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出来るのは道を整えること(コーウェン公爵)③

 翌朝の馬車の中で、私は目の覚めたらしいセディに訊いた。


「クレア嬢に会いに行くのに、良い方法は見つかったのか?」


「うん。昼休みに行くのはどうかな?」


「昼休みではバートン家も昼食時だろうから、やはり迷惑だな」


「そうか」


 セディは「ううん」と唸った。


「じゃあ、昼休みは仕事して、別の時間に休憩をもらう」


「おお、それはいい案だ」


 セディの現在の主な仕事は、他国から我が国に送られてくる文書や、我が国が他国に送る文書の翻訳だというから、同僚らと休憩時間がずれてもそれほど支障はないはずだ。


「本当? それなら室長と、あと陛下にもお願いしてみる」


 馬車が宮廷に着くとセディは急いで降り、さあっと駆けて行った。

 私がトニーを見ると、彼はすぐに頷いた。


「昼過ぎにお迎えに参ります。何か馬車の中で食べられるものもご用意しておきます」


「頼む」


 私も宮廷に向かいながら、バートン伯爵に話を通しておくべきだと気づき、そちらは私が行くことにした。




「クレア姉様ね、僕を好きだって。でも返事は待ってって言われた」


「そうか。それは、待つしかないな」


「あとね、やっぱり『クレア』って呼ぶのはまだ駄目だって」


 その夜、セディは私とリーナにクレア嬢に会いに行った時のことを話して聞かせた。

 どうやら、クレア嬢もセディとの結婚を考えてくれているようだ。セディもそれがわかったからか、まだ芳しい答えをもらえたわけでもないのに声が弾んでいる。


「楽しかったようだな」


「うん。これから毎日、クレア姉様に会えるなんて夢みたい」


 未だ夜中に唸されることのあるセディの口から出た「夢」という言葉に、私は一瞬ドキリとした。

 もしかしたら、1日の大半をタウンハウスの自室で過ごしていた頃から、セディは本当にそんな夢も見ていたのかもしれない。

 それはセディにとって幸せな夢だったのだろう。だが、今は幸せな現実だ。


「ところでセディ、クレアには何を贈り物にしたのかしら?」


 リーナに訊かれ、セディは首を傾げた。


「贈り物?」


「まさか、手ぶらで行ったのではないでしょうね?」


 リーナの声が低くなり、セディの眉が下がった。


「うん。そうだけど……」


「それでは駄目よ。何かクレアが喜んでくれるものを持って行かないと」


「何を持って行けば良いの? ドレス? アクセサリー?」


 セディが焦った様子で言った。私も内心、これはうっかりしていたと焦った。


「婚約もしていない段階でそんなものを贈っても、受け取ってもらえないわ。セディが明日にでも用意できて、さらっと渡せて、クレアも気軽に受け取れるものでないと」


「例えば?」


「定番は花ね」


「花? 薔薇とか?」


「求婚の言葉と一緒に渡すなら赤い薔薇の花束でしょうけど、今はあまり仰々しくないほうが良いと思うわ。可愛らしい花束とか、小さめの鉢植えとか。花以外でも、見た目の綺麗なもの。ああ、美味しいお菓子なんかも良いのではないかしら」


 セディはコクコクと頷きながら聞いていた。


「わかった。ありがとう」



 

 夜会の5日後には、仕立て屋が何枚ものウェディングドレスのデザイン画を屋敷に届けてきた。


「セディ、クレア嬢にはどれが似合うと思う?」


 セディの前にデザイン画を並べると、それらをじっくりと見較べてから、その中の1枚を示した。


「これがいい。でも、この辺はもっとすっきりした感じのほうがクレア姉様には似合うと思う。それから……」


 珍しくセディが自分の意見を述べ、それをもとに改めて仕立て屋がデザイン画を書き直した。

 使う生地やレースなども決まり、仕立て屋はクレア嬢の採寸ができ次第ドレスの製作に取り掛かると約束した。

 リーナと相談して、他にも何着かクレアのためのドレスを注文しておいた。こちらも色やデザインはセディが選んだ。


 さらに、屋敷では次期当主夫婦の部屋の改装が終わり、セディがそこに移った。




 セディは、あの翌日からはきちんとクレア嬢への贈り物を用意していた。

 トニーに付き添われて店に行き、生まれて初めて自分自身での買い物を経験したそうだ。クレア嬢も、喜んで受け取ってくれるらしい。


 昼休みは仕事をし、馬車の中で遅い昼食をとりながらバートン家に通うのは大変だろうに、セディはやはり嬉しそうに私とリーナにクレアの話をした。




 ある朝、セディのほうから私に尋ねてきた。


「ねえ父上、『傷物』ってどういう意味?」


 私はギョッとした。放置したままだったクレア嬢への揶揄が、セディにも聞こえてしまったのだ。


「クレア姉様が言ってたんだ。『私は傷物と言われているけど気にならないの』って」


 私はグウと喉を鳴らした。自らそんなことを言うとは、クレア嬢は何を考えているのだ。

 いや、クレア嬢はやはり潔白だからこそ、セディの前でそれを口にできたのだろうし、セディへの信頼があるということかもしれない。

 それにしても、セディにどこまで教えるべきか。


「クレア姉様、前の婚約者に怪我をさせられて、体に傷があるのかな。僕はそんなこと気にしないけど、クレア姉様は気になるのかな」


 あの事件があって、本来ならセディにすべきだった教育を私はまったくできていなかった。

 だから、セディにどの程度の知識があるのかわからず、そういう方面についてはっきり口にするのは躊躇われ、クレア嬢の婚約破棄の理由もぼんやりとしか伝えていない。

 この状況で、「前の婚約者が女癖の悪い男だったので、クレア嬢も手を出されたと思われている」などと、セディに言えるはずがない。言ったところで、セディが理解できるかどうかもわからない。


 とにかくセディの心配を和らげてやるために、私は口を開いた。


「セディ、この場合の『傷』というのは目に見えるものではない。この世には実体のない傷もある」


「心の傷とか?」


 それはまさしく、セディ自身も体の傷とともに背負わされたものだ。


「そうだ。あとは、名誉や尊厳といったものが傷つけられることもあるな。だがクレア嬢の場合は、それとも少し違う。婚約破棄は彼女に何か問題があったせいだと思われていて、その問題のことを世間は『傷』と言っているのだ」


 真実とは異なるが、クレア嬢に向けられる「傷物」の言葉に、そういう意味がまったくないわけではないはずだ。


「相手の問題だったのに?」


「どうにも社交界は女性に対して冷たい場所だ。ありもしない傷を皆で指差して、それを本物にしてしまうこともある」


「じゃあ、クレア姉様の傷は目に見えないんだね。それって、治るの? 僕は何かしてあげられるかな?」


 正直に言えば、実際のところはクレア嬢の傷がどの程度のものなのか、確かなことは私にはわからない。ウォルターたちからの報告を聞き、夜会で遠くから見た印象だけで、彼女は大して傷ついていないとセディに伝えるのは無責任だろう。

 だが何よりも、大事な人のために何かしてあげたいと願うセディの気持ちに、私の胸も熱くなっていた。


「セディは、今までどおりで良いと思うぞ。クレア嬢もセディが会いに行くと楽しそうなのだろう?」


「うん」


「セディがこれからも変わらずそばにいれば、きっとクレア嬢の傷は癒えるはずだ」


「そうだね。僕も、クレア姉様と一緒にいる時は嫌なことを忘れられるよ」


「そうか」


 セディは穏やかな表情で頷いた。

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