里へ
数か月後、十六夜が突然にやって来た。
「よう、維月。」
維月は驚いて、維心の居間で振り返った。
「まあ十六夜?どうしたの、急に。昨夜話した時は、何も言ってなかったのに。」
維月も月から話すからだ。十六夜は笑った。
「いいじゃねぇか、嫁に会いに来るのに、いちいち了解取るのもめんどくせぇ。帰って来いよ。迎えに来たんだ。」
十六夜は腕を引っ張る。維月は首を振った。
「いきなり今からは駄目。維心様が宮の会合に出ていらっしゃるの。帰って来るのを待ってからでないと…驚くでしょ?いきなり居ないなんて。」
十六夜は苦笑した。
「確かにな。あいつは探し回って、すぐに追い掛けて来やがるだろう。じゃ、待ってるよ。」
維月は微笑んで十六夜の横に座った。いつも突然に思いついたように来る…でも、実際は毎日折々に月から話していて、お互いの様子は一緒に居るのと同じぐらい分かっている。ただ、維心が居る時にはあまり話さないようにしていた。変な軋轢は生まないようにしているのだ。
なので、姿を見るのは久しぶりでも、人の世に居た頃と同じように毎日話しているので、離れているという感じではなかった。十六夜は、時に触れ合いたくなったりしたらこうして会いにやって来る。我がままと言えば我がままなのだが、維心が居るのでこれはこれでうまく行っていたのだった。
十六夜は、維月を抱き寄せて、頬に唇を寄せた。
「…なんだかホッとするな。お前の気って安らぐ感じがするんだよ。」と、ふんふんと鼻を鳴らした。「お、花の匂いがするぞ。」
維月は笑った。
「さっきまで庭で百合に囲まれていたからね。まだ時期はだいぶ早いんだけど、庭師達が私の為にって咲かせてくれたの。でも、あまりにダイレクトな香りで私、ちょっと苦手。離れて嗅ぐのはいいんだけど、ずっと中に居ると、むせ返りそう…。」
十六夜は笑った。
「そうだなあ、確かに。沈丁花の香りは好きだって言ってたじゃねぇか。」
維月は頷いた。
「そうね。今は沈丁花の時期よね。夏場には、梔子の花の匂いが本当に好きよ。」
十六夜は眉を寄せた。
「ああ~あれはなあ、お前、小学生の時プールの帰りに美味しそうな匂いって言って、いきなりパクついただろう。あれ以来オレにはトラウマなんでぇ。花の中に毒のあるのがあるのを、知ってたからな。」
維月は思い出したように手を叩いた。
「ああ、あったわね!よく覚えてるわね、十六夜。でも、すぐに吐き出したでしょ?夕方で十六夜が出て来たばっかりだったから、必死に、出せ!吐き出せ!って叫ぶから。別に問題なかったと思うんだけど。」
「なんだって用心にゃ越したこたねぇと思ったんだよ。お前は何をするか分からなかったからな。」
十六夜は、維月に頬を擦り寄せる。維月はフフと笑った。
「もう…でも、無事に育ったじゃない?」
十六夜は笑った。
「そうだ。お前が一番、育てるのが大変で、オレが育てたって感じだったな。母の美咲は全くオレの声が聞こえなかったし、そのせいでオレに否定的だったからな。何でも一から教えることが、あれほど大変だったとは。」
維月は十六夜の額に自分の額を当てて、じっと見た。
「もう、いいの!子供の頃のことは。もう子供じゃないでしょう?」
十六夜は笑って維月に唇を寄せた。
「違いねぇ。」
十六夜が口づけていると、維心の声が不機嫌に言った。
「…このような出迎えはいかがなものかの。」
維月は慌ててそちらを振り返ると、立ち上がった。
「お帰りなさいませ!維心様。」
維心はぶすっとして手を差し出した。
「ここでは我が居らぬでも遠慮せよ。良い気はせぬ…。」
維月は下を向いた。
「はい、申し訳ございません…。」
十六夜がそれを見て言った。
「ふーんそうか。だったら、月の宮ではお前のほうが遠慮してもらおうかな。あっちで維月に触れるのは禁じていいか?オレの結界内だしよ。」
維心は罰が悪そうに十六夜を見た。
「それは…しかし維月を連れて行ってしまうのだし…。」
「ここへ連れて来てるのはお前のほうだぞ?オレの片割れなんだって言ってるだろうが。最近忘れてるようだから、ここで念を押しとくがな。さて」十六夜はそんなことを言いながらも、特に怒っている訳ではないらしい。立ち上がると、維月を指した。「連れて帰るぞ。ほんとなら三か月ぐらいって思ってたのに、もう半年も連れて帰ってなかったからな。さ、維月、維心にも言ったし、行くぞ。」
維心は維月の手を握るのに、力を込めた。
「待て、そのように急な…なぜに前日に言うてくれぬ。いきなり来て、連れて帰るなど…またひと月は連れて行ってしまうのであろうが。」
十六夜は呆れたように言った。
「あのなあ、三か月過ぎたら、そろそろだなって心の準備をしておけよ。ずっとここに置くなんて有りえねぇんだから、分かるだろうが、それぐらい。分かりやすいように、ひと月おきとかにしようか?ふた月おきでもいいぞ。一年を半分ずつに分けるとか。」
維心は慌てて首を振った。
「いや、今のままで良い。」そんなことをしたら、ここに居る日数が減ってしまう。仕方なく、維心は維月を見た。「維月…では、また訪ねて行こうぞ。」
十六夜は、じっとその様子を見て考えていたが、フッとため息を付いた。
「…わかった。じゃあ、明日の朝に迎えに来る。」維心の驚いた顔を見て、十六夜は続けた。「その代わり、月の宮には二週間は来るな。わかったか?」
維心は足を踏み出した。
「そのような!」
十六夜が厳しい顔で言った。
「お前を甘やかし過ぎてたなーって思うよ。普通里帰りにすぐ付いて来るのはおかしいだろうが。オレがこっちに入り浸っているようなもんだぞ?お前、怒るだろうが。ちょっと来てくっついてただけで不機嫌になる癖に。」と、維月を見た。「とにかく二週間したら来てもいい。それまでは我慢しな。じゃあな、維月!明日来るよ!」
十六夜は飛び立って行った。
維心は呆然とそれを見送った。
次の日、維月は空を見上げていた。維心はそれこそ一生会えないのではないかというほど参っている。維月はため息をついた。
「維心様…たった二週間でございますから。この数十年の間に、もっと長く離れていたこともございますでしょう?すぐでございます。そのように沈まないでくださいませ。」
維心は頷いた。
「分かっておる。十六夜は何も理不尽な事は言っておらぬのに…我は駄目であるの。はなから会うなと言われると、このように沈んで。」
維月は維心を抱き締めた。
「また、念を飛ばしまするから。元気をお出しくださいませ。」
維心は頷いた。
「待っておるぞ。」
十六夜が、居間へ到着した。維心が維月をしっかり抱き締めているのを見て、苦笑する。
「死ぬんじゃねぇんだから。たった二週間だろ?オレなんか今回半年離れてたぞ。毎日月から話してたけどよ。」
「わかっている。」維心は維月を見た。「ではの。二週間後には、必ず参るゆえ。」
維月は微笑んだ。
「はい、維心様。」
維心は維月に口付けた。なぜだか不安になる。今回は特に離したくない。十六夜は、維月の手を引いた。
「はいはい、長いぞ。」と、維心から維月を引っ張って自分の腕に抱き上げた。「じゃあな、維心。」
飛び立って行く十六夜を、維心は小走りに追って、居間の窓から見上げた。二人はどんどん小さくなって行く。そして、気配を読んでいると、すっとその気配は消えた。
十六夜が維月を抱いたまま、瞬間移動したのだと感じた。…気配が読み切れない。
維心は不安なまま、何も見えない空をただ見上げていた。