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月の雫を指輪にして

 溶けた銀を月の雫に見立てる、昔の人の感性って素晴らしいと思います。そんな感性、わたしもほしい。

「行ってくるね」

 家の中に向かって声をかけると、パタパタと音がして祖母が出てきた。

 その顔はどこか呆れ顔で、眉を少し寄せていた。まるで責めるようなその仕草に、『何?』と返すと溜息を吐かれる。

「ニコ、あなた風邪が治ったばかりでしょう。それなのに夜風に当たるなんて。無理して帰ってくるなら、泊めてもらえばよかったのに」

 頬に手を当て、首を傾げて。

 その様はどこからどう見ても心配性のおばあちゃん。しかしその笑顔を見れば、それだけじゃないことは一目瞭然だった。

 むしろ、どこか楽しんでいるようだった。

「無茶言わないで。僕にどうしろっていうの? 一睡もするなって言いたいの?」

「そんなことないけど。近くにことはちゃんがいると意識して、眠れなくなる?」

 ぐっと言葉につまり、横を向いて視線をずらした。

 図星だったのだろうかと自分に問いかけてみるも、その疑問に対する明確な答えは持っていないので答えようがない。そうかもしれない、と思うだけだ。

「お風呂に入って、すぐ帰るなんてするからよ。こっちの夜は寒いのに。湯冷めして当然。それで風邪を引くなんて」

「だって、遅くなってもコトハは心配するし」

 泊まっていけばいいのに、なんて無邪気に引き止められた。

 いや、あれで結構色々と気にする子だから、頭の中では様々なことを考えていたのかもしれないけれど、少なくとも自分には無邪気に誘っているように見えた。

 何でもないように言って、『夕ご飯も食べる?』なんて聞いてくれて。

「本場の日本食食べるチャンスだったのに!」

「おばあちゃんが作る日本食が嫌いなのかしら?」

 祖母が笑って聞いてきた。違う、が。やはり本場には勝てないと思う。そもそも材料からして違うし。

「とにかく! コトハに会いに行って来るから!」

「はい、ニコ。どうせシルバーデーでしょ?」

 言い訳のように言って、家から飛び出そうとすれば祖母に呼び止められる。

 慌てて振り返れば、小さな封筒を差し出された。何だろうか、シルバーデーなのは事実だが、封筒とは関係ない。

「シルバーデーはね。年配者がデート代を出すのよ。おじいちゃんには内緒ね? 甘やかしてって怒られちゃうから」

 茶目っ気たっぷりにウィンクなんてしてくる祖母は、その年の女性にしては随分と若く見える。

 もっとも、十歳ほど離れている祖父も十分若々しいのだから、揃って若くあろうとしているのだろう。

 元気すぎて、孫をからかうのはどうかと思うが。

「え、デート代? いいのに!」

「いいの。おばあちゃんがしたいんだから。さて、シルバーアクセサリーを何にするか決めたの?」

 シルバーデーは恋人同士がシルバーアクセサリーを贈り合う習慣らしい。

 多分コトハは知らないんだろうな、なんて思いつつ家から出た。実はもう贈るものは決めていた。

 前のようにギリギリまで悩むなんて失敗、二度と起こさないと誓ったのだ。だから用意周到に準備していた。

 彼女に似合う、シルバーアクセサリーを贈ろうと。

 それを贈ったとき、彼女はまだびっくりしたような顔をするんだろう。それで遠慮して『貰えない』なんて言うのかもしれない。

 彼女のそういうところは可愛いと思うが、好きで贈っているんだから、にっこりと笑って受け取って欲しいとも思う。

 わがままなのは百も承知だ。

「もう決めてるよ」

「そう。いってらっしゃい。今日は濡れて帰らないのよ」

 その言葉に頷いて家を出た。目指す先は遠いけど前より近いと感じる国。

 彼女のいる、美しい国。彼女は今日、笑ってくれるだろうか。そんなことばかり気にしながらトナカイの顔を見た。





 人間には学習能力というものがある。毎回毎回十四日に何かしら理由をつけて、プレゼントを贈ってくる彼を何としてでも止めたい。

 申し訳なさが先に立ち、最近では喜びつつも無遠慮に受け取れないのが実情だ。

 現に、固辞しては寂しそうに肩を竦められ、その顔に負けて受け取ってしまう。

 だけど自分にはそれがどれだけの値段か分からない。今更だが、バラがあんなに高いと言うことも知らなかった。

 今回こそは、そういうことはないようにしたい。

 しかし、彼は毎回何か仕掛けてくる。それを防ぐのは難しいし、あの寂しそうな顔をされれば受けとらざるを得なくなるのは百も承知だ。

 そこで考えた。

 今月の十四日は何の日なのか。

 初めからそうしていればいいのに、ニコのことだけで一杯一杯だったわたしはまるでそんなこと思いつかなかった。

 しかし、今回は気付いた。そしてそれを実行できた。

 七月十四日、それはシルバーデー。

 恋人同士……が、シルバーアクセサリーを贈り合う日らしい。これならわたしも選べる気がする。何もファッションを追求したものでなくてもいいからだ。

「サンタさん、だもんね」

 手の中にある、ラッピングされた袋の中にあるのは、サンタさんの意匠のキーホルダー。

 可愛らしいデザインに一目ぼれして、その場で購入を決めた。もっといいものがあったのかもしれないし、あのまま探していたらもしかしたらアクセサリーなんかを買う機会があったかもしれない。

 それでもいい。わたしはこのサンタさんが好きなのだ。

 優しくて、子供たちのことを思って、寒い中一人で世界中を駆け回る。そんな人が好きだ。

 たとえ髭がなくったって、たとえ恰幅がよくなかったって、サンタさんの赤い服のサイズが違ってたって。わたしはサンタさんが大好きです。

「貰ってばかりじゃないんだから、ニコ」

 驚くだろうか。

 それとも笑ってくれるだろうか。

 どちらでもいいけど、できれば驚いた後に笑って欲しい。それが一番理想だし、一番そうなりそうだった。

 小さな袋は鞄の中では酷く心許なく、神経質に何度も確かめてしまう。

 平日だから、帰りに買えないと踏んで土日に買ったのはよかった。

 だけど家においておくのも不安で、今日は持ち歩いていた。もしかしたら、彼が大学まで来るかもしれないなんて淡い望みを抱きつつ。

 来られたら少し困る。

 恥ずかしいし、友人に知られるのは少し気まずい。

 だけど期待することも止められなくて、そうなってしまう自分が悔しい。こんなに振り回されていることを、少しずつ少しずつ自覚させられる。

 学校の帰りも、知らずに淡い色の髪の毛を捜している。

 どこにいても見つけられる自信があるくせに、見落としていないかとぐるりと辺りを見回しつつ帰路を急ぐ。

 もしかしたら、もう家にいるかもしれないなんて考えながら。

「せめて、連絡してくれればいいのに。いつ来るとか、どこに来るとか……」

「そんなことしたら、コトハ驚いてくれないじゃない」

 後ろからそんな声がすると同時に、手を回されて退路を塞がれる。

 呆気なく拘束されて目を見開いていると、後ろから笑い声がしてやっとその人物を知る。

 後ろから女の子に抱きつくなんて、ただの変態だ――と言い切れないのは、わたしがニコのことが好きだからか。絆されているからか。

「ニコ」

「すれ違わなくってよかった」

 きゅっとお腹に回された手が強くなって、リュックが背中にのめりこむ。

 何だかそれだけで体が温かくなって、怒る気も失せてしまった。批判混じりの声を出したことを、ちょっとだけ後悔する。

「家で待ってようかと思ったんだけどね。早く渡したくて」

 『渡したくて』か。

 自分の学習能力の確かさに苦笑いしたくなる。やはり彼はそうきたらしい。しかも、もうわたしに拒否権なんて与えられていない。

 受け取ることが前提になっていた。毎度繰り返す言葉を、今回もまた繰り返そうとすれば、意外にも呆気なく腕が離れた。

 元々すぐ解放するつもりだったらしい。

「あのね、ニコ」

「うん、可愛い」

 へ? と間抜けな声が出た。平々凡々な容姿なので、特別褒められた記憶がない。

 そんな容姿に対して、今更賞賛を口にする人などいるはずもないので首を傾げた。何が可愛いんだろう。

 服装? いつもと変わりないけど。

「似合ってるよ」

 チャリと音を立てて、ニコはわたしの首元を摘む。

 いつの間にか何か光るものがあって、目をしばたいた。いつの間に、と問う必要もないだろう。後ろから抱きついたのは、これが目的か。

「器用だね、手先」

「ほかにもっと感想ないのー?」

「ありがとう?」

「疑問系なのはどうしてかな? すごく可愛いのに」

 お礼を言いたい気持ちはとてもある。

 毎回毎回申し訳ないという思いだって、もちろんある。

 だけどどれも口に出せば、ニコはどこか寂しそうな顔をする。お礼を言っても、謝っても、彼を笑顔にすることはできない。どうしてだろう。

「可愛い? あ、トップが指輪なんだね」

 ペンダントのトップはシルバーの指輪で、シンプルながらも可愛らしい。

 シルバーアクセサリーというと、少しごついイメージがあったのに、わたしが持っていてもそんなに不自然でない代物だった。

 前々から思っていたことだが、さすがサンタさんというべきか、モノを選ぶセンスがいいのだ、ニコは。

 多分その人に似合うものとか、その人が欲しいものとかをすぐに理解してしまうんだと思う。それは、サンタさんにとって大切な『天賦の才』ではないだろうか。

「うん、これね。指輪としても使えるから」

 少し、疑問に思った。

 ニコはわたしの指のサイズを知っているんだろうか。そんな表情をしていたのだろう、ニコは笑ってわたしの頬に触れた。

 その指先が、ほんの少しだけ熱い。

「サンタさんが贈り物する女の子のサーチを忘れると思う?」

「これ、サンタさんからの贈り物なんだ」

 別に深い意味はなかった。

 ただ彼自ら『サンタクロースである』と名乗ったのは、最初の辺だけだった気がする。最近では滅多にそんなこと言わなかったから、少しだけ首を傾げてしまったのだ。

 しかし彼には深い意味があったらしい、珍しくうろたえて、手を左右に振った。体全体で否定している。

「違う! これは僕が恋人としてコトハに贈りたかったの! 

指輪のサイズは合ってるよ。だってコトハのお母さんに聞いたもん。いくつですかって。コトハのお母さんすごく嬉しそうに教えてくれたよ」

 指輪を外して指に通す。すっと抵抗もなく入ったそれは、薬指にぴったりだった。

 それがどういうことか、少し考えて首を振る。その考えは流石に飛躍しすぎだろう。ニコはそんなことおくびにも出さない。

 右手の薬指にはまったそれを見つつ、自分の考えに苦笑いしてしまった。

 何だか自分一人が浮かれているみたいで、少し馬鹿らしい。嬉しいのに、他のことに気を取られるのはいいこととは言えない。

「ありがとう。ニコ。素敵だね」

「コトハって、ときどきちょっと残酷だよね」

 ぽつりと返されて慌てて彼を見る。

 彼自身も驚いているらしい。目を見開いてこちらを見ていた。

 お互い驚いた顔のまま見詰め合えば、時間が止まったような錯覚に陥る。それでも先に回復したのは彼の方で、慌てて言葉を紡いだ。

「何か言葉間違えた! ごめん、コトハ」

「いや、いいけど。日本人じゃないことは分かりきってるし」

 そう自分に言い聞かせる。

 『残酷』? わたしが、ニコに対して? 

 行動がと言うことだろうか、少し悩んでしまった。彼が言葉の彩だと言い張ろうと、少なくともそれに近いことを言いたかったに違いない。

 そこを否定するほど、わたしは強くなかった。何と言いたかったのかは分からない。だけどそれがいいことか悪いことかくらいは分かる。

「だから、そうじゃなくって。『残酷』っていう言い方はよくないなって。えっと、コトハにもっと甘えてほしいんだってこと」

 気まずそうに、ニコは言った。

「たとえばね、プレゼントを貰っても、最初に申し訳なさそうな顔をするでしょ? 

お礼言っても、何か気後れしてるみたいだし。そういうのね、できれば止めてほしいの。わがままだから、怒ってもらっても構わないけど、やっぱりにっこり笑ってほしいんだ。

僕が勝手にやってるだけだしね、これ」

 右手にある指輪をなぞって彼が言った。

「プレゼントを褒めるくらいだったら、『嬉しい』って、顔で知らせて? そうじゃないと、自分が見立てたものが『正解』かどうかなんて、僕には分からないから」

 手を握られて、それでもやっぱり申し訳なくて、どうしても笑顔で応じることができなかった。

 仕方ない。日本人なんだもん。遠慮するってお国柄でしょ。プレゼントされて当たり前と言う神経を持ち合わせているわけでもないし。

「難しい?」

 わたしの顔を覗き込みながら、ニコは言う。

 別段怒ってなさそうな声に少し安心して、それでも上手に笑えない自分に眉を寄せた。上手く笑って見せればいいだけのこと。

 それだけのことが、自分にはどうして難しいのか。

 逃げるように視線を彷徨わせ、やがて突破口を見つけた。というよりも、単に逃げ口を見つけたのだ。

 鞄から小さな袋を出して彼に渡した。今度は彼が目を白黒させている。……澄んでいる瞳に、この表現が合うのか分からないけど。

「何?」

「今日はシルバーデーでしょ?」

 知ってるんだよ、それくらい。調べたんだよ。

 ニコが毎回何かしら贈ってくれるから。お返しがしたいなんて。

「よく知ってたね。開けていい?」

 それに頷くと、彼はそっと開いてくれる。何度でも言おう、彼のこの仕草が好きだ。

 袋まで大事にしてくれる、この心遣いが何よりも好き。こっちまでくすぐったくなって、首を竦めてしまうくらい。

「サンタさんと、トナカイ?」

「似てるでしょ?」

 そのときばかりは、素直に笑えた。

 そして、彼がわたしに笑ってほしいと言った理由も少し分かった。彼が笑顔になった瞬間、プレゼントしてよかったと思ってしまう。

 そんな笑顔をされてしまえば、またしたいと思う。笑ってほしいと思う。それはごく自然なことで、特別我侭と言うわけでもなかった。

 笑ってみようか、次からは。

 まだ少し遠慮はするかもしれないし、上手くないかもしれないけれど。それでも、しないよりはきっといいはずだ。

 ニコが喜んでくれるなら、努力だってできる。

「あぁー。もうっ!」

 ぎゅっと今度は前から抱きしめられる。それも結構容赦なくしっかりとだ。

 ぐっと肺が押しつぶされた気がして息を吐き出せば、ニコは慌てて手を緩める。それがおかしくて、今度は声を出して笑った。

「コトハが可愛すぎるのがいけないの! こんなの……嬉しいに決まってる」

 抱きしめる力を緩めて、手を握られて、それから何でもないようにニコは歩き出す。

 ちょっとデートしよう、と誘われて、少しだけ首を傾げた。もう五時過ぎてるし、ニコだって暇なわけじゃないだろうに。

「おばあちゃんから、デート資金貰ったんだよね。しかも円で。用意周到すぎて笑っちゃうよ」

「あ。先輩がデート代を出してくれる日でもあるんだよね、シルバーデー」

 よく調べたね、なんて褒められて嬉しくなった。

 実はパソコンで結構調べた。韓国では各月の十四日に、それぞれ記念日があって、そのどれもが恋人と過ごしたりする日なのだ。

 それは日本には少し馴染みのないものばかりだけど、素敵な日ばかりだった。こんなことを、ニコは考えてくれたんだ。

「だからデート。美味しいもの食べよ。お団子食べたい」

 緩く引っ張られて、仕方なしに歩調を速めた。

 どことなく消極的だったわたしの歩調が早くなれば、ニコは自然と歩調を緩めて合わせてくれる。

 ニコは優しい。優しいけど、ちゃんと不満に思ってることを外に出せる人でもある。それは気付かぬうちに彼を傷つけていそうなわたしにしてみればありがたいこと。

「コトハ、月が出てる」

 知ってる? 銀と月は切っても切り離せない関係なんだって。

 そうやって彼はわたしに銀と月の関係について話し出した。

 スラスラ出てくる様子を見れば、彼が博識なのは十分に分かった。急にわたしが質問しても、慌てずに答えてくれる。

「銀色は月だし、三日月は銀の象徴なんだって。あぁ、あと女性の象徴でもあるね」

 そんなことを聞きながらゆっくりと歩く。

 ニコの口から出てくる情報は、わたしが知っているものから知らないものまで、多岐に渡っていて面白い。

 知らないことが出てくるとちょっと興味がそそられて、引っ付くようにしてその話を聞いた。元々神話には興味がある性質だ。

 しばらくして会話が途切れれば、ニコは空を仰いだまま小さな声を吐き出した。

「クリスマスプディングに銀の指輪を入れて渡せばよかったなって、今更思うよ。でもクリスマスまで、まだ長いんだよね」

 ニコが照れたように笑う。

 意味が分からず首を傾げれば、『あ、そういう習慣ないんだっけ?』と首を傾げ返された。クリスマスプディングと言うからには、クリスマスに食べるものなのだろうとは予想できる。

 が、それだけだ。

「クリスマスプディングって、色んなものが中に入ってて、それで運勢を占ったりするんだ。銀の指輪を見つけられた人はね。一年以内に……」

 ニコが少し息を潜めて、内緒話をするかのように笑った。

 釣られるようにして、わたしも彼に近づくと、彼は少しだけ意地悪そうに笑って屈めていた身を起こした。すっと彼とわたしの間の距離が広がる。

 教えてくれるとばかり思っていたわたしは拍子抜けして、開いた距離の分だけ彼に近づこうとする。

「やっぱり、秘密にしとこうかな」

 言い方を変えてあげる、なんてニコは笑った。

 そのまま教えてくれればいいだけなのに。

「次に指輪を贈るときはね」

 こっちにしてね、とニコは笑いながら左手を手に取った。

 そしてわたしが静止する暇もなく、その薬指の付け根に口付ける。チュっと小さな音がして、指に柔らかい感覚が走った。

 予想もしなかったことだったので、思考回路が完全に停止した挙句、ショートした。

 それは一体、どういう意味で受け取ったらいいんでしょうか。深読みしろってことなのか、それとも額面どおりに受け取るべきなのか。

 でもキスを額面どおりに受け取るってどうやって?

「左手の薬指の血管は、心臓に直接繋がってる」

 クリスマスプディングの謎は、今度指輪を贈るときに教えてあげる。

「だからそんなにびっくりした顔しないで? 本当は今すぐにでもしてほしいけど、それはちょっと焦りすぎだからね。今は予行演習。コトハ、びっくりすると止まる癖あるから」

 可愛いからいいんだけどね、と付け加えられて、止まっていた思考回路が再びゆるゆると動き出す。

 しかし残念ながら、いつも以上に回転は遅くて、ニコの発言についていけない。

「えっと、えっとね。ニコ。今のは、どういう」

「びっくりしすぎて、整理できてないか。当然だよね。ごめんごめん、僕が悪かった」

 よしよしと頭を撫でられて、俯いて頭の中を整理し始める。

 わたしの中で、左手薬指に指輪というのは特別な意味を持つんだけど、この人は違うんだろうか。いや、違ったらあんな意味深な態度見せないだろうし。

 でも、ニコだからどうなんだろう。もしかしたら、本当に言葉だけの意味で、自分が過剰反応しているだけかもしれない。

 それはそれで恥ずかしい。ちょっとがっかりするかもしれない。

「んーとね。とりあえず、一年間君のことを想い続けた僕の心は伊達じゃないってことだよ」

 そして人波を避け、少し入り組んだ道で耳元に顔を寄せられた。

 再び思考回路を止められそうな気がして、慌てて身をよじる。

 それでもニコは耳元で小さく言葉を紡ぎだした。人生最大の爆弾だと思っていた、キス(未遂)でさえ何でもないことのように感じられてしまう言葉だった。

「愛してるってことだよ。コトハ。サンタさんのお嫁さんになりませんか?」

 それから耳元から顔を離して、呆然とするわたしを見て笑う。

 赤い顔をしている彼を見て、少し安堵しつつ、それ以上に赤くなっているであろう自分の顔を想像して泣きたくなった。なんだってそんな、唐突に。

「時間が足りないなら待つよ。信用してないなら、してもらえるよう努力する。会う時間が少ないって言うなら増やすし、毎日電話だって何だってする。

だけどね、覚えておいて」

 ニコが切なそうに笑った。

「諦めてあげることだけはできないんだ。ごめんね? どんな苦労も、行動も面倒なんて思わないけど。君を諦めることはできないんだ」

 幸せなのか、そうでないのか。

 混乱してるだけなのか、拒絶したいのか。

 そんなことをグルグルと考えつつ、ふと手に目をやった。繋ぐことが、少しずつ当たり前になってきているこの関係。

 姿を見るだけで嬉しくなって、ときどき負けてると自覚するくらいにニコのことが好きで。

 逃がせないのは、諦めきれないのは、一体どちらだと言うんだろう。傍から見れば、完全にわたしの方じゃないだろうか。間違いなくわたしの方だろう。

「さて、お団子食べに行こうか」

「ニコ。わたしも、ニコのことを」

 誤魔化そうとしたニコの言葉を許さず、わたしは話題を戻した。

 混乱したわたしのために流されそうになったその話を、わたしは再び掘り返す。そうでもしないと、ニコはもう二度とこの話を振ってくれなくなる気がしたのだ。

 喉が詰まって、上手く発音できなくてどうしようもなくて……それでも言いたかった。

「ニコのことを、愛してます」

 口に出すとやはり恥ずかしくて、どうしようもないけれど。それでも目の前の笑顔があれば、どうでもいい気がした。



 プディングに銀の指輪が入っていた人は、一年以内に結婚する。

 そんな言い伝えがあるなんて、コトハは知らないんだろうね。

 腕の中に納まった温かい体を抱きしめつつ、自分がにやけているのが分かって苦笑した。

 問題発言連続のニコでした。箍は初めからありません。

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