龍の夫
維月は涼について、学校の二階にある談話室へ入って行った。
授業時間中なので、人けはない。二人は自動で出て来るお茶の機械から、カップに思い思いの飲み物を入れると、窓際のテーブルに向かい合ってついた。
「あなたが話したいなんて珍しいわね。子育てが大変なの?」
涼は首を振った。
「いいえ。とても聞き分けのいい子で。頭がいいらしいの。こっちの言ってることが、あんなに小さいのに理解出来るみたいで。なので、今は李関が一人であの子を連れて散歩に出ているわ。」
維月はホッとしながらも、じゃあ何を話したいのかしらと首をひねった。涼は笑った。
「別にね、そんな深く悩んでいる訳じゃないの。同じ龍を夫に持ってる者として、話を聞きたいなって思っただけ。」
維月は目を丸くした。
「あら、李関はとても優しいでしょう?」
涼は頷いた。
「ええ。思った以上に子育てにも協力的で、私は今産休を取ってるから家に居るけど、それでも非番の日は面倒を見てくれるのよ。あんなに子煩悩だとは思わなかったわ。」と、恥ずかしそうにフフと笑った。「母さんには悪いけど、あれ以上の龍なんて居ないって思ってるわよ。」
維月は呆れたように笑った。
「まあ、結婚する時は悩んでいたくせに。幸せそうでよかったこと。でも、私も維心様以上の龍は居ないと思ってるわよ?お互い様ね。」
涼は言った。
「あら、李関の瞳はとてもきれいなのよ?少し緑掛かった青で。とても澄んでいるの。」
維月も負けじと言った。
「維心様だって深い青い瞳で、あんな色は他にないのよ。私の子達は6人ともあの色なんだから。私はあの色が好き。」
涼は、座り直した。
「そう言えば、母さんの好みって聞いてなかったわね。母さんは、維心様のどこが好きで結婚したの?龍と結婚なんて大変でしょう。しかも王じゃない。李関が軍神なだけで、私はあんなに悩んだのに。十六夜とはタイプが違うでしょう?」
維月は眉を寄せた。
「うーん、それが全く似てないのに、似てるのよ、あの二人は。どこって言われても困るんだけど。十六夜はね、本当に好きよ。一緒に居ると安心するし、誰が私を裏切っても十六夜だけは裏切らないって断言できるぐらい信頼してる。だから、困ったりするとすぐに月を見上げてしまう…小さい頃からのくせなんだけどね。いつも助けてくれたから。今だってそうよ。とても深い優しさがあるの…分かるかしら?」
涼は困った顔をした。十六夜のことは聞いてないんだけど。だが、頷いた。
「そうね。十六夜の慈悲の心っていうの?あれは誰にも真似できないと思うわ。でも、じゃあ維心様は?」
維月は、窓の外を見た。
「あなたには分かるんじゃない?」維月は遠い目になった。「だって、同じように龍を夫にしてるんだもの。龍って、ほんとに真面目で誠実で、それに一生懸命よね。そのうえ、普段は抑えて見せないけど、すごく激しい気質なの。私…最初は維心様のあのお姿に、憧れ程度の気持ちしか持っていなかったわ。だって物凄く好みだったんだもの、あの姿が。」
涼は苦笑した。確かに母さんは昔から面食いだから。維月は続けた。
「でも、あのかたは見かけだけじゃなかった。それに、私をとても愛してくれたのよ。しかも、本当に一生懸命。あんなに愛されたのって初めてだから、驚いて信じられなかったけど、あのかたは私に嘘はつかないし、何でも私のことを考えて行動してくださる。そうしてる内に、私のほうが維心様を本当に愛してしまって…一時は、離れたくなくて困ったものよ。維心様が会合に行くのに居間を出て行くのも寂しくて。代わりに小さな将維を、維心様が帰って来るまで抱き締めてたこともあったわ。将維にはいい迷惑だったわよね。ほんの一、二時間ほどのことなのに。」
涼は驚いた。そんなに?
「…母さんが、そんなに想うって珍しいよね。」
維月は恥ずかしそうに頷いた。
「そうなの。だから、気取られないように苦労したわ。何でもないようにふるまうのって、案外難しいの…。十六夜はどこにも行かないし空を見上げたらいつでも居てくれたけど、維心様は居なくなってしまうんじゃないかって、それは心配ばかりしていたわ。あんまりべったりくっついたら嫌がられるかもしれないと思って、ほんとは駆け寄りたいのに我慢したりして。維心様から呼んでくださるのを、それは待っていたの。でも、維心様はお仕事がなかったら、いつもお傍に置いてくださるから。そんな不安も、今は無くて幸せだけど。」
維月は少し赤くなって下を向いた。涼はとても意外だった。母って、乙女っぽくなかったのに、これじゃあ乙女じゃない。
「母さん…なんだか、変わったのね。知らなかった。」
母はますます赤くなった。
「自分の母親がこんな恋愛して笑うでしょ?でも、本当に愛していて。私って愛したことがないから、どうしたらいいのか分からないから、とにかく嫌われないようにってそればかりよ。十六夜は小さい時から見てるから、私を嫌うことはないのは分かっているからいいんだけど、維心様はそうじゃないでしょ?いつ飽きてしまわれるかと思うと、あまりお傍に居るのもと思うし、でも、本当はもっとべったりしたいなあとか思うし、でもでも、王族としてお育ちの維心様がドン退きしちゃったらいけないから、思うがままにくっついていて、愛想を尽かされたら嫌だし…。難しいの、ほんと。」
涼は呆然とその話を聞いていた。自分もたいがい李関が好きで、恋愛してると思っているが、母はそれ以上に維心を好きで仕方がないのだ。
「私も李関を大好きだけど、母さんも維心様が好きなのね…なんだかわかったわ。維心様のほうが母さんに惚れてるって感じで見てたけど、母さんもたいがい維心様を好きよね。」
維月は赤い顔のまま、大真面目に頷いた。
「好きよ?きっと私のほうが好きなんじゃないかしら。でも、そんなこと言ったら呆れるでしょう?神の王族の女はそんな積極的じゃないし。元々がガンガン何でも言う性格なのに、控えめにおしとやかにって思うから、疲れちゃう時、あるわ。どこまで言っていいか分からないから、あまりこういうことは維心様に言わないようにしているの。維心様から求められたら言うけど。話し方だって難しいでしょ?神の話し方、つらくない?あなた、李関のご両親と話すの疲れなかった?」
涼がそうなの!という表情で頷いた。
「そうなのよ!李関は、私がずっとこの話し方でも好きで居てくれたらこのままでいいんだけど、ご両親は生粋の龍だから。母さんが維心様と話してる時の話し方を思い出して、やっと話したわ。言いたいことが思うように出ないわよね。言葉を探すのに苦労したわ…人の世でしか使われてない言葉を外すのって、ほんとに難しいんだもの…。母さんは、夫に対してそうだもの。大変だと思う。」
維月は微笑んだ。
「でも、だいぶ慣れたわ。これが愛の力っていう物よ。それでも、やっぱり表現するのって難しいわよね。好きっていうにも、愛してるって言葉だけしか使えないから、なんだかそれ一本になってしまって…表現が稚拙になっちゃう。困ったものよね。」
維月はため息を付いた。昨夜、維心に聞かれた時のことを思い出したのだ。涼は、頷いた。
「そうね。私も李関にいろいろ想いを告げたりするけど、全部人の時の言葉だもの。それで大丈夫だから…。何か、使えそうなフレーズがあったら、李関に聞いておくわね。母さんに教えてあげる。」
維月は笑った。
「まあ、ありがとう。でも、私からはちょっと…。」
涼は苦笑した。
「もう、母さんは母さんなんだから、いいんじゃない?人っぽくても。それで嫌ったりしないと思うな、維心様は。」
維月は困ったように涼を見た。
「…愛してるからこそ、怖いのよ。今のままでいいの。一緒に居られれば、それで。」と、立ち上がった。「ねぇ、そろそろ行こうか。今回は維心様の叔父様の維明様も来ていらっしゃるし、放って置けないの。」
涼も立ち上がりながら、言った。
「十六夜に聞いたわ。母さん、維明様も好きなの?」
維月は、首を振った。
「好きだけど、維心様との最初みたいな感じ。愛してるって感じじゃないの。でも、私を大事にしてくださるから…あのかたが少しでもお幸せだと思ってくださったらいいなって思うだけ。私が愛してるのは、十六夜と維心様。これは不動だと思うわ。ずっとね。」
涼はホッとしたように頷いて、歩き出した。
「よかった。これ以上ダンナ様が増えたら、どうしようかと思ったわ。」
維月は笑った。
「まあ、有りえないわ。時々は会いに行くかもしれないけれど、結婚は違うわ。結婚したからには、相手を生涯幸せにしなきゃならない義務があるけど、私、そんなにたくさん生涯幸せになんて無理よ。二人でも多いのに…でも、どちらも愛してるから、がんばるわ。」
涼は頷いた。
「私は、李関と息子の李心の幸せを祈ってるわ。必ず二人とも幸せにするつもりよ。」
そんな涼を、維月は眩しそうに見た。
「…あなたは、変わったわね。男なんて興味ないって言ってたのに。あなたの縁は、李関に繋がっていたのね…道理で人の男に興味がなかったはずだわ。」
涼は嬉しそうに笑った。
「フフ、でしょ?母さんがなんと言おうと、私には李関が一番よ。」
維月は笑った。
「まあ、涼ったら。でも、私にとっては維心様が最高の龍よ。そこは譲れないわね。」
「もう、頑固よね、母さんったら。」
涼は呆れながらも、維月と共にそこを歩いて出て行った。
維心と十六夜が、窓の外の壁にぴったりと身を寄せて中をずっと伺っていたのを、維月は知らなかったのだった。




