なぜか留学生の世話係(カイル)①
ブックマークが1000件を超えました。本当にありがとうございます。
今度は、セディの友人視点による学生時代の話です。よろしくお願いいたします。
我が国が誇る王立センティア校は、貴族子息のための全寮制の学校であり、近隣国からの留学生も多い。生徒は厳しい校則のもと規則正しい生活を送り、卒業までに高い学力を身につけることを求められ、それに見合わないと判断されれば退学処分になる。
だが、この私が毎朝同居人を叩き起こし教室まで引きずっていく、などといったことができるようになる必要はまったくなかったはずなのだ。
センティア校への入学前日、私は寮に入った。部屋は2人部屋だが、私のルームメイトはまだ姿を見せていなかった。
私が荷物の整理に悪戦苦闘していると、幼い頃からの友人であり、やはり新入生であるイアンとティムがやって来た。
「何だ、俺たちの手は必要なかったか」
イアンの言葉に、私は両手を挙げてみせた。
「いや、後は頼んだ」
「自分でやらないと、いざという時に必要なものが見つからなくて困ることになるぞ」
そう言いながらも、イアンは私の荷物をトランクから出しはじめた。ティムも本や文房具類の入った箱を開ける。
私はベッドに腰掛けながら言った。
「その時は、おまえたちを呼ぶさ」
「ところで、セドリック・コーウェンはまだ来てないのか?」
「ああ、まだだ」
「どんなやつだろうな」
セドリック・コーウェンというのが、まだ見ぬルームメイトの名だった。隣国からの留学生だ。
父親は外交官でもある公爵、母親は国王の妹と、家柄や血筋の良さは新入生の中でも飛び抜けている。正確には私に次いで2番目だろう。だからこそ、私のルームメイトになるわけだ。
「まあ、俺の足を引っ張るようなやつでなければいい」
「そんなやつなら俺たちで追い出しますよ」
ティムが何でもないことのように言った。
「友好国の国王の甥だぞ。下手な扱いはやめておけ」
「もちろん、上手くやりますからご安心を」
私の荷物が片付いた頃、部屋の扉がノックされた。返答を待って扉を開けた者の姿を見て、私は眉を顰めた。
部屋に入ってきて頭を下げた人物は、両手に荷物を抱えており、私のルームメイトに間違いなかった。だが、隣国の公爵子息、から想像していたのとはだいぶ印象が異なった。
ひょろりと痩せた体、しばらく日光を浴びていないのではないかと思うほど青白い肌。
そして、同性に対してこんなことを思うのは初めてで戸惑ったのだが、かなり綺麗な顔立ちをしていた。だが、そこに浮かぶのは明らかな不安の色だった。
私は、異国からの新入生の緊張を解してやろうと、ベッドから立ち上がり、笑顔で手を差し出した。
「よく来たな。俺がおまえのルームメイトのカイル・ウォルフェンデンだ」
「セドリック・コーウェンです。よろしくお願いします」
セドリックは腕にあった荷物を床に置くと、恐る恐るという風に私の手を軽く握った。
やや俯きがちなセドリックが、彼より背の高い私の顔を見上げるので、自然と上目遣いになる。男にそんな仕草をされても気色悪いだけ、と言いたいところだが、セドリックに対しては不快感が湧かない。いや、少しくらい湧かないのか。
「後ろにいるのは、イアンとティムだ。いつも俺の周りをウロウロしているから、ついでによろしく頼む」
「ああ、はい。こちらこそお願いします」
挨拶が一通り済むと、セドリックも荷解きをはじめた。だが、その手際は私よりも悪い。
見かねたイアンとティムが手を出しにいった。セドリックはしばらくはふたりの後ろで手持ち無沙汰にしていたが、そのうち私を真似て自分のベッドに腰を下ろした。賢明な判断だろう。
翌朝、けたたましい音で私は目を覚ました。起床の鐘だ。私はベッドから起き出して顔を洗い、寝巻から制服に着替えた。
そこでようやく、ルームメイトが未だベッドの中にいることに気づいた。
「おい、早く起きないと朝食を食い損ねるぞ」
声をかけても、返答はない。
私はセドリックのベッドに近寄ると、その掛布団を勢いよく剥いだ。そこには体を丸めて眠り込むセドリックがいた。あの鐘の音で目が覚めなかったのか。ある意味凄いが、感心している場合ではない。
「セドリック、起きろ」
「ううん」
わずかに瞼が動いたものの、目が開くまでには至らなかった。
「もう置いて行くぞ」
私は最後にセドリックの耳元で叫ぶと、部屋を出た。すでに、イアンとティムが廊下で待っていた。
「セドリックは?」
「まだ寝てる」
「起こさないのか?」
「声はかけたが、起きなかったんだ。そのうち目を覚まして、慌てて来るだろう」
しかしその朝、セドリックは食堂に現れなかった。
朝食を済ませて部屋に戻ると、セドリックはまだベッドの中で寝ていた。ご丁寧に、先ほど私が剥いだはずの布団に包まって。
「おまえは、入学式に出ないつもりか?」
私が呆れて口にした言葉も、セドリックには聞こえていないだろう。
私は溜息を吐くと、イアンとティムを呼ぶために部屋を出た。
イアンとティムによって無理矢理、ベッドの上に身を起こされたセドリックは、ようやくぼんやりと目を開けた。
「トニー?」
「誰がトニーだ。いいから、立て」
ふたりとて、人の身支度を整えることなどないだろうが、私がやるより何倍もましなのは間違いない。瞬く間にセドリックの寝巻が脱がされた。
そこに露わになったセドリックの肌を見て、ふたりが私を振り返った。私も目を瞠ったが、時間がないので、とりあえず制服を着せるよう指示した。
荷物をふたりに任せて、私はセドリックの手首を掴んで小走りで入学式場である講堂に向かった。その途中でセドリックもやっと目が覚めたらしい。
「どこ行くの?」
どうやら敬語をベッドの中に忘れてきたようだが、まあいい。
「入学式に決まってるだろ」
「朝食は?」
「とっくに終わった。食べる気があるなら、明日からはもっと早く起きるんだな」
「うん、わかった」
セドリックの答えを聞きながら、私は嫌な予感を覚えていた。
「セドリックはコーウェン公爵のひとり息子なんだよな? 家で虐待でも受けてたのか?」
イアンの疑問を、私とティムは即座に否定した。
「そうではないだろ。あの傷はすべて同じ頃にできたもののようだった」
「日常的なものではなく、事件にでも巻き込まれてついたもの、でしょうね」
入学式を終え、私たちは食堂で昼食をとっていた。
私たちの話題は、セドリックを着替えさせる時に目にしてしまった、彼の体の傷跡のことだった。男なら一つ二つあっても不思議でないが、セドリックは体のあちこちにあったのだ。明らかに異常なことだった。
もう一つ気になるのは、目立つまいとしてなのか、セドリックが常に俯き気味に体を縮こめていることだ。
とはいえ、あの顔で目立たないのは無理だった。むしろ、憂いを帯びているせいで逆に目を引く。そのうえ、入学式場に遅刻ギリギリで、私に引きずられて入ったため、衆目を集めてしまったのだが、本人は気づいていないようだ。
皆の興味を引きながら、誰かに話しかけられても、セドリックは短い答えを返すのみだった。
「あれは慣れない場所で萎縮しているだけなのか?」
「まだ言葉がわからないんじゃないか」
「ああ、そうか」
我が国とセドリックの母国では言語が異なるのだ。留学するからには我が国の公用語は学んだだろうが、私たちの話していることをすべては理解できていないとしても仕方ない。
視線を巡らせば、少し離れたところでセドリックがひとり食事をしている姿があった。朝を抜いたのだからさぞかし腹を空かせているだろうと思いきや、あまり食が進んでいるようには見えなかった。
嫌な予感は的中し、私は次の日からも毎朝、セドリックに煩わされることになった。
セドリックをベッドから引きずり出して、制服を着せるのはイアンとティムに任せている。
私たちがどうにか食堂の椅子に座らせても、セドリックはまだ目が開ききらない。私がその唇に無理矢理パンを押しつけると、セドリックは条件反射のように口を開け、ハムハムと咀嚼する。
何か小動物でも餌付けしている気分になるが、私もセドリックの面倒ばかりみているわけにはいかない。
「セドリック、自分の手を使え。俺が食べられないだろう」
私はセドリックの手にパンを渡すと、ようやく自分の食事に取りかかる。
「おまえはわかってるのか? 遅刻が多くても退学になるんだぞ。俺に感謝しろよ」
教室に向かいながら、私がセドリックに叱言を言うと、セドリックはますます体を小さくした。
「はい。申し訳ありません」
「今さら敬語は使わなくていい。それにしても、何であんなに起きられないんだ。起床の鐘も鳴るのに」
「鐘?」
セドリックが首を傾げた。本当にあれがまったく聞こえていないのか。
「夜、ベッドに入ってから何かしてるのか?」
「何も。ただ、なかなか眠れなくて」
「枕が変わったせいか?」
セドリックは首を振った。
そう言えば、セドリックの父親は外遊中で、セドリックも先日までそれについていたのだから、枕が変わるなんて慣れているか。
私がセドリックの世話を焼く形になっていることに関して、他の生徒たちからの反応は様々だった。可笑しそうに見ている者がほとんどだが、「あなたがすべきことではない」と苦言を呈す者もいる。
「セドリックが退学になどなったら、同室である私の恥でもあるからな」
彼らに対しては、私はそう答えることにしていた。
寝ぼけたセドリックが「トニー」と口にするたびに、そいつがセドリックをこんな風にしたせいで、私が苦労をさせられているのだろうかと思った。トニーはセドリックの身の回りの世話をすべてしていた侍従らしい。
私はトニーを恨みつつ、彼がセドリックを甘やかしていた気持ちもどこかで理解できてしまうのだった。
おそらく、イアンとティムも同じだろう。セドリックが私の足を引っ張っていると言えなくもない状況であるにも関わらず、ティムがセドリックを追い出そうとすることはなかった。
一方、セドリックが我が国の言葉を把握できていない、という私たちの推測はまったく外れていた。
授業が始まると、セドリックは流暢な発音で教科書を読みあげたし、教師の質問にもその意図を誤ることなく答えた。声が小さくて、時おり噛んだりするのが残念なところだ。
「おまえ、うちの国の言葉は完璧なんだな」
「そう? センティアに入ることが決まってから父上に教えてもらったんだけど」
「父上? 家庭教師じゃないのか?」
「父上も1年だけここに留学してたから」
「そうなのか」
忙しいはずの外交官が自ら息子に教えたということに私は驚いた。ひとりっ子だから、貴族にしては親子関係が密なのだろうか。
さらにある時、私はセドリックが珍しく別の留学生と会話しているのを見かけた。後にその留学生に聞いたところによると、我が国の言葉でわからないことがあり困っていた彼を、セドリックが助けたのだという。
彼の国とセドリックの国ではやはり言語が異なるのだが、セドリックは彼の国の言葉もスラスラと話したそうだ。
「おまえ、何か国語を話せるんだ?」
私が尋ねると、セドリックも首を傾げた。
「ええと、何か国語だろう?」
どうやらセドリックは、それまでに滞在してきた国々の言葉を概ね身につけているらしい。それぞれの国にいた期間はせいぜい数か月だろうに。
内に篭りがちなセドリックがどうやって他国の言葉を自分のものにしていったのかは謎だが、羨ましい能力だ。