ツイッター短文02
『洋ナシのタルト』
白ワインにバニラ、柑橘と蜜の混ざった甘い香りにメンバーが揃ってそわそわしたのが二日ほど前。
何を作るのかと群がる年少組に「冬に向けた、ただの保存食ですにゃ」とかわしたにゃん太が、今朝は薪オーブンに火を入れている。
オーブンからは再びとろけるような香り。
こうなると落ち着かないのは食欲旺盛な少年たちや、甘いものに目がない女性陣だけじゃない。
「まずは訓練。オーブンの中身は午後のお楽しみですにゃ~」と、直継・アカツキ引率のもと年少組をギルドハウスから送り出したにゃん太に、もう一人残ったシロエが何気なさを装って尋ねた。
「今日ってなにか、特別なイベントでもありましたっけ?」
と、長いひげを指先で整えていたにゃん太が、「シロエちもなかなか我慢がきかない」と混ぜ返えしてくる。
自ら隠居を名乗るにゃん太にはシロエの魂胆などお見通しなのだ。少しだけ照れた笑いを浮かべてシロエが再び尋ねる。
「一日中こんないい匂いがしてたんじゃ仕事に集中できませんよ。何を作ってるのかぐらい教えて下さい」
素直に認めたシロエをにゃん太が笑う。
「仕方のないギルマスですにゃあ。なに、先日瓶詰用に煮た洋ナシの余りで味見がてらタルトを焼いているだけですにゃ」
「洋ナシのタルト……へえ、この匂いって梨だったのか」
くんくん、と鼻を鳴らすシロエに、にゃん太は優しく首を傾げる。
「甘酸っぱいのは梨のコンポートで、あとはバターとアーモンドの香りですかにゃあ。上手く焼けてくれるといいんですが、はてさてですにゃ」
かなり高レベルの〈料理人〉であるにゃん太がこんな事を言うのは、新しくギルドに設置したばかりの薪オーブンを、まだ使いこなせている自信がないからだろう。
とはいえ早く癖を覚えたいからと何かしらせっせと使っているので、ギルドメンバーの頭にはすっかり「熱いオーブン=美味しいもの」の図式が出来上がってしまった。
秋が深まり風に冷たさが増して、温かい料理がこの上なく嬉しい季節になった。
「でもあれだなあ、班長も意外とみんなに甘いって言うか…」
「? どういう意味ですかにゃ?」
流し目に見ながらシロエが言うと、猫人族特有の感情の読みづらい笑顔でにゃん太が返す。
「だって班長、本当はケーキなんか焼く予定なかったでしょ?」
瓶詰の果物は洋ナシに限らず、度々にゃん太が作っているものだ。これと季節のジャムをあわせて、パンケーキやヨーグルト、ミューズリーなどで朝食をこしらえている。
ただでさえ食欲旺盛なメンバー達に、「余ったから」なんて言葉はあまりにそぐわない。
「いい匂い、美味しそうってトウヤたちが賑やかだったからついついサービス。……違った?」
くく、と喉を鳴らしてにゃん太が応える。
「訓練のあとにお楽しみがあるのもいいものですにゃー。さておき、シロエちには後で一番大きな一切れをお届けしますから、余計な事は言わないように」
優雅に体をひるがえしてにゃん太はオーブンの様子を見にキッチンへ入る。
寝不足の体をぐん、と背伸びしてから、シロエはまた書類の山へ向かった。
昼過ぎ、どたばたと足音が耳に届くまで、ギルドの時間は静かに流れていった。
◇◇◇
『うっかりさん』
「本当に、すみませんでした……っ!」
涙目で謝るミノリににゃん太は、にゃはは、と笑う。
「あまり気にしなくてもいいですにゃー」
「でも、男の人にあんな……本当にごめんなさい」
「なーシロ、あれ何があったわけ?」
顎をかきながら少し離れた場所で直継が言う。
「ん? どうやら呼び間違いをしちゃったみたいだよ」
返すシロエは苦笑気味で、気持ちは分かるんだよなあと呟く。
「あ、もしかして呼び間違えってあれか、先生をお母さん、みたいな」
「うん、まあそのままずばりだね」
っはは、と軽やかな直継の笑い声。
「あーでも分かるな。頼りになってご飯作ってくれて、俺も気ぃ抜くと間違えて母さんって呼んじまいそう」
(ぼくなんか、一度おばあちゃんって呼びそうになったけどね……)
さすがにこれは失礼どころの騒ぎじゃないだろう。
心の底にしまいながらシロエは、ミノリに助け舟を出そうと二人のもとに歩み寄るのだった。