二章『復讐』
ワクが眠っている間、イリは食べ物を探して草原をうろついていました。
一匹狼より二匹狼、ワクと組めば鹿を狩れる。
ワクを最初に見た時イリはそう期待していたのですが、アテが外れてしまいました。
既に日は沈んで夜になり、夜空には沢山の星々やお月様が輝いています。
「なぁーんも見つからねえ」
ワクには隠していましたが、実を言うとイリはもう何日も獲物にありつけていません。
かなりの空腹だからこそ、狩りの出来ないワクがあれ程腹立たしく感じられたのでしょう。
イリの胃袋がググーッと鳴ると、イリは立ち止まってため息をつきました。
「あーあ。
あのネズミ、チビになんてくれてやるんじゃなかった」
イリはその場に伏せ、ゆっくりと気だるそうに尻尾を振っています。
「諦めて寝るか……」
『ザッ……』
草を踏む音です。
ふて寝をしようとするイリの元に、ワクとは全く違う一匹の狼が現れました。
その狼は小さなワクよりずっとずーっと大きく、
イリと同じかもしかしたらイリより大きいかもしれない程です。
毛色はイリやワクの白一色とは少し違い、灰色がかって見えます。
「なんと。
お前、まだ生きていたのか」
イリはまどろんでいましたが、
灰色狼の声を聞き取った途端、伏せてあった耳がピコっとまっすぐ立ちました。
目を覚ましたイリが声のした方を見ると、そこにはイリが良く知っている……いえ、
忘れたくても絶対に忘れられない、ある狼の姿が有りました。
「てっきり飢えて死んだものだと思っていたよ」
「お前は……ニシパ!」
灰色狼のニシパが目と鼻の先に居ると知ったイリは、すぐにサッと体を起こし、
狼の武器であるキバをむき出しにしました。
「久しぶりだな、イリよ」
「会いたかったぜ、ニシパ!」
イリは言い終わると同時に四つ足全てで地面を蹴り、土を散らしてガオウと吠え、
ニシパに襲いかかりました。
一方のニシパは素早く後ろに跳躍して、イリのキバをかわします。
「挨拶もそこそこに、いきなり噛み付こうとして来るとはな。
一体私に何の恨みが有る?」
「勝手な事を言って、俺を群れから追い出したのはどいつだ!?」
イリはもう一度ニシパに飛びかかりました。
ニシパもまた、横に飛んでイリを避けます。
「止めておけ」
「うるせえ!」
再三イリがニシパを攻撃し、遂にイリとニシパは互いの前足をぶつけ、
とっ組み合いの喧嘩になりました。
「狼の群れは多過ぎても少な過ぎてもいけない。
あの時は多過ぎただけの事だ」
「まだ言ってんのか!」
イリが振り下ろした前足を、ニシパの前足が受け止めています。
「これが今も昔も変わらない、狼の掟だからだ」
「お前みたいな薄情者がリーダーをやってるから、ワクみてえなチビが一匹狼になっちまうんだよ!」
「ワク?」
「今日俺が会った、鹿狩りも出来ないチビ野郎だ!」
「言われずとも知っている。
ワクは私の群れに居たからな」
ニシパの発言にイリは衝撃を受け、ニシパを攻撃する為に振り上げた前足を空中で止めました。
「なに……?」
「たとえまだ幼くとも、鹿を怖がって狩りに参加出来ないのでは、
肉のかけらを分け与えるのさえも惜しい。
だからワクには群れを離れ、一匹狼になってもらったよ」
「ニシパ……っ!」
イリは自分が追放された時以上の強い怒りを、ニシパに対して感じました。
四つ足を震わせ、キバを最大限にむき出してグルルルと唸っています。
次の瞬間にでもニシパに噛み付きそうな、まさに一触即発の様子です。
「お前とワク……同じ一匹狼同士で精々傷の舐め合いでもしているんだな」
「グオオァァ!」
遂にイリは怒りを爆発させ、全力でニシパに飛びかかりました。
反撃に遭う事など一切省みない、凶暴な獣の姿です。
「グルルッ!」
ニシパは吠えつつ前足を振り、無防備なイリの顔を爪で引っ掻きました。
怯んだイリは狙いを外し、ニシパの左側に着地します。
「グルルルル……」
イリは左目の近くに引っ掻き傷を負い、白い毛に赤い血を滲ませていますが、
まだ攻撃の姿勢を崩そうとはしません。
一方のニシパは涼しげな顔で、何故だか鼻をヒクヒクさせています。
「お前を殺すなど容易い。
だが私は、お前をより苦しめる為の方法を思い付いたぞ」
「なんだと?」
突然、ニシパはイリから離れて走り出します。
イリはニシパの行動が理解出来ず、少しの間呆然と立ち尽くしていました。
が、何かを察したようです。
「あっちは……ワクの居る方向だ!」
ニシパの企みを察したイリはワクを守ろうと、ニシパの後を追いかけました。
虫の奏でる音色に包まれた静かで穏やかな夜の草原を、
ニシパとイリの二匹の狼が駆け抜けて行きました。