第十一章 第一のミステリー
突然部屋を満たした暗闇。
悲鳴。
テーブルの上に何かが叩きつけられたような音。
様々な音が混じり合い、混迷を極めた室内に突如戻った明かり。
全員が立ち上がっていた。
そうと気づく前に、悲鳴が上がる。
明るさに目を細めていた空は、声の主の方へ顔を向けようとして、途中で視界に入ったものに驚いて目を瞠った。
長いテーブルの上。
いくつかのティーカップを倒して、人の形をしたものが横たわっていた。倒れたティーカップの中にお茶が残っていたのだろう。真っ白なテーブルクロスの上に茶色い染みが広がっていく。
「光?」
空は机の上に横たわっているものから目を離せないまま呟いていた。ついさっきまで、声を聞いていたはずなのに。
「……の、服を着たマネキンや」
傍らから海の声が聞こえて、空はあっと声を上げた。
確かに。着せられた服にばかり目がいって、一瞬慌てたが、よく見れば生身の人間とは程遠い。どこからどう見ても作り物。お店においてあるようなマネキンが両手を上にまっすぐ伸ばして、うつ伏せに倒れている。
「あー、びっくりしたなぁ。もう」
大きく息をついたのは、光の隣席をあてがわれた人物だった。腹の出た狸の置物を連想させる体型の男。
空の記憶が確かならば、伊吹直之という名だったはずだ。茂山がそう紹介していた。正確にはグルメ雑誌編集長のという前置きがあったが、そこは憶えていない空であった。
「ホント嫌だわ。悪趣味ね」
顔にも声にも、嫌悪をあらわしているのは秀香だ。
「まあそう言うなよ。面白くなりそうじゃないか」
余裕の声をあげたのは、秀香の隣に立つスーツ姿の男。彼女の従弟で、名を一条健介という。
「皆様。ミステリーの時間です」
突然の声に室内にいた全員が驚いた。茂山の声だった。食堂へ入ってきたところらしい。
テーブルを囲んだ全員が呆気にとられた顔で、彼を見た。次いで、テーブルに横たわるマネキンを見る。
「なあ、やっぱ光の服だよな。コレが着てるの」
空は、マネキンを指さし、傍らの海に再度確認する。
「ああ、今日着とったやつや。あー、もったいないなぁ。あの服、高いのに」
マネキンの着ている服がこぼれた紅茶を吸っているのを見て、海が嘆いた。なぜ、マネキンが光の服を着ているのかは分からないが、光が主催者に協力していることは確かだろう。
「それでは。今回の謎とルールです」
凛とした声が室内に響き、空の思考を遮った。藤沢が声を上げたのだ。
「今皆様の前に、死体を模したマネキンが横たわっています。明かりを消し、マネキンをテーブルの上に置いた犯人を探してください。一番に謎を解いた方にポイントを差し上げます。最終的にこのポイントが一番多い方がミステリー会の優勝者となります」
藤沢は、続けてルールを告げる。概要はこうだ。
ルールその一。
参加者は、チームを作り『犯人』を探すことができる。ただし、そのチームが正解した場合、ポイントは代表者一名にのみ与えられる。
ルールその二。
犯人が分かったら『謎は解けた』と手をあげ宣言する。その時点で、その人物は『探偵』となる。他の者は『探偵』が推理を披露している間『探偵』にはなれない。
ルールその三。
『探偵』は、犯人と思う者を指さす。指をさされた者は、その時点で『容疑者』となる。
ルールその四。
『容疑者』は、『探偵』の推理が終わるまで、反論することはできない。ただし『探偵』の推理が終わったあと、反論することができる。
ルールその五。
『探偵』が犯人を間違えた場合。その者は、他の誰かが『探偵』として名乗りを上げない限り『探偵』にはなれない。ただし、同じ人物を『容疑者』として指名することは何度でもできる。
ルールその六。
『犯人』は、『容疑者』として指名された場合でも、推理が正しくなかった場合は『犯人』とは名乗らない。
ルールその七
『探偵』以外の者が『犯人』を当てても、ポイントは与えられない。
ルールその八。
参加者全員が、茂山、藤沢両名に質問をすることができる。ただし、質問は、三回までとする。それより後の謎に関する質問には答えない。
「私達への質問に対する答えは全て正しいと思ってください。探偵が、犯人を特定した時点で、今回のミステリーは終了となります」
祐一はそこで言葉を切って、一同を見回す。
「それでは、今から十分後の七時三十五分に開始します。その間、休憩です。開始時刻まで、マネキンには一切手を触れないでください。御手洗いに行かれる方は今の内にすませてください。チームで謎に挑む方は、この休憩の間に私か、茂山に申請をしてください」
藤沢と茂山は並んで恭しく頭を下げた。
その傍で、じっと話を聞いていた秀香が急に動いた。椅子を蹴倒す勢いで扉の奥へ消えて行く。
スーツの男が、秀香の名を呼んだが聞こえなかったのか、彼女は振り返りもしなかった。
「うーん。めっちゃトイレに行きたかったーっちゅう感じでもなかったな」
とは、海の感想である。
「あの、空さん。海さん」
遠慮がちに背後から声をかけられ、不意をつかれた海は驚いて、瞬時に声の主に気付いた空は満面の笑みで振り返った。
少し目線の低い位置に千鶴の可愛らしい顔がある。
「もしよろしければ、私とチームを組んでいただけませんか」
胸元で指を組んで空達を上目使いに見る千鶴は実に愛らしい。散歩の時とは違う、薄いピンク色のワンピースが似合っている。彼女の清楚な姿を見て、空の心は今、天に昇った。
すっかり、心ここにあらずといった態で、千鶴に見惚れている空に気づいた海は、代わりに返事をすることにした。
「もちろん。俺達先輩の付き添いで来てるんですから」
「まあ、ありがとうございます。海さん」
「あ、あの。俺、先輩のために頑張ります!」
我に返った空が、勢いよく片手を上げて、鼻息荒く宣言する。
「まあ、さすが空さん。頼もしいですわ」
嬉しそうな声を上げた千鶴をみて、空の顔がやに下がる。海は、内心うわーと叫んだ。空の顔が雄弁に気持ちを物語っていたからだ。誰が見ても空の恋心に気づきそうなものだが、千鶴は恋愛関係には心底疎いらしい。何事もない顔で、会話を続けている。
「光さんをチームに入れてもよいモノでしょうか? 途中で参加されるかもしれませんし」
海は苦笑した。どうやら彼女はマスターの声の正体に気づかなかったようだ。
「うーん、それは藤沢さん達に聞かないとなんとも言えないですね」
千鶴は口元に手をあて、目を見開いた。
「まあ、その通りですわね。気づきませんでした。私いつも考えが浅くて」
千鶴は悄然とする。
空は、千鶴を励まそうと、肩に手を置こうとした。彼女の肩に触れる寸前。手の動きをとめる。触りたい、けれど触れない。触るなんて、恥ずかしすぎる。近くにいるだけで、高鳴る心臓をもてあましているというのに。この上、彼女に触ってしまっては、どうなるのか想像もつかない。
彼女の肩の近くまで寄せていた指を意味もなく、わなわなと動かし、これはこれで挙動不審だと気づいて、慌てて腕をおろした。
「先輩。チームの申請早くしないと休憩時間終わりますよ」
海が空をちらりと横目で見てから、千鶴に声をかける。千鶴はっとしたように顔をあげ、微笑んだ。
「本当ですわ。私、祐一さんにチームの申請をしてまいりますわね」
嬉々とした様子で、千鶴は藤沢のもとへ駆けて行く。彼女にしては珍しい素早さだった。
光ともう一名を除く参加者全員が大食堂に集まった。
「今回、チーム申請を行ったのは一チームのみとなりました。一条千鶴様。高橋空様。紫藤海様となります。お三方のチーム名は……」
そこまで言って、藤沢は、空の横に立つ千鶴を見やった。口元に微かな苦笑を浮かべる。
「千鶴と楽しい仲間たちチーム」
「なんじゃそりゃ」
空の横で、海が容赦なくツッコみを入れる。笑いが漏れる中、千鶴は声を上げた海に向かって、おっとりと小首を傾げる。
「あら、いけませんでした? ちゃんとチーム名があった方がよいかと思いまして、考えましたの。とっても可愛いチーム名になりましたでしょう」
と、のんきな台詞。
先輩が可愛い。と、思う空の横で、海は引きつり笑いを浮かべるしかなかった。もうどうにでもしてくれという心境である。
咳払いを一つして、注目を集めた藤沢は参加者に告げる。
「それでは、皆様。ミステリーの時間です」