なぜか留学生の世話係(カイル)③
「あの傷は、女にやられたんだな」
忌々しげなイアンの言葉に、ティムが首を傾げた。
「女があんなことできますか?」
「いざとなれば、女のほうが怖いものだ」
「セディの顔に惚れて一方的に想いを寄せた女が、振られた腹いせに、でしょうか」
納得できる気もするが、それにしてもやはり傷が多すぎると私は思う。
長期休暇に入り、私は実家に帰った。それでも、イアンとティムはたいてい揃って私のところにやって来る。
セディも迎えが来たら別の国に滞在中の両親のもとに行くのだと言っていた。まだ旅の途上だろう。
「何にせよ、あれではこの先も苦労するな。公爵も心配だろう」
「ひとり息子ですからね」
セディがパーティの時に着ていたあの衣装は、息子が袖を通すことはないかもしれないと思いながらも両親が用意したものだとすると、切ない。
いや、セディもそんな両親の気持ちをわかっていたからこそ、私の誘いに頷いたのか。
これまでセディと異性に関する話をしたことはなかった。セディに婚約者がいるのかさえ、私は知らない。
あの様子では、セディに無理に女性を宛てがうなどできないだろう。それは貴族の嫡男には致命的なことだ。しかも、セディは公爵のひとり息子なのだ。
冷静に考えれば、こんなことはただの同居人が悩む類のことではないのだが、私はどうにもセディを放っておく気になれなかった。
新学期になり、私たちはセンティア校に戻った。寮の部屋は引き続き、セディとの2人部屋だ。
1年前とは逆に、私が部屋に入るとすでにセディがいた。
「父上と母上が、カイルたちにお礼をお伝えしてくれって言ってたよ。僕が見違えるようになったって、喜んでた」
セディはクラスの中ではまだ小さいほうだし、それ以上に幼く見えるが、息子に1年振りに会った両親からすれば、そうなのだろう。
「それからトニーも、感謝します、だって」
「……そうか」
トニーに対しては言いたいことがなくもないが、それは飲み込んだ。
やがて、イアンとティムがやって来て、私とセディの荷物を片付けはじめた。
セディも、もはやそのことについては何も気にしないようだ。さすが、王家の血を引く公爵子息。
そう言えば、イアンも公爵子息だったな。嫡男ではないが。
私はセディと並んで彼のベッドに腰を下ろした。しばらくは休暇中の出来事などを互いに語っていたが、そのうちに私は話題を変えることにした。休暇中、気になっていた方向へ。
「セディには婚約者はいるのか?」
私の問いに、セディは不思議そうな顔をした。これまで、そういう話をしたことがなかったのだから当然だろう。
「急にどうしたの?」
私は少し考えて、適当な答えを探した。
「いや、俺は休み中に久しぶりに婚約者に会ったから、おまえはどうなのかと思って。母国にいるなら、もうずっと会ってないだろうな、とか」
「カイルは婚約者いるんだ。そうか、そうだよね。この前のパーティには来てなかったの?」
「ああ、3つ歳下だから、まだマリーヌには入学してないんだ」
「へえ、どんな人?」
「顔はそれなりに可愛いが、少し生意気だな」
「おい、もう少し褒めろ」
イアンが振り向いて睨むので、私は苦笑した。
「兄のように口が悪くないし、俺にあんな目を向けたりもしない」
「それは褒めてない。俺を貶してるだけだ」
イアンがますます顔を顰めた。
「もしかして、イアンの妹なの?」
セディの言葉に、私は笑った。
「正解。リリーという名だ。まあ、何事も一生懸命やる健気な令嬢だな」
「最初からそう言え」
「じゃあ、宰相閣下のご令嬢ってことだね。イアンとティムはいるの?」
「イアンは一つ下の侯爵令嬢。ティムはまだいない」
「ふうん」
「で、おまえは?」
「僕もいないよ」
「それなら、好きな人は?」
「好きな人……?」
すぐに「いない」と答えるかと思ったが、セディは私の顔から視線を逸らすと黙り込んだ。何かを考えているようだ。いや、この場合、頭に浮かべるとしたら想い人の姿だろう。私は目を見開いた。
「いるんだな? どこの誰だ?」
イアンとティムも手を止めて、こちらを振り向いた。
セディは困ったような表情で、ポツリと口にした。
「クレア姉様」
「クレア、姉様?」
セディがコクリと頷いた。
「小さい頃からずっと僕を可愛がってくれたんだ。もう4年近く会ってないけど」
「ということは、故郷にいるのか。貴族の令嬢か?」
「うん。伯爵家」
「しかし、歳上ってことは……」
イアンが何を言おうとしているのか察して、私は急いでその言葉を遮った。
「4年も離れてるのに一途に想い続けるとは、セディらしいな」
「でも、クレア姉様は僕のことなんてもう忘れてるかも」
「おまえが忘れてないんだから、クレア姉様だって覚えてるだろ」
「そうかな?」
「そうに決まってるさ」
こんな顔の幼馴染を忘れることなんて、多分できないはずだ。
その後、セディのいないところで、改めてイアンは私に言った。
「歳上の貴族令嬢なら、セディが帰国する頃には結婚してるだろう。それなのに煽るようなことをしたら、後でセディが傷つくんじゃないか?」
「だが、セディが他の女性に気持ちを向けるなど、今は無理に決まってる。とりあえず、クレア姉様をきっかけにして、女性に対する意識が少しでも変わればいいんだ」
公爵家の嫡男に伯爵令嬢が嫁ぐというのはあまりないだろうが、公爵の理解さえあればどうとでもなるはずだ。そして、私の勘ではセディの父親は息子にかなり理解がある。
歳上の幼馴染なんて、あのセディには良い相手に違いない。その令嬢が、今頃は別の男の婚約者、あるいは妻になってしまっていると思うと、本当に惜しいことだった。
「まったく、国を離れる前に父親に強請って、婚約しておけば良かったのに」
「いや、その時セディはまだ11歳だぞ。自分の気持ちが何なのか、気づいてなかったんじゃないか」
「そうだな」
私は深く嘆息した。
2年に進級してからも、私はせっせとセディを課外授業などに引っ張り回した。
一方で、相変わらず朝はセディの寝起きの悪さに振り回された。
その中で、私は少しずつセディから「クレア姉様」のことを聞き出していった。
母親同士が親しかったため、物心つく前からの仲であること。4つ歳上なこと。会える日が待ち遠しかったこと。会えた時にはできるだけそばにいたこと。クレア姉様が優しく頭を撫でてくれたこと。時には叱られたこと。クレア姉様の弟には意地悪をされたこと。クレア姉様と離れるのがとても辛かったこと。
「クレア姉様」の名を口にする時には、普段はあまり変化しないセディの表情がわずかに綻んだ。
しかし、セディが自分からクレア姉様の話をはじめることはないので、口を開かせるために、私もリリーの話をすることになった。
さらに、イアンの婚約者の話をしたり、ティムに女性の好みについて語らせたり、他のクラスメートにも話をさせたりした。
なぜか皆、相手がセディだと口が滑らかになる。セディも、女性について話を聞くだけなら拒絶反応を見せなかった。
そうしているうちに、「クレア姉様」の存在はすっかり教室で認知された。セディにそういう相手がいることを、皆が微笑ましく思っているような雰囲気を私は感じていた。
だが、「クレア姉様に手紙を書いて、近況を聞け」などとセディに勧める者はいなかった。おそらく私と同じように、失恋して落ち込むセディの姿など、誰も見たくはなかったのだ。