窓から手を
最後まで更新したつもりでいました! すみません。
何てことのない平日なのだ、と自分に言い聞かせようが目の前には父がいて、難しい顔をしていた。
学校から帰り、もうかれこれ数時間が経とうとしている。ちらりと時計に視線をやれば、案の定七時をとうに越えていた。
ため息を吐きたかったが、より一層父の機嫌を損ねそうなので止めておいた。何せ、親子喧嘩なんて生まれて初めてだ。
生まれてこの方、親に反抗しない子であったという自覚は、まぁある。
反抗期というものに少しだけ入ったような記憶もあるが、そんなにひどいものではなく、むしろ何にでも反発することに疲れてすぐに止めた。親に反抗しても無駄だと悟るのが早かったのかもしれない。
……こんなことなら、あのときもっと反抗しておけばよかった。
そうすれば少なくとも、父から『どうして言うことを聞かないんだ!』なんて小学生のようなお叱りを受けることもなかったのかもしれないと思った。
遡ること数時間前。
わたしは学校から足早に帰り、服を着替えようとしていた。今日は十四日で、ニコが来るはずの日だ。今日はメールがないから、まだ着いていないのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、帰路を急いでいた。もう前のように不安になることも少なくなったが、それでも気になって落ち着きもなく歩いている最中に、盛んに胸元を探った。
指輪の曲線を指で幾度もなぞって自分を落ち着かせて、それから家に入ったのだ。
それから目に入ったのは、怖い顔をして早々に帰っている父だった。いつもはもっと遅いのに、どうしてか家にいた。……どうしてだ、と問うまでもない気がする。
父はニコが好きではないのだ。いや、嫌いと言ってもいいだろう。
「ことは、話がある」
「それ、今日じゃなきゃ駄目?」
そわそわと携帯を持って、あからさまに眉を寄せてみる。表立って父を批判することはしないが、それでも話が長引けばその分ニコと話す時間は減るのだ。
それはどうしても避けたいことだし、できればその難しい顔をして持ち出す『話』も聞きたくはない。嫌な予感と言うのは当たるものだから。
「そうだな、今日がいい」
「えっと、すごく、大事なこと?」
譲ろうとしない父に、つい『ニコが』と口に出してしまって、早々に後悔する。
もっと遠回しに断ればよかった。見る見るうちに眉を寄せ、不機嫌さを隠さなくなった父を見て思った。娘が男と会うのがそんなに嫌なのだろうか。
別に、疚しいことをしているわけでもないし、わたしにしても真剣に付き合ってるつもりなのだけれど。
一体何が不満なのだろう。
朝帰りなんてしたこともないし、遅くに家を出ることだってない。きちんと行くところは知らせているし、ニコだって絶対一人で返すようなことはしない。
母からの評価は上々なのに、どうして父は駄目なんだろう。ただの嫉妬にしたって、こんなに怒ることないと思う。
そんな不満たらたらな顔が父にも分かったらしかった。
「今日は彼氏と出かけなくていい」
「えっ?!」
思わず声が出て、眉が余計に寄せられた。
多分、鏡を見たらさぞかし不機嫌そうな顔をしているのだろう。行動を制限されるとは思っていなかったわたしは、隠しようもない不満を見せて口を開いた。
「どうしてそういうことを言われなきゃいけないの?」
両親に出したことのない、強い口調だった。かろうじて抑えていたが、少しでも力を抜けば怒鳴りそうになっていた。
今まで、感じたことのない種類の怒りだった。理不尽さに体が震える。こんな怒り方ができるのか、と場違いにも冷静な方の自分は感じていた。
怒ったことがないとは言わない。だけど、声を荒らげて、何かに当たってしまうような怒り方はしたことがなかった。
普通に生活をしていて、そこまで激しい怒りを覚えたことなどなかった。真面目で少し融通の利かない父と、のんびりとした優しい母に育てられていれば、それも仕方のないことだと思う。
怒るときだって、理由を説明されていたし、殴られた記憶も数回しかない。
それなのに、今自分の心を占めるのはどうしようもない怒りで、その抑え方がわからなかった。
「お父さんに、そんなこと言われなきゃいけないのはどうして?」
「お前は、お父さんに言うことを聞いていればいいんだ」
これまた今まで言われたことのない種類の怒り方だった。
明確な理由を示しもせず、具体的に悪かったことも指摘せず、ただそんなことを言うなんて。話にならなくて、父を無視して自分の部屋に入ろうとする。
しかし父はそんなこと許してくれず、腕を掴まれたまま居間に連れて行かれる。そこに母の姿はなく、父とわたしだけがいた。
母がいれば、こんなことにはならなかっただろうに。何でこんなときに限って買い物に行っているのか。
「とにかく、今日は外出禁止」
「でもニコが!」
「彼氏が来たら、お父さんが対応する」
取り付く島もない言い方だ。ついでに腕を掴まれて、そのまま自分の部屋に連れて行かれる。
もっと言えば、携帯や勉強道具の入ったカバンも没収。携帯電話がないとニコとの連絡は完全に途絶えてしまう。
せめて、ニコにこのことを言えればいいのだが、家の電話を使おうにも子機はキッチンと父と母の寝室のみだ。
「お父さん!! 開けて!」
扉を叩くが、全くもって動かない。ここまで徹底する父に、あきれを通り越して感心した。
そこまでして、わたしをニコから引き剥がしたいの? どうすれば父の不機嫌さは治るのだろう。
考えるのも面倒になって、茜色に染まった部屋の中で蹲った。抵抗するのも疲れる。だけどニコに会えないのはもっと嫌だ。
「もう……」
こんなはずじゃなかった。
先月の醜態を謝って(覚えていないが、相当酔っていたらしい)、変なことをしていなかったか聞いて、それでいつもどおりに話せればいいと思っていた。
それだけだったのに、そのことが酷く難しくなっていた。
コンと軽い音がして、膝を抱えるのを止めた。
膝頭に押さえつけるようにしていた額が少しだけ痛んだが、それが気にかかることもなく立ち上がる。小さな望みだったが、その音に期待せずにはいられなかった。
滲んだまま拭わなかった涙を無理やりふき取り、ゆっくりと立ち上がった。
来てくれたのかもしれない、なんて自意識過剰だろうか。それを心で否定しつつ、カーテンも閉めずにいた窓へ近づく。
外はすっかり暗くて、今何時か分からなかったけれど、そんなことは関係なかった。
「コトハ」
聞き間違えるはずもない声で、慌てて窓を開く。ずっと暗闇でぼんやりしていたせいか、ニコの顔は想像以上にはっきりとしていた。
暗闇になれた目が、ニコの表情をしっかりと認識させる。それがすごくありがたかった。
「ニコー」
情けない声だと思った。
震えて、裏返って、たぶん発音もきれいじゃない。それでも今出せる声で彼の名を呼んだ。
泣きそうなのどは音を少ししか出してくれず、おまけに息を吸うのさえ苦しかったけれど、名を呼ぶ以外に何をしていいか分からなかった。
「今回は大変だったね」
「ご、めんね」
わたしが悪いのか、本当のところよく分からない。
分からなかったが、ニコが悪くないのは確かだった。いつも気を遣ってくれるし、優しい。わたしが嫌がることはしないし、いつもいつも勿体ないくらいの想いをくれる。
それが父に伝わらないのは、一体どうしてなんだろう。
「携帯、取り上げられちゃって……。窓から出ようとしたんだけど」
高さに目が繰らんで、どうにもできなかった。
正直にいうと、そこまで一生懸命に出て何か変わるのか疑問だった。これ以上父を怒らせるのも怖かった。
何もできなくなって、何かをする意味を失って、ただ膝を抱えて暗闇に沈むしかなかった。一瞬だけ、ニコは来ないかもしれないなんて思った。
「んー。実はね、コトハからメールで今日は来ないでって書かれてたから、何かあったのかと思って」
「わたし、そんなメール送ってないよ。多分、お父さんだと思う」
「うん。だってコトハだったら、もう僕が移動始める時間だって分かってるでしょ? 理由もなく、もう日本についてる僕を追い返すのってコトハらしくないなぁって」
差し出された腕にすがれば、慰めるように背を撫でられる。
苦しかった息は余計苦しくなって、痛かった頭は酸素を求めた。嗚咽混じりの声は意味をなさないのだろうけど、それでも言わずにはいられなかったのだ。
「会いたかったの」
「うん、だから一応来てみたら、玄関にお父さんがいらっしゃってね。コトハはいないって。どこにいるとか、いつ帰るとか教えてくださらなかったから、一応コトハの部屋を見て帰ろうと思って」
よしよしと背を撫でられて、自分の部屋が玄関に面してなくってよかったと、とつくづく思った。
まさかベランダのない娘の部屋に、男が上れるとは思わないだろう。父にニコの特殊な職業を話すつもりなんてなかったし、ニコも空飛ぶトナカイ云々は話していないに違いない。
つまり、玄関を守っている父にはニコが来たなんて分からないわけで……。
「電気ついてないけど、泣き声が響いてたから」
「外まで?」
すすり泣くまではいかない気がしたのだが。
「僕の耳は特別。世界中の子供たちの欲しいものが聞こえるようにね?」
冗談めかした言葉に、やっとのことで笑顔を返すことができた。ふにゃりとした、多分涙にまみれた情けない笑顔だったのだろうけど、やっと笑うことができた。
「ニコ、ごめんね? 面倒だったでしょ」
わたしだって、もし相手のお父さんがこんな感じだったら少なからず傷つくし、場合によったら付き合うのだって嫌になるかもしれない。
ニコも、そう思ってたらどうしよう。
「面倒? どうして?」
「どうしてって」
交際に、いや会うこと自体にここまで反対されるって相当だと思う。少なくとも、わたしの周りの友人達のご両親はそんなことしない。
わたしの両親も、そんなことしないって思ってた。いや、考えたこともなかったけど。一年前のわたしは、こんなことが起こるなんて思っても見なかったから。
そっか、まだわたし、ニコと直接話して一年も経ってないんだ。
ほとんど会えないのに、どうしてこんなにニコのことが大切になっているんだろうかと今更ながら首を傾げた。分からないけど、大切だとは分かる。
ニコにされたことで嫌なことなんて一つもないし、いつもいつも嬉しいだけだ。嬉しくて、少し決まりが悪くて、でも不快なわけではなくって。
この一年で、たくさんのことを知った。どの一年より充実した一年だったと胸を張って言えるくらい、今年はいろんなことがあった。自分が成長したとも思った。
恋をするって、時間が早く流れるイメージだけどそんなことはなかった。とても長くて、もうずっとニコと毎月会っているように錯覚する。
ずっと、好きだったような気がする。
「コトハのお父さんが、どれだけコトハのことを大切にしているかってだけでしょ? どこが面倒なの?」
こうやって、ごく当たり前のように言ってくれるニコが好き。
実の娘のわたしでさえ困る行動を、そんなふうに見てくれるニコがすごいと思う。
ニコはとても温かくて、優しいのだ。だからなのかは分からないけど、同じように大切にしたいと思わせるのだ。
……大切にしてくれるから、じゃなくて。もっと根本的に。もっと、深いところでそう思う。
「今日は、帰るよ」
「えっ」
「だって、お父さんが来るなって言ってるのに、無理やりコトハに会ってるわけだし」
信用されるような行動したいんだけど、どうしてもコトハが泣いてるって知ったらね、とニコは小さく笑った。
まるで自分の行動が悪いと思っていないような、だけどちょっとだけ後ろめたい気持ちも見え隠れしていて。
「本当は今日、ムービーデーだったから映画見ようかと思ったんだけど」
また来るよ。お父さんに娘を任せて大丈夫だって思われるように、頑張るから。
そんなことを、ごく自然に言ってくれるニコを見ていると、反抗したかった気持ちも怒りもすべて凪いでいくから不思議だ。
ニコには、わたしの心を操作するコツが分かっているらしい。ほんの少しの言葉で、こんなにもわたしを安心させてくれる。
じゃぁ、わたしは……? わたしは、ニコにそんな安心を与えてあげられるだろうか。
「じゃあね、コトハ」
するっと頬を撫でる手が離れる。ニコの手が、わたしから離れる。
どうしてか、その手を逃がしてはいけない気がして、身を乗り出してニコの手を掴もうとする。掴もうとして、窓の桟に手をかけようとしたのに、暗闇で見当を誤って体が前のめりに倒れた。
今まで一度としてしなかった失敗を、よりのもよってニコの前でやった。
ふっと体が浮く感覚がある。あっと思う間もなく、視界が切り替わり地面が見えて背筋が冷えた。
「――っ」
聞きなれない、多分ニコの国の言葉で何かを叫ばれた。
わたしにはそれが何を意味する言葉か全く分からなかったけれど、わたしの行動が彼を酷く動揺させたことは分かった。
気付けば、ニコがわたしの体を支えていて、わずかに浮き上がっていた体はしっかりと固定されている。ほっと息を吐いたのも束の間、次の瞬間には痛いくらいの力で肩を掴まれた。
「このっ、馬鹿!!」
びくっと大きな声に肩を震わせて、今まで見たこともないくらい怒っているニコの顔を見た。
いつもは穏やかに細められている目は大きくなっていて、それでいて少しだけ光っていた。口はぎゅっと引き結ばれ、両端が下がっているのを見ると、自然に肩が強張っていく。
「ごめん、びっくりさせた……」
呆然と、こちらの心臓が静まる前に言う。
自分もびっくりしていたが、夜目にもはっきりと分かるくらい血の気をなくしたニコの顔を見ていると、早く言わなければいけない気がした。
しかし言ったところでニコの顔色が戻ることはなく、より一層きつく口を引き結ぶだけだった。そんなにびっくりさせただろうかと、肩におかれた手を握る。
「ニコ?」
「うん、ごめん。大きな声出したね」
ぐっと力を入れられて肩が痛かったが、それでも努めて穏やかな声を出そうとしてくれているのが分かって何も言えなくなる。
元はといえばわたしが悪いので、文句を言える立場にないこともよく分かっていた。
「二階だけど、怪我はするんだよ」
「うん」
静かに、本当に静かにいい聞かされた。
その声はとても穏やかで、口調だってとても優しかったけれど、だけどとても怒っているように聞こえた。
今まで一度としてそんな話し方していなかったから、とてもよく分かった。今、ニコがどれだけ頑張ってこうやって話しているか。
「打ち所が悪かったら」
くっと息がつまる音がする。辛そうに歪められた顔は一瞬で消え、代わりに強いくらい引き寄せられた。
腰に窓の桟が当たって少し痛かったけれど、それを言う気にはなれなかった。ただ痛いくらいの抱擁は、ニコの不安を示しているようで何だか不思議だった。
落ちそうになったことが、そんなに心配だったんだろうか。気付けばニコの体は小さく震えていて、その体を抱きしめ返すだけではどうにもならなかった。
「コトハの、馬鹿っ」
「うん」
小さい声だった。
穏やかな声も、口調もかなぐり捨てたその声は、弱くて細くてどうしようもないくらい震えていた。初めて見た、彼の弱さだった。
「もう、本当に怖かった。ルドルフいなかったら、どうするつもりだったの」
そういえば、と彼の足元を見てみると、きちんとそりに乗っていて、ついでにトナカイさんとも目が合う。
優しげな瞳は何を思ってこちらを見ているのか分からなかったが、人間の心が読めるのかとても静かな目をしていた。
「不安、なんだ。とても」
耳元で囁かれた言葉は、いつもより幼かった。
「会う時間も少ないし、電話する時間だって限られてる。コトハの周りには同じ年頃で、同じ言葉を話して、同じ景色を見て育ってきた人たちがいる。
きっと、その人たちだったらお父さんも反対しないんだろうなって」
ぎゅっと抱きしめられて、今までにない不安を聞かされて、そうやってからようやくわたしは気付くんだ。ニコも不安なことがあるんだと。自分だけじゃないんだと。
不謹慎だけど、それが少しだけわたしに安心をもたらした。不安を持っているニコからしたら、堪ったものじゃないんだろうけど、それでもちょっとだけ、嬉しかった。
「去年の今頃は、気になる女の子だった。話を、してみたいと思っただけだった。だけど、今は」
たった一年しか経ってないのに、今は。
「離したくなくなるくらい、コトハが好きなんだ。考えてもどうしようもないことで不安になって、コトハのせいじゃないことで心が揺れて、自分ひとりで悩んでる」
落ちかけた体を支えている、彼の体は熱かった。触ったらこちらが溶けてしまうような熱を孕んでいて、不快ではないけれどほんの少しだけ怖かった。
いつものニコじゃない。でも嫌ではない。だけど慣れないから尻込みして、彼の背中に回す手はどこまでもぎこちなくなってしまう。
そのとき、扉の向こうで音がして、それから遠慮がちにコンコンとノックされる。
相手なんてもう分かっていて、返事をする気にもなれなかった。それでも、無視するわけにはいかないからそろそろとニコから離れる。
ニコの手が、先ほどわたしがしたように、わたしを引きとめようとした。空を切る手を思わず掴んで、それから安心させるように微笑む。
ニコがわたしにしてくれたように、ちゃんと笑えてるかな?
いつも安心をくれるニコみたいに、できてるかな?
「大丈夫。わたし、この一年で少しだけ、強くなったから」
「え?」
「ニコの、おかげだから」
誰かを大切にしたいなんて、心の底から強く願うことはなかった。ただ漠然とした恋愛が『いいものなんだろうなぁ』とあやふやな印象を抱いていた。
父と母が笑えばいいと、反抗など考えもしなかった。
一年前のわたしは、そうだったんだ。それなのに、今はもうそうじゃない。
ニコを大切にしたいと思う。誰にもあげたくない。どこにも行かせたくない。傍にいたい。
自分の中にそんな強い感情が生まれるなんて思わなかったけれど、その思いは自分の中に確かにあるんだ。
わたしは、変わってたんだ。
恋で、変わったんじゃない。
ニコで、変わったんだ。ニコに会ったその日から、少しずつ見えないくらいのスピードで、わたしは成長してたんだ。
今はそれが、大きくなってるだけなんだ。一年間で育った想いは、自分が思うよりずっと大きくて自分の中に根を張っていた。
多分、お父さんが想像するよりずっと大きい。
「ニコ。今、決めたよ」
息を吸い込む。扉に手をかけて、一気に開け放った。目の前にはびっくりした顔のお父さんがいて、それからそのすぐ隣に笑顔のお母さんがいた。
「わたし、ニコと結婚するから!!」
一気に言い切って、それからニコに向かって笑った。吹っ切れたというか、勝手をやってしまったというか。
「こ、ことは!!」
「するつもり、だから!」
言い切って、ニコに容赦なく飛びついた。ニコは完全に固まっていて、わたしを抱きとめるので精一杯だったらしい。
強くなったでしょう? というように笑うと、苦く笑い返された。『まいったよ』なんて笑いながら、ニコはわたしの両親に頭を下げた。
さらさらと揺れる髪に一瞬目を奪われた。
言葉はない。ないけど、お父さんには伝わったらしく、足音も高く去って行った。
二人の間にどんな無言のうちの会話があったのかは分からないが、お母さんはニコニコと笑っているし、ニコも笑顔になっていた。
「えっと、コトハ。本気??」
「本気じゃないように見えた?」
質問を質問で返されることは嫌いだったけど、今日くらいはいいのではないだろうかと思ってしまう。ニコの笑顔を見ているとそう思ってしまって、笑うことが止められなかった。
心の中が驚くくらいすっきりとしていて、大声で叫んでしまいそうになる。一昨年のクリスマスで叫んだときの思いとは全く違うけれど、やることは結局同じなのかもしれない。
あの行動は今でもすごく恥ずかしいし、できるなら忘れてしまいたいけれど。それでももう一度選べと言われたら、わたしは叫んでしまうのだろう。
でなければニコに出会えないから。その次の年、彼がわたしに会いに来ることなんてなくなってしまうから。だから、いいのだろうと思った。
ああしたことが、正解なんだ。
「わたし、サンタクロースのお嫁さんになりたいです。駄目、かな?」
精一杯の言葉に、彼はどうやって答えてくれるだろう。未だにトナカイの引くそりに乗っていて、空に浮いているのにお母さんは何も言わない。
今更その不思議さに首を傾げるが、それさえもどうでもよくなっていて、ただニコの返事を待っていた。断られるなんて、思ってもいないけど。
自意識過剰だけど、それでも嫌だと言われるわけがないと信じていた。それくらい、わたしは彼を信じられるようになっていたんだ。
一年、他の恋人達よりずっと少ない時間しか一緒にいないけど。
「あー、もうっ。どうしてそんなに可愛いの。攫って帰りたくなっちゃう」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、わたしは笑って彼の背中に手を回した。多分母の目も忘れていて、後ですごく恥ずかしくなるんだろうとは分かってるけど。
「離したくないっ。帰りたくないー。でも、仕事あるから帰らなきゃ」
「……そっか、クリスマスが一ヵ月後だもんね」
この季節、サンタさんは忙しいに決まっている。そうだ。今年はもう、クリスマスに会えないのか。
初仕事は去年終わったし、今年は二年目になるわけだし。それは少し寂しかったが、彼が一人前になるのかと思うと何だか嬉しくなった。
クリスマスに会えないのは寂しいけれど、でもわたしは別にサンタさんであるニコが好きなわけじゃなくって、ニコ本人が好きなのだから、あまり気にしないことにした。
クリスマスが終わったら、会えるかな。プレゼント渡しても大丈夫かな。
一ヵ月後だけど、考えれば考えるだけ楽しみになっていて、早く来ればいいのに、と思った。
「クリスマスに、来てもいい? あ、もちろんご両親との間では邪魔しないから!」
「忙しい、よね?」
寂しいなんて口に出してないのに、ニコはそんなことを言って首を傾げた。
どこまでもわたしのことを考えてくれる彼は優しいなぁと思いながら、忙しい中無理をしなくてもいいのに、と思ってしまう。
「初めてコトハを見たのが、クリスマスだから。初めて話したのが、クリスマスだから。……だから、特別な日、なんだよ。僕にとって、どの日よりも大切なんだ。来ても、いい?」
その言葉に、返事なんて口に出せなくて。
ただわたしもだということを伝えたくて抱きしめた手に力を入れた。早くクリスマスが来ればいい。一生のうちで、多分一番強く願った。
あと何年生きたって、何年楽しみにしたって、この瞬間の気持ちには負けると思った。
早く、時が経てばいいのに。
中途半端にきった挙句、二週間以上放置とか……。申し訳なさ過ぎて。更新したつもりでいました。
来月は25日に更新できればいいです。