第十八章 第一のミステリーを終えて
――あの子が、泥棒の子よ。
大人達が言う。
――いやね。うちの子、近づけないようにしないと。
お母さんじゃない。
お母さんは泥棒なんかじゃない。
――それにしても、酷い母親ね。子どもを捨てて、逃げるなんて。
違う、お母さんはボクを捨ててない。
だって、お母さん言ったんだ。
早く帰ってくるって。
本当だよ。
だって、その日はボクの誕生日だったんだ。
ケーキ一緒に食べようねって言ったんだ。
だから、お母さんは、ボクを捨ててない!
捨ててないんだ!
何度、訴えても、届かなかった主張。
その内、口にはしなくなった。
ただ、心の中で叫ぶだけ。
蔑む目。憐みの目。
周りの人々から向けられる目から、逃れるように俯いて、願った。
お母さん。早くボクを迎えにきて。
第一のミステリーが終了した。
幸いにも鼻血を噴き出すこともなく、空は席に着くことができた。
茂山と藤沢、そして瀬戸が王様席の前に並んで立つ。
「見事正解されましたチーム。千鶴と楽しい仲間たちに十ポイントが与えられます」
茂山たち三人が拍手をする。参加者は私市以外、手を叩こうとはしなかった。秀香はむっつりと押し黙ってそっぽを向いているし、隣に座る一条健介は腕を組んでじっとテーブルを見つめていた。他の二人も似たり寄ったりの不機嫌な表情である。
なんか感じ悪いよなぁ。意外とみんな本気だったのか? と、空は居心地悪い気分を味わっていた。
「それでは、改めまして、瀬戸よりご挨拶をさせていただきます」
拍手を終えて、茂山が瀬戸を手で示す。
一歩前に出た瀬戸修次は、一同を見回して、人好きのする笑顔を浮かべた。
「えー、犯人役をさせていただきました。瀬戸修次です。今後はスタッフとして勤めさせていただきます」
「まあ? どういうことなのですか?」
千鶴が口に手を当て、驚きの声を上げた。
対象的に、秀香はピクリと眉を上げただけで、ほとんど反応を示さなかった。
彼女の従弟が手を挙げた。所作がいちいち洗練されて見えるのは、やはり育ちがいいからだろうか。
「君はもともと参加者ではなかったということか。この別荘をもらう資格もないと」
一条健介の問いに、瀬戸が頷く。
「そうですね。私は今回、皆様の食事を担当させていただくシェフということで、雇われています」
瀬戸がにこやかに応じる。
参加者として、ミステリーに参加していたときよりも、落ち着きを漂わせている。
「シェフってあなたが? あなた学生でしょう」
秀香が半眼で、瀬戸をねめつける。
確かに、瀬戸は大学生というふれこみだった。
「いえ、これでも、三十六なので。先ほどのディナーも僭越ながら、私が作らせていただきました」
小さなざわめきが起こる。
このざわめきが、ディナーを作ったのが瀬戸だったからなのか、彼が、随分若く見えることによるものなのか。渦中にいる空にも分からなかった。おそらく両方だろう。
皆の反応に、瀬戸はどことなく苦笑を漂わせている。
「それでは、皆様。何かございましたら、私か、藤沢、もしくは、瀬戸にお申し付けくださいませ」
茂山が穏やかな笑みを見せ、腰を折る。
それに合わせて、瀬戸と藤沢も同じように礼をした。
瀬戸の挨拶が終わり、ようやくお開きとなったあと。
部屋は一階にあるという千鶴と別れ、空は海と二人、赤い絨毯の敷かれた階段を上っていた。
「あー、終わったぁ」
空は腕を上に伸ばして、声を上げた。心の底からの声だった。
「いやいやいや、まだ始まったばっかりやから」
すかさず、海のツッコミが入る。
上げた手を、頭の後ろで組んで、海を横目で見やる。
「分ーかってるよ。分かってるけどぉ。さっきまで、普段使わない頭、使いまくってたんだぜ? 疲れるっつの。あー、腹減ってきたかも」
「さっき食ったばっかりやっちゅうねん。ま、でも、ちょおっと、物足りひんかったかな」
海は腹をさする。お上品なディナーは美味しくもあったけれど、育ち盛りの二人にはいささか、量が足りなかったらしい。
持ってきたお菓子でも食うかなどと話そしている間に、階段を上り切る。右へ曲がって、突き当りを左に折れたときだった。
海がすばやく動いた。
前方を指さした空の口を、背後に回ってふさいだのである。
「ふぁにふんだよ」
驚いて抗議すると、海の押し殺した声が耳に届く。
「しーっ! 空。今、おもっきり叫ぼうとしたやろ。ここがどこか分かってるんやろうな」
言いながら、空の口から手を離す。
「先輩のおじいさんの別荘です」
「騒いでいい場所ではありませんね。空君」
なぜか、丁寧語で返す海。
「ありませぇん」
腕を下してうなだれる空。
そんな二人の様子を見ている人物がいた。
空が指をさした相手でもある。
彼は、二人が近づいてくるのを、ドアの前でじっと待っていた。
そして、二人が間近に来たタイミングで口を開く。
「バカ二人……」
「お前なぁ」
さんざん自分勝手な行動をとっておいて第一声がそれかと、空は思わず脱力した。
「光、いつの間にマスターになったんや」
空が復活するより早く尋ねた海に向かって、光は軽く目を見張った。
「気づいてたのか」
「そら、気づくっちゅうねん。お前、どれだけ俺らのことアホやと思ってんねん」
「そうだ、そうだー」
軽く拳を握って、合いの手を入れる空。
「声を聴いた時点で分かったっちゅうねん。それまで、俺らけっこう心配しててんで。夕飯には出てくるかと思っとったら、出てけぇへんし。もしかして、発作でも起こしてるんちゃうかって」
「そうだ、そうだー」
空は、先ほどと同じ言葉を繰り返す。
軽く眉間にしわを寄せた海と、空を交互に見て、光は息を吐いた。
「……悪かったよ」
うつむいて告げられた言葉に、空と海は顔を見合わせて、にやりと笑いあった。
勝ったぜ、相棒! という心境である。
「珍しぃ。光が素直だ」
「明日はきっと雨やで」
光が顔を上げた。いつもの無表情ではあったが、かすかに頬が赤い。
「じゃあ、二人してずぶ濡れにでもなってろ」
光は吐き捨てるように言って、空たちに背をむけた。
すばやく開錠し、二人を残して、ドアの奥へ消えようとしたのだが、うまくいかなかった。
閉めようとしたドアを手で押さえられ、部屋に入り込まれてしまう。
「こーう。逃げられると思うなや」
光の肩を掴んで、部屋の中へ押しながら、海が言う。部屋のドアを閉じた空が頷いてあとに続く。
光の部屋も空たちにあてがわれた部屋と同じ作りだった。ベッドが二つ。高価そうな調度品。空たちの部屋は深緑色を基調としていたが、この部屋は青を基調としている。
「きっちり喋ってもらうからな」
「僕に何を喋れって?」
半ば無理やりベッドに座らされながら、光が尋ねる。
光の前に立って、腕を組む海と腰に手を当てる空。
二人の顔は真剣だった。
「お前が、何をやってたのか」
「ほんで、何でマネキンがお前の服を着とったんかや」
光は大きく息を吐く。ついで、視線をもう一つあるベッドへ向けた。
「なら、お前らも座れ。それから話す」
空と海が言われた通りに、光の対面になるように、ベッドへ腰かけた。