出来るのは道を整えること(コーウェン公爵)①
サブタイトルは変わりますが、引き続きセディ父視点です。前回と違ってだいぶ明るいですが、やや黒いです。
私たちが6年振りに帰国すると、陛下はセディを秘書官に採用してくださった。予想どおり、セディの語学力に陛下は目を瞠っていた。
セディが同じ宮廷の中で働くようになって、私は一安心だった。
しかし、私の中にはもう1つの懸念があった。果たしてセディは結婚できるのかということだ。
セディは男子校で3年過ごしたことで、男性とはだいぶ落ち着いて接することができるようになったが、相変わらず女性に対する恐怖心は消えていなかった。この状態のまま、無理に女性を近づけることはしたくない。
だが、親戚や使用人たちがいるとはいえ、私やリーナに何かあればセディをひとり置いていくことになる。私はそれが不憫でならなかった。
毎朝、私とセディは同じ馬車で宮廷に向かった。セディはたいてい、トニーに世話されながら馬車の中で朝食をとり、口を動かしているうちに少しずつ目が開いていく。
私はセディが覚醒したらしいのを見計らって、仕事中の様子などを尋ねるのが常だった。
ある朝、私はそれを訊いてみることにした。
「セディ、結婚について何か考えたことはあるか?」
セディはすぐには答えなかった。表情が戸惑うように変わったので、目は覚めている。
やはりこの質問は時期尚早だったのだと私は思った。
「急に悪かったな。別に結婚しろと言いたいわけではないから、気にしなくていいぞ」
だが、セディはしばらく視線を彷徨わせてから、小さな声でポツリと口にした。
「クレア姉様」
「うん?」
私が聞き返すと、セディは先ほどよりは幾分はっきりと言った。
「クレア姉様がいい」
その聞き覚えのある名前の持ち主を、私は急いで自分の頭の中から探し出した。
「クレア姉様とは、バートン伯爵の令嬢のことだな?」
私が確認すると、セディはコクリと頷いた。
「そうか、クレア姉様か」
クレア・バートン伯爵令嬢。リーナの親友であるアメリア・バートン伯爵夫人の長女で、当然セディよりいくつか歳上だったはず。
昔はセディが「クレア姉様」と口にするのをしょっちゅう聞いた。おそらく、両親を除いてセディが最も慕っていた相手だろう。当時、リーナの話を聞いて、私も好もしい印象を持った覚えがある。
しかし、ここ数年はセディが「クレア姉様」の話をすることはなかった。と言っても、あの事件後はセディの口数自体が減ってしまっていたのだから、セディが彼女のことを忘れていたなどと単純に考えることはできなかった。
とりあえず、今すぐクレア嬢の近況を調べねば。
私は懐から手帳を取り出すと、走り書きしてその頁を破り、「これをウォルターに」と言ってトニーに渡した。
私は仕事の合間にバートン伯爵の評判について、それとなく調べてみた。
妻同士が親しかったので、私も彼のことをまったく知らないわけではない。しかし、外交官と財務官では同じ宮廷にいても会う機会はほとんどないし、爵位も年齢も違うので顔を合わせても挨拶をする程度だった。
バートン伯爵について、以前に悪い話を聞いた記憶はなかったが、現在も特に気になることはなかった。可もなく不可もない、凡庸な宮廷人。親戚づきあいはしやすそうだ。
私は一応、陛下にも伺った。
「バートンとは、確かリーナの友人の夫であろう。なぜその者のことを私に聞くのだ?」
「まだ申し上げられませんが、とても重要なことです」
「……セディに関係することか」
やはり陛下は鋭い。
「そのうち陛下のお力をお借りするかもしれませんので、その際はお願いいたします」
私がそう言うと、陛下は眉を顰めた。
数日後、ウォルターから報告があった。
クレア嬢は亡き母に代わって伯爵家を切り盛りしている。そのため結婚はまだだが、ウィリス子爵家の嫡男と婚約はしていた。
私は拍子抜けした。
セディの口から「クレア姉様」と聞いてから、私はどうすれば円満に離婚してもらうことができるのかを真剣に考えていたのだ。
クレア嬢がどんな家に嫁いだかにもよるが、子供がいると仮定して、男児と女児、どちらの場合も検討してみた。
さらに、セディに「クレア嬢には離婚歴があるが構わないか?」と尋ねる時のことまで想像した。セディは「うん」と頷いていた。
だが、婚約者ならそれほどの苦労はせずに済む。
一方、バートン家に関してはやはりこれといって問題になりそうなことは出てこなかった。
クレア嬢の妹は侯爵家の嫡男に嫁いだというのが、それを裏付けている。
その後、ウォルターのさらなる調査により、クレア嬢の婚約者には女性関係について悪い噂があることがわかった。
別の者にクレア嬢の婚約者を見張らせてみると、噂はほぼ真実だった。
この世にはそういう男もいることはもちろん知っているが、腹立たしいことこの上ない。
婚約者を譲ってもらうのに多少の金がかかることは覚悟していたが、相手がそんな男ならウィリス家からバートン家に支払われる形にしてやろうと決めた。
クレア嬢が婚約者と夜会に出るという情報を得て、私は婚約者の不貞の現場をクレア嬢に目撃させることにした。万が一、クレア嬢が婚約者に対して心を寄せていたとしても、未練なく吹っ切れるように。
作戦は成功した。私の指示でクレア嬢と一緒に現場にいた者によると、クレア嬢は実にサバサバしたもので、とっくに婚約者の女癖の悪さを知っていたうえで、諦めていたようだということだった。
クレア嬢は婚約を破棄した。
気持ちは急くものの、婚約破棄したばかりの令嬢に間髪入れずに婚約を申し込むのはさすがに自重した。
すぐに、クレア嬢を「傷物」などと揶揄する声があると報せが来た。
「実際のところは、どうなんだ?」
「まずないと思われます」
やはりそうか。ちょっとした躓きでも揚げ足をとりたがるのが社交界だ。まったく嘆かわしいことだが、利用はできる。
「それならば、しばらくは放っておけ」
公爵家の力を持ってすればくだらない噂を消すことは簡単だ。だが、そんな声が聞こえるうちは、クレア嬢に横恋慕しようとする者は現れまい。
私が次にすべきは、リーナの賛同を得ることだった。
「実は、セディがクレア・バートン伯爵令嬢と結婚したいと言っている。私としては、近いうちにバートン家に婚約を申し込みたいと考えているんだが」
リーナは目を瞬きながら、私を見つめた。
「クレアはもう結婚していてもおかしくない歳ですわよ」
「それは大丈夫だ。クレア嬢は最近、婚約破棄をしたらしい」
「最近、ですか」
リーナはやや疑わしそうな目を私に向けた。
「セディがクレアを望んでいて、あなたがお認めになるなら、私ももちろん構いません」
「では、さっそく……」
「お待ちくださいませ。婚約を申し込む前に、バートン家を訪ねてきてもよろしいですか? 帰国したら1度行こうと考えてはいたのですが、アメリアが亡くなってしまって、クレアやレイラはお嫁に行ってしまっただろうと思うと、なかなかその気になれなかったのです。でも、クレアが迎えてくれるとわかれば是非行きたいわ」
「そうか。それならクレア嬢の今の様子を見てきてくれ」
数日後には、リーナはバートン伯爵家を訪った。
リーナによると、クレア嬢は明るく元気そうで、婚約破棄したばかりには見えなかったという。まあ、あんな男が婚約者だったのだから当然だろう。
それを踏まえた上で、私はいよいよセディにクレア嬢との婚約について話すことにした。
私はセディからクレア嬢の名前を聞くだけ聞いて、その後の経過はまったく伝えていなかった。そのせいなのか、セディはこのところ暗い表情をしていた。
「セディ、近々バートン家におまえとクレア嬢の婚約を申し込もうと思う」
セディが目を大きく見開いた。
「クレア姉様、結婚するんじゃなかったの?」
「確かに婚約はしていたのだが、それが破棄されたそうだ。その責任はすべて相手にあって、クレア嬢にはまったく非のないことだから安心しなさい」
セディはコクリと頷いた。表情からは先ほどの暗さがすっかり消えた。
「じゃあ、僕、クレア姉様と結婚できるんだね」
私が答えるより早く、リーナが口を開いた。
「駄目よ」
「な、何を言うんだ、リーナ。この前は……」
慌てる私を遮って、リーナは驚いているセディに向かって言った。
「セディ、あなたは本当にクレアと結婚したいの?」
リーナの剣幕に押されるように、セディはコクコクと頷いた。
「だったら、今度王宮で開かれる夜会に参加して、たくさんの令嬢たちの中からクレアを探し出し、ダンスに誘うくらいしてみせなさい。その上で旧交を温めてあなたの気持ちをクレアに伝え、自分自身で求婚し、承諾を得て来るのよ」
目を真ん丸くして固まっているセディに、リーナが駄目押しした。
「どうなの、セディ? やるの、やらないの?」
「や、やる」
セディは意を決したような顔になった。
リーナは、セディの答えに満足したように微笑み、さっきまでとは打って変わって柔らかい声を出した。
「母上は昨日、バートン家に行ってきたわ」
途端にセディの目が再び見開かれた。
「クレア姉様に会ったの?」
セディの問いに、リーナは思い出そうとするように視線を動かした。
「クレアはすっかり淑女らしくなっていたわね」
前のめりになるセディに向かい、リーナはまたビシッと言った。
「いいこと、セディ? あなたも紳士になったんだというところをしっかりクレアに見せなさい。さもないと、別の男性にあっという間にかっさらわれてしまうわよ」
「はい」
セディは神妙な顔でまた頷いた。
私はリーナとふたりになってから、彼女に尋ねた。
「あんなことを言って、セディが失敗したらどうするんだ?」
「セディはやればできる子……、いえ、できる紳士です。失敗などしません」
リーナは私に対してもきっぱりと言った。
「しかし、もしもクレア嬢がセディの求婚を拒んだりしたら……」
「クレアはきっとセディの想いを受け入れてくれるわ」
「なぜ、わかるんだ。クレア嬢に気持ちを聞いたのか?」
「そんな無粋なこと、私はいたしません。クレアが生まれた時から彼女を知っている私の勘です」
「勘……」
ますます困惑する私に向かい、リーナは真剣な表情を見せた。
「セディはセンティア校で3年間過ごして無事に卒業したことでずいぶん成長しましたわ。誰かに助けられながらでも、自分には色々なことができるとわかって、自信がついたのでしょう」
「ああ」
「クレアへの求婚が上手くいけば、セディはさらに成長するはずです。セディにはそういう成功体験をたくさん積み重ねていってほしいの。そのための力を、あの子は持っています」
「そう、だな」
「もちろん、セディが本当に必要とする時には私たちも手を貸しましょう。それに、あの子が進む道をあなたが少し整えてあげるくらいは、私も目を瞑ります。ですが、その道を実際に歩くのはセディ自身です」
私は嘆息した。やはり、リーナは強い母親だ。