砂糖菓子は苦い(アルバート)①
身勝手男の視点になります。ご注意ください。
17歳の時、両親が俺のために用意した婚約者に初めて会った。クレア・バートン伯爵令嬢は美人の部類には入るのだろうが、まったく俺好みの女ではなかった。
子爵家の嫡男である俺のことを婚約者として立てようとする態度と、常に微笑みを浮かべる表情は、貴族令嬢としてはあまりにも真っ当だった。
だが、その目は気の強さを隠しきれていない。そもそも、母を亡くしてから女主人としてしっかり実家を切り盛りしていると聞くだけで、俺には堅苦しかった。
俺の母も、彼女に対してあまり良い印象を持たないようだった。
「何だか生意気な感じね。我が家のことを馬鹿にしているみたい」
「せっかく捕まえた伯爵家の娘なんだ。これをきっかけに上位貴族との繋がりもできるはず。多少は我慢しろ」
それが父の本音だった。息子のためではなく、自分のため。それがわかるからこそ、クレアに馬鹿にされるのではないだろうかと俺は思った。
婚約を結んだからには、公の場ではクレアをエスコートしなければならなくなった。だが、クレアと一緒にいると気を使わねばならず疲れてしまう。
夜会でクレアとファーストダンスを踊ってから、俺は彼女に言った。
「向こうに知り合いがいたから、少し話してきてもいいか?」
「はい。それなら、私も友人のところに行きますわ」
俺は知人と少し話しながら、クレアが広間の反対側で友人といるのを確認した。知人と別れると、同じ広間にいた別の知人に合図を送り、ひとりで休憩用の客室に向かう。
しばらくすると、その知人が部屋に入ってきた。
「あなた、あの令嬢と婚約したのでしょう。まだこんなこと続けていていいの?」
彼女が艶やかに笑いながら言った。言葉とは裏腹に、俺の首に腕を回してくる。
「婚約したから我慢するなんて、馬鹿らしい」
「あの娘、堅そうだものね」
「俺は柔らかいのが好きなんだ」
そう言って、俺は彼女の柔らかいところに口づけた。
歳上の彼女はとある子爵の未亡人だった。ふわふわした見た目で舐めれば甘い。こんな砂糖菓子みたいな女性が俺の好みだ。
彼女と俺はこうして時おり密会するが、それ以上はどちらも望んでいない。割り切った考え方をできる相手でなければ、こんなことは続けられるはずはない。
俺が今まで関係を持った女性は皆、似たような感じだった。とはいえ、女性と一緒にいる時には、俺は相手に対してできる限り優しくすることにしている。
「例え一夜の相手であっても、この場では私を愛しているように振舞ってください」
それが、俺の最初の女になってくれたメイドのドナの言葉だった。ドナの結婚が決まってメイドを辞めると知り、俺が必死に頼み込んだのだ。
ドナとは一度きりだったが、俺が本当に心から好きだと思って抱いたのは彼女だけだった気がする。
ただ、小さい頃から俺のそばにいたドナは、決して砂糖菓子ではなく、どちらかと言えばほろ苦かった。
クレアとは婚約しただけで数年がたった。クレアが家の事情を理由にしてなかなか結婚しようとしないことに母は腹を立てていたが、俺としては構わなかった。
婚約者として彼女を扱い、最低限の責務を果たした後は、俺は相変わらず砂糖菓子たちと戯れた。
俺が裏でやっていることなどクレアはとっくに気がついていてもおかしくないが、彼女は何も言わない。だから俺は、遠慮なく自由に遊んだ。
クレアはすでに女性の結婚適齢期を半ば以上過ぎており、今さら俺と結婚しないとは言えるはずがなかった。
だが近頃、クレアの弟のヘンリーが、顔を合わすたびに何か言いたげな表情をしていた。あいつなら、姉の婚約破棄を目論むかもしれない。
どうせなら、ヘンリーが何かするより先に、クレアを味見しておこうかと俺は考えはじめた。そうすれば、お堅いクレアは俺から逃げられなくなるに違いない。
クレアを食べても甘くはなさそうだが、気の強い女を泣かせるのも一興だ。
ある夜会において、俺はそれを実行しようとクレアを探した。
いつものように俺とのダンスが済むと、友人と過ごしているはずだったが、見当たらない。その友人に聞いてみると、ひとりで庭園に出て行ったらしい。お誂え向きじゃないかと、俺は後を追った。
しかし、クレアの姿はやはり見つからなかった。俺は諦めて広間に戻ろうと踵を返した。
そこで、こちらへと歩いてくるひとりの令嬢の姿が目に入った。ふわふわしていかにも甘そうな見た目。顔にはまだ幼さも残るが、子供というわけではない。
今夜はあれにしようと、俺は彼女に声をかけた。
「こんなところで何をしているんだ? ひとりでは危ないぞ」
ドナの教えのとおり、彼女に一目惚れでもしたような空気を出す。
「私、男爵家の娘だからと皆に冷たくされて、広間には居づらくて」
そう言って、彼女は潤んだ瞳で上目遣いに俺のことを見つめてきた。もしかしたら計算なのかもしれないが、そのくらいのほうが後腐れない付き合いができていいだろうと考えた。
俺は優しく微笑んでみせた。
「君があんまり可愛らしいから、嫉妬されたんだな。一緒にこっちにおいで。俺と楽しいことをしよう」
彼女は大人しく俺についてきた。客室でふたりきりになっても、俺に口づけされても、抵抗することはなかった。
どうやら、彼女もこれが初めてではないようだ。俺としては、ますます都合が良かった。
彼女、ルイーズ・アボットとの関係はそれからも続いた。今までは歳上の女性が多かったので、子供っぽい彼女は新鮮だった。
だが、ルイーズがどこか世間からずれていることに俺は段々と気づいていった。
彼女は男爵令嬢にしては気位が高く、他人が自分に構うことは当然と考えている節があった。ひとりきりの跡取り娘だというから、蝶よ花よと育てられたのだろう。
さらにルイーズは、少し前に学園を退学になっていた。彼女自身の話によると、ある公爵子息と恋仲になったものの、その婚約者の令嬢から嫌がらせを受けて学園から追い出されたらしい。
正直、どこまで本当なのかわからないが、公爵家同士の婚約を壊そうとしたなら、彼女が社交界で浮いた存在なのも納得できた。
おそらく、ルイーズは寂しかったのだろう。俺がちやほやしてやると、どんどん懐いてきた。
そうして半年程が経過した。クレアの弟妹が相次いで結婚し、クレアも俺との結婚に踏み出しそうな様子だった。いよいよ、あの女を組み敷き自分の思いのままにできるのだと思うと、密かに楽しみだった。
俺はルイーズとの関係を終らせることを考えはじめた。他の女性たちはともかく、クレアとの結婚後も彼女との逢瀬を続けることは、危ういような気がしていた。
ところが、俺と俺の父の思い描いていた未来は呆気なく崩れた。
いつものように、夜会の行われている屋敷の客間でルイーズと楽しんでいると、突然、その部屋の扉が開いた。そこから蔑むように俺を見つめたのは、クレアだった。
翌日には、バートン伯爵家から婚約破棄が突きつけられた。さらに、多額の慰謝料の要求も。
父は怒り狂った。俺のしていることを知っていたくせに。母のほうは、「あの生意気な娘にいいようにされて」と言って嘆いていた。
俺も納得できてはいなかった。クレアは何年も見て見ぬ振りをしていたくせに、なぜ今さら見たのだ。まるで時を伺っていたかのようではないか。
父の命令で俺は婚約破棄を撤回してもらうべく、バートン家に頭を下げに赴いたが、門前払いを受けた。応対したのは執事で、クレアの顔を見ることもできなかった。
今まで婚約者として俺に従順な振りをしていたのに、手のひらを返された気分だった。