第四十八章 真犯人は
どことなく緊迫した空気の中、光は、ただ……と、言いよどんだ。
「なぜ、遺体を移動させたのか。その理由が分からないんです。教えてもらえますか? 茂山さん」
光に問われた茂山は、いつも通りの柔和な笑みを崩さずに答えた。
「どうして、私に聞くのですか?」
穏やかに問い返されて、光は軽く肩をすくめた。
「彼方が真犯人だと思っているからですよ。茂山さん」
空は思わず息を飲んだ。海も同様だ。
部屋の中、いくつもの視線が茂山と光の間を行き来する。
「彼方のおっしゃる通り、犯人に名指しされるのは、良い気分ではありませんね」
そう言うものの、茂山の表情に嫌悪も焦りも現れてはいない。
「待って、どうして茂山なの? どうして茂山が健介を殺すの? 理由がないわ」
秀香が声を上げる。伊吹も同じように思ったのか、首を縦に振った。
「そうだよ。なぜ、茂山さんなんだ?」
伊吹の問いに、光は軽く首を傾げて見せた。
「簡単に言えば、違和感と消去法です」
「はあ?」
空と海がそろって声を上げた。今回もぴったり声が重なる。さすがは兄弟といったところか。
光は、その声にうるさそうに眉を顰めたが、文句は言わず、話を続けることを選んだようだ。
「健介さんが遺体で発見された時、既に冷たくなっていたし、身体も硬かった」
「おっまえ触ってたのかよ!」
空は思わず声を張り上げていた。
光と海がさっと両耳をふさいだのは、もはや条件反射なのかもしれない。
「うるさい。本当に亡くなってるのか確かめただけだ」
手を耳から外しながら、光が言った。
「あの感じからして、亡くなってから、かなりの時間が経っていると思われる」
「藤沢さんが、健介さんを殴ったんが、八時半くらいやったっけ」
海が藤沢を見ると、彼は頷いた。
「ええ、八時半少し前だったと思います」
「瀬戸さん。その時間、食堂はどうなっていましたか?」
「鍵を閉めていましたよ。と言っても、中では私達使用人が、翌日のミステリーのために、会場の準備をしていました」
「途中で抜けた人はいませんでしたか?」
その問いに、少し考えるように眉を顰めたあと瀬戸は答えを返した。
「いました。途中でお客様からワインを持ってきてほしいとご要望があり、藤沢くんが行きました。戻って来たときには顔が青ざめていてびっくりしたのを覚えています」
恐らく、そのお客様というのが健介だったのだろう。
「その後もう一度、お客様から内線電話がかかってきて、今度は茂山さんが部屋をでました。茂山さんが戻ってきた頃合いで、準備も終わったので、私達は部屋に鍵をかけて出て行ったんです」
「それは、何時頃でしたか?」
光の問いに瀬戸はすぐに答えた。
「九時半頃だったかと思います」
「その後は、遺体が発見されるまで、誰も食堂には入っていませんか」
「ええ。そのはずです。と言っても、ずっと見張っていたわけではありませんが」
瀬戸の言葉に頷き、光は再度問いを口にした。
「食堂の鍵や、各部屋の鍵はどこに保管されていますか」
これにも、瀬戸が答えた。
「地下の使用人部屋の前の廊下に、キーボックスが設置されていて、その中に」
先ほど地下室へ降りたときに、そういうのがあったかと空は思い浮かべてみたが、記憶に引っかかる物はなかった。
もう少しきちんと見ておけば良かったと、軽く後悔する。
「僕たちは今日まで、地下室の存在を知りませんでした。そして、先輩も先ほど知らなかったと証言している。また、客としてきている、秀香さんや、伊吹さんも地下にある食堂の鍵を盗んで、遺体を運ぶことはむずかしい。実質、あの食堂に遺体を運んで鍵をかけておくことが容易にできるのは、使用人であるあなた方三人ということになりますね」
光はそこで、一度口を閉ざした。
「確かにそうですが……」
瀬戸が反論の声を上げようとしたが、光が待ったをかけるように手を上げたのを見て口を噤む。
「同じように、一条さんが発見された場所も、地下室にある食糧庫。一条さんを眠らせることも、眠らせた一条さんを地下室へ運ぶことも、僕らには難しい」
「確かにな」
空が、納得してうなずく。
光は、眼鏡の奥の瞳を一条老人へ向けた。
「一条さん。いつからあの収納庫の中にいたんですか?」
光の問いに、彼は渋い顔をした。
「分からん。朝食を食べ終えたあとからの記憶がない。気づいたらあの中だった。」
「そうですか……」
光は一つ頷いて、また話し始めた。
「健介さんの遺体が発見された時、食堂の中は、ワインや水がしたたっていた。それは、直近まで犯人がワインや水を撒いていたからだと考えられる。健介さんを食堂へ運ぶのも、一条さんを睡眠薬で眠らせ、地下の収納庫へ運ぶことも、客の僕たちよりも、茂山さんたちの方が容易にできる。そこで、一旦、茂山さん、瀬戸さん、藤沢さん。この三人を容疑者として考えてみる」
「それが、さっき言うとった消去法か」
海がぼそりと呟いた。耳に入ったその呟きに、空が海に目を向けると、海は難しい顔で口元に手をやっていた。
「健介さんが亡くなった時、藤沢さんは、ミステリー会場の準備を途中で抜けて、健介さんにワインを持って行き、そこで健介さんを殴って部屋を後にした。その後は、瀬戸さんの話によると、食堂へ戻っている。違いますか?」
光が藤沢に話を向けると、彼は頷いた。
「ええ、健介さんを殴ってしまった後、急いで部屋をでて、ミステリー会場の設置準備に戻りました。気が動転して、とにかく普通の行動をとらなければとそればかり考えていました」
藤沢の証言に、光は頷いて見せたあと、一同を見回した。
「藤沢さんが食堂に戻ってきた後、次に食堂を出たのは茂山さんだった。そうですね? 瀬戸さん」
「ええ。お客様から内線電話で呼び出しがありましたので」
「呼び出したのは誰ですか?」
瀬戸は首を傾げて、茂山を見た。茂山は微笑を浮かべ、答えた。
「あなた様です。お水を持ってきてほしいというご要望でした」
ああ、確かに光が水を頼んでくれたのって、ちょうどあのくらいの時間だった。そう思って、空は納得した。
だが、光は違ったようだ。光が人差し指で眼鏡を軽く押し上げた。光の反射のせいか、眼鏡が怪しく光ったように空には見えた。
「本当に僕の依頼が最初ですか? 僕の依頼の前に、誰かに他のことを依頼されていませんか?」
「ええ。間違いございません。私は、春名様のご依頼を受けて、食堂を出たのです」
「僕は彼方が、水を持ってきたときに違和感を覚えていたんです。なぜ、ワゴンがあるんだろうって」
茂山は無言で、光を見返す。
「小さなペットボトルを三本運ぶのに、あれほどの大きなワゴンは必要ない。それなのに、茂山さんの傍らには大きなワゴンがあった。僕が水を頼む前に、他にワゴンを使って運ばなければならない何かを、別の客に頼まれていたのかと思ったのですが、違ったんですね」
「……」
茂山は無言を保っている。光はしばらく茂山を見つめたあと、視線を逸らして言葉を続けた。
「話を変えましょう。健介さんを殺した犯人は、何らかの方法を使って、遺体を一階の食堂へ移した。瀬戸さんの証言によると、食堂のセッティングを終えたのが九時半以降ということでしたから、それ以降に健介さんの遺体を食堂へ運んだ」
光はそこで一旦言葉を切った。
「あー、でも、俺たちが健介さん発見したとき、ワインやらなんやらで食堂びしょ濡れになっとったやん。てことは、夜というより、朝に犯行に及んだんちゃうん?」
海の言葉に、光は頷く。
「確かに食堂にワインを撒いたのは、朝だろう。ただ、健介さんが亡くなったのは、遺体の硬直具合から考えると、昨夜だと思う」
ああ、そういえばそんなこと言ってたなと空は思った。私市の方を見ると、彼もうなずいている。
「とにかく、犯人は健介さんの遺体を食堂のテーブルに寝かせて、ワインを撒いた。では、何のためにワインを撒いたのでしょう」
光の疑問に声を上げたのは、秀香だった。額にかかった髪を書き上げながら口を開いた。
「それは、二十年前の事件を彷彿とさせるためじゃない? 実際私は、諒太を思い出した」
「そうですね。それもあったと思います。だから、ワインが選ばれた。でも、理由はほかにもあったんだと思います」
「他の理由ですか?」
今度は千鶴が疑問の声を上げた。光は、千鶴に視線を向けた。
「ええ。邪魔だったんだと思います」
「邪魔?」
ますます分からないという表情をする千鶴から、光は瀬戸に視線を向けた。
「瀬戸さん。あのワインは地下の食糧庫にあったんですよね」
瀬戸が肯定する。光は頷いてから口を開いた。
「一条さんは、地下の食糧庫の床下収納庫に監禁されていました。床下収納庫には、もともと物がつめてあった。ジャガイモなどの野菜が。しかし一条さんを床下収納庫に監禁するために、中の野菜を取り出す他なかった。でも、無造作にその辺に置いておくわけにはいかない。そんなことすれば、瀬戸さんが異変を感じて、早々に一条さんが発見される恐れがある。ある程度、発見されるのを犯人は遅らせたかった。そこで犯人は、棚に置いてあったワインを取り出し、空いたところに、床下収納庫から取り出した野菜を置いたんです。そして、そのワインを消費するために、食堂にワインを撒いた」
「なるほど、二十年前の事件を彷彿させることにもできるし、邪魔になったワインも処分できる。一石二鳥やな」
海の言葉に、光はまたも頷いた。
「それでも瀬戸さんは違和感を覚えていました。それを、僕らに教えてくれました。そのおかけで、一条さんを救い出すことができた。瀬戸さんが犯人なら、黙っていて然るべきことだったはずです」
確かに。と、空は思う。瀬戸さんが、違和感があると言わなければ、地下室の存在はいまだ明らかになっていなかったはずだし、床下収納庫に入っていた野菜が棚にあることに気付かなければ、一条が発見されるのはもう少し後になっていたかもしれない。
「なら、瀬戸さんは犯人でない可能性が高い。そして、僕は一条さんを見つけた時に思ったんです。行方不明になっている藤沢さんは、もしかしたら、閉じ込められていた部屋にいるのかもしれないと」
「いや、待って! 急に話飛んでる気がする!」
空が声を上げると、光はそうかと首を傾げた。空が首肯して見せると、光は軽く息を吐いた。
「別に話を飛ばした気はないけど。まあ、つまり、犯人は瀬戸さんではないと仮定する。残るは二人。藤沢さんは、倉橋さん殺害前に閉じ込められた部屋からいなくなっている。健介さんを殺したとも証言している。いかにも怪しい。ただ、一条さんを監禁するのは、藤沢さんには難しい、なぜなら、茂山さんの目があるから。では、茂山さんが犯人だとどうか。
茂山さんは一条さんの身の回りの世話をしているから、一番一条さんを監禁しやすいとも考えられる。それに、第二のミステリーの時、茂山さんは何度か席をはずしていた。その間に、食堂にワインを撒くことができたはずだ。それに、藤沢さんが行方不明になったと言ったのは、茂山さんだった。茂山さんが部屋から藤沢さんが居なくなったと言ったから、僕らはそれを信じた。でも、誰か、一度でも藤沢さんが閉じ込められた部屋を確認に行ったのだろうかと」
数人があっと声を上げた。
確かにその通りだ。
「私は見てないわ。あの部屋は探していない。だって、逃げ出した犯人が閉じ込められていた部屋に戻るはずがないと思ったから」
秀香がそう言えば、伊吹も頷く。
「あ、あの時、茂山さんはもう一度確認してくると言って、部屋を見に行ってくれたんだ。でも、やっぱりいなかったって言っていて、だがら、それを信じてしまった」
「俺たちも見てない。すぐに外へ捜しに行ったから」
空も、声を上げた。
「そう、だから僕は一条さんを見つけた時に、空達に頼んだんだ。藤沢さんが、閉じ込められた部屋にいるかどうか確認してくれと。もし、そこに藤沢さんがいるなら、茂山さんが犯人である可能性が一番高いということになるから……」




