第二話 門の奥
遅くなりました。
「え?」
「ん?」
光を抜けた先、イースとフォウムの目に飛び込んで来たのは見渡す限りの大草原であった。
木の一本も植わっておらず、生き物の気配すら感じない不気味な光景。
さらにその不気味さを助長させている物が一つ。
それは重力など始めから無かったかのように空中で停止した透き通った綺麗な石。
「あれは・・・竜玉石?」
「・・・」
二人はそれが何であるかを知っていた。
フォウムの言う竜玉石とは成熟した竜の体内で結晶化するエネルギーの塊である。
手に入れるためには竜を解体するしかなく、その入手難易度と見た目の美しさから超高額で取引される【宝石の王様】の異名を持つ逸品である。
だがよく見てみるとその竜玉石は本来の透明な姿ではなく、透き通った翠色をしていた。
過去に発見された色付きの竜玉石は合計で三つ。
一つは、百年前活火山の溶岩溜りに巣食っていた【炎竜】から採取された深紅の竜玉石。
一つは、四十年前雷雲とともに飛来して猛威を振るった【黒竜】から採取された黄色い竜玉石。
そして最後は、最近討伐された風を操る【嵐竜】から採取された翠色の竜玉石である。
どの竜玉石も非常に美しく、当然のことのようにそれを欲しがる者も多い。
そのためそれぞれの竜玉石はそれぞれの買い手の所にあるはずであり、この【翠竜石】も持ち主であるローゼンクリスト公爵の元にあらねばならない。
今朝も部屋に後生大事に飾ってあるのを確認しているイースとしては、その【翠竜石】の真贋をはかりかねていた。
『そこにある【翠竜石】は紛れもない本物。疑うのであれば、触れて確かめてみるがよい』
逡巡するイースとフォウムのもとに嗄れた老人の声が響く。
状況を訝る彼女たちからしてみれば、それは罠以外の何者でもなく、より一層警戒心を強めただけであった。
それから数分静観していたのだが、以降老人の声は聞こえず待てど暮らせど事態は好転していない。
どうやらあの【翠竜石】に対して何かしらのアクションを取らねばならないようなので、仕方なくイースは右手を突き出し――――――――氷塊を放った。
「え?」
『は?』
その氷塊は歴史的にも芸術的にも価値のある【翠竜石】を容易く粉砕するほどの速度で放たれた。
その価値を知るフォウムは当然のことながら、触れろといった老人も相当驚いていたようであったが、イースにとっては少し綺麗なだけの石に過ぎなかったようで感情のない瞳で行く末を見守っていた。
氷塊と【翠竜石】が接触する直前で氷塊のほうが何かに押しつぶされるように破壊されてしまった。
やはり罠であったらしく、しかもその氷塊の惨状からよほど凶悪な即死トラップでだったようだ。
「あんなのに引っかかる馬鹿なんているの?」
「どういうことですか?」
イースの突然の言動に疑問を呈せずにはいられなかったフォウムに、イースはいつも通りに無表情で淡々と答える。
「見たまんまだよ。大方、誰が見ても価値のあるものを餌にこの空間を訪れた人間を狩るため罠」
そこまで言ったイースは一呼吸おくと、でも・・・と続けた。
「こんな何もない草原の只中で浮かぶ宝石なんて露骨過ぎて手を出そうとする者なんていない。しかも、わざわざ僕たちが倒した【嵐竜】から採れたものを利用するなんて、端から騙すつもりがなかったと見るのが妥当」
それは傍から見ると何の意味も持たない無駄な行為。
だがここまで大掛かりな仕掛けを用いておいてこれだけで終わるとは到底思えなかった。
だからこそ、イースはこのようなことを行った犯人――――――――声の主の思惑を告げる。
「これは言わば例題のようなもの。つまり、本試験はここから・・・・のはず」
『煮え切らん奴じゃな。そこまで見通すのであれば最後まで言い切れば良いじゃろうに』
律儀にも返答を返してくる姿無き声は心底愉快そうに虚空より姿を現す。
古代ギリシャ人が着ていたような布を身体に巻き付けた二メートルはあろう老爺で、右手には身長ほどもある杖を持ち、背中側には三対六枚の白い翼が生えていた。
老爺は白く長い髭を擦りながら呵々と笑う。
「なかなかの慧眼、実に見事。やはり挑戦者はそうでなてはな」
「挑戦者・・・ですか」
フォウムは突如として現れた老爺を警戒しつつも気になる単語を耳にし、それを反芻するように呟いた。
わざわざ聞かずともこの話好きの老爺は、それを耳聡く聞き取ったとようでこれまた律儀に返答する。
「む?なんじゃ、知らなんだか。お主らが討伐した【嵐竜】、あれも一種の選定だったのじゃ。過去にも何度か選定は行われとってのう。お主らの世界に突然現れた手に負えない魔物は全てわしらの駒なのじゃよ」
老爺の口から語られ驚くべき内容にフォウムは開いた口が塞がらないでいた。
それもそうだろう。
老爺の言っていることが本当ならば、今回の【嵐竜】だけでなく過去の【炎竜】や【黒竜】、竜に限らずとも他国に現れたという【魔女】や【太陽】、【要塞】もまたこの試験を受けるための参加資格に過ぎないのだから。
「ん?『わしら』ってことは爺さんみたいなのが他にもいるの?」
呆然とするフォウムを尻目にイースは別のことに関心を覚えたようであった。
確かに眼前の老爺は一人称ではなく、自分以外の存在を仄めかす言葉を使った。
しかし、それよりも先にツッコまなくてはならない所があったはずである。
だが彼女は気づけない。
己もまた、老爺の言う『お主らの世界』の存在であるという意識が足りていなかったから。
「おるとも。わしは管理者のうちの一人に過ぎん。おっと、これ以上の雑談は情報漏洩になりかねんか。さて、お主の言う通り先ほどのは児戯に過ぎん。まさか構わずぶっ壊されるとは思わなんだがな」
この老爺の発言にフォウムは少しほっとした気分になった。
あれを非常識だと捉えるのが自分だけではないのだと、仕掛け人にとってもイレギュラーだったのだと。
ただ安心している場合では無い。
【嵐竜】ですら参加資格、即死要素を含んだトラップですら児戯、そう宣う老爺が開始する本試験。
老爺は背中の翼で飛翔し、先ほどまでの好々爺然としていた笑みを消し高らかに宣言する。
『これより始まるは管理者【怪物王】テュポーンが執り行う選定試験!
クリア条件は『知』・『武』・『勇』をもっての試験官の打倒!いざ、覚悟して臨むがよい!』
言い終えると同時に水平に薙がれる右手の杖。
イースとフォウムはそれが攻撃かと身構えるが、訪れたのは攻撃の衝撃ではなく不愉快な音。
まるで空間が悲鳴を上げるかのように音を立て、一つの巨大な門が顕現する。
門はその門扉をゆっくりと開き、内側の永遠と続く深淵を想起させる闇を二人へ見せる。
その闇の中から現れたのは一体の怪物であった。
「あれは・・・魔犬ですか?いえ、魔犬にしては大きすぎますし、それにあのうような奇形は見たことありません」
フォウムの言う魔犬は王国の南方に多く生息する猟犬の魔物である。
だがその考えはすぐに排除された。
その怪物があまりにも奇妙な姿をしていたからである。
犬にしては大きすぎるテュポーンほどもある体躯で、硬質な竜の尾、蠢く蛇の鬣、三つもの頭部を持った神代の怪物。
「・・・ケルベロス」
フォウムが知らないのは無理もない。
そもそもフォウムたちの世界にギリシア神話は存在しないのだから。
だが、前世の記憶を持つイースは別である。
ゲーム好きのイースが何度も目にしたRPGの常連、冥界の番犬。
そして何よりあの怪物を呼び出した老爺がテュポーンと名乗っていたことが決定打となった。
テュポーンは数多の怪物をエキドナとの間に設けた。
その中には同じギリシア神話群のケルベロスの名もあった。
つまり、このケルベロスこそが本試験の試験官。
「試験、スタートじゃ」
にやりと口元を歪めたテュポーンの声が開戦の狼煙となり、両者は動く。
ケルベロスは目の前の挑戦者を食い殺すつもりで、イースとフォウムは己の最も得意とする戦況を構築するために。