再会
維月は、急に十六夜が飛んだので驚いて目を閉じて、そして次に目を開けて驚いた…そこは、間違いなくまだ維心の結界の中、しかし、そこはさらに違う結界の中だった。つまり、維心の領地内で違う結界を張ってある中ということになる。
覚えのある玉砂利の上に降ろされて、維月は十六夜を見上げた。
「十六夜…ここは維明様のお屋敷?」
十六夜は頷いた。
「そうだ。維明は今、もう気配を隠すこともないから、気を全て補充してるだろう?だから、こうして結界も張れるんだ。将維が自分の対に自分の結界を張ってるのと同じ原理さ。この中は維心にも読めねぇ。」
維月は十六夜の手を握りながら言った。
「どうしてここに?十六夜が維明様と仲良しなんだって蒼から聞いてたけれど…。」
十六夜は、歩き出しながら言った。
「そうなんだ。毎日話してるんじゃねぇかな。月からだが。あいつはほんとに一人でよ。普段は誰とも話すこともないんだ。だから、お前も話し相手にって思ってな。ここの庭も、お前、見たいだろうが。」
維月は微笑んで頷いた。
「ええ!だから寄ってくれたのね。ありがとう。」
維月は嬉しそうに歩いて行く。十六夜は苦笑した。
「ああ。話し相手になってやってくれよ。」
庭のほうに横の道から入って行くと、沈丁花の良い香りがした。維明が花を見てそこに佇んでいる。そして、十六夜と維月を見て、驚いたようにこちらを見つめた。
「…そうか、月は結界など関係なかったのだったな。しかし…十六夜…?」
十六夜は笑った。
「維月が庭を見たいだろうと思ってな。月の宮に帰る前に立ち寄ったんだ。しばらく滞在させてもらおうと思ってるよ。」
維明は維月を見た。
「我は…一向に構わぬが…しかし、」
十六夜は、維月を押した。
「さ、庭を見せてもらいな。お前、沈丁花の花の香りが好きだと言ってたろう?」
維月は嬉々として駆け出した。
「ええ、すごいわ!」と、沈丁花に身をかがめて匂いを嗅いだ。「なんだか懐かしい感じ…。」
でも、前には無かったのに。良く見ると、そこかしこに花が増えていて、庭の色彩が増している。向こう側には、梔子も植わっていた。夏になると、きっとあちらもいい香りがするのね。
「…十六夜…。」
維明は、十六夜を見た。十六夜は頷いた。
「せっかくだから、増えた花でも見せてやったらどうだ?オレは忙しい身の上だから、ちょっと出かけるが、また夕方には来るよ。」
維明は戸惑った顔をしていたが、嬉しそうに微笑んだ。十六夜はそれを見て、その場からフッと消えた。
「維月。」維明が、手を差し出した。「あちらにも、野の花を移し替えてたくさん植えてあるのだ。参らぬか?」
維月はその手を取って、回りのきょろきょろと見た。
「あら?十六夜はどちらに?」
維明は苦笑した。
「何やら用があるらしい。夕方には戻るそうだ。」
維月はため息を付いた。
「まあ…自分から迎えに来て置いて。維明様に子守りのように私を押し付けて行ったのですわね。」
維明は微笑んだ。
「良い。さ、参ろうぞ。」
二人は歩いて、庭を散策した。
十六夜は、まだ維明の結界内に留まっていた。ここから出て月に戻っても、月の宮に戻っても、維心が気取って、維月の気配がないのに大騒ぎしそうだからだ。
十六夜は、ここ半年の維明の様子を見て、知っていた。維月に会いたくて、今まで出なかったここを出て龍の宮へ行ったことも、そこで維心に顔を見ることもさせてもらえなかったことも、それなのに恨みもせず、黙って戻って来たことも知っていた。
月を見上げて維月を想っていることも分かっていた。なので、十六夜は話し掛けてみた…維明は最初、驚いたようだったが、毎日のように話し掛けて来るようになった。
維明はさりげなく維月のことを聞きたがったので、十六夜は快く話してやった。子供の頃の時の事、何を好んで何を嫌うのか、そして維月がどんな性質なのか…。
維明は、楽しそうにそれを聞いていた。そして、維月が好むという花畑を作り、沈丁花を植え、梔子を植えて、いつか来るかもしれない、いつ来るかも分からない維月のために、庭を変えて行った。
そしてそれらが美しく咲くのを見て、また嬉しそうにしていた。
そんな様があまりにも哀れに思った十六夜は、維月の姿を月から投影して、夜庭に立たせて見せてやった。維月が昼間に庭を歩き回っていたのを、十六夜が見た、その記憶の姿だが、維明は感嘆してそれを見た。そして傍に寄って姿を眺め、また嬉しそうに微笑んでいた。
そして、維明はあまりにも一人だった。
おそらくずっとそうして来たのだろうが、何かの必要が出来た時にだけ、周辺の獣達の姿を変えて侍女や召使いとして表へ出す。普段は、本当に誰も居なかった。気を消耗して奥で一人休んでいる時も、誰も傍には居らず、一人きりで居た。
それでも不満のひとつも言わず、ただ維月の幻を見て、想っているだけで何も望みもしない維明を、十六夜はなんとかしてやりたいと、心底思った。それで、ある夜、言った。
《維明、オレが維月をここへ連れて来てやる。》
維明は驚いたように首を振った。
「何を申す。維心の妃であろう。あれが許すはずはないし、我はこれで満足であるよ。主が、そうして維月の姿を見せてくれるではないか。それに維月のことを話して聞かせてくれる。本当に、このように楽しい日々は生まれて初めてであるのだ。なので、これで良い。」
十六夜は気の毒になった。これが生まれて初めてだなんて。
《あれはオレの嫁でもあるんだ。オレが一番先に嫁にしてたんだぞ?なあ維明、オレにとっちゃあお前も維心もおんなじだ。オレは気にしねぇ。オレはお前を気に入ったよ。》
維明は戸惑ったような顔をした。
「…十六夜、無理はせずともよい。」
十六夜はフンと鼻を鳴らした。
《無理?そんなもんしてねぇ。じゃあな、待ってろ。》
そして、連れて来ることにしたのだ。ここで一週間ほど預けようと思って、維心に二週間来るなと言った。旅行にでも連れて行くと言おうかと思っていたが、あんなだだをこねたので、うまくこじつけられてよかった。
十六夜はしばし回りの木々達と話して、木の上で眠って過ごした。
目の前の維月は、嬉しそうに笑っていた。
維明が、維月のためにと作り上げた庭で、その所々に立ち止まって、はしゃいで時に驚くような行動をしたりしたが、十六夜から聞いていた通り、とても快活で明るく、はっきりとした性格だった。聞いた通りに、維月の好み通りになるようにと、心を砕いた。苺は棚を作ってそこに植えてみたのだが、まるで庭と言うより畑だなと思っていた。だが維月はその棚と回りがきれいに合っていると感嘆して、そして苺をパクパクと食べていた。十六夜が、子供を連れて苺狩りにはしょちゅう行ってたと言っていた…維月が苺を好きだから。その様子を見ていて、確かにそうなのだと思った。では、あのメロンも無事に実らせなければ…。維明は思って、広い棚の畝のほうを見た。
維月が、先の間を開けて植えてある木を指して言った。
「あれは?維明様、前にはなかったものですわ。」
維明はハッとして維月の手を引いた。
「あれは…桃園だ。白桃をならそうと思うての。」
ここからは果樹園になる。何しろ維月は人の頃から果物が好きで、好きな果物は苺、メロン、桃、ブドウだと言うから、あちこち飛び回って集めて来た、良い気を持つ木ばかりを植えてあるのだ。
維月は喜んでそばへ寄って木を見上げたが、まだなって居なかった。
「…夏頃であるの。」維明は微笑んで言った。「あちらのブドウもその頃ぞ。」
維月は維明を見上げて微笑んだ。
「夏が待ちどおしいですこと。」
その笑顔に、維明はなんとも言えない感情を感じた。維月が喜んでいる…。
維明は思わず、維月を抱き寄せた。
維月はびっくりしたような顔をしたが、おとなしくしていて、維明を見上げた。
「維明様?」
維明は言った。
「十六夜から、主が好むものを聞いて、そのように作っていたのだ。果物も、なったら十六夜に持って行ってもらおうと思うて。それだけで楽しかったのだが…こうして、主が来て嬉しそうにして居るのを見ると、我もとても嬉しい。」
維月は驚いた顔をした。
「まあ…だから私の好むものばかりでありましたのね。維明様…とてもうれしゅうございまする。」
維明は、じっと維月を見つめた。
「維月…不思議な心地よ。」維明は、維月に唇を寄せた。「何と申せば良いものか…。」
維明は、維月に口付けた。柔らかい感覚。どうしたものか分からないまま、しかし離れる気にもなれなくて、維明はそのまま、ずっと維月を抱き締めて、唇を合わせていた。
二人が屋敷のほうへ戻って来たのは、夕方近くなってからだった。
維明の居間に並んで座って、お茶を飲みながら前栽を眺めていると、夕暮れの中、律が行燈に火を入れて下がって行った。維月は言った。
「…そろそろかしら。十六夜は、遅いこと。すっかりお邪魔してしまっておりまする…。」
維月は、神が特に用事の無い時に、そんなに夜長く起きていないことを知っていた。暗くなって、しばらくしたらもう、休む。そして夜明けと共に起きるのだ。だから、客も日が落ちる前に帰るのが普通。行燈に火が入るほどの時間まで居たら、皆泊って行くものだった。
「…我は構わぬ。」維明は言った。「我以外誰も居らぬしの。気兼ねすることはない。十六夜も、何か忙しいのであろうて。」
維月は、身震いした。夜は風が肌寒くなって来る。気で調節しておくのを忘れていた…。維明が手を上げた。
「すまぬ。気が付かなんだ。」障子がすっと閉じた。「夜はまだ、少し肌寒いの。」
維月は苦笑した。
「自分で調節することになかなか慣れませんで。申し訳ありませぬ。」
《維月。》十六夜の念が飛んで来た。《迎えに行くのが遅くなるかもしれねぇ。明日には行けると思うんだが。》
維月は驚いた。
「まあ…何かあったの?大丈夫?」
十六夜の声は淡々としていた。
《ああ、問題ねぇ。維明そんな訳だから、明日まで頼んだぞ。》
維明は、ためらいながらも、頷いた。
「我は良い。しかし、主は大丈夫か?我に出来ることがあれば言ってくれ。」
十六夜は笑った。
《心配性だな。大丈夫だっての。じゃあな。》
そして突然に、十六夜の念は途切れた。維月は、維明を見た。
「本当に…困った月なのですわ、十六夜は。」
維明はじっと考えている。そして、維月を見た。
「いや、我はそうは思わぬな。」維明は言って、立ち上がった。「では、主はここで休まねばならぬ…湯殿に案内しようぞ。着物を用意させる。我は、戸を閉めて風を遮って、気で温度を調節しておくゆえ…ゆっくりして来るがよい。」
維月は頭を下げた。
「はい。お世話になりまする。」
律が、頭を下げて維月を先導して歩いて行く。維明は黙ってそれを見送っていた。