なぜか留学生の世話係(カイル)②
ある晩、私は悲鳴のような声で起こされた。声の主は当然、セドリックだった。
自分のベッドから出てセドリックのベッドに近づくと、彼は目を閉じたまま、顔を歪めて口を動かしていた。
セドリックの口から漏れていたのは彼の母語だったが、私にも意味は取れた。「助けて」、それに「もうやめて」だ。
「セドリック」
私は普段より力を込めてセドリックの体を揺すった。セドリックもすぐに目を開けた。
「カイル?」
「嫌な夢でも見たのか?」
「……うん、大丈夫。起こしちゃってごめん」
セドリックの声は震え、瞳も揺れていた。
「いや、気にするな」
私はベッドに戻った。しばらくはセドリックの様子を伺っていたが、そのうち寝息が聞こえてきたので、私も再び眠りについた。
セドリックが悪夢を見たのは1度だけではなかった。
3度目に起こされた翌日、私がイアンとティムにそのことを話すと、顔を顰めたイアンが言った。
「当然、あの傷が関わってるな。朝起きられない、いや、夜眠れないのもそのせいだろう」
「それなら、強制的にでも眠れるようにしてやればよろしいのでは?」
ティムの言葉に、私は眉を寄せた。
「薬でも使うのか?」
「いいえ、体を動かせばいいんですよ。セドリックなら、それでぐっすりだと思います」
実に騎士団長の息子らしい意見だ。
「なるほど、単純だが効果はありそうだ。動けば腹が減って食事量も増えるだろうし、食べれば体も大きくなるな」
センティア校では正規の授業以外にも、課外授業として様々な活動が行われている。科学実験や歴史研究、音楽や美術などもあるが、人気なのは剣術や馬術などの運動系らしい。
それらは基本的に参加自由なので、私たちはさっそくその日の放課後、剣術の課外授業にセドリックを引きずっていった。
セドリックも貴族の息子なので、剣術の基本くらいは学んだことがあるらしかった。はじめは戸惑っていたものの、私に言われるまま剣を握り、講師の指示のとおりに体を動かしてそれを振った。
セドリックの顔が上気して、汗が流れ出した。良い傾向だ。
セドリックはやはり体力がないらしく、途中で息切れしていたが、それでも最後までやめようとはしなかった。意外と根性はあるようだ。
その夜、セドリックは夕食をいつもよりたくさん食べていた。その後で部屋に戻ると、ベッドに倒れこんでそのまま眠ってしまった。
「待て、セドリック。制服のまま寝るな」
慌ててセドリックの体を揺すっても遅かった。私はイアンとティムを呼んで着替えさせた。
翌朝、私が大きな声で呼ぶと、セドリックはベッドの中でムクリと身を起こした。初めてのことに、私は内心、ニンマリとした。
「さっきのが、起床の鐘なの?」
ベッドから下りながら、セドリックは眠そうな声で言った。顔を見れば、目もまだ半開きだった。
「そうだ。聞こえてたなら、ちゃんと起きろよ」
「うん」
部屋にやって来たイアンとティムもすでにセドリックが目を覚ましているのを見て驚いていた。
だが、セドリックの着替えはやはりふたりが手伝った。まだボウっとしているセドリック自身にやらせていたら、朝食の時間に間に合わなそうだったのだ。
それ以降も、私はセドリックとともに剣術の課外授業に参加したが、体を動かすことが苦手なイアンは逃げ、逆にティムは課外授業の内容では物足りないからと、それまでやっていた自己練習に戻った。
剣術の課外授業がない日には馬術のほうに参加したり、校内をひたすら走ってみたりもした。本当は校外に出たかったのだが、普段は私の言うことを素直に聞くセドリックが珍しく嫌がったので諦めた。
許可を得れば校外に出ることはできるのだが、入学してからセドリックが1度も外出していないことは私も気づいていたので、無理強いするつもりはなかった。
そうしているうちに、セドリックは少しずつ変化していった。
顔色が良くなり、体は一回り大きくなった。表情も明るくなったようだ。
疲れてすぐに眠ってしまっていた頃は、勉学のほうが疎かになりかけたが、しばらくして体力がついてくると、そんなこともなくなった。
動くことが日常になって体がそれに慣れてしまうと、再びセドリックを叩き起こさねばならなくなった。時たま、夜中に悪夢にうなされるセディを起こすこともあった。
しかし、セドリックの状態は入学直後よりはずいぶん良いと思えた。
セドリックは徐々に、私たち以外のクラスメートとも打ち解けていった。
特に、例の語学力の高さから、留学生たちには頼りにされていた。セドリックのほうも、留学生たちからそれまで知らなかった言葉を教わったりしていた。
いつからか、私はセドリックを「セディ」と呼ぶようになり、クラスメートたちもあっという間にそれに追随した。
私たちのセンティア校での最初の1年が過ぎた。この時期には毎年、マリーヌ女子校と合同で卒業パーティが開かれている。
マリーヌ女子校は、やはり我が国が誇る貴族令嬢のための学校だ。センティアと違うのは通学制であること。
卒業パーティとは言っても在校生も参加できるので、その日が近づくにつれ、皆がソワソワしはじめた。1年に1度、学校公認で女性と触れ合えるからだ。
クラスメートたちも衣装について相談したり、ダンスの課外授業に参加して男同士でペアを組んで練習をしたりしていた。
セディに「練習相手になってくれ」と頼みに来る者も何人かいたが、私が追い払ってやった。
「おまえはダンスはできるのか?」
私が尋ねると、セディは首を振った。
「だったら、練習しといたほうがいいぞ。課外授業に出たらどうだ?」
「必要ないよ。僕はパーティに出ないから」
「何でだよ」
「別に参加しなければいけないものではないんでしょ」
「それはそうだが、出ないやつなんかいないぞ。衣装がないのか?」
「一応あるけど、でも、僕はいい」
セディは俯いた。そんな暗い表情のセディは久しぶりに見たので、私も困惑した。
「センティアの講堂でやるんだから、少し見に来るくらいはしたらどうだ。意外と楽しめるかもしれないし、やっぱり嫌ならすぐ寮に戻ればいい」
セディはチラリと私を見上げてから、コクリと頷いた。
卒業パーティの当日、私たちは寮の部屋で着替えてから、講堂に向かった。セディも私たち3人の背に隠れるようにしてついてきた。
セディが「一応ある」と言っていた衣装は、この1年でだいぶ大きくなったはずのセディの体にピッタリと合うものだった。成長期にあるセディがこれを着る機会など1度きりかもしれず、親の想いと経済力を感じた。
講堂には、校内からはセンティア生が、校外からは続々と馬車が到着してマリーヌ生が、それぞれに集まっていた。
私たちがそこに入っていくと、当然のごとく、令嬢方の視線を浴びた。後ろを振り返ると、セディは顔を強張らせていた。半分以上は知らない人間なので、緊張しているのだろうか。
やがて、パーティが開会し、ダンス音楽の演奏がはじまった。
「では、卒業パーティの趣旨に則って、マリーヌを卒業する令嬢をダンスに誘うとするか」
「カイル、羽目を外すなよ」
イアンの注意を、私は軽くいなした。
「そんなこと、するわけないだろう。セディ、おまえも来い」
私が声をかけると、セディは音が聞こえそうなほど激しく首を振った。そう言えば、結局セディはダンスの練習をまったくしなかった。
「それなら、また後でな」
私は何人かのマリーヌ生と礼儀正しくダンスをした。途中、視界の隅に令嬢たちに囲まれているセディの姿を捉えた。
それにしても、美しく着飾った令嬢たちの中にいて尚、セディがもっとも目を惹くとはどういうことなんだ。
しばらくしてから、私は再びイアンと合流した。ティムはまだ踊っているようだ。
「セディはどうしたんだ?」
「帰った」
「何だ、やはりダンスを練習させるんだったな」
「いや、それ以前の問題だと思う」
「どういうことだ?」
「令嬢方に囲まれて震えていた」
私が眉を顰めると、イアンは頷いてみせた。
私が寮に戻ると、セディはすでにベッドに入っていた。学校主催のパーティが終了したのは健全すぎる時間だったので、まだ寝るには早い。
だが、セディも眠ってはいなかったらしい。枕から頭を上げて、私のほうを見た。
「カイル、お帰り」
「ただいま。セディ、具合が悪いのか?」
セディの顔色が良くないように見えて、私はそう訊いた。
「ううん、大丈夫。少し疲れただけ」
「そうか。なら、ゆっくり休め」
「うん」
セディは頭を枕に戻すと目を閉じたようだったが、眠れないのか寝返りを繰り返していた。
真夜中、セディの唸り声で私は目を覚ました。ずいぶん久しぶりのことだ。
セディを起こすと、やはり彼は「大丈夫」だと言った。
セディの口にする「大丈夫」は信用ならないのだと、私は今さらに悟った。そして、セディをパーティに参加させたことが間違いだったことも。
セディはその翌日、さらに翌日も悪夢にうなされた。




