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姉は何もしていない(ヘンリー)①

皆さますでにお気づきだと思いますが、ヘンリーはシスコンです。引き続きご注意ください。

 許しがたい噂が俺の耳に入ってきた。アルバート・ウィリスは姉上の婚約者でありながら、複数の女と関係を持っているらしい。

 そもそも俺は、あの男が最初から気に入らなかった。姉上の婚約者にはまったく相応しくない。

 姉上は美しく、賢く、優しい女性だ。どんな相手から妻に選ばれたっておかしくはなかった。いや、姉上ならどんな男でも選べたはずだった。


 ちょうど姉上の婚約者を選びはじめた頃、母上が病で亡くなってしまった。我がバートン家は悲しみに打ちひしがれた。

 しかし、姉上が母上の代わりを務めてくれたおかげで、俺たちは立ち直ることができた。


 姉上との婚約の打診をしてきた家はいくつもあった。我が家と同じ伯爵家が多かったが、中には侯爵家からもあった。いや、公爵家がなかったのが不思議なくらいなのだ。

 ところが腹立たしいことに、それらは縁起が悪いやら何やらと理由をつけて取り消されてしまった。そうして、最後に残ったのがウィリス子爵家だった。

 俺は父に対してはっきりと反対を告げた。しかし、父は姉上に婚約者がいない状態を不安に思ったようで、アルバートとの婚約を決めてしまったのだった。その結果がこの噂だ。


 俺は姉上にそれとなく婚約者の不貞を匂わせてみた。


「何を言っているの。アルバート様がそんなことをするはずがないでしょう」


 そう言って笑ってみせた姉上を見て、とっくに姉上はお見通しだったのだと俺は悟った。


 俺は姉上とアルバートの婚約破棄を思い描いた。噂だけでは難しい。現場を押さえる必要があった。

 だが、いくら姉上のためとは言え、常にアルバートを見張ることはさすがに無理だった。


 女の間をフラフラしているらしいアルバートとは違い、俺は伯爵家の嫡男としての責務をきっちり果たしていた。姉上の弟として、恥ずかしいことはできない。

 それに、俺には結婚したばかりの妻エマもいた。エマは見た目も性格もおっとりと控えめで姉上とはだいぶ異なる印象だが、だからこそ姉上を尊敬し、心から慕っていた。

 俺の妻として、エマ以上の相手はいない。だから、俺は大切なエマを長い時間放り出しておくことはしたくなかった。


 俺が悩んでいるうちに、今度はアルバートが姉上を見る目が怪しくなってきた。良からぬことを企んでいるに違いない。とりあえず、俺はアルバートと姉上をふたりきりにはしないよう気を配ることにした。




 ある夜会で、俺はアルバートがいつもとは違う動きをしているように見えて、警戒を強めた。

 俺はその夜会を主催した侯爵家の息子と学園の同級生だったことを思い出し、彼に頼んで姉上にその家自慢の絵画を見せてもらうことにした。

 姉上はいつものように親友のシンシアと一緒にいた。俺は姉上に見せたいものがあると言って広間から連れ出し、屋敷の応接間まで案内した。俺の想像どおり、姉上はその絵に感嘆の声をあげた。


「ごめん、姉上。エマも連れて来るから、ここにいて」


「ええ」


 俺は広間に戻ると、シンシアのところに向かった。


「もしもウィリス子爵子息に姉上の行く先を尋ねられたら、ひとりで庭に出たと伝えてもらえますか?」


 シンシアにはその言葉が嘘だと気づかれたかもしれないが、おそらくアルバートのことをあまり良く思っていなかったシンシアは何も聞かずに引き受けてくれた。

 姉上のもとに戻ろうとエマを探しはじめた俺は、屋敷の息子に呼びとめられた。


「なあ、ルイーズ・アボットって覚えてるか?」


 侯爵の息子の問いに俺は首を傾げた。


 ルイーズ・アボットは学園で俺たちの2学年下にいた男爵令嬢だった。

 彼女はやはり俺と同級生だった公爵子息と恋に落ちた。ルイーズは本気だったが、公爵子息のほうは彼女との恋愛ごっこを楽しんでいるだけにすぎないことを皆わかっていた。


 それを唯一理解していなかったルイーズは、公爵子息の婚約者に敵意を向けるようになった。だが、相手は公爵令嬢だ。結局、ルイーズは学園を追い出された。

 もちろん、公爵子息がルイーズを庇うことはなかったどころか、婚約者に危害を加えかけた彼女に対して大勢の生徒が見ている前でかなり酷い言葉を投げた。


 あのふたりは予定どおり学園を卒業してすぐに結婚したが、うまくやっているらしい。あくまで表面上は、だが。

 いくら勘違いの激しい男爵令嬢とはいえルイーズを散々弄んだ挙句に冷酷な仕打ちをした男と、権力を振りかざして孤立させた女だ。互いに本性も見せ合ったふたりが心から信頼し合う夫婦になっていたとしたら、おぞましくて鳥肌が立つ。

 当時、学園に在籍していた誰もが同じようなことを考えているだろうが、もちろんそれを口に出したりはしない。公爵家に楯突くような真似はできないのだ。


 そう言えば、俺は公爵子息というと同級生より先に思い出す顔がある。あいつも別の意味でむかつくやつだったが、幸いなことにもうずいぶん会っていない。

 まあ、これは今はどうでもいい話だ。


「覚えてるが、急に何だ?」


「実は、今日ここに来てるんだ」


「へえ、社交界に顔を出せるなんてさすがだな。だが、おまえの家が招待状を出さなければいくら彼女だって来られないだろ」


「どうも、うちの両親はまだ婚約者のいない年頃の女性がいる家に招待状を送りまくったようだ」


「ああ、おまえはまだ婚約者も決まっていなかったな」


「そのとおりだが、いくらなんでもルイーズ・アボットはないだろ」


「そうだな。同情するよ」


 俺はニヤニヤしながらそう言ったが、ふいに視線を感じて振り向いた。そこに、件の男爵令嬢がいた。彼女は潤んだ瞳で俺たちを睨みつけると、広間の外へと走り去っていった。


 それを見送ってから、侯爵子息は嘆息した。


「確かに顔は可愛いよな。遊びたくなるのもわからなくはない」


「俺にはまったくわからない」


「はいはい。おまえはそうだったな」


 彼と分かれてから再びシンシアのところに行くと、あの後すぐアルバートが彼女に姉上のことを訊きに来て、シンシアは俺が頼んだとおりに答えてくれたそうだ。

 俺はシンシアに礼を言うと、安堵しながらエマと一緒に姉上のもとに戻った。そういえばルイーズも庭の方へ行ったなと、頭の隅でチラリと考えた。




 その後も、俺はアルバートの動きに目を光らせ、そうこうするうちに半年ほどがたった。


 ある日、職場である宮廷で俺は見たくなかった顔を見てしまった。むかつく公爵子息ことセドリック・コーウェンだ。6年振りだろうか。


 セディはいわゆる幼馴染だが、とにかく姉上が大好きで、一緒に過ごす時には姉上から離れようとしなかった。

 俺は姉上の目を盗んでは、セディを水溜りの中で転ばせたり、無理矢理木に登らせて降りられなくさせたり、服の中に毛虫を入れたりしてやった。

 セディはそのたびに姉上に助けを求め、しがみついて泣いたが、「ヘンリーにやられた」と言いつけることはしなかった。そこがまた、むかつくところだ。姉上に気づかれれば、俺は厳しく叱られた。

 そんなセディも外交官であるコーウェン公爵とともに外国に去り、俺は清々したものだった。しかし、とうとう帰国してしまったのだ。


 少し迷ったが、俺はセディに声をかけることにした。敵の現状を把握しておかねば。

 近づくと、セディは俺よりわずかに背が高くなっていた。やっぱりむかつく。


「セディ、久しぶりだな。帰ってたのか」


 セディは俺の顔を見てキョトンとした。何だか、昔とあまり変わっていない気がする。楽勝だな。

 セディは俺が誰だかわからないようだった。姉上のことも覚えていないかもしれないと、俺は思わずほくそ笑んだ。が、その途端、セディの目が大きくなった。


「ヘンリー」


 俺は舌打ちを堪えた。


「おまえが俺のことを覚えていてくれたとは光栄だな」


「ヘンリーを忘れるわけないよ」


 大好きなクレア姉様の弟だもんな、と俺は心の中で呟いた。そう、図々しくもセディは俺の姉上を「姉様」と呼んでいたのだ。


「クレア姉様は元気?」


 まだその呼び方なのかよと思いつつ、俺は答えた。


「ああ、まあな」


 セディはホッとしたようだった。


 もちろん俺はセディと再会したことを、まだやつの帰国を知らない姉上には黙っておいた。


 それからも俺はしばしばセディと出会した。俺の顔を見ればセディは寄ってきて、姉上のことを聞いてくる。昔は俺とふたりきりになるのを避けていたくせに。

 俺は毎回適当に返していたが、正直、面倒なことこの上なかった。


 俺はふと思いついて、普段は口にするのも嫌で堪らない男の存在を利用してみることにした。


「実は、姉上はもうすぐ結婚するんだ」


 その効果はてきめんだった。


「そう、なんだ」


 セディはもともと冴えない表情をさらに萎ませると、すっかり肩を落として去っていった。

 俺はそれを見送りながら、姉上とアルバートが実際に結婚するなんて絶対にありえないがと、内心で笑った。

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