シリアの死海で泳いだりヒッチハイクした話
それぞれの道がほこりっぽい荒野に続いているような町はずれの四辻で、私は宿で知り合った2人の韓国人の女の子と、死海行きのバスを待っていた。2人は韓国語で何事か、楽しそうに話していた。2人は長い黒髪を隠していないけれど、この辺りでは髪を隠していない女性もそれほどめずらしくなかった。
シリアの人々は、少なくとも私が出会った人たちはだけれど、旅行者に対して親切で誠実だった。観光客馴れしていたのかもしれないし、国民性なのかもしれない。
シリアはイスラム教の国という印象があったけれど、バス停に行くのに道を聞いたおじさんによると、国民の6割はキリスト教徒だと言っていた。実際どうかは分からないけれど、キリスト教の舞台となる場所がシリア内にたくさんあるのは確かだった。
おじさんとの世間話の中で、私が信仰を持っているかどうか聞かれた。私は特に持っていないと答えた。韓国人の女の子はキリスト教と答えた。おじさんはとても心配そうな顔をして、私に何か信仰を持った方が良いと忠告してくれた。彼はキリスト教徒だと言っていたけれど、特定の宗教を勧めないことに彼の良心を感じた。おじさんは信仰すること自体が人を救うのと信じているのだろう。
はげ山と荒野の間にきれいなアスファルトの道が通っていて、まばらに車が走っていた。そのうちに濁った緑のような、泥色のような色をした死海が見えてきた。死海沿いにバスは進んでいき、テーマパークのような寂れた海水浴場に到着した。入場料を支払って中に入ると、まばらな休憩所や建物が廃墟のように並んでいて、人は誰もいなかった。廃墟のような更衣室で水着に着替えると、寂しい海水浴場で泳ぎ始めた。
水は土色に濁っていて、足元は黒く重たい泥で覆われていた。美容に良いというので体に塗りたくると砂利が体をひっかいて痛かった。水の中に体を沈めるとまるで沈まないので可笑しかった。体中が塩でひりひりと痛く、水の中で目を開ける気にはならなかった。長時間入るのは健康にも悪いらしい。具体的には股間やお尻が腫れて次の日辛いらしい。
死海を挟んで向こう岸が思いの外近くに見えた。頑張れば泳いでいけそうな距離だった。ただ、向こう岸はイスラエルで、人の姿は見えなかったが、多分軍人がやってきてかなりひどい目にあうだろうと思われた。普通に国境から入るのでさえ2時間位かけて厳しい取り調べがあると噂で聞いた。
全然関係ない話なのだけれど、宿で仲良くなったアジア系アメリカ人の女性が、イスラエルのユダヤ人と付き合っていて、これから実家に会いに行くところだと言っていた。話をしている間、何故同じアジア系でもアメリカで生まれ育つとそんなアジア圏でなかなか見ないような巨乳になるのかがひどく気になった。美容整形か聞いてみたかったけれど、聞くわけにもいかなかった。それか、牛肉に含まれているホルモン剤のせいだろう。ホルモン剤を含んだ牛肉を継続的に摂ると、筋肉や性器が大きく育つらしい。「ノーマンズランド」という映画でも、老人が牛肉に含まれるホルモン剤のせいで、同性愛者が増えたのだと嘆いているシーンがあった。全然関係ないけれど。
あまり長時間死海に入っていると体に悪いので、適当な所で切り上げて、廃墟のような更衣室でシャワーを浴びて着替えた。お土産のために、ペットボトルに死海の泥を詰めるのは忘れなかった。後日、アレッポ石鹸と一緒に家族に船便で送った。
帰りはバスがないので、ヒッチハイクをした。正確には3時間程待てばあったのだけれど、そんなに時間をつぶせる場所ではなかったので、親指を立てて車を待った。
車はすぐに止まってくれた。フロントガラスが割れた軽自動車で、立派なひげとシャツがはちきれそうなほど筋骨逞しい体つきだが、笑顔が爽やかなおじさんだった。道中、今度3人目の妻と結婚するんだとしきりに自慢していた。私が結婚していないのを知ると、結婚は良いぞ、早く結婚しなさいと諭された。
それから何年かして、相変わらず私は結婚していなかったけれど、シリアはアラブの春の一連の流れの中で内戦に突入していった。
それからさらに何年かして相変わらず私は独身で、多分この後もずっとそうなのだろうと思うのだけれど、内戦は様々な勢力を巻き込んで泥沼化している。
大量の難民がヨーロッパに向かい、連日悲しいニュースが届いている。一人のかわいらしい難民の男の子がトルコの砂浜で死体で見つかり、湾岸警備隊員がその死体を気づかわし気に抱えている写真が世界中に報道された。この隊員は、自分の子供と同年代の子供の痛ましい死体にとても心を痛めたことを話していた。男の子の母親と姉妹も一緒に亡くなり、父親だけが生き残ったそうだ。父親は自分が変わってあげたいと嘆いていたそうだ。同時に、自分もつらいだろうに他の人々のために、このような悲劇が繰り返されないよう彼は重ねて訴えていた。この報道がきっかけで、各国の難民への対応が改善された。
しかし、それからも毎日のように難民の悲しいニュースが聞こえてくる。私が知ろうとしなかっただけで、シリア以前からこのような悲劇は繰り返されていたのだと思う。私がヨーロッパを旅行していた時も、大きな荷物を背負って道端で商売をする黒人たちや、雪が降るクリスマスの夜に道端や駅で多くの黒人やアジア人が固まって眠っているのを見た。
ここ何年か、悲しい報道を聞くたびに、あのおじさんのことや、彼の花嫁のことを思う。シリアの人々や景色や街並みのことを思うようになった。
独裁政権でも、結婚は出来るし、人に親切にしたり。平和に暮らしたり、私のような人間が旅行に訪れることも出来た。民主化がそれほど素晴らしいことなのだろうかと思う。少なくとも、戦争がないことの方がずっと素晴らしいことだろうと思う。