第三十二章 もう一人の参加者
倉橋が、ここにはいない主催者に向かって声を張り上げたあと。
しばらく無言の時間が遊戯室を支配した。
普段は気にならない、壁掛け時計の音がまるで自己主張するかのように人々の耳を打つ。
しばらくして、秒針の音の合間に、溜息を吐く音が混じった。
「はあ。全て台無しよ。ねえ、考えてもごらんなさい。お父様があの足で、どうやって健介をテーブルの上に上げたっていうの?」
秀香が、先ほどの位置に戻っていた倉橋に、声をかけた。
倉橋は苦り切った表情で、秀香から視線を逸らす。
「秀香さん。二十年前、一体何があったんです?」
「あなたたちには関係のないことよ」
私市の問いに、顔を向け、秀香はそっけなく言った。
私市は、嫌な顔一つせず、どちらかと言えばにこやかに話を続けた。
「あなた方の言う、二十年前の出来事とは、そこの湖で起きた水難事故の件ですか。それとも、大叔父様のセカンドハウスで起こった窃盗事件の方ですか? それとも、両方かな」
首を傾げて見せる私市に、目を見張る秀香。そして、倉橋が動いた。
彼は、物凄い勢いで私市の元まで来たかと思うと、私市の胸倉を掴んだ。私市のかかとが少し浮く。
「お前、何で知ってんだ!」
「おや、やっぱりそうでしたか。両方で合っていましたか? でしょうね」
「何言ってやがる!」
さらに胸倉を引っ張られて、私市は苦しいというように、倉橋の手を叩いた。
「ちょっと、倉橋さん。やめてください」
「落ち着いてくださいよ」
空と海が慌てて立ち上がり、左右から倉橋の太い腕につかまって私市の胸倉を掴む手を外させた。
ちっと舌打ちする倉橋の雰囲気が怖すぎる。
早々に空と海は私市の背後に隠れた。
ゴホゴホとむせている私市は頼りないが、壁はないよりある方がマシというものである。
咳がようやく収まった私市は、一つ息を吐くと、顔を上げた。
「不破孝造をご存じですね」
秀香と伊吹が息を飲み、倉橋が舌打ちした。
空と海は私市の背後で「誰?」「さあ?」と目で会話した。
倉橋らは、一様に私市の問いに答えようとしない。私市は軽く肩をすくめた。
「不破孝造ですよ? 今回のミステリー会の参加者の一人です。そして、二十年前の事件に関係のある一人でもありますよ」
「ああ、空席の人」
と、空が呟いたら、私市が軽く振り返って頷いてくれた。
来るはずだった参加者の一人も、秀香達の知り合いだったということか。空達と私市以外の参加者は全員仲間だったということになる。だが、何のために、ミステリー会などに集ったのだろう。
仲間をミステリー会に参加させてどんなメリットがあるのか。よほど、この別荘がほしかったのか。だから仲間を呼び寄せて協力して別荘をもらおうとした? こんな辺鄙な別荘もらって嬉しいのだろうか。空は嬉しいが、秀香達は大人だし、金も持っているはずだ。別荘がほしいだけなら、もっといい立地でいい別荘を共同で所有できそうな気がする。
空の頭の中に、ハテナマークがいっぱいになった。
「悟。あなた、一体どこまで知っているの?」
「何についてですか?」
にこやかに、秀香に問い返す私市。彼の顔を秀香は苦々し気に見やる。
「質問を変えるわ。不和のこと、どうしてあなたが知っているの」
「ここに来る前に会ったからですよ」
「あいつ、もしかしてサツにちくったのか! それで、二十年前のことも知ってんだな」
倉橋が吠えた。私市の背後に隠れていた空と海は大声にびくっとなって、私市の服にすがった。
「倉橋さんは、想像力がたくましいなぁ。違いますよ。彼とは無言の対面でした」
「どっ、どういう……」
おどおどとしながら、伊吹が私市に問う。
「彼は、先日遺体で発見されました」
「なっ」
「嘘でしょ」
倉橋は絶句し、秀香が声を上げる。
「いいえ。嘘ではありません。不破氏はビルの屋上から落ちたものと思われます」
「じ、自殺?」
「あいつが、自殺なんかするタマかよ」
伊吹の発言を受けて、倉橋が吐き捨てた。
「じゃあ、どうして。もしかして、健介を殺した犯人が、健介を殺す前に不破を殺していたってこと? まさか、俺たちも殺されるんじゃ……どうしよう、夢路」
不安そうに、伊吹が倉橋を見上げる。
倉橋は、鬼のような形相で伊吹に怒鳴った。
「俺に聞くな! チクショウ。訳分かんねぇな。不破は殺されたのか?」
「自殺と他殺。両方の線で捜査しています」
「ねえ」
秀香の呼びかけに、私市は顔を向ける。
「はい?」
「あなたが二十年前のことを知っているのは、警察で調べたからということ?」
「そう思っていただいて構いません」
明言しない私市を軽く睨んでから、諦めたように秀香は息を吐いた。
「直之、夢路。もうお終いにしましょうか」
「秀香」
「馬鹿言うな。二十年前、俺が言ったこと憶えているよな」
倉橋が凄む。秀香は唇を噛みしめた。
部屋に沈黙が満ちる。
嫌な空気に、空はそわそわし始めた。
「私市さん」
沈黙を破ったのは、空ではなく光だった。
空が振り返ってみると、彼は、ソファーに座ったまま、まっすぐに私市を見上げていた。
「何だい?」
「教えてくれませんか。二十年前の二つの事件について」
「おいっ」
やめさせようというのか、声を上げた倉橋を無視して、光は言葉を紡ぐ。
「僕らには全く話が見えません」
その通りだというように、空と海も同時に頷いた。
千鶴は、先ほどからソファーに座って俯いているままだった。
そのことは気にかかるが、今は少しでも早くこの状況を打破することに全力を傾ける方が良い。結果的に、千鶴を守ることにつながるはずだ。
空は私市が話し始めるのを、息を飲んで待つのだった。




