第十九章 我が道を行く人々
私市は書斎のドアをノックして、返事がある前にドアを開けた。
部屋の中には茂山と、この館の主である一条慎太郎がいた。
茂山は驚いた顔で私市を見ている。
返事をする前にドアを開けたことを咎めようというのか、口を開きかけた彼に、私市は、軽く手を上げて見せた。
挨拶を兼ねた、説教は必要ないというジェスチャーである。
そのまま茂山の前を通り過ぎて、机に向かって書類の整理をしていたらしい大叔父のもとへ行く。
「大叔父様。ちょっと、お尋ねしたいことがあるんですけどね」
「突然何だね悟。まったく、お前は子どもの頃から変わらんな」
書類から顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべる大叔父に、私市も笑顔を返した。
「お褒めにあずかり光栄です」
胸に手をあてて、軽く頭を下げる私市に、慎太郎は苦笑を見せる。
「嫌味のつもりで言ったんだがね」
「もちろんそうでしょうとも」
随分人を食った返答である。慎太郎は怒るどころか、さらに笑みを深くした。老いた顔に浮かぶ皺がさらに刻まれる。
私市は、ジャケットの胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出して広げた。それを、机の上に置く。
「何だねこれは」
老人は机の上に置いてあった眼鏡をかけて、紙を覗く。
「食事の席においてあった、名札ですよ。テーブルの上から拝借してきました」
「そんな物は見れば分かる。その名札がどうかしたのか」
私市は、口元に微笑みを浮かべ、机の上から紙を取り上げた。それをひらひらと振りながら、答える。
「問題は名札じゃないんです。この名前が問題なんですよ、大叔父様。ここに書かれている不破孝造について。教えてもらえますか?」
老人の片眉が上がった。瞬間何かを考えるような顔をしたあと、老人はかけていた眼鏡をはずし、先ほどと同じように机の上に置いた。
目が疲れているのか、眉間を指で揉んでいる。
「よくは知らん。新聞記事を見ての応募だ。そうだな、茂山」
眉間を揉む手を止めて、部屋の隅に控えるように立っている茂山に声をかける。
私市が茂山を振り返るとほぼ同時に、彼は首肯した。
「はい。そのように記憶しております。本日、四時にお迎えに上がるお約束でしたが、待ち合わせ場所に来られず、電話をかけましても通じず。今も音信不通でございます」
私市はふむと頷いた。次いで、疑問を口にする。
「参加者の身元確認はどうされてるんですか」
「まるで刑事に尋問されているようだな」
私市は指で頬を掻きながら、どことなくおどけたような口調で答える。
「いやだな。尋問なんて人聞きの悪い。刑事であることは否定しませんが」
「なるほど、今の質問は刑事としてということか。お前が担当しているということは、この不破という人物は……」
みなまで言わず、私市に問いかける眼差しを向ける。私市はその視線をやんわりと受け止めた。
「ええ、ご想像の通りですよ。さすが、大叔父様。話が早い。と、いうことで、ここへ来るはずだった不破孝造について、教えていただけますか。ただ単に同姓同名なだけなのか、そうでないのか確かめたいので」
私市とは対照的に、老人は顔を曇らせた。どこか考え込むような表情をしながら、茂山に指示をだす。
ほどなくして、茂山がハガキを持ってきた。それを老人に手渡す。軽く目を通して、私市にハガキを差し出した。
「これが、申込時に送られてきたハガキだ。住所などの個人情報が載っておる」
頷いて受け取った。そこには、ここへ来る前に何度か目を通した住所が書かれていた。
妙な巡り合わせだ。
私市は、大叔父の書斎から辞したあと、小さく溜息を吐いた。
光の話を聞くために、一旦ベッドに座った空だったが、空腹が我慢できず、一度部屋へ戻った。
道中で食べようと買ったお菓子を取りに行ったのだ。
話を聞きながら食べようと、ほくほくしながら戻った空の手に菓子があるのを見つけて、光が眉を顰めたことは言うまでもないだろう。
逆に海は大喜びだった。両手を上げて、空を迎える。
空がベッドに座り早速あけた菓子の袋には、ポテットコロンという聞いたこともない商品名がでかでかと書かれていた。
部屋の中に、スナック菓子の匂いが漂った。
光が微かに目を細めたが、二人は気づかない。
「チーズ味は、やっぱりこの匂いやな」
「けっこうきつい匂いだよなぁ。俺、この匂いはあんまり好きじゃないけど、この味は好きだな」
などと、食べながら、のんきに会話している二人を、光は呆れたように見ていた。
話を聞きたいのではなかったのだろうか。
「あ、光。おまえも食う?」
空に袋を差し出され、スナック菓子の香りがきつくなった。
思わず、軽く背を仰け反らせながら、光は片手を上げて断った。
「いや、いらない。さっき食べたばかりだろう。良く入るな。こっちが胃もたれしそうだ」
普段と変わらない淡々とした口調だったが、微かに嫌そうな気配を感じとったのだろう。二人は、顔を見合わせた。
「つうか、何で、あれだけで足りんのって、話だよな」
空が海に尋ね、海が頷く。
「ほんまやで。光は食細すぎやろ。それとも、単に食べず嫌いとちゃうやろうな」
「あ、確かに、光がスナック菓子食べてるところ見たことないかも。光の家行くと、いつも手作りケーキとかでてくるし」
いいよな、ケーキ。と、呟きながら、空はケーキとはかけ離れた味であろうポテットコロンをひたすら口に入れている。一度食べたら、止まらなくなるというスナック菓子の魔力につかれているのかもしれない。
海がスナック菓子を一つ摘まんで、光に差し出した。
「てことは、やっぱ食べず嫌いか。いっぺん食べてみいや、意外と上手いで」
商品名の通り、確かにコロンと丸い形状をした菓子を目にし、どことなくたこ焼きを思い出しながら、光は顔を背けた。
「いらない」
顔を背けたはずなのに、目の前にまたポテットコロンが差し出される。
「はい、あーん」
海の声は楽し気だ。いや、楽し気というより、楽しんでいる。海の腕を掴んで、遠ざけようとするも、海も離されまいと力を入れてくる。
「だから、いらないって。お前ら話聞く気あるのか。ないだろう!」
珍しく、腹に力をいれて声を出すと、海の動きが止まった。
「あー、そうやった。そうやった」
などと言いながら、ベッドに戻り、摘まんでいた菓子を口に放り込んだ。
海がもぐもぐと口を動かしている横で、空がとりなすような笑みを浮かべる。
「さあ、光。どんとこい」
「何が、どんとこいだ。何のためにここにいるのか忘れてただろう」
空と海は顔を見合わせ、そろって光を見ると、うふっと、どことなく気持ちの悪い愛想笑いを浮かべた。
なぜ、こういうときだけ、息ぴったりなのだ、この二人は。
「キモっ」
ツッコむのも億劫になってきたので、軽くいなしておく。
大ブーイングを受けたが、目を細めると、二人はぴたりと口を閉ざした。
どうやら、光の目力が勝ったらしい。
光は溜息を吐いて、話し始めた。