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ひと夜

湯殿から出て来ると、律はもう居なかった。

鹿だと言っていたし、もう戻ったのかもしれない。維月は迷いながらも、維明の居る居間へと戻って来た。

しかし、そこには維明は居なかった。行燈の灯りも落ちている。維月が奥の間の方を覗くと、そこは気で調節されて暖かく、そして灯りがあった。だが、そこにも維明は居ない。

自分のために用意された部屋はどこかしら…。

侍女も居ないこの屋敷では、誰に訊く訳にもいかず、維月は奥の間の畳みの上に置かれた座布団に座って、待っていた。昼間はとても楽しかった…苺もとても美味しかったし…桃はいつ頃かしら。早く食べたいなあ…。

維月は、座布団にもたれて、うつらうつらしていたが、そのうちに眠ってしまったのだった。


維明が夜具に着替えて戻って来て、そこで眠っている維月を見て苦笑した。待ちくたびれたのか、疲れていたのか…。どちらにしても、こんな神の女は聞いたことがない。

維明は傍に寄って、声を掛けた。

「維月。」

維月は目を開けた。

「維心様…?」

維明は、畳に座って維月を抱き寄せると、首を振った。

「似ておるが違うの。」

維月はハッとして目を開けた。

「あ、維明様…!お戻りですか?あの、私、お部屋が分からなくて…。」

維明は、しばらく黙ったが、維月を抱く手に力を入れた。

「ここで良いであろう?ここには、他に褥がないのだ。誰も訪ねて来させぬのが前提であったから…。」

維月はその意味を悟って身を震わせた。

「維明様…。わ、私はでは、座布団を並べてそこで休みまするので。お気になさらず…。」

「そのような…」維明はそのまま畳と座布団の上に維月を押し倒した。「わかっておるであろうに。」

「維明様、あの、でも…維心様が…、」

「十六夜が、主を許してくれた。」維明は言った。「我は、今まで何も望まなかった。だが維月、我は維心と同じなのだ。主を望んで…諦めていた。しかし、十六夜が主を、先ほど許してくれたのだ。我は、このただ一度きりでも良い、主と共にと願っておる。今まで、誰とも関わって来なかった我であるが…。今、我は主が欲しい。このような機会は、これから訪れることはあるまい…。」

維月は身を震わせた。確かにそうだ。維明様はとても孤独な千数百年を生きてらした…そんなかたが望んだから、十六夜も私を許すと言ったのだわ。維心様にそっくりの、このかたを…。

維明は、黙って考え込んでいる維月をそっと抱き上げると、奥の寝台へと向かった。維月はどうしようかと戸惑った。維明様のお気持ちは分かる。維心様との最初も、そんな気持ちから一緒にいるようになった。でも、維心様が知られた時のことを考えると…。

寝台に降ろされながら、維月は言った。

「維明様、やはり…維心様の手前、大変なことになってしまうのではありませんか?」

維明は、維月の上に身を重ねた。

「…良い。維月…我の望みを、受け止めて欲しいのだ。諦め切れなかったのは、主だけぞ。他は何でも捨てて来れたものを…。」

維明の目が、薄っすらと青く光っている。そして、維明は維月に口づけ、そのまま、夜を共に、朝まで眠らずに過ごした。


昼近くなり、起き出した維月と維明は、十六夜を待って前栽を眺めながら、寄り添って座っていた。維明はやはり穏やかで、似てはいるが維心とは違った。しかしやはり、共に居るとふと思い出したかのように維月に頬を擦り寄せ、大事そうに抱えるその腕は同じだった。その幸せそうな様子を見ていると、維月も嬉しかったが、しかし維心を思うと心が痛んだ。どれ程にお辛く思われることか…。維月は複雑だった。

十六夜が、降り立った。

「…世話になったな、維明。」

維明は微笑んだ。

「十六夜…我こそどれほどに主に感謝しておることか。」と、腕の中の維月を見た。「まるで夢のようであった。礼を申す。」

維明が立ち上がって、維月を立たせようとするのを見て、十六夜は言った。

「たった一晩だってのに。お前はほんとに欲がないな。維心とは大違いだ。」と、維月を見た。「維月、お前一週間ほどここに居ろ。いいだろうが…オレは一週間後に迎えに来る。」

維明が驚いた顔をした。

「…そんなに維月の気が気取れなければ、維心はさすがに探しに参るはずぞ。十六夜、そうなると主も大変であるぞ。」

十六夜は首を振った。

「それは大丈夫だ。昨夜、オレは維心に話しに行って来たんだよ。あいつは知ってる。ま、頭を抱えちゃいたがな。認めたいが認めたくない。そんな感じだったよ。本当に我慢ならなかったら、昨夜のうちにここへ乗り込んで来ただろう。あいつは今、葛藤してるんだろう。」

維月が息を飲んだ。きっと、維心様は今、とても苦しんでいらっしゃる…。そう思うと、居ても立ってもいられない気持ちだった。維月が袖で口元を押さえるのを見て、維明は言った。

「…十六夜。我は、そのような方法で維月をここへ残すつもりはない。確かに我は維月を共にと望んでいる。だが、維心を苦しめるつもりもない。そのためにここに篭って来た千数百年だったのだから。」と、十六夜に降りて来るよう身振りした。「こちらへ。話したい。」

十六夜は、黙って降りて来て、座敷に座った。維明も維月を横に座り、そして、言った。

「…まずは、王というものがどれほど重い責務であるのか、知らさねばならぬの。」維明は言った。「維心は、まだ成人したばかりの子供のような顔をしておった頃に、父を殺して王座に就いた。そして、誰も教えてもらえぬ中、ただ一族のため、王となって己を殺して生きて来た。我を見て分かる様に、元はこのように殺生を好まぬ性質であるにも関わらず、あれは王となるため、わざと非情の王として振舞って、そして地を平和にと、殺戮が起こらぬ場にするために、己の力の全てを使って押さえ付け、そして今の世を作った…どれほどに心が荒んで行ったものか。それでも、それを癒せる者など一人も居なかった。あれはたった一人で、ただそれに耐え、今の平和な世はその犠牲の上にあるのだ。」維明は、息を付いた。「本当なら、我がそれをせねばならなかったであろう。あれは、我が生まれ出なかったがため、あんなものを背負わされて来たのだ。やっと最近になって、維月を得てあれは変わった。ここへ来ても、穏やかな顔をするようになった。将維を連れて参った時も、それは誇らしげであったわ。あれほどに長い生の中で、たったここ数十年の間のことぞ。それを…我が、ここまで楽をして来た我が奪っていいはずなどない。我は本当に、このひと夜でいいと思うておった。維心に気取られず、苦しめることもなく得ることが出来るならと…甘い考えであったの。全ては我が悪いのだ。」

十六夜は、じっと維明を見た。

「維心のことは、分かってる。分かってるからこそ、オレの嫁なのにあいつに預けてるんじゃねぇか。だが、お前だってここまでずっと一人でそうして来たんだろう。維心と同じだよ。お前は自分を分かってねぇんだ。オレは、だから維心だけを特別扱い出来なかったんだ。維明、お前は、何のために生まれたと思うんだ?」

維明は、視線を落とした。

「…本来なら、王なるため。だが、我がそれを生まれ出ないことで拒んだため、維心が王になった。つまりは、我はもう不要の命であったのだ。維心とこれほどに同じなのだから分かるであろう。同じものは二人も要らぬ。それでもここまで我が永らえたのは、おそらく維心が途中で命を落とした時の代わりであったのであろうて。もうそろそろ、我は用済みであるだろうよ。つまりは、老いが来る可能性が高いということだ。我はおそらく、もういくらも生きられぬであろう。維心が地を平定し、落ち着いた。今の世は、次の王の育つのを待っておる状態。将維は優秀な龍だ。あれが維心の代わりを務めることが出来る。我はもう要らぬ。」

維月が衝撃を受けた顔で、維明を見た。維明は苦笑した。

「維月、そのような顔をするでない。我は本来ならば生まれておらなんだかもしれぬもの。それがこのように長い生を生きて参って…思い残すこともないしの。我がこの世を司っておったら考えることを、今述べたまでよ。なので、最後にと主を望んだのだ。これでいつ老いが始まっても、我はもう良いの。」

十六夜は、じっと維明を見た。どこまでも維心と同じ。穏やかだが我慢強く、己を表に押し出すことも無く…。維心が維月のことに対してあれほどに執着するのは、きっとこれまで生きて来た中で唯一の望みであるからだろう。

ふと、気配を感じた。十六夜は、振り返った。

「…維心か?そこに居るんだな?」

しばらく沈黙が流れたが、気を遮断する膜を被った維心が木の影から出て来た。

「…なぜに分かった。」

十六夜は、空を指した。

「オレの本体から見たからだ。その膜は、目視は出来るからな。」

維心は、ため息を付いて膜を消した。維月は驚いて維心を見た。

「維心様…。」

「愚かだと笑うがよい。」維心は言った。「我はどうしても維月を誰かの手に委ねることは出来ぬ。叔父上があれほどに我のことを考えておるにも関わらず、我は己のことしか考えておらぬのだ。分かっているのに…維月を手放せぬ。一時でも…。」

維明は頷いた。

「分かっておるよ。主は愚かではない。維心、主が唯一望んで傍に置いておる幸福を、我が長くここへ留めることは出来ぬ。連れて参るがよい。十六夜が許せばであるが…」

維明は、十六夜を見た。十六夜は維心を見た。

「やっぱり納得出来なかったんだな。ま、そうだろうとは思ってたけどよ。今回は、月の宮へ連れて帰る。で、維明にも月の宮を見せてやりたいから連れて行くつもりだ。お前も来たけりゃ来な。」

維心は驚いたような顔をしたが、頷いた。

「…宮で政務の始末を付けて、すぐに参る。」

十六夜はフッと笑って頷いた。

「全くよお、龍ってのは面白いな。維心も、維明も、オレは嫌いじゃねぇ。」

維月がフフッと笑った。

「好きだって言ったら?」

二人が驚いて維月を見る。十六夜はわざと顔をしかめて飛び上がった。

「うるさいな。嫌いじゃねぇって言ってるだけだ。行くぞ、維月!」

維月は慌てて立ち上がった。

「え、もう?待って!」と、維明を振り返った。「維明様も!」

維明も慌てて立ち上がった。

「では、維心。あちらでの。」と、十六夜を見上げた。「聞いていた通り、せっかちであるの。」

維心は頷いて小声で言った。

「己の都合ばかりであるのよ。」

「聞こえてるぞ!維心!」

十六夜が上空から維月と手を繋いで叫んでいる。維明が急いで二人に合流し、飛んで行くのを見届けてから、維心は龍の宮へ取って返した。

早く月の宮へ行かなければ…。


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