぱり断ればいいのにな」
「お姉様はセディの求婚を断らないでしょう」
「な、何を言ってるんだ。おまえはセディなんかがが姉上と結婚してもいいのか?」
ヘンリーは、将来義兄になりそうな歳下の次期公爵にもやっぱり失礼だ。
「いいも何も、いつかこうなることは昔からわかっていたじゃない」
「そんなはずないだろ。姉上はこの前まで別の男と婚約してたんだぞ」
「その婚約者があんな最低な人で、ヘンリーは絶対に別れさせると決めていたのに、実際に婚約破棄できたのはセディの帰国後って、まるで神様のご意思が働いていたみたいじゃない?」
「そんなの偶然に決まってる。神様の意思なんて、おまえらしくないこと言うな」
正直なことを言えば、私は神様ではなくお母様の仕業ではないかと思ったりしていた。
年齢を考えれば、セディが外国に行く前にお姉様の婚約者が決まっていても決しておかしくはなかったのに、セディのいる間はそんな話を聞いたことなかった。
お母様はセディが「クレア姉様と結婚したい」と言い出すのを待っていた、というのは考えすぎかもしれないけれど、お姉様の婚約を知ってセディが衝撃を受けたら可哀想くらいは思っていただろう。
「まあ、運でも天でもいいですが、とにかく何かがセディに味方しているのですから、遅かれ早かれお姉様はセディに捕まるに決まっています」
「何でそんなに冷めてるんだよ。おまえはセディを義兄と呼べるのか?」
「呼べますよ」
私の即答に、ヘンリーは目を剥いた。あなたのおかげで、私にとって兄とは少々面倒臭くて情けないものなのよ。
「でも、やっぱり『セディ』と呼ぶかしら」
ヘンリーは、その後も散々、愚痴をこぼしてから帰っていった。
どうやらヘンリーががわざわざ私のところに来たのは、自分の味方をしてくれると信じていたお義姉様に、「セドリック様ならお姉様を幸せにしてくださるわね」と言われて拗ねたからのようだ。
エマはこんな夫で本当に良かったのかと、私はたびたび心配になる。
私の友人たちはヘンリーのことを「黙っていればなかなか素敵」と言っていたが、エマは「ヘンリーは黙っていられないから良いのよ」などと言う。私はエマの偉大さに頭が上がらない。
でも、ヘンリーもエマが自分にとって大事な存在だということはちゃんとわかっている。
数日後の昼過ぎ、私は実家を訪ねた。私を迎えてくれたのはエマだった。
「今、お姉様にはお客様がいらっしゃっているのよ」
「セディでしょう。実はヘンリーに聞いて、様子を見に来たの。どこにいるの?」
「お庭よ」
私はお屋敷を回り込んで、そっと庭に近づいた。
お姉様とセディは木陰で向かい合って立ち、話をしていた。まだ婚約もしていないわりに、距離が近いのではないだろうか。もちろん昔と違って、セディはお姉様の手を握ってはいないし、お姉様もセディの頭を撫でてはいないけど。
セディの顔は見えないが、背はお姉様よりずいぶん大きくなったようだ。セディを見上げるお姉様の表情は明るい。
私はやっぱりお邪魔かなと思って引き返そうとしたが、それより先にお姉様に気づかれた。
「あら、いらっしゃい」
お姉様の言葉にセディが振り向いた。
セディは、相変わらず麗しい顔をしていた。6年前に比べれば大人の男っぽい見た目になってきたけれど、どことなく幼さを感じてしまうのはお姉様が一緒だからだろうか。
「お邪魔してます。セディがいると聞いて、挨拶しに来たの」
私がふたりのほうへ足を進めると、セディは数歩退がり、お姉様の背中に半ば身を隠すようにした。
それは見覚えのある行動だった。セディは知らない人の前でよくそうしていたのだ。
お姉様は、そんなセディを「あなたは公爵家の嫡男なのだから、背筋を伸ばして、相手の目を見て、堂々と名乗れば良いのよ」といつも諭していた。
私はセディに笑いかけた。
「セディ、久しぶりね。私のこと覚えてる?」
どこか不安そうな表情で、セディが私を見つめ、目を瞬いた。
やはりわからないらしいセディに、お姉様が助け船を出した。
「昔もここで会ったでしょう」
途端に、セディの表情から靄が晴れたようだった。
「あ、レイラ。久しぶり」
セディは再びお姉様の横まで出てきた。
私は驚いた。セディの世界にちゃんと私はいたのだ。顔を見てすぐには思い出せなかったし、「クレア姉様にはレイラという名前の妹がいた」という程度かもしれないけれど。
私は何だか嬉しくなった。
「お姉様に求婚したんですってね。これからも末長く、よろしくお願いします」
私が言うと、セディも少し嬉しそうな顔になった。
「うん。こちらこそよろしく」
「ちょっと、私はまだセドリック様と結婚すると決めてないわよ」
お姉様が顔を顰めた。でも、お姉様が「セドリック様」だなんて違和感しかない。
「そうでしたね。まだ」
私のもとに、お姉様とセディの婚約が決まったと知らせが届くのは、1週間後のことだ。
コーウェン公爵家の夜会でお姉様とセディの婚約が披露された。私はユージンと一緒に参加した。
私たちの前に現れたふたりは、セディがお姉様をエスコートしているはずなのに、セディのほうがお姉様を頼っているように見えた。でも、セディはちゃんと背筋を伸ばしている。
「何だか、義姉上は綺麗になったかな?」
ユージンがボソリと言ったので、私は彼を軽く睨んだ。
「そうね。だけど、妻の前で他の女性を褒めるなんて、酷い夫だわ」
「あ、いや、もちろんレイラのほうが綺麗だよ」
「冗談よ。今夜のお姉様は特別だわ」
「私の言葉は冗談じゃないよ」
「ありがとう」
あちらのほうではむっつりしているヘンリーをエマが宥めているのが見えて、私は自分の夫がこんなに良い人なのを少し申し訳なく思った。
その後、お姉様は婚約中からセディとの同居をはじめ、結婚式前には一時帰宅する予定だったのにやめてしまったのでヘンリーが腹を立て、結婚式直前にセディがどこぞの女に斬りつけられ、それがお姉様を庇ってのことだったのでヘンリーはセディを見直したのに、しばらくしてから延期になっていた結婚式を来週挙げるという知らせが突然届き、その理由はお姉様の妊娠がわかったからで、ヘンリーは再びセディを敵視した。
私もお姉様が婚前になんて驚いたが、セディとは数か月も一緒に暮らしていたのだし、コーウェン家ではすでにセディの奥様扱いだったというし、何よりセディに「どうしても」とお願いされたらお姉様に断れるはずがないと、すぐに納得した。
お姉様とセディの結婚式は、次期公爵の結婚式にしては参列者が少ないものになったが、国王陛下は出席されていたし、いつも以上に麗しい花婿は嬉しくてボロボロ泣くし、負けず劣らず美しい花嫁は愛しそうに笑いながらそれを拭うしで、幸せな雰囲気に包まれた良い式だった。
翌年にはお姉様が無事に出産し、それから5か月遅れてエマ、さらに8か月後には私もそれぞれ子を産んだ。
それぞれの家の爵位は違っても、従姉弟同士の彼らはとても仲良しだ。