白い贈り物
それはマシュマロだったり、色々。ホワイトデーのお話です。
皆さん、サンタクロースの起源をご存知だろうか。
わたしはあやふやにしか知らなかったのだが、どうやら長い歴史があるらしい。そんなことを考えつつ、店で一人、マシュマロと睨めっこしていた。
ニコラス・ハスティ
それが彼の名前だった。
『ニコって呼んで』
と無邪気な声で言われてしまって以来、わたしは彼のことを『サンタさん』ではなく、『ニコ』と呼ぶ。
ペットの名前みたいだと思ったのは、ちょっとした秘密である。可愛らしい愛称だな、と思ったまでだ。
「この前貰っちゃったし、というかあっちの人はマシュマロって食べるの?」
マシュマロって外国由来だっけ? と考えつつ、目の前にある真っ白いお菓子を見つめる。ふわふわとした食感といい、甘めの味といい、あんまり男の人は好きじゃないのかもしれない。
そうそう、余談であるが、彼は『ホワイトデー』の存在をきちんと知っていた。
バレンタインデーに対して、間違った知識を入れていた彼なので、当然知らないと思っていたんだけど、一ヶ月前の帰り際ににっこりと笑われた。
「次は、一ヵ月後だね?」
おやすみ、そう言って彼は出て行った。まるで初めから彼がいなかったように、するりと消えて部屋に一人残された。
さっきのことが現実ではないのかもしれない、と思う反面一つだけ間の空いたチョコレートが目に入る。
口に入れたチョコレートの甘さを思い出し、もう一個つまんだ。やっぱり甘くて、これは現実なんだと思い返す。
「一ヵ月後って、今日、だよねぇ」
チョコレートケーキはあげたが、こちらも貰ってしまったし。もしも彼がホワイトデーをきちんと認識しているとしたら、お返しは用意しておくべきだろうと思う。
「ニコって、何が好きなんだろう」
サンタさんの好きなものって何だろう。某有名百科事典のサイトに行ったり、サンタの公式ページに行ったりしたが、いまいち確信がもてない。
クッキーが好きという説もあるが……彼は若いし、サンタっぽくないので信用できない。
「調べれば調べるだけドツボに嵌ってる感じ」
ふわり、と息を吐いて、とりあえずクッキーとマシュマロを買う。気恥ずかしい気もするが、ラッピングもしてもらった。
後から考えれば、手作りというのは恥ずかしい。来ると知っていたら買ったのに、と今更思う。
大体、とつらつら文句が溢れてくる。
本当にどうやって来てるの、とか。不法侵入しすぎだろ、とか。こんなに日本の一女子大生に会いに来ていいの、他に仕事ないの、普段どうしてるの、とかとか。
思いつく限りを並べてみてきりがない。
聞いてみたい気もするが、それをしてしまえば何だか気まずくなる気がして、結局一ヶ月前も聞けないままだった。
「本当にフィンランド出身なんだろうか。と、いうか何で日本語しゃべれるんだろ」
ブツブツ言いつつ、店から出る。まだ寒くて、コートの前をかき合せた。足早に人ごみを抜け、目指すは暖かい我が家。横目でちらりと見えた花屋に目を留めるも、また歩き出す。
欧州では、バレンタインデーに男性は花束を女性にプレゼントするという。……日本とは正反対の行事だな、と思った。
メッセージカードを送ったり、と日本のものよりロマンチックだな、とか思ったりもしてしまう。
まぁ、かと言ってプレゼントされてもどう反応を帰していいか分からないので、貰っても駄目だと思うんだけど。そんなことを思いつつ、カバンから鍵を出して玄関の鍵穴に差し込んだ。
「ただいまーって」
玄関に入ってすぐ気付くのは、見慣れない靴が一足。男性モノだと思う。父親がこんなスニーカーっぽいもの履くわけもないし、第一うちにはそんなものを履く人間はいない。しかも若い人が履きそう。
ボーイッシュな女性、とか? 母親の友人か?
そんなところかもしれないけどどうなんだろう、と訳の分からないことを考えつつ、靴を脱いでリビングへ行った。マフラーとコートを外しつつ、扉を開く。
「お母さん、お客さ……」
ぴたり、と言葉が止まる。一瞬止まって、一度扉を閉めた。今なんか、見てはいけないものを見た気がする。あれは、今いちゃいけない人だろ。明らかに。今日の晩来るんじゃなかったの、何なの。
「コトハ、お帰りー」
「あら、ことちゃん、お帰り」
ふらり、と眩暈がする。何があったの、この空間に。
「ただいま、お母さん。ニコ」
ため息を吐きつつ、イスにコートとマフラーをかける。それから手を洗いに洗面所に行って、自分の顔を確かめてみた。あぁ、かなり疲れた顔をしている。予想外過ぎることが起きたせいだ。
「えっと、リビングのドア開けたらニコがいて、お帰りって言ってて……言ってて?」
どうしてお前がそこにいるんだっ。
そんなつっこみさえ出てこずにここへ逃げ込んだわけだが、あの母とのほんわかした空気はなんだったんだろう。あの二人、初対面だよね? え、会ったことあるのかな。
でも初対面であの空気って出せるのか? すごく意気投合というか、馴染んでいたというか。ニコにいたっては、我が物顔でイスに座ってたよね。
「夢? まさかの夢オチ? サンタさんのくだり辺りから、全部夢なんじゃ」
グルグルと考えていると、洗面所のドアががちゃりと開く。そこから覗くのは紛れもない、淡い色の髪色を持つ彼で。
「コトハ? 大丈夫?」
「ん? 大丈夫、だよ」
わたしは、彼が何歳かも知らない。どこ出身で、どうしてサンタさんなんかを名乗っているのか。普段どうしているのか、どうして日本語をしゃべれるのか、何も知らない。
「気分悪い?」
「ううん、そうじゃなくって、びっくりしちゃって。いきなりニコがいるから」
誤魔化しつつも、そう言って洗面所から出る。そのまま自分の部屋に行ってしまいたかったが、まさかそのまま行くわけにも行かず一度リビングに戻ることにする。ニコは何も言わずについて来た。
「あぁ、だって帰り際に『たまには玄関から』って言ったでしょ? だから」
今回は玄関からにしました、と笑いつつ彼はリビングの扉を開けてくれる。あ、こういうところは紳士っぽい。
「まさか夜中にチャイム鳴らすわけにも行かないでしょ? 煙突ないしね」
指の先で淡い色の髪の毛を弄りつつ、彼ははにかむようにしてこちらを見る。リビングに入ると、にやにやと気持ち悪い笑顔をしている母親とばったり出くわした。
「ことちゃん、ちょっといい?」
「何かあった?」
平静を装ってみるものの、まるでそれ効果がない。気持ちの悪い笑顔を浮かべている母親はそれを分かっているのだろう。その笑顔を崩すことなくわたしの方へとにじり寄ってきた。
「これからお買い物してくるから、お留守番よろしくね」
あぁ、あとね。お母さん、国際結婚は賛成派だから。
それだけ言い残して、母親は颯爽と出て行った。こちらが反論する余地もなく、暇も与えてはくれない。
ただただ、わたしは呆然と見送るしかなく、正気に戻ったのは玄関の鍵が重い音をたてて閉まったときだった。
「コトハ?」
「うん、じゃぁ、部屋に行こうか。えっと」
部屋に行こう、とか言っちゃっていいの? いや、それと言うのも、部屋というものは完全にわたしのテリトリーであって、安心するのだ。リビングだとどうにも分が悪い気がしていけない。
「どっちでもいいよ、コトハがいい方で」
こういう聞き方はずるいよな、と思いつつ、彼のカップの中にある紅茶を見つめた。それからそういえば、と思い出す。最初に渡しておけば、後々タイミングで困ることもないだろう。
「ニコ。はい、これ、ホワイトデー」
「わぁー、ありがとう」
嬉しそうな顔で受け取って、笑顔だけで開けてもいいかという確認をしてくる。どうぞ、と呟くと、その手は器用にラッピングを外していった。
破ることなく、きちんと開けてくれる。それは何だか少し気恥ずかしいと思うが、心地いい。
「あ、マシュマロとクッキーだ。大好きなんだぁ」
「そう、よかった」
とりあえず、お菓子のチョイスは間違っていなかったらしい。ほっとすると同時に、他のお菓子でもよかったのかもしれない、なんて思い始める。どうなんだろう、聞いてもいいものだろうか。
「ねぇ、さっきから大丈夫? 眉、寄ってるけど」
自覚がないことを指摘されて、慌てて手で眉間を覆う。顔が赤くなって、思わず視線をずらした。恥ずかしすぎる。こんな姿見られるなんて。
まして、彼のことを思って表情を変えていたなんて。
「え、あ。ほら、部屋、先行ってて? 紅茶淹れ直すから」
彼の背に手を当てて、ほぼ強制的にリビングから出す。そして階段上ってすぐの部屋だから、と言い置いて、電気ケトルのスイッチを入れた。すぐに温かくなるからお気に入りのものだ。
「落ち着け。落ち着いていられないけど、とりあえず落ち着かなきゃ」
息を吸って、吐いて。それからいつもどおり紅茶を淹れて、自分の部屋に戻る。いつもと違うのはカップの数だけ。後は何の変化もない。そう自分に言い聞かせつつ、自分の部屋へ向かった。
さて、部屋の目の前にいるのはいい。が、どうやって扉を開けようか。残念ながら、両手はカップ二つで塞がれている。
あぁ、お盆で持って来ればよかったな、なんて思うのは今更で、声をかけようか一瞬躊躇した。
「ニ、ニコー? 開けてくれる?」
返事が来る前に扉が開いて、中から手が出てくる。あっという間に二つともカップを取られて、それから目の前に笑顔の彼が映る。
はにかむような笑顔は、去年のクリスマスイブから変わらず、気が付けばもう二ヶ月半の付き合いだ。
まぁ、会ったのはこれで三回目だけど。
「あ、りがと」
「どういたしまして」
柔らかい笑顔は少し気まずい。だけどほっとするのもまた事実で、変な感覚だ。するりと部屋に入って息を吐いた。
それでも緊張は解けてくれず、ただ呆然と彼を見つめる。落ち着かない、どうしてだろう。
「コトハ。はい、ホワイトデー。チョコケーキ、とっても美味しかったよ。ありがとう」
目の前に出されたのは、真っ白いバラの花束。
「えっと、え??」
「ホワイトデーのお返し。色々考えたんだけど、ね?」
ほら、花束の方がいいかなって。お菓子の方がいいのかもしれないけど。
「やっぱり、女性には花束かな、なんて。バラは、好き?」
「好きって、貰ったことないから分かんない……」
よくよく見ると、真っ白だと思っていたバラはわずかに桃色を帯びていて、その間にはカスミソウも入れられている。
小ぶりな花はまだ固いつぼみがほとんどだ。その中にいくつか咲いているものもある。恐る恐る手を伸ばして、ゆっくりと受け取った。
「ニコ、ごめん。なんて反応したらいいか分からない。でも、すごく綺麗」
自分が、花束を貰う人間ではないと分かっているから。しかも白いバラ。不似合いすぎてどんな言葉を返しても不恰好のように思われた。こんな花束、生まれて初めて受け取ったし。
「うん、その顔だけで十分」
どうやって持っていいかも分からない。力を入れすぎたら潰れてしまうような気がして、そっと腕の中に囲う。
今自分がどんな表情をしているか分からず、そっと彼の顔をうかがった。そんなわたしとは違い、彼は嬉しそうだ。
「悩んだ甲斐があった。もし嫌いだったら、とか思ってた」
引かれちゃうかなぁーとか思ったけどね。
にこにこと、それはそれは嬉しそうに語る彼に、やっとのことで笑い返す。うまく、笑えているんだろうか。
「すごく、嬉しい。ありがとう。こんな花束、勿体無いけど」
こんな花束を飾れる花瓶があっただろうか。半分はドライフラワーにして、半分は押し花に出来ないだろうか。
こんなに綺麗なもの、ただ飾って捨てるなんて勿体無い。せっかく貰ったんだから、大切にしたい。
次々とやるべきことが見えてきて、それを頭の中で順序だてていく。こういうことが得意な方ではないが、調べてやってみるのもいいだろう。とても、大切にしたいから。
「ニコ、押し花とかにできると思う?」
「え、あぁ、バラを? うん、できると思う。ドライフワラーなんかにしてもいいかもね」
何でもないように賛成してくれる彼に笑い返して、じゃぁそうする、と返事をした。彼に同意してもらえると、何だか元気が出てくるから不思議だ。サンタさんだからだろうか。
「ニコ、ありがとう」
「さっきからお礼ばっかりだね。こちらこそ、美味しいマシュマロとクッキーをありがとう」
特にクッキーは大好物なんだ、と先ほど渡したばかりのクッキーを口に入れる。あぁ、そうなんだ、やっぱり、と納得したように頷くわたしへ、彼は笑いかけて口の中にクッキーを入れてくる。
「ニコっ!」
「でも手作りの方が好きだったなぁ。前のチョコレートケーキも美味しかったし。どうして?」
どうしてって、だって。言い訳混じりにごにょごにょと理由にもならない言葉を述べる。恥ずかしい、とか上手じゃないから、とか。そうやって真正面から褒められるのは苦手なのだ。
「えー、僕はあのチョコレートケーキ大好きだったよ。独り占めして食べたし」
今回もちょっと期待してたのに、と少しだけ拗ねたように言う。
……そういうことを言われると、作ってあげたくなってしまうじゃないか。サンタさんめ。そうやって、元子供を喜ばせることが上手なんだから。
「今度……」
「うん?」
「今度、クッキー焼くから、えっと食べに来る?」
「え?! 本当に? 来る来る。あ、でもやっぱり窓から入っちゃ駄目かな?」
何で? と首を傾げると、彼は恥ずかしそうに一度目を伏せて、それからこちらを見た。澄んだ、蒼い瞳とかち合って息を止めた。
前にも思った。空の色でも、海の色でもない、ただただ息を呑む鮮やかな色。
「だって、やっぱりコトハに一番に会いたいからね。それに、二人っきりの方が楽しいし」
もう帰るよ、クッキーね、期待してるから。バイバイ。
すくっと立ち上がってわたしの手からバラを取り上げる。ノロノロと働かない頭と同じような動作で立ち上がって、彼を見送ろうとする。何か、言わなくてはいけない気がするのに。
「ニコ、あのね」
「ん? あ、鍵、ちゃんとかけるんだよ? それからバラの花束、喜んでくれて本当に嬉しかった」
一ヵ月後に会おうね、と小首を傾げてくる彼に頷いて、やっとのことで『分かった』と相槌を打つ。やっぱり頭は働かなくて、玄関で彼の後姿を見た。
「あ、これだけ」
次も会えるおまじない。
そう言って、今年の冬にデビューするであろう新人サンタさんは、わたしの頬に一度だけキスをした。
甘いお話が最近少ないので、ちょっと甘めで。押せ押せのサンタさんでした。
うーん、次は4月14日ですよね、ブラックデーにするか、オレンジデーにするか迷う。