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14:学術都市にて

 聖都市から南へ下ると、二つの川がある。一つはアイビーがよく知る川で、もう一つは別の山から続くもの。それらに挟まれるようにして一つの都市が存在していた。

 アイビーとトクスは軍によって保護され、その街へと身を移していた。

「クレエが『聖都市』と呼ばれているように、ここは『学術都市』と呼ばれています。領主が大変教育熱心でしてね、結果として関連機関も増えました。研究や学業に専念するには絶好の地なんです」

 日光に照らされた道をトクスに案内されながら、アイビーは通りを行きかう人々を見た。ファザ町などに比べると身綺麗な者が多く、身分の高さを感じ取れる。煉瓦造りの家屋が主なのか、木造建築は数える程度しか無い。

 トクスの話によれば、学術都市の道は格子状に敷かれており、それに合わせて土地は全て四角く区切られているという。

「怪我は大丈夫ですか」

「引きずられた時に指の先が切れたり、あとは掴まれたところが痣になってたりしたけど、それ以外は平気」

 聖都市やファザ町などと違い、この地は安穏だった。まず医療所に連れて行かれたアイビーは一通り治療を受け、今は指先に包帯が巻かれている。

 そういうあなたは、とアイビーは彼を見上げた。聖都市で倒れた後、すぐに立ち上がっていたものの、その足はふらふらと覚束なかったのだ。

「薬を飲みましたし、ひとまずは。軽い毒で良かったです」

「本当に? 無理してない?」

「大丈夫ですよ。これくらい無理に入りません」

 こちらを心配させまいとしてくれているのだろう。トクスは気丈に笑ってくれるが、かすかに表情が曇ることにアイビーは気が付いていた。

 ワンピースのポケットには、彼から手渡された『聖女の涙』がまだ入っている。アイビーは衣服の上からそれに触れながら、「これが本物だったなら良かったんだけど」と苦笑した。

「……すみません。『聖女の涙』について、もっとはっきりと説明すべきでした」

「それはあなたのせいじゃない!」

 トクスは説明しようとしてくれたはずだ。しかし、それを意図せずとはいえ拒んでしまったのは他ならぬアイビーである。慌てて顔を上げて首を振ると、彼は柔らかく微笑んでくれた。

「改めて説明しますと、『聖女の涙』は一種のお守りみたいなものなんです。国の西に鉱山があるのをご存知ですか。あそこで採れる貴重な石を涙の形に削ったもので」

「それじゃあ、これに治癒だなんだっていう効果は一切ないのね」

 よくよく考えれば、五年前に死んだとされている聖女の涙が微量とはいえ残っているとは考えにくい。そもそもどうやって採取したのだという話だ。シェアトの事を考えるあまり、冷静さを失っていたのだろう。

「シェアトさんの行方は、今現在、軍が全力で探しているはずです」

 クレエに戻った事情やファザ町、エウス町の惨状は、学術都市への道すがら説明してあった。トクスはすぐに、重傷のまま行方不明となっているシェアトを捜索するよう軍に指示を出していた。

 初めはもちろん「あたしにも捜させて」とアイビーは頼み込んだ。しかし治療が先だ、彼は我々が必ず見つけ出す、と軍の指揮官に説得され、不本意ではあったが、こうして学術都市に居る。

 住民たちに交じり、剣を携えた軍人が数人目の前を通り過ぎていく。彼らは一様に怪我人を背負っている。ファザ町もエウス町も診療所が崩壊し、救出された人々は皆ここで治療を受けているのだ。

『聖都市に今近づくのは危険だ。兄さんは今、間違いなく激昂している。そんなところに民を運び込むのは得策じゃない』

 疲れた様子を微塵も見せず、指示を出していたトクスの様子を思い出す。その表情をアイビーが見たのは初めてだったが、自分の中には確かに、以前にも同じ表情を見た記憶が在った。

「シャガは、ここまで追いかけてくるかしら」

「分かりません」トクスは苦々しげに右腕を撫で、首を横に振った。「少なくとも、炎で聖堂を囲っている間はあの場から動かないかと思います。仮に聖堂を出たとしても、周囲は軍によって包囲されていますし、簡単に突破することはないかと思いますが……」

 今の兄さんはヘデラ以外、民も軍も見境なく傷つけようとするに違いない、と彼は言いたかったのだろうが、そんな事は考えたくないというように言葉を飲みこんでいた。

「しかし、なぜ二つの町は壊滅していたんでしょう」

「やっぱり、あなたでも分からない?」

「まだ情報が不確かで、正確なことは。……ああ、見えてきました」

 彼は、不意に前方を指差す。

 そこには、周囲のものと比べると一際大きな五階建ての建物があった。通りに面した壁には丸い窓が設けられ、入り口の扉には波のような模様が彫られている。ここも周辺のものと同じく煉瓦造りのようだが、壁一面に蔦が這い、元の色が完全に覆われてしまっている。さらに近づいてみると、所々にぽつぽつと小さな白い花が咲いていた。

「なに? ここ」

「国内のあらゆる文献を納める図書施設です」

 治療を終えたあと、アイビーは「調べ物がてら色々と説明します」というトクスに連れられ、学術都市を歩いていたのだ。どうやら目指していたのはこの施設らしい。

「俺たち以外は誰も中に入れないように話は通してありますので、どうぞ」

 彼が扉を引くと、上部に取り付けられていた鈴がかろかろと軽い音を立てる。恐る恐る中へ入ると、そこには圧巻の光景が広がっていた。

 整然と並べられたいくつもの木製の本棚には、一切の隙間なく書物が詰め込まれている。どれだけの数があるのか一目では判断できない。一週間かかっても一つの棚のものを読み切ることは出来ないほどだ。

 足音が立たないよう、床にはふわふわとした絨毯が敷かれていた。奥には椅子と机がいくつか用意され、その脇に二階へと続く階段と受付が設けられている。受付には年配の女が腰かけていたが、こちらの姿を認めると「お待ちしておりました」と淑やかに立ち上がった。

「頼んでおいたものは」

「三階にご用意しております。その他の関連書籍も同じ階に」

「助かる。先に言ったように、緊急の用以外は誰が来ようと足を踏み入れさせないでくれ。邪魔をされたくない」

「かしこまりました。それと、例のものが見つかりましたので、そちらも同様に」

「分かった。世話をかけた、感謝する」

 行きましょう、とトクスに導かれるまま、アイビーは階段を上った。思っていた以上に急で転げ落ちそうになったが、寸前のところで彼に腕を掴まれる。トクスはそのままアイビーが落ちないように腕を掴んだまま階段を進み、三階で足を止めた。

 階段のそばに設置された机の上には何冊かの本や冊子が重ねて置かれている。頼んでおいたもの、と言っていた書物だろう。先にアイビーを座らせたトクスは棚から何種類か蔵書を選び出し、アイビーの正面に腰を下ろした。

「さて、まずは何からお話ししましょうか」

「じゃあ、あたしから聞かせて」本を開こうとしていたトクスを止め、アイビーは彼を見つめた。「行方を晦ませて、あたしを殺そうとしてまで何をしようとしていたの、王太子は」

「……お気付きでしたか」

「そう呼ばれていたし」

 それに、自分でも思い出した。

 聖堂の地下で頭痛に見舞われたあと、埋もれていた記憶のいくつかは鮮明になったのだ。その中に、王宮と思しき場所でシャガと――そしてトクスと話した光景があった。軍人が聖都市の広場で「王太子」と呼んだのは、やはりシャガの事だったのだ。

 ただし全てが鮮明になったわけではない。未だに幼少期の記憶は靄に包まれたままだ。

 まるで思い出すのを拒んでいるかのように。

「あたし、これまで記憶が無かったの。家族がいるのかとか、自分が誰なのかも分からなかった」

 突然の告白にトクスはいくらか驚いたようだった。

「だけど時々、記憶の断片を思い出すことがあって。その中に、あなたみたいな人に会った記憶があった。だから聞いたの、あたしと会ったことがあるかって」アイビーの話に口を挟むことなく、トクスは険しい表情でこちらを見据えている。「その答えは『はい』だったのね。あなたと、そしてシャガとも、あたしは会ったことがある」

「まずは会ったことがあるかという問いですが、俺はアイビーと会ったことはないはずです」

 アイビーが眉をひそめていると、「兄さんとはどこで会ったと?」と尋ねられた。

「多分、あの聖堂だと思う。女神を信仰していた頃の。入り口の上に丸い大きな窓が付いているでしょう、あれを見て語り合ったの」

『ほら、あそこから差し込む光はただの白じゃなくて、虹みたいに色とりどりだろう?』

 そう言って笑ったのは、今は憎きシャガだ。

「……今度は俺が聞く番です」

 トクスの瞳がアイビーを捉える。大本の質問には答えられていない、と言い返したがったが、静かに感じ取った気迫にアイビーは思わず息をのんだ。

「あなたは、一体誰なんです?」

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