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砂糖菓子は苦い(アルバート)②

 婚約破棄を覆せなかった俺を、父は廃嫡した。子爵家が伯爵家に対して不義理をしたのだから、世間が我が家に向ける目は冷たかった。


 その直後、ルイーズが妊娠していることが判明して、俺はアボット男爵家に婿養子に入ることになった。

 文字通り自分の撒いた種として、俺は受け入れるしかないと諦めた。

 だが、ルイーズのほうは違った。


「私なら王族にだって公爵家にだって嫁げると言ったじゃない。どうしてアルバートなんかと結婚して、うちを継がなきゃならないのよ」


 泣き喚くルイーズは、可愛いどころか醜悪だった。

 ルイーズの両親はやはり彼女を相当甘やかしてきたのだろう。こんな形で報いを受けたわけだ。


「当たり前だろう。おまえは我が家のひとり娘なんだ。それがこんな男に騙されて、子供まで作って」


 伯爵家を勘当されたも同然の男に対してとはいえ、親娘揃って失礼な物言いだった。報いを受けているのは俺のほうか。


「この子がアルバートなんかの子のはずがないじゃない。この子は将来、公爵になるのよ」


 時間的に、お腹の子が以前ルイーズが話していた公爵子息の子だとは思えなかった。だが、俺の子ではない可能性は、彼女の妊娠がわかった時から考えていた。

 俺はルイーズに対して本気ではなかったし、彼女だってそうだろう。だから、それは仕方ない。俺の子の可能性もあるのだから責任を取る。俺には他に居場所もなかった。


 当然のごとく、俺とルイーズは夫婦としてなかなか噛み合わなかった。

 悪阻の苦しさもあって女王ででもあるかのように振る舞うルイーズに、俺は優しく接しようとしたが、それまでのように短い逢瀬の時だけでなく、家にいる間は常に彼女がいる状況に次第に面倒になっていった。


 もしもこれがクレアならと、俺はつい考えてしまった。彼女なら、俺を煩わせるようなことはしなかったはずだ。

 クレアはどうしているのだろうか。あの歳ではもはやまともな結婚など望めないことに気づき、今頃は後悔しているかもしれない。そう思うと俺は慰められた。


 だがしばらくして、信じがたい話が聞こえてきた。

 クレアが再び婚約したというのだ。しかも相手は国でも指折りの名家コーウェン公爵家の嫡男だった。

 新しい婚約者が幼馴染らしいと知って、俺は納得した。ずっと俺のことを放っておいて突然あんなことをしたのは、やはり思惑があってのこと。影で歳下の次期公爵を誑かしていたのだ。もしかしたら、体を使ったのかもしれない。

 俺をあんな目で見ていたが、裏切ったのはクレアのほうではないか。俺は心に痛みを感じた。




 ルイーズの悪阻が治まった頃、さすがに娘夫婦の仲を気にしたらしい義父がオペラの席を取ってくれたが、俺はあまり気が進まなかった。そもそも、それほど裕福ともいえない男爵が娘のためには平気で金を使うことに溜息を吐きたくなった。

 それでも、オペラの演目が話題のものらしく、ルイーズが行きたがったので俺も一緒に行くことになった。


 劇場に入ったところでふと階段のほうへ目を向けると、そこを上がっていく2組の男女の姿があった。ちょうどそのうちのひとりの女性が、彼女をエスコートしている男性に顔を向けたので、その横顔が見えた。クレアだった。

 クレアはおそらく婚約者であろう男に何か話しかけていた。俺には見せたことのなかったような笑みを浮かべて。

 息苦しさを感じながら、俺は呆然とクレアを見送った。


 俺は恋愛劇に集中できず、まったく面白いと思えなかった。隣のルイーズもあまり楽しそうには見えなかった。

 休憩時間になり、飲み物を貰おうと俺はひとりでロビーに向かった。

 そこに再びクレアがいた。彼女は、男爵が精一杯無理して用意したルイーズのドレスより何十倍も高価そうなドレスを纏っていた。それがよく似合っていることに腹が立つ。


「クレア」


 俺が呼ぶと、クレアは一拍置いて振り返った。以前と同じような微笑を口元に浮かべている。


「どうも、お久しぶりでございます、ウィリス子爵子息」


 クレアはひどく他人行儀にそう言った。


「それは嫌味か? 自分は上手いことやったようだしな。だいたい、おかしいだろ。こんなにすぐに次の婚約が決まって、しかも公爵家だなんて。俺との婚約中から何か裏でやっていたんじゃないのか? おまえ、そういうの得意そうだしな」


 俺がずっと抱えていた苛立ちをぶつけても、クレアは平然としていた。


「申し訳ありませんが、連れを待たせておりますので失礼いたします」


 俺の頭にさらに血が上った。


「逃げるのか? すっかりお高くとまってるみたいだが、おまえなんかが公爵家に嫁げるわけないだろ」


 俺がそう口にしていると、クレアの後ろに立派な身なりの男性が近づくのが見えた。階段で見かけた時にもクレアのそばにいた人だった。俺は咄嗟に、今の社交界でクレアに向けられている枕詞を付け足した。


「傷物のくせに」


「うちの息子の嫁にそのようなことを言って、ただで済むと思っているのか?」


 コーウェン公爵は地を這うような声で俺にそう言った。初めて公爵がいたことに気づいたクレアが、驚いて振り返った。


「この女はご子息の妻になれるような者ではありません。こう見えてふしだらな……」


 俺はクレアを道連れにするつもりで言い募ったが、途中で公爵の言葉が被せられた。


「まだ言うのか? 君の家は男爵だったな。君が継ぐまで保てばいいがな」


 それは脅しだった。コーウェン公爵家の手にかかれば、アボット男爵家など簡単に潰される。

 なぜ公爵が息子を誑かした女を信じるのだ。クレアは公爵まで誑かしたのだろうか。わけのわからぬまま、俺はその場から逃げ出した。


 席に戻ってオペラの続きを観たが、やはり内容はちっとも俺の頭に入ってこなかった。ルイーズはやけに不機嫌になっていた。




 事件が起きたのは、それから一月とたたぬうちだった。正確には、ルイーズが事件を起こした。

 宮殿で行われた王妃様主催の茶会に出席したルイーズが、クレアの婚約者を傷つけたのだ。

 ルイーズはその場で衛兵に取り押さえられ、牢に入れられた。


 どうやらルイーズは、自分がなることのできなかった次期公爵夫人に、俺の元婚約者がなろうとしていることに我慢できなかったらしい。そのうえ、茶会の席で人目を憚らずにクレアが婚約者と仲睦まじくしていたために、カッとなったのだという。

 凶器のナイフは茶会の会場で果物を剥くために用意されていたものだったそうなので、計画的な行動ではない。

 幸い、公爵子息の傷もそれほど重いものではなかった。それどころか軟弱そうな子息が体を張って婚約者を護ったと評判になり、それに伴ってクレアの評価も上がっているようだ。


 しかし、男爵家の娘が次期公爵、しかも国王陛下の甥を害したとなれば、罪は免れない。

 ルイーズは辺境にある修道院に送られ、アボット男爵家は爵位を返上、ルイーズの両親と俺は平民として暮らしていくことになった。劇場でコーウェン公爵に言われたことが現実のものになってしまったのだ。

 俺とルイーズの離縁も決まったが、実家が俺に手を差し伸べるつもりはもちろんないようだった。


 ルイーズが修道院に送られる前に、俺は彼女との面会を許された。


「そんなに公爵夫人になりたかったのか?」


「違うわ。幸せそうなあの人が妬ましかったの。あなたはあの人と結婚したかったのでしょう」


 ルイーズの言葉は俺を戸惑わせた。


「クレアは親の決めた婚約者だった。それだけだ」


「嘘よ。あなたはあの人に未練があるじゃない。あなたが私だけを見てくれるなら、男爵夫人でもよかったのに」


 確かに俺はクレアとルイーズを比べて、クレアならと思ったりもしていた。それは未練なのだろうか。

 ただ、どこかで俺はクレアにほろ苦かったドナを重ねていたかもしれない。


 それにしても、ルイーズがクレアに嫉妬していたというのは意外だった。


「何でそう思ったんだ?」


「私に優しくしてくれるのはアルバートだけだから」


 ルイーズは初めて会った時のように潤んだ瞳で俺を見上げてきた。やはり彼女のそんな顔は可愛いらしかった。

 もちろん、見た目は砂糖菓子でも、ルイーズは甘いだけではないが。


「おまえが犯した罪は、多分、俺の罪でもあるんだろう。そのつもりで、これからやっていく。おまえもしっかり罪を償えよ」


 ルイーズは静かに頷いた。




 ルイーズの両親はひっそり暮らしたいと田舎に移っていったが、俺は都に留まり、どうにか職を得てひとりでの生活をはじめた。


 クレアは公爵子息と結婚し、翌年には子供を産んだと風の噂に聞いた。おそらくは次期公爵夫人になってもしっかりやって、家族で幸せに暮らしているのだろう。

 クレアと結婚するのは俺だったはずなのに、どうしてこんなに俺と彼女の立つ場所は離れてしまったのか。彼女を思い出すと、今でも少しほろ苦い気持ちになる。


 ルイーズも修道院で無事に出産した。

 男児だったため、3歳になると修道院を出されることになり、俺が引き取った。ルイーズがダレンと名づけた息子は、俺によく似ている。


 驚くことに、ルイーズは修道女として慎ましやかに神に仕える生活を送っているようだ。あと数年たてば、還俗を許されるかもしれない。

 その時には、ダレンと一緒に迎えに行くつもりだ。

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