花言葉を君に Ⅰ
このシリーズにしては珍しく、ちょっとシリアス目。このお話だけだとそうでもないけど、Ⅱの方はシリアスです。最後は甘めに仕上げましたが。
白いバラを再び贈るのはどうなんだろう。同じ花ってやっぱりダメかなぁ。
芸がないとか思われたらどうしよう。やっぱり別の花のほうがいいんだろうか。でもこの花だから意味があるんだし、他の花よりは同じままの方が。
「何だお前は。まだ悩んでるのか。花は日本で買うんだろう?」
「その花が決まらないのっ! どうすればいい? ねぇ、どうすればいいと思う??」
淡い色の髪の毛を日に透かしながら、眉を寄せた。
相手は真っ白な髪とひげを持つ、恰幅のよいおじいさん。この人こそ、去年までサンタクロースを務めていた正真正銘のサンタクロースである。
「お前……一ヶ月もあっただろうに」
「だって決まらなかったんだもんー。あれこれ迷ってたら、見れば見るだけ色々贈りたくなっちゃって」
呆れたように言う祖父を少々胡乱げに見つめ、ため息を吐いた。
日本から帰ってすぐ、悩み始めたまではよかった。早めに準備をすれば、次に行くとき少しでも落ち着いていると思っていたから。
しかし、事態はもっと深刻だった。考えても考えても、何も決まらない。
どう伝えようか、何を説明しようか。何から言えばいいんだろう。やっぱり、花は渡した方がいいだろう。では何の花を?
そんなことばかり、考えていたら時間なんて一気に過ぎて、今日という日が来てしまった。
今日中に出発しなければ、明日までに着かない。あっちで花を買う予定だから、なるべく早く着いていたい。時差を計算したら結構ギリギリだ。
だから、本当はもう出たいんだけど。出たいんだけど、肝心なことは何も決まってない。
「どうしようーー。コトハに気持ち悪いと思われてたら」
「まぁ、そしたら家に入れてもらえないだろうな」
「……やっぱり」
がくっと肩を落として、また大きくため息を吐いた。
何度考えても大切なことは何も出てこない。決心だって、本当は定まってない。
ただ好きだと思って、今まで行動してきたから。返事を望もうなんて、思わなかった。
そんなことを、望んでしてきたわけじゃなかった。好きだと知って欲しいとか、一緒にいたいとか、恋人になりたいとか。
そういうことじゃなくって、ただ好きでいるだけでよかった。そして、友達みたいに時々会えるだけで幸せだった。
だった、はずなのに。
会えば会うだけ心配が増すのだ。こんな一ヶ月に一回しか会えない自分を、本当に友達のように思っているのかどうか、とか。本当は恋人とかいるんじゃないだろうかとか。
嫌な考えばかり浮かんできて、ついでに本当に自分は人として好かれているんだろうかとかまで浮かんでくる。
いきなりやってきた、サンタ見習い。
そんな自分を受け入れて部屋に入れてはくれたけど、実は面倒だとか思ってるんじゃないだろうか。そんな、相手の気持ちなんて分からないのに、嫌な予感だけはたくさんあって。
「コトハに気持ち悪いとか思われてたら、立ち直れないかもしれない」
「まぁ、そういう職業だからなぁ」
一方のおじいさんは慣れたもので、どこからか持ち出してきたパイプを燻らせ始めた。
「サンタさんがタバコ吸うとか、信じられない」
「いや、サンタシーズンは吸わない。滅多に吸わない。ただときどき無性に欲しいときがなぁ」
ふわん、ふわんと形なき白いもやが空気に浮かぶ。それは少しの間あいまいな輪郭を空間で表して、やがて溶けるように消えていく。
そのさまは幻想的だが、臭いはきつい。眉を寄せれば、『分かった分かった』と苦笑いされた。
「サンタクロースは元々異端者だ。火炙りにされたことだってある。……まぁ、昔の話だと言えなくもないが」
「またそうやって、その話を持ち出す」
サンタクロースと聞くと、『聖なる夜』を思い出す人が多い。
しかしその一方で、異端者であり、横領者として処罰されたこともあるのだ。宗教というものは、見方が様々な分だけそういうことが起こりやすい。
「だがたとえ、好きな人にそういう目で見られても、こちらは軽蔑できないなら仕方ない。諦めがつくまでとことんやればいい。
……犯罪にならない程度に」
「孫を何だと思ってるの」
決めた。黄色いバラを持っていこう。あ、白いバラも持っていこうかなぁ。
いや、ここはきっぱりと赤か紅のバラを贈るべきだろうか。それにカスミソウを添えて。
「黄色と白と紅、かなぁ」
「配色がすごいことになってるな」
水を差されて、むっとすれば『濃い紅色でなければまだ見れる』と笑って付け足された。
「花屋さんに頼むからいいの」
「そうだな。そうしろ。まぁ、花言葉で通じないこともあるだろうけど」
にやり、と笑われた瞬間、粟肌が立った。何だか嫌な予感がしてくる。
すごく、いけないものを見てしまったかのような気がして、慌てて祖父のいる部屋から出た。
「あら、ニコ。どうしたの?」
「おばあちゃん」
目の前に現れたのは、あの祖父と結婚したツワモノだ。
何がよかったのか、未だかつて聞いたこともないが、案外あの祖父よりすごいのかもしれないと常々思っていた。
「あの、さ。好きな人に、嫌われちゃったらどうする?」
「えっと、おじいちゃんにってこと? うーん、そうねぇ。日本に帰っちゃうかもしれないわね」
この人、実は日本人です。だから、自分自身はクォーター。
日本語が出来るのもそのせいで、初めての仕事場を日本を選んだのもそのせい。祖母から語られる日本はとても、優しい気がした。
美しいというよりも儚くて、自分自身の目で見なければいけないようなそんな気さえしていた。
それと同時に、昔の写真を見て、その頃はまだ黒かったらしい髪の毛に惹かれた。漆黒の、夜の闇のような色。
何もかも覆い隠して、包み込んで、自分にないものに惹かれているだけかもしれないなんて、考えたこともなかった。
ただ、憧れていた。綺麗だと思った。だけど好きな人のものだと、触りたいと思った。
「帰っちゃうの? だから、そのっ。何とか、嫌われる前に戻りたいとか、好きになって欲しいとか。いや、好きとまではいかなくてもさ、友達みたいな好き、に戻って欲しいとか」
完全に悩みはバレバレで、だけどそれを誤魔化す余裕さえなかった。
知りたかったのだ。祖父の愛したこの人は、祖父を愛したこの人は、一体どうするのか。
「なぁに、ニコ。ニコだったら、そうするの?」
「うっ。それができるかどうか分からないから、おばあちゃんに聞いてるのに」
その昔、この人は日本で祖父と出会ったらしい。
出会ったらしい、というのはこの人ばかりが話して祖父は一切を語らないからだ。散々惚気るくせに、その出会いは頑として語らない。
その理由は推して知るべし。
祖父は何と、人様の家の前でパイプを燻らせていたらしい。しかも真っ赤なサンタクロースの服を着て。プレゼントの包みを持って。
……で、十歳前の子供(そのとき、祖父はすでに二十を越えていたはずだ)に見つかったのだ。何とも情けない話ではあるが。
「何て言うか、今更ながら犯罪くさいと思うよ。僕とコトハの年が近くってよかった。十歳以上の歳の差って、なかなかだよね?」
「あら、でもニコだって見かけによらず、二十歳超えてるのに?」
見かけによらず、とは失礼な。立派に成人を済ませた大人です。どこからどう見たって大人だろうさ!
「ねぇ、おばあちゃん。もし、振られても、戻れると思う? 好きだって言って……」
応えてもらえなくても、友達としていられると思う? 相手が、じゃない。自分が、だ。
自分が、友達として彼女のそばにいて、何もしないで、いい友人として振舞えると思う??
「それは。無理ねえ」
「無理、だよね」
無理なことくらい、分かっていた。分かっていたけど、縋りたかった。
もしかしたら、できるんじゃないかって、そう思った。思って、それを逃げ場にして、今日ここを発つはずだった。大丈夫、何も起きない。
失敗したって、友達に戻ればいいだけだ。そう、自分に言い聞かせれば何とかなる気がした。なのに。
「もう、行きたくないなぁ」
でも会いたい。
顔を見たい。
声を聞きたい。
あの頬に、触れたい。
どんどん増えていく望みは貪欲で、彼女を汚すように深く広く侵食する。自分が自分じゃないみたいな、そんな感覚は嫌過ぎる。
自分は、彼女が瞳を輝かせて呼んでくれる『サンタさん』なのに。
「ニコ。困った子ね」
「だって、怖いんだもん」
怖いんだ。とても、怖い。
嫌われる以前に、もう二度とあの笑顔が見れないんじゃないかと思うと。こちらの顔を見た瞬間、顔を強張らせてしまうんじゃないかと思うと、どんなことよりも恐ろしく思える。
「コトハを、失いたくない」
違う。コトハの、笑顔をだ。
頬にキスしたとき、そのときはただのおまじないのつもりだった。次もまた、会えますように。彼女の笑顔に、また出会えますように。
そんな、願いを込めて。
だけど二度目はもう、そんな綺麗な気持ちだけではなくて。少なからず、自分を意識して欲しいという思いも入っていた。
気付いて欲しい、なんて。勝手過ぎる気持ち。
「じゃぁ、行って来なさい。今行かなかったら、コトハさんは悲しむわよ。……お友達として、かもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
それは分からないけど、約束してるんでしょう?」
その言葉に背中を押されて、ぐっと唇を噛んだ。行かなきゃ後悔するのは分かりきっていた。でも、行っても後悔するかもしれないと思った。
行くのか行かないのか、それに迷ってばかりで、肝心なことに気付いてなかった。
自分が行かなければ、コトハが傷つくのか。約束したのに、その約束を破ると。それは。それはすごく。
「いや、だなぁ……」
泣き出しそうだった。足が震えそうだった。逃げ出したかった。
全てを先月に戻して、何事もなかったかのように振舞いたかった。出会わなければよかったなんて思わない。だけど、踏み込まなければよかったと思い始めていた。
「コトハが傷つくのは、すごく、ヤダ」
俯いて、ぐっと強く手を握って、弱い自分を奮い立たせる。
これは自分のためじゃないんだと言い聞かせて、やっと顔を上げることが出来た。目の前には、優しい顔をした人が笑って立っている。
「行くんでしょう?」
「行ってきますっ!」
心が決まれば、やらなければいけないこと次々に浮かんでくる。それを頭の中で整理しながら、祖父愛用のトナカイたちから一頭を拝借した。
届けに行くのはこの想い一つ。
その想いがどうなるか、それは彼女次第だけれど、自分の仕事はそもそも届けることだから。