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あなたに呼んでほしいから  作者: 三里志野
あなたに呼んでほしいから
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1 天使が帰国したらしい

他の作品を連載中なのですが、気分転換に短編を書き始めたつもりが、長くなってしまいました。初めての一人称です。よろしくお願いいたします。

 ふいに思い出す人がいる。


 母親同士が親友だった関係で、しょっちゅう顔を合わせていた男の子。

 4つ歳下の彼は天使のような顔に愛らしい笑みを浮かべて、いつも私に纏わりついてきた。


 私には弟と妹がいるが彼はひとりっ子なので、兄弟というものに憧れがあったのかもしれないし、歳の近い私の弟妹と張り合っていたのかもしれない。彼は私を「クレア姉様」と呼んでいた。

 私も、自分をまっすぐに慕ってくれる素直な彼が可愛くて堪らず、もうひとりの弟のように思いながら「セディ」と呼んだ。


 11歳になったセディは、お父様の仕事の関係でしばらく外国に行くことになった。

 セディは泣きながら私に縋りついた。


「クレア姉様と離れるなんて嫌だ」


「セディ、泣かないで。また会えるんだから」


「何年も会えないんだよ。クレア姉様は僕のことなんか忘れちゃうよ」


「私がセディを忘れるはずがないでしょ。セディは?」


「絶対に忘れたりしない。いっぱい手紙を書くからね」


「ええ、私も書くわ」


 涙の別れからしばらくはセディから手紙が届き、私も返事を書いた。だけど、2年ほどたった頃からピタリと止んだ。

 きっとセディも成長して、私のことなど思い出す暇がなくなってしまったのだろう。寂しいけれど、仕方のないことだった。


 私のほうも、セディを思い出すことは少しずつ減っていった。

 それでも、時々あの天使のような男の子が無性に懐かしくなる。



  ◆◆◆◆◆



 我がバートン伯爵家では、母が病で亡くなった5年前から長女である私が女主人の役割を務めてきた。父を支え、弟妹の面倒を見るのに忙しくて、私自身のことは後回しになっていた。

 だけど、2歳下の弟ヘンリーが昨年迎えた妻エマが少しずつ女主人の仕事を覚えてくれている。さらに先日、5歳下の妹レイラが侯爵家の嫡男に嫁いだ。


 ようやく私も自身の今後のこと、つまり婚約者アルバート・ウィリス様との結婚について考える余裕ができた。

 アルバート様は1つ歳上で、ウィリス子爵家の嫡男。私の家より爵位は低いけど、明るく優しい人柄で、お顔もそこそこ整っている。何より我が家の事情を理解して、今まで待ってくれていたのだ。

 アルバート様に対して恋愛感情はないものの、夫婦として良好な関係を築けるだろうと私は思っていた。




 その日、私は久しぶりにアルバート様のエスコートで夜会に参加した。ファーストダンスを終えてしばらく、気づけばアルバート様の姿は見当たらなかった。

 たとえひとりだとしても、もうすぐ21歳になる女に声をかけてくる男性はなく、私は壁の花となって会場の様子を眺めていた。


 そんな私の前にやって来たのは、夜会に参加しているいずれかの方の付き人のようだった。


「バートン伯爵令嬢でございますね? ウィリス子爵子息がお呼びでございます」


 私は怪訝に思いながらも、その人に従い、会場を出て屋敷の奥へと向かった。「あちらでございます」と示されたのは休憩用の客室。その部屋の扉はわずかに開いていたが、私はノックしようと手を上げた。


 その時、ふいに室内から啜り泣くような女性の声が聞こえた。さらに、切羽詰まったような男性の声も。

 私に経験がなくても、中で何が行われているかくらいは想像がついてしまった。

 このまま扉をそっと閉めて、回れ右をして会場に戻り、何事もなかった顔をしていよう。私は咄嗟にそう考えたのだが。


「どうしました?」


 ちょうど通りかかった、夜会の参加者らしき壮年の男性に声をかけられた。私には見覚えのない方だ。


「顔色が悪いようですね。中に入って休んだほうがいいでしょう」


 男性は親切にも、私が閉じようとしていた扉を開け放ってくださった。室内はしっかりと明かりが灯されていて、想像どおりの光景がはっきりと私たちの眼前に晒された。

 せめて奥にあるベッドの中にいてくれていたら見なくて済んだだろうに、残念ながら、彼らがいたのは扉の目の前にあるソファの上だった。

 男のほうは間違いなくアルバート様。彼の下にいるのは、レイラと同じくらいの歳の男爵令嬢だったと記憶している。ふたりは夜会のための正装をすっかり乱して絡み合ったまま、固まってこちらを見ていた。


「おやおや」


 扉を開けた男性が、若干場違いな声で仰った。


「彼は確かあなたの婚約者ではありませんでしたかな?」


 男性が私とアルバート様の関係を知っているのなら、もはや私にはどうしようもなかった。


「そのとおりでございます」


 私は肯定の言葉とともに溜息を吐いた。




 半月後、私は親友であるシンシアの屋敷に招かれた。シンシアは3年前に結婚し、昨年には男の子を産んでいる。


「クレアだってあの人の悪癖は知っていたのでしょう?」


 シンシアに訊かれて、私は頷いた。


「噂は聞いていたけど、この歳で新しい婚約者を探すなんて無理だから、気づかない振りをしているつもりだったの。家のお荷物にはなりたくなかったのよ」


 アルバート様が別の女性と逢瀬を重ねているらしいことに私は気づいていた。だって、一緒に出掛けた夜会やら何やらのたびに、途中で姿を消すのだもの。相手はあの男爵令嬢だけではないだろう。


「実際のところあなたの婚約が破棄されて、お父さまたちはどう仰っているの?」


「あんな男と結婚するくらいなら、このまま家にいればいいって」


「それなら良かったじゃない」


「良くはないわ。何か私にできる仕事とかないかしら?」


 今は父やヘンリー、エマとも仲良くやっているが、ずっとこのまま家にいたら、いつかはただの口喧しい小姑と思われるようになってしまうのではないだろうか。


「仕事よりも、結婚相手を探したほうが良いと思うけど」


「後妻とか?」


 それも私は考えて、父に良い方はいないかと尋ねてみたが、父にもヘンリーにも反対されてしまった。


「クレアは美人だし頭が回るのだから、まだ普通の結婚だって望めるわよ」


「相手がいればね」


 ふいにシンシアの顔が明るくなった。


「ああ、そう言えば夫に聞いたのだけど、少し前に国王陛下の秘書官室に採用された方がとても優秀なんですって。何でも隣国の貴族子息が通う名門校に留学していたとかで、何か国語も話せるらしくて。しかも、公爵家のご嫡男なのにまだ婚約者がいないそうよ。クレア、どう?」


「ちなみに、その方はおいくつなの?」


「歳は聞いてないけど、留学から帰ったばかりなら、まだ20歳前でしょうね」


 そう言いながら、シンシアの顔に「駄目かぁ」と浮かんだ。駄目でしょう。


「歳下の次期公爵さまが、私を選ぶはずがないじゃない」


 私は呆れて顔を顰めた。




 その数日後、バートン家を懐かしい人が訪れた。亡き母アメリアの親友カトリーナ・コーウェン公爵夫人だ。

 伯爵令嬢だった母と現国王陛下の妹君でいらっしゃるカトリーナ様は、結婚前にとあるお茶会で偶然出会って意気投合してからの仲だったそうだ。6年前まではしばしば互いの屋敷を行き来していた。


「久しぶりだから不安だったのだけど、クレアがいてくれて良かったわ」


「私もまたカトリーナ様にお会いできて嬉しいです」


「2か月程前に帰ってきてから気にはなっていたのだけど、もうアメリアに会えないのだと思うとなかなか足が向かなくて、ごめんなさいね」


 カトリーナ様は外交官でいらっしゃる公爵とともに、6年前から近隣の数か国を訪問していらっしゃったのだ。


「いいえ。こちらこそ帰国されていたと知らず、申し訳ありませんでした」


「それにしても、クレアもすっかり綺麗な大人の女性になってしまったわね」


「とんでもありません。セディ、いえセドリック様のほうが、ご立派になられたのではありませんか? 確か今年で17歳ですよね」


 私が訊くと、カトリーナ様は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「まあ、あの子を覚えていてくれたのね」


「もちろんです。私にとってはもうひとりの弟みたいな感じでしたもの。ああ、失礼なことを……」


「いいのよ。本当にクレアには可愛がってもらったもの。セディも先月から宮廷で秘書官として働きはじめたのよ」


「それはおめでとうございます」


 答えながら、私はふいに先日シンシアから聞いた話を思い出していた。もしかして、あれはセドリック様のことだったのだろうか。

 しかし、どちらにせよ今のセドリック様は私からは遠い存在だ。小さかったセドリック様が大人になったのだと思うと、嬉しさもあり、寂しさもあった。

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