その1:レスチアの来店
「フッフッフ、わたくしはまだ諦めたわけではないのですよ?」
フードを頭からかぶった人物が、あごに手を当てるポーズを決めて含み笑いをもらした。
顔はわからないものの、声はあきらかに男のものだ。
見上げると空には星空が広がりっており、同時にマスカーレイドの象徴でもあるウォル
ガレンの滝が視界に入ってくる。
男は辺りをキョロキョロと伺い、背負っていたナップサックから複雑な機械のようなも
のを取り出した。それを滝の周りへと設置していき、近場の砂で目立たないようにカモフ
ラージュを施すと、稼動を確認してからその場を離れる。
二つ、三つ、四つと設置を終えて、男は着用していた手袋を外した。大きく息を吐き、
ウォルガレンの滝を離れようと振り返る。と、そこには――。
「おいっ! そこでなにをしている!」
見回りをしていた自警団所属のハリアーだった。男はフードの上から頭をかきつつ、
「ヘッヘッヘ、ただの観光でさぁ、だんな」
声色を変えて答える。ハリアーはゆっくりと男に近づくと、滝を見あげながら続けた。
「観光ならもっと離れてみるんだ。滝の周りに近づくのは禁止されている」
「それはまた、どうして?」
「滝を破壊しようとした輩がいたせいで、禁止になったんだ。おまえもこんなところをう
ろついていると、そういう破壊魔と間違えられるぞ」
「ありがてえ忠告だ。間違えられないうちにあっしも遠くに離れるとしましょう」
男はフードをかぶったままハリアーの横を通り、マスカーレイドの街の中へと消えてい
く。男を見送ってからハリアーは、あくびをもらしつつ見回りを再開することにした。さ
きほどまで寝てたせいか、まだ完全に目が覚めていない。
ハリアーは滝に背を向け、もと来た道を戻りはじめた。男の配置した機械にはまったく
気づかずに……。
普段となにも変わらないオートエーガンでは、いつものように平和な時間が流れていた。
カウンターには節約のためか、朝食と昼食を一食で済まそうとするハンター、定位置で
コーヒーを飲みながら小説を書くクネス。シェラは額に汗を浮かべながら、使い終わった
食器を洗っている。
しばらく静かだった店内の静寂を破ったのは、開くと鳴るように備え付けられている入
り口の鈴だった。チリーンと乾いた音が店内へと響き渡る。
「こんにちはぁ」
店内に入ってきたのは、ユキ=ボウのお店で働いているエルフのラビだった。
「あら、珍しいわね?」
キッチンから出てきたニオが、ラビの姿に目を丸くする。満面の笑みを浮かべた
ままニオへと頭を下げたラビ。
「今日は久しぶりのお休みですからぁ、ここで昼食でもとろうと思ったんですぅ」
「いい選択肢を選んだわね。やみつきになっちゃうわよ」
クスクスと微笑みながら、ニオは台所へと戻っていった。ハンターの横に座ったラビに
シェラが注文を聞きにいく。
「ご注文はどうしますか?」
「あれぇ、まだここで働いてたんですかぁ?」
「ぐっ!」
久しぶりに会ったラビから無意識の一撃を食らったシェラは、あからさまに動揺してい
た。握っていたペンがシェラの手から離れ、床をコロコロと転がっていく。
「わ、悪かったわね! 傭兵の仕事が来ないんだからしょうがないでしょ!」
床に落ちたペンを拾うと、シェラはラビの注文をとってニオへと内容を伝える。
再び洗い場へと戻ったシェラに、ハンターがポツリとつぶやいた。
「まだ傭兵職に復帰するつもりだったのか。てっきり一生ウエイトレスとして生きていく
のかと思ってたんだが……」
「そんなわけないでしょ!」
シェラの反応にハンターはふむと頷くと、肉抜きAランチの野菜をつつきながら話を続
けた。
「だったら特殊部隊の入隊試験でも受けに行ったらどうだ? そろそろ定期試験の時期だ
ぞ」
「特殊部隊の入隊試験?」
「王都直属の部隊さ。シェラは剣術が得意だから、第一特殊部隊を受けるといい。通らな
いかもしれないが、いい線はいくと思うぞ」
シェラは頭をかきながら、口をへの字に曲げた。
「あまりお抱えって、好きじゃないのよね」
「近衛兵と違って、特殊部隊はある程度自由だが……まっ、おれも薦めはしない。そうい
う道もあるって話さ」
コーヒーをすすり、ハンターは大きく息を漏らす。シェラは一度だけ首を傾げてから、
食器洗いを再開していた。
「はあーい、Aランチお待たせ!」
キッチンからニオがラビの注文を持ってきたのと同時に、再び入り口の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
完璧な営業スマイルを放っていたニオは、入ってきた人物の顔を見ると同時に顔をしか
めて警戒心を露にしていた。
あきらかに様子のおかしいニオに、全員が入ってきた客へと注目する。ちょび髭に背広
姿、つりあがった目にメガネをかけていたその男は、以前、滝を破壊しようとしていたレ
スチアだった。
「レスチア=クマロフ!」
シェラの叫びに反応して、裏でお酒を飲んでいたアルマが飛び出してきた。滝を破壊し
ようとしたレスチアと同一人物であると確認すると、
「貴様、いったいなにをしに来た!」
とげとげしい口調でレスチアを睨みつける。だが、当の本人はまったく気にしたようす
もなく、ラビの隣へと腰掛けた。
「いえいえ、近くまで来たものですから。このお店の料理はどれも美味しいと評判ですの
で、いかほどのものかと……」
「貴様に出す料理などない!」
「おやおや、嫌われたものです。別に滝を壊しにきたわけでもないのに……」
ギリギリと歯を鳴らして威嚇するアルマを、ニオが懸命に押さえつける。
「シェラ、注文をとって」
「いいの?」
「一応、お客様だからね」
「一応とは失礼ですな。ちゃんとお金も持ってきているのですよ?」
胸を張るレスチアに、アルマが舌打ちを放つ。ニオは無言のまま、アルマを裏のキッチ
ンへと押し込めた。
「ご注文は?」
シェラは仏頂面でレスチアの前にコップを叩き置いた。わずかだが水がカウンターの上
にこぼれる。レスチアはメニューを見ながらあごをなで、一番高いDランチを選んでいた。
「少々お待ちください」
シェラが注文を伝えに裏のキッチンへと消えるのを見送ってから、レスチアが水を飲み
干す。ハンターの存在をラビ越しに発見すると、レスチアは口元をフッと緩めた。
「これはこれは裏切り者のハンターさん。ご機嫌いかがですか?」
「なにを企んでいる……」
「さあ、なんのことやら……」
ギュッとコブシを握り、レスチアを睨みつけるハンター。だが、なにもやっていないレ
スチアを捕まえるなど、当然出来るはずがない。
結局だれ一人として、レスチアを追い出す子など出来なかった。事件を起こそうとして
いる証拠でもあればまだしも、いまはただの観光客に過ぎないのだ。
「お待たせしました。Dランチです」
「いやいや、どうもありがとうございます」
食事と一緒にトレイに乗せられたフォークを掴み、レスチアは周りの注目を集めながら
悠然と食を進める。
「うーん、とっても美味しいですねえ。こんなに美味しい料理が出せる店なら、町が大き
くなればもっとお客も来るでしょうに」
「わたし一人で作ってるんだ。これ以上お客様が増えても裁ききれないわよ」
一通り注文を終わらせたニオが、レスチアの前へと姿を見せた。食べる工程を逐一観察
しながら、時折唇をかんでいる。