習作短編『賽の河原で再会』
1
「僕の世界には僕が認識している世界しかいらない」
僕がそう言うと対する親友はつまらなそうに答えた。
「仮にそうだとして、だからなんだよ」
「だから……」
だからといって特に何かあるわけでもないか。
「うん。だからといって何もあるわけじゃないね」
「そうだろ。いいんだよそういう哲学みたいな阿呆会話。今自分は何をすべきか、どうすればいいのか、そういうことに頭を使うべきなんだ」
「そうだね。今何をすべきか、どうすればいいのか、そういうことを考えることにするよ」
2
ある日僕の頭の上に人が落ちて来た。
自由落下速度で加速したその女の人は僕に落ち、僕は首の骨を折って死亡した。享年十六歳だった。
だからここは死後の世界というものなのだろう。太陽の無いオレンジの空。灰色の雲。眼前を流れる赤黒い血の川を渡る小さな小舟を見て、昔絵本で読んだ『賽の河原』というところなのではないかと、そう推測した。そのとき読んだ内容が正しければ僕はここで石を積んでは鬼に崩されるという苦行をし続けなければならないはずだ。
自然と溜息が出る。面倒くさい。ただそんなことを思った。
「……なにしてんだよお前」
そんな僕に声をかけてきたのは二年前に自殺した僕の親友だった。
「強いて言うなら、何もしてないよ」
「なんでこんなとこいるんだって聞いてんだよ」
「そりゃあ、死んだからでしょ。こう、首の骨がぽきっと。死ぬほど痛かったよ?」
実際に死んだわけだし。
「首の骨がぽきっ? どんな死に方だそりゃ。まぁいいや、死んじまったなら、もうどうすることもできねぇし」
「そうだよね。もう、どうしようもないんだよね」
死。
いつかは誰にでも訪れるイベント。避けようのない、運命づけられた結末。
避けようのない問題で思い悩むのは僕の主義に反することだし、だから親友が死んでから僕はこうして死ぬまでずっと『死ぬ』ってことを受け入れてきたわけだし、だから、まぁうん。死んだんだなって、なんか納得してしまった。
3
「ねーねー。そういえばさ、僕が昔読んだ絵本だと石を積んで鬼に崩されるって書いてあったんだけど、鬼いなくない?」
「鬼? 死んだらしいぞ?」
「……は?」
鬼って死ぬの?
「なんで死んだの? ていうか鬼って死ぬの?」
「そりゃあ鬼だって手があって胴体があって足があって頭があって脳みそがあるんだろ。口があるなら胃袋があるだろうし、胃袋があるなら栄養を摂取するんだろ。栄養を摂取するなら栄養が必要ってことだろ。じゃあ、栄養がなかったらどうなる? 死ぬだろ。普通に」
「栄養がなくて死んだの? 人でも食べればよかったんじゃない?」
「別に栄養失調で鬼が死んだなんて一言も言ってないだろ。鬼だって死ぬであろう理由を一つ考えてみただけだよ。ここの鬼は俺が死ぬ前から絶滅してたらしい。だから俺も理由とかは知らない」
鬼絶滅ってまじか。
「いや、おかしくない?」
「なんで?」
「鬼だよ?」
「だからなんだよ」
「だから……」
そういえば僕って鬼の生まれ方知らないな。鬼も結婚して生殖して出産して育児したりするんだろうか。さすがにいきなり大人の姿で自然発生するわけでもあるまいに。地獄での鬼の仕事って誰か現場監督的な人がノルマとか業績とか考えながら教えたり、指示したりしていたのだろうか。
「……そっかぁ、絶滅したんだぁ」
「いいぞ。そういうとりあえずよくわかんないけど納得した気になるってのは長生きするコツだって親父が言っていた」
「僕らもう死んでんじゃん」
「そうだった」
4
そういえばさっき小舟が川を渡って行っていたような。
「そういえばさっき舟が川渡ってなかった?」
「あぁ、あれ元公務員の職員だった奴が誘導してるらしい」
「元公務員の死人」
「そう。地獄の鬼がみんな絶滅してて、罪を償うシステムが運営できなくなってたみたいで困った閻魔様が使えそうな人員を確保するために臨時採用したらしい」
「はぁ」
閻魔様は生きてるんだ。
閻魔様は鬼じゃないんだ。神様とかそっち系なのかな? 別にどっち系でもどうでもいいけど。
「ただやっぱ職員も少し前に死んでいったやつが多く採用してたみたいでよ、俺たちが生きてた頃よりももっとひどいお役所仕事だって不評なんだよな。そこらへん鬼だと多少融通効いたらしいんだけど、なんつーか、たらいまわしってやつ? が酷いんだと」
「人によって現世でたらいまわしにあって、死んだ後までたらいまわしにあうとか、たらいまわし地獄だね」
「そもそも地獄だけどな」
「でもさ、じゃあ鬼じゃないなら別にこんなところで石積んでなくても役員さんにお願いすればすぐ舟乗れるんじゃない?」
「お願いしたよ」
なんだろうその微妙そうな顔。
「『地獄規則第二十一条一項』では両親が存命中、自殺、あるいは死につながる可能性のある危険行為であると知りながら行った結果死に至った場合、またそれら事象に対し情状酌量の猶予が与えられない場合は、死者の地獄送りを一時保留し賽の河原で両親の供養をしながら死亡を待つこととする。って言われた」
「長い」
長いよ。
「何とか食い下がったんだけど『規則ですので』で押し切られた悔しい」
「そっかー」
「まぁ、そういうことらしいから、そういう自殺とかじゃなきゃ全然渡れると思うぜ。聞いて来いよ」
「……」
確かにそうなんだろうけど、僕の場合は紛れもない事故死だし。だけれどなんか、やっぱり久しぶりに会った親友とこうして再開できたわけだしさ、せっかくだから、もうちょっとだけこうしてのんびりお話をしていたいな、ってのは別にそこまで悪いことじゃないよね。
「ね」
「なにが?」
「いやいや、なんでもないっすわ」
「急になんだよその語尾」
「ははは」
5
そういえば親友が死んだ日もこんな不気味な夕焼けのような空だった。
別に石を積んでも積まなくても鬼は蹴らないし舟には好きなタイミングで乗れそうだし、だから僕はぼけーっと転がって空を見ていた。隣では親友が100段石を積むのに手頃そうな石をせっせと集めていた。
「そういえばさー」
親友に聞いてみた。
「なんで自殺なんてしたのー?」
「言いたくねーなー」
「まー、そうだよねー」
僕も自殺したとして誰かに理由を聞かれたとして、答えたくはないかもしれない。遺書とかは書くかもしれないけど。そういえば親友が遺書を書いてたって話聞かなかったな。
「そういえばさー」
親友に聞いてみた。
「遺書とか書かなかったのー?」
「遺書ー?」
遺書。
「そういや遺書とか書かなかったかもなー。俺さー字下手だからー」
「ふーん」
やっぱりなんか言いたくないんだろうな。自殺ってなんか遺書書くのが普通みたいに思ってたところあったけど、誰も彼もいっしょってこともないか。
「俺の場合はさー、きっと遺書とかなくてもわかってもらえるかなって思ったんだー」
「当時の僕は、わかってあげられなかったなー」
「……そっかー」
「ごめんねー」
僕は享年十六歳。親友は享年十四歳。中学二年生の秋、不気味な夕焼けの中首をつって自殺した親友の心中はどうやら親友自身にしかわからないもののようだ。親友の入った箱の前で親友の両親が「どうしてどうして」と泣いていたことは黙っていよう。
そんなことを親友に言ったところで何も変わらない。
「僕は遺書とか書いておきたかったなー。先に死んじゃってごめんねーとか、あの世で先に待ってるから、のんびり生きなよーとかさ」
「なんか俺もそうすればよかったって死んでからちょっと思ったよ。大事なことは生きてるうちに伝えるべきだったなーって。後悔だな」
親友は伝えたかったことを教えてくれるだろうか。きっと教えてくれないだろうな。
6
「そういえばさ、この川の向こうには何があるんだっけ」
「役員はあの世とか言ってたぞ」
「あれ、じゃあここはあの世じゃないの?」
「この世とあの世の狭間って扱いらしい」
「へー」
親友の積み上げる石が七十を超えるぐらいになっていた。
「その積み石って何個積めばいいとかあったっけ?」
「誰に聞いてもわからんと。とりあえず百個使って積めばいいんじゃないかってそこの役員は言ってたな」
「積めば川渡っていいんかなー」
「どうだろうなー。なんか、積み石って鬼が崩す前提のルールみたいで完成した後どうなるかってわからんらしいぞ」
「鬼死んでるじゃん」
「なー」
「その辺ほら、あそこら辺の公務員が巡回して鬼の代わりに積み石蹴っ飛ばしに来たりしそう」
「大丈夫だろ。あいつら時間外労働絶対しないから。今はたぶん地獄時間深夜2時ぐらいだから」
「公務員の鏡だね」
「なー」
賽の河原に僕たち以外の子供がいないのはそういうことだからだろうか。公務員が勤務時間外のころ合いを見計らってせっせこ石を積んで、いないってことはやっぱり積みあがれば渡る権利とかもらえるってことなのかな。
「……んー?」
「どした?」
じゃあ親友も、僕が死ぬまでの二年間いつでも石積めたと思うんだけど、積まなかったのかな。
「あのさ、どうして今まで積み石しなかったん?」
「いいたくないな」
「そっかー」
「石が積みあがって言ってもいいかなーって気になったら教えてやるよ」
「ははは、よろしくね」
7
積み石九十九個目。
「俺さー死ぬ最後の瞬間、めっちゃ怖くったんだよね」
「誰だって怖いよ。怖くない人なんていないよ」
「やっぱハズいわ、はは。でもさ、言えるうちに言っておかねーと言えなくなるかもしんないしな」
「だね」
「俺さ、お前を大事な奴って思ってたんだ。勝手かもしんないけど、親友と同じくらい大事だって、そんな風に思ってたんだ」
「へー」
「だからさ、お前がもし死んじまってここに来たらきっと独りぼっちでつらいだろうなって思ったんだ。お前がつらいと俺もつらいんだ。だからもしお前が来たら一緒にいてやろうって思ったんだ」
「そっか」
「……それだけかよ」
「あはは、ありがとうね」
「はっず」
「あはは」
積み石百個目。
8
「なにも起きない?」
「起きないな」
「個数間違ってるとかじゃなくて?」
「間違ってないと思うけど」
「何かあるわけじゃないんだね……」
「そうみたいだな……」
そっか、何かが変わるわけじゃあないのかぁ。
「えーと、じゃあさ、これからどうする?」
「どうすっかな。もうちょっとだけだらだらしてく? 親父とおふくろが死ぬまでまだだいぶあるだろうし、時間だけはいくらでもあるんだろ?」
「だねー」
それから僕たちは話をした。
学校のこと。勉強とか恋愛とかゲームとか漫画とか。死ぬ前のことをどれだけ話してももうそれらは二度と手に目にすることができないものだったけれど、だけどそんなのはどうでもいいことだった。この子と言葉を交わすこと。意思を交わすこと。視線を交わすこと。それが今は何よりも楽しくて、何よりも楽しかった。この子が死んで二年。僕はいつだってこの子の死を忘れたことはない。いつだってこの子の死のことだけを考えて生きて来た。
はは。
なんだか泣きそうだ。
きっと、これはうれし涙だ。
9
「そろそろかな」
「だな」
「ありがとう。いい最期だったよ」
「俺の方こそ、最期にあったのがお前で本当にうれしかったよ。俺みたいな親不孝者にまた人としての来世があるなら、また、お前みたいな奴と巡り合いたいぜ」
「あぁ、そうだ。言い忘れてたことがあった」
そうだ。きっとこれは今言わなければ後悔してしまうものだ。この後僕の意識がどうなるかはわからないけれど、だから言ってしまおう。
「なに?」
「いろいろと気を使ってくれてありがとう。ごめんね、愛してたよ」
「はっず。でも、ありがとな、後でぶん殴ってやるよ。あはは」
それから僕たちはケラケラと笑って舟へと歩き出した。
この先に何があるかはわからないけれど、もう後悔はしないで済みそうだ。
僕は親友だった彼女に手を指し伸ばす。彼女は握り返してくれるだろうか。
「あぁ、そういえばお前ここ来たとき変なこと言ってなかったか? 僕の世界にはどうこうみたいな。結局あれって何が言いたかったんだ?」
「ん? つまりあれは僕の世界には君だけがいてくれればいいってプロポーズだよ」
「わかりにくいし、つまんないよ」
「そっか。はは。……返事とかある?」
「んー?」
彼女はゆっくりと、僕の手を握った。