回復
維心は、維月の手を取って、居間の定位置に腰掛けた。十六夜が、その前の椅子に腰掛け、その横に維明が座った。
「結局のところ、殺さなくてよかったといったところか。」維明が言った。「我が斬った軍神は、こちらへ運ばせておるが、あれも霧に憑かれておったとしたらかわいそうなことをしたの。」
維心が、首を振った。
「それでも、維月が消滅しておった危険性を考えたら、術者は殺して良かったのだ。本来なら、やったことを考えると、既に皆命はなかった。それをあの二人だけでも残ったのであるから、運が良かったということであろう。霧に憑かれるのは、己の心に少なからず負の念があったということ。自己責任よの。まして王であるなら、そのようなものに憑かれて、回りに迷惑を掛けてはならぬ。その影響力は大きいからの。」
維明は頷いた。
「何にしても、消し去ってしまえてよかった。」と維月を見た。「維月、ほんに主の手柄よ。あの二人を殺しておったら、恐らく寝覚めが悪かったであろうし。」
維月は微笑んだ。
「此度はそのように。でも、本当に悪い者も中にはおりまするゆえに、その時は維心様のご判断に従わねばならないと思うておりまする。」
維心は、そんな維月を引き寄せた。
「まずは様子を見ることも大切だと、維月を娶ってから知った。それまではとにかく、我に従わぬ輩は殺しておったゆえの。良い妃よ。」
その様子を見て、十六夜が不機嫌に言った。
「全く、月の宮へ帰ると言っただろう。いきなり呼び戻しやがって。」
維心はハッとしたように十六夜を見た。
「そうよ。維月は大丈夫なのか?」
十六夜は頷いた。
「オレと碧黎が居て、どうにも出来ないことはねぇよ。さっき月の力を使ってただろうが。月とまた繋がったから、大丈夫だ。碧黎は月の宮でゆっくり維月と話したかったみたいだから、ちょっと機嫌を悪くしてたがな。知らねぇぞ?舅の心象悪くしてると。」
維心は顔をしかめた。
「…ま、とにかく、維月が戻ったのなら良かったのだ。碧黎にはまた時間を取ろうぞ。」
居間に、義心が入って来て膝を付いた。
「王、二人の意識が戻りましてございます。」
維心は頷いて、立ち上がった。
「参る。」と、維明を見た。「叔父上は、どうなされる?」
維明は、首を振った。
「我はもう、屋敷へ戻る。ここは落ち着きそうであるからの。いつまでも宮に居ては、臣下達が我がここに居るものだと思うであろう。我はあちらの生活が合っておるのだ。」
維月が立ち上がって、維明に手を差し出した。
「維明様…お世話をお掛け致しました。」
維明はその手を取って、微笑んだ。
「維月、何でもないことよ。また、果物を届けさせるゆえの。」
維月は微笑み返した。
「はい。私も近いうちにもう一度お伺いいたしまする。」
維明は維月をそっと引き寄せ、額に口付けた。
「待っておる。」
そして、そのまま歩き去って行った。
十六夜が、言った。
「あいつはあんまり混雑した所は苦手みたいだな。」
維心が眉を寄せて十六夜を見た。
「何だって?混雑?」
維月がフォローした。
「いえ、言葉のままではなく、神の多い場所という意味の比喩ですわ。」
維心はふんと横を向いた。
「十六夜は大袈裟であるのよ。」
十六夜は維月を引き寄せた。
「別にオレはお前に理解させようとは思っちゃいねぇよ。維月にゃ分かってるじゃねぇか。」と、維月を抱き締めた。「着飾ったお前も綺麗だから、ちょっと触らせてくれ。」
維月は驚いた。
「まあ十六夜!人前で何を言ってるの?」
十六夜はお構い無く頬を擦り寄せた。
「いいじゃねぇか、維心と義心しか居ねぇんだから。義心だって触りたいよなあ?」
義心はいきなり話を振られて、真っ赤になって下を向いた。維心が維月を引っ張った。
「止めよ!これは王妃の衣裳ぞ。我と対になっておるだろうが。維月にしか許されないものなのだ。美しくて当然であろうが。」と、手を取った。「さ、参るぞ維月。」
十六夜はその後ろを歩きながら、考え込むように言った。
「王妃の衣裳か…。オレらも対なんだから、何か衣裳作ってもらうかな。」
維心はそれを後ろに聞きながら、不機嫌に先に立って歩いた。義心はそれを感じながら、落ち着かない様子で歩いたのだった。
客間に入ると、目が覚めた氷璃の横には氷輝と理久が立っていた。回りには数人の軍神が控えている。氷璃は、こちらを不思議な表情で見た。
「…知っておるであろう?南の地の王を束ねる王、維心殿ぞ。」
氷璃は、慌てて立ち上がろうとした。
「これは…、」
維心は手を上げた。
「良い。気分はいかがか?」
氷璃はそのまま頭を下げた。
「何やら悪い夢を見ておったような…。変な黒いものに捕らえられた所までは覚えておるのだが、それからは…。」
氷璃は眉を寄せた。維心は、側に控える美しい治癒の女龍に頷き掛けた。
「見よ。」
女龍は氷璃に頭を下げた。
「失礼致します。」
と、言うが早いか氷璃に口付けた。氷璃もだが、氷輝も理久も仰天した。維心は言った。
「心を繋いで見ておるだけ。記憶を抜き去る方法もあるが、それでは戻せる保証もないゆえの。精神の治療には良く使う方法なのだ。」
三人が呆然としている中、その女龍は唇を離した。
「王。」女龍は維心に頭を下げて言った。「氷璃様のご記憶の中にあるのは、黒い霧に襲われた部分と、それからのことは断片的に、最初は苦しんでおられましたが、ものの数カ月で飲まれて意識が無かったものと思われまする。あとは、今気を付かれたご記憶しかございませぬ。」
維心は頷いた。
「ご苦労だった。」と、氷璃を見た。「主は、こちらの地に発生する黒い霧に憑かれて、我らを謀ろうとこちらへ参ったのだ。記憶のない所は、それを謀っておる時のこと。黒い霧は月にしか浄化出来ぬので、こちらで月の二人に浄化させた。主はもう、元に戻ったのだ。」
氷璃は驚いて、氷輝と理久を見た。理久は頷いた。
「…我らは病に掛かっておると思うておった。」理久は言った。「凛も主も、この100年常と違う様子であったのだ。我らの地は荒れておった…主が我の領地へ侵攻して参っての。今は休戦状態であるが、我らにはなす術もなかった。」
氷輝は頷いた。
「我が、あのようなものを持って帰ったばかりに…申し訳ございませぬ、父上。」
氷璃は、維心を見た。
「…王でありながら、そのようなものに憑かれて己を失うとは。ご迷惑をおかけしたこと、心からお詫び申す。」
氷璃は、深々と頭を下げた。
「あれは、心の闇に憑くもの。主ももう少し強くならねばの…月も、北の地まで浄化するように心がけると言っておったし、これからはもし、あのようなものを見たら、月に向かって申せばよい。月が答えるであろう。」と、十六夜を振り返った。「そうであろう、十六夜よ。」
十六夜は頷いた。
「いろいろ忙しいから、答えるのは難しいかもしれねぇが、なんとかするから困ったら言え。」
氷璃は、驚いた。これが、月?
十六夜が、その表情を見て、わかったわかったと言うように手を振った。
「イメージはわかってるっての。だが、オレは陽の月の十六夜。闇を浄化する。」と、維月を指した。「こっちが、陰の月の維月。闇を抑える。」
氷璃は、維月を見て息を飲んだ。維心が間髪入れずに言った。
「そして維月は我の正妃。龍王妃だ。」
氷璃は、頷きながらも、まだぼーっと維月を見ている。維月の気は、やはり神には有効だった。
「その…分かり申した。維心殿が大切にされていると聞いておる、月の君であられるのですね。」
維心は頷いた。
「我が妃は維月だた一人であるから。我が宮では、じっと妃を見つめることすら禁じておるのだ。」
氷璃は慌てて目を逸らした。
「これは…気が付きませず失礼を致しました。」
維心は憮然として言った。
「ま、仕方がないがの。」
隣の続き間から、侍女が入って来た。
「王、凛様のお気が付かれましてございます。」
それを聞いた理久が、進み出た。
「凛が…。」
維心は頷いた。
「参ろうぞ。だが、凛殿には主らが事情を説明せよ。我らはどこまで記憶を残しておるのか話を聞くゆえに。」
氷璃と理久は頷いた。理久は、氷璃に言った。
「我が見て参るゆえ。主はここで休んでいよ。」
氷璃は頷いた。
「すまぬな。理久…面倒を掛ける。」
理久は、フッと笑った。
「なんの、主には子供の頃から借りがあるゆえの。今が返す時であるぞ。」
理久は、維心達と共に続き間へと入って行った。
凛が、怯えた目で維心を見た。そして、理久を見とめると、表情を明るくした。
「理久様…!ああ、我はなぜにこのような所に?皆、龍であられて…。」
理久は微笑んだ。
「おお凛、案ずることはないぞ。主はここで治療して頂いていたのだ。」
維心が、頷いた。
「いろいろなことに巻き込まれておっての。我は龍族の王、維心。凛殿、気分はどうか?」
凛は深く頭を下げた。
「龍王様、自らのお出まし恐縮致しておりまする。我は…我はなぜにこうなってしもうているのでありましょうか?」凛は思い出そうと眉を寄せて考えた。「我は…お兄様と宮で…確か、理久様をお待ちして…。」
理久は記憶を遡った。それは恐らく、霧に憑かれてしまう前、三人で我の領地の山へ参ろうと言っていた…あの、果たされなかった約束のことであろうな。
「…凛、それから、予想外の出来事があっての。我らは出掛けることが出来なんだ。」
維心は、凛を見た。
「おそらく、消え去って記憶が戻ることはないであろうが、主は戦っておったことは事実。傷を負ったが生還したのだから、その命を大切に、確か、理久殿に嫁ぐのであろう?」
凛はぽっと赤くなった。
「はい…。」と、理久を見た。「覚えはありませぬが、我は戦っていたのでありまするね。傷は軍神の常でありまするので、気になりませぬ。ただ、理久様には…我がこのような傷を持っておってもよろしいのかと…。」
理久は微笑んだ。
「今更に何を言う。子供の頃から約したではないか…主は我らについて来ようと必死であったし、傷が絶えなかった。例え顔に傷が付こうと、主を娶るとの。」
凛はますます赤くなった。
「まあ、理久様…。」
どうやら、あちらとこちらの話を考え合わせると、理久と氷璃と凛は、幼い時から共に遊んで育った中であるようだった。凛が軍神になったのは、理久と氷璃について回っていたがゆえ。そして、理久は凛を娶ると約していたのだろう。それが、黒い霧の出現で狂い、こんなことになっていたのだ。
「ゆっくり療養するが良い。」維心は、踵を返した。「のち、北の地へ帰るが良いぞ。ではの。」
理久と凛が頭を下げる中、維心は維月の手を取って、その部屋を出た。




