2 再会からの求婚
さらに半月程がたち、今度は王宮で夜会が開かれた。しばらくは社交界から離れていたかった私も、父のエスコートを受け、弟夫婦とともに参加した。
会場の広間に入ると、どこからともなく不躾な視線を感じた。「婚約者に捨てられた」、「嫁き遅れ」、「傷物」などという心無い言葉も聞こえてくる。
とはいえ、そのくらいは私も覚悟していたこと。父が知人に挨拶するために離れていくと、私は今回は最初から壁の花となるべく、広間の隅のほうに落ち着いた。
しばらくすると、すぐそばに数人の若い令嬢たちがやって来て、お喋りをはじめた。彼女たちの話題は専ら殿方たちのことだった。
「新しい秘書官さまの話はお聞きになりましたか?」
「ええ、優秀なうえにとても素敵な方だとか」
「だけど、噂ばかりであまり表に出ていらっしゃらないみたいね」
「今日はいらっしゃるのかしら?」
「是非お会いしたいわ」
どうやら、セドリック様の噂が広まっているようだ。まだ婚約者がいないせいもあるのだろう。セドリック様が幸せになれるお相手を見つけられるよう、私は祈るばかりだ。
「あ、あちらの方ではない?」
令嬢のひとりの声につられて、私も会場の入り口のほうへと目を向けた。
ちょうどカトリーナ様が姿を見せたところだった。隣にいらっしゃるのは、おそらく夫であるコーウェン公爵だろう。私がお顔を拝見するのは初めてだ。
おふたりのすぐ後ろを若い貴公子がやや俯きがちに歩いていた。セドリック様に違いない。
そういえば、小さい頃のセドリック様は引っ込み思案で人見知りだった。初対面の人がいる場では、しょっちゅう私の背中に隠れていたのも懐かしい思い出だ。
あの様子では、今もそういうところがあるのかもしれない。たくさんの令嬢たちに狙われている身で大丈夫だろうか。
やがて、国王陛下をはじめ王家の方々が入場されて、陛下のお言葉で夜会が始まった。さっそくダンスのための音楽が流れる。
そばにいた若い令嬢たちも、男性からの誘いを受けてダンスの輪に加わっていった。弟夫婦が踊る姿も見える。私は予定どおり、壁際で会場の様子を眺めていた。
一曲目が終わる頃、何やら会場の一角が騒めいているのに気づいて視線を向けると、そこに何人もの令嬢が集まっていた。
よく見れば、その中心にいるのはセドリック様だ。その顔は困惑を通り越して、怯えているようにも見えた。
私は咄嗟に一歩踏み出しかけて、止まった。もう6年前とは違うのだ。
先程より近くで見るセドリック様はすっかり背が伸びていて、もはや私の後ろに隠してあげることはできそうにない。そもそも、セドリック様が私を覚えているかもわからない。
そう考えて私は静観することにしたのに、ふいとセドリック様がこちらを見た。私に気がつくと目を見開き、それからすぐにホッとしたような顔になった。
セドリック様は天使だった昔の面影が残っているけれど、そこに大人の男性らしさも加わって、令嬢たちの目を惹くのも当然のお顔立ちだった。
セドリック様は私から視線を離さぬまま、令嬢たちを掻き分けるようにして、私のそばまで近寄ってきた。
「見つけた。良かった」
そう口にした声は、私が知っているものとは変わっていた。わずかに口元を緩めたセドリック様を、私は不思議な気持ちで見上げた。昔は私のほうが見下ろしていたのに。
でも、どうやらセドリック様も私のことをちゃんと覚えていてくれたようだ。
「お久しぶりでございます、コーウェン公爵子息」
私が淑女として礼をすると、セドリック様は何だか不満そうな表情になった。セドリック様の後ろにいる令嬢たちも、私に不満な顔を向けているけど。
「あ、の、ええと」
セドリック様は何かを思い出そうとするように視線を彷徨わせてから、再び私を見つめ、右手を差し出した。その手のひらもずいぶん大きくなっている。
「クレア嬢、私と踊っていただけますか?」
少しオドオドしているし表情も固くて、噂の貴公子としてはちょっと残念な感じではあるが、昔のセドリック様を知っている私は彼の成長を目の当たりにして、自然と顔が綻んだ。
セドリック様を背中に隠せなくなった代わりに、こういう形で助けを求められたのだと私は理解した。令嬢たちの視線が全身に刺さって痛いが、仕方ない。
「はい」
私がセドリック様の手に自分の手を重ねると、セドリック様はすぐにそれをしっかり握り、2曲目のダンスが始まっている会場の中心へと足を進めた。
セドリック様と私は向かい合い、軽く礼をすると、音楽に合わせて動き出した。セドリック様の腕が私の腰に回され、体が密着する。子どもの頃とは異なるその感触に、私はドキリとした。
セドリック様のステップはどこかぎこちなかった。その姿に、むしろ私の気持ちは落ち着いてきた。
「緊張していらっしゃるの?」
私がセドリック様だけに聞こえるくらいの声で尋ねた。
「少し」
「夜会は初めてですか?」
「学校の卒業パーティーは行ったけど、ダンスはしなかった」
「そういえば名門校を卒業して、今は秘書官になられたそうですね。すっかり立派になられて、幼馴染として誇らしいですわ」
「全然、立派なんかじゃないけど、幼馴染だって言うなら、昔みたいに話して名前を呼んでよ」
「私たちはもう子どもではありませんから、昔のままというわけにはいきません」
「僕は昔のままだよ」
セドリック様が哀しそうな顔をしたところで、音楽が終わった。
「さあ、今度は逃げずに、ご自身に相応しいお相手をダンスにお誘いください」
私はセドリック様にそう促した。今も会場のあちこちからセドリック様に視線が向けられているのだ。
しかし、セドリック様は私の手を放さずに歩き出した。そのままバルコニーに出ていく。
「セドリック様」
私は譲歩のつもりでその名を口にしたが、振り向いたセドリック様はさらにむくれていた。
「そんな呼び方じゃなかった」
私は溜息を吐きそうになって、慌てて呑み込んだ。子どもの頃のほうが素直に私の言うことを聞いてくれていた気がする。
「セドリック様、あなたは次期公爵であり、すでに陛下にお仕えできる歳の紳士のはずです。ご自身のお立場に相応しい振る舞いをしてください」
少し厳しい口調になってしまった。
「わかった」
セドリック様がそう言ったので、私は安堵して、会場に戻ろうと踵を返す。だけどまだセドリック様に手を取られたままだった。会場のほうからこちらを見ている人に、勘違いされてしまう。
「そろそろ手を放してください。中に戻りましょう」
ところが、セドリック様を振り向いた私は、6年ぶりに彼を見下ろすことになった。セドリック様がその場に跪いたのだ。
「セドリック様?」
私は戸惑った。だって、この形って。
「クレア嬢、私と結婚してください」
私は呆気に取られ、目を見開いてセドリック様を見つめた。私の指に口づけてから顔を上げたセドリック様は、ひどく真剣な表情をしていた。
「な、何を考えているの? 昔みたいに名前を呼んでほしいから求婚するなんて」
「違うよ。結婚したいから、昔みたいに呼んでほしいんだ」
セドリック様にそう言われても、すっかり動揺している私には違いがよくわからない。
「冷静になってちょうだい。私たちが結婚なんて無理に決まってるでしょう」
「無理じゃない」
「無理よ」
私はきっぱり言うと、セドリック様の手を振り払ってその場を逃げ出した。会場で父を見つけ、体調が良くないので先に帰ると告げる。
ひとり家の馬車に揺られながら、私の気持ちも揺れているようだった。
6年ぶりに再会した場でいきなり求婚なんて、いくらなんでもありえない。そう思うのに、セドリック様のまっすぐな声と眼差しが頭から離れてくれなかった。
そういえば、私には「昔みたいに呼んでほしい」と言いながら、セドリック様は私のことを一度も「クレア姉様」とは呼んでくれなかった。