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その存在に酔う

 微妙に……うん、注意を促してみる。基本ラブラブですけど、危ない雰囲気だと思ったら逃げるのが吉だと思います。だけど年齢制限はない、はず。

「お、お母さん。もうわたし、ここにいたくないんだけど」

 わたしが気を失い、家の中が騒然としたのは一ヶ月前。

 父はその日を『なかったこと』にしているらしく、それ以来家の中では一切ニコの話題が出ていなかった。出ていなかった、というよりも意図的に出さないようにしていた。

 わたしはわたしで、面倒なことを言われないようにと、ひたすらに息を潜めている。それは昨日までも一緒だった。

 それなのに、昨日唐突に父に呼ばれ、机に向かい合うように座らされ、ゆっくりとした口調で諭された。

 曰く、『お前の彼氏を紹介しなさい』と。

 母親が隣で小さく笑い、父は憮然とした様子で座っている。

 わたしはといえば、倒れてその日のことをなかったことにされていることへ多大な安心感を抱いていたので、驚きが隠せなかった。

 そしてその日に仕方なくメールしたのだ。

 お父さんと一緒にご飯を食べてくれませんか、と。

 ニコからの返事はとても端的で、『よろこんで。楽しみにしていますと伝えて』と返ってきた。

 その物分りの、話の通りやすさといったら、逆にこちらが不安になるくらいのもので、わたしはメールを送ったことを後悔した。

 一ヶ月前、わたしが倒れて、家中が大騒ぎになったのは母とニコ(電話)から聞いた。

 父は慌ててはいたものの、真っ先にニコを帰したらしい。ニコはせめてわたしが目覚めるまで待っていたかったらしいのだが、母に促されて帰ったのだとか。

 正解だと思う。あれ以上の家にいたら、確実に父が殴っていたような気がする。

「何言ってるの、ことちゃん。今日はニコくんが我が家でご飯を食べてくれるのよ? 

一ヶ月前はことちゃんが倒れちゃったけど、今回はそんなことないし。でも、本当に風邪で倒れることってあるのねぇ」

 母が頬に手を当てて、不思議がるように言った。そんなこと、わたし自身が聞きたい。

 今まで一度として気を失ったことなどなかったのに、どうしてあのタイミングで倒れてしまったのだろう。

 いくらなんでも自分に都合がよすぎるというか、ニコにとって都合が悪すぎるというか。とりあえず、あんなタイミングで二度と倒れたくない。

「だって、だってお父さんがすごく恐いよ!」

「いつだって、誰のお父さんだって、娘の彼氏には恐いものよ。……多分ね」

 母のなんとも頼りない言葉を聞きながら、携帯を閉じたり開けたり。

 忙しなくいじるわたしは完全に落ち着きをなくしていた。

 父に『彼氏を呼べ』と言われたときに、色々な言い訳をし、様々なフォローを入れてみたものの、父の決意が揺らぐことはなかった。

 もうすっかりと寒くなっているから、外で風に当たってほしくはないんだけど。

「どうしよう、殴ったりしちゃったら」

「するかもしれないわねぇ」

 お母さん、どうしてそんなにのんびりと言葉を紡げるの。わたしは今から不安でいけないよ。

 時計に目をやれば、約束の三十分前をすでに切っており、そわそわと落ち着かなくなる。

 一ヶ月に一度のこの感覚は、いつもどこか苦しくて、それでも楽しみだったわけだけど、今日ばかりはそうも言っていられなくなっていた。

 今日は駄目だ。今日は恐い。

 全然楽しみじゃない。

 お父さんが怒ってニコを殴ったりしたらどうなるんだろう。

 いつも優しい笑顔を向けてくれるし、絶対に乱暴なことはしないニコだから、まさか殴り合いの喧嘩になるなんて心配はないのだろうけど、それでもニコが一方的に殴られるなんて見たくないし。

 お父さんが遅く帰ってくればいいのに。

「お父さん、今日早く帰ってくるって」

「そう」

 と、そのとき玄関で音がして、びくっと肩が震える。ニコだろうか、お父さんだろうか。

 どちらにしろ心臓に悪いことには違いないので、とりあえず玄関に急いだ。すると扉がするりと開いて、そこからお父さんが帰ってくる。

 残念だったような、ほっと安心するような。不思議な感覚で、お父さんの顔を見た。

「何だ、ことは。その残念そうな顔は」

「当たり前ですよ、ことちゃんはニコくんを待ってるんですから」

 お父さんの眉間にしわがより、不機嫌そうな顔が怒りを孕んだのが分かった。

 わたしは何も言い訳ができずに、そっとお父さんから視線を外す。これくらいしかできない自分は、心底意気地がないと思う。

「それで、その。ことはの彼氏はまだ来てないのか」

「当たり前ですよ。三十分も前ですから」

 お母さんが笑った瞬間、玄関に人の気配がし、ピンポーンと柔らかいチャイムの音が鳴った。

 その瞬間、玄関先でネクタイを緩めていたお父さんの周りの空気がひんやりとする。勘違いじゃない、一瞬で空気が冷たくなった。

「あら、早かったわ」

 わたしは慌てて再び玄関に向き直り、そっと玄関の扉を開けた。

 予想していたことだが、目の前にいたのは見慣れた笑顔のニコで、でも今日ばかりは素直に笑顔を返すことができずに、おずおずと『いらっしゃい』と言った。

「ニコくん、いらっしゃい」

「お邪魔します、お母さん」

 ニコの口から『お母さん』という単語が何の迷いもなく出てきて、思わず照れる。

 どうしてか、こちらが照れてしまって、そっと俯いた。嬉しいのか、恥ずかしいのかよく分からない感覚が胸を占めて、一瞬お父さんの存在さえ忘れてしまいそうだった。

 いや、正確には一瞬だけお父さんがこの場にいることを忘れた。

 それくらい、とっさに抱きついてしまいたくなった。ふわっと温かくなる安心感がそこにはあって、それだけでわたしはさっきまでの不安が消えていくのを感じる。

 ニコがいる、というそれだけで、こんなにも心が落ち着く。

「あの、お父さんも」

「君にお父さん呼ばわりされる筋合いは一切ない!」

 あ、とお母さんとわたしが口を開く。

 テンプレ過ぎたその言葉だったが、怒った声で言われるとなかなかの迫力があり、ニコは困ったように眉を下げた。

 しかし困ったように、なだけで、決して恐れているわけではなさそうだった。

「あの、ではお名前でお呼びした方が?」

「もっと筋合いがない!!」

 そんな無茶な、と思う一方で、その会話の奇妙さに笑いがこらえきれずについ噴出した。

 お父さんの子供っぽい言い方と、それに対するニコの紳士的な返答が絶妙で、どこかちぐはぐの印象を与える。

 そのことに気が付き肩を揺らせば、お母さんも同じらしく笑いながらお父さんの肩を押した。

「さあさあ、中へ入ってください。お夕飯の準備、済んでますからね」

 我が家の中で一人だけ冷静なお母さんの背中を見つつ、今日無事に終われるのか分からなかった。

 いや、終れない気さえした。お父さんの雰囲気は不穏だし、それに対するニコはあまりにも堂々としていて、恐がっていないから。

 ぶつかりそうな気がする。何となく、だけど。



「い、いつから付き合ってるんだね」

「そうですね。五月にコトハさんに告白して、六月に正式な返事を貰いました。それから、お付き合いさせていただいてます」

 落ち着いたニコの声。

 今日ばかりはわたしの隣に座っているのは彼で、目の前のお父さんを穏やかな顔で見つめていた。

 全く緊張の見られない顔で、声で、いつもどおりのニコだった。何だか少し意外で、それでも十分にニコらしい態度だった。

 一番初めに会ったときは笑顔の似合う、少しおかしなお兄さんという感じだったのに。

「それで、君は」

「コトハのことを、愛し」

「お父さん! ごはんのおかわりいるよね。ニコもいるよね!! たくさん食べてね」

 お父さんとニコの会話に我慢できず、思わず割って入る。

 お母さんがわたしの目の前で苦笑いを浮かべつつ、残念そうな顔をして『あらー、どうして止めちゃったの? お母さん聞きたかったのに』と不平を漏らした。

 いや、なんか居た堪れなくなった。

 すごく気恥ずかしくなって、邪魔したくなったのだ。

 お父さんとニコのお椀(そう、何故かニコ専用のお椀があるのだ)を掴み、炊飯ジャーのところまで走った。

 知っていますか、炊飯器って英語でライスクッカーって言うらしいよ。そんな関係ないことを思い出していた。

「あ。ニコくんからワイン貰ったの」

 お母さんが喜び勇んでワインの入った袋を出す。

 ご飯食べてるときに出すものなの? それ。ご飯食べたあとに晩酌程度でいいんじゃないの?

 成人してもなおお酒が苦手で飲めないわたしは、若干のけぞりつつそう思った。

「今日はワインデーですから。コトハにも飲みやすいやつ」

「あ、ありがとう」

 そっか、今日はワインデーだったのか。

 ニコは本当に色んなことを知っていて、ときどきその知識は一体どこにしまわれているんだろうと思うことはある。

 わたしだってそれぞれの十四日は何があるか調べているつもりだけど、全部を覚えているわけじゃないし、それを常日頃から気にしているわけでもない。

 特に今日なんかはお父さんがニコを呼んだというその事実だけで焦って、他のことは何も考えられていなかったのだ。

「ことちゃんお酒好きじゃないもんね」

「はい、だから口当たりのいいものを選んでみたんですけど。お母さんは赤ワインがお好きと聞きましたので、赤と白を買ってきました。お口に合えばいいですが」

 よく分からないし、ワインなんて白でも赤でも一緒じゃないの? と正直思っている。

 確か……どっちかが渋かったりするんだよね。冷やしたり冷やさなかったりもあるし、第一高いイメージがある。

 何か大人の飲み物で、わたしには縁がないもの。

 実はお酒といってもチューハイを少しくらいしか飲まない私からしてみれば、とても未知のものです。

「私はねぇ、あまりワインの良し悪しが分からないから。でもお酒は好き。ニコくんが選んでくれたならよかったわ」

 食事は思いのほか和やかに進み(お母さんのおかげだと思う)、お父さんとお母さん、それからニコがワインを飲み始める。

「白の甘口。初心者にはいいって聞いたから、あ、あとね。こっちもコトハに」

 すっと差し出されたのは、それまでのお洒落な(多分、あっちで買ったんだろう)ラベルのものじゃなくて、何故か日本語で書かれているラベル。

 あれ、ワインって日本でも作ってるの?

 とことんお酒の知識がないわたしはそんなことを考えてから、ラベルをまじまじと見つめた。小さな可愛らしいボトル。

 それから漢字で書かれたお酒の名前。

 でもその色は赤ワインとも白ワインとも少し違う気がした。

 琥珀色、とでも言おうか。少し黄色みがかった液体がたぷんと揺れる。美味しそう、とは思わないけれど、それが何か分からず首を傾げる。

「これ、ワイン? 日本でも作ってるの?」

「これはね、貴腐ワインっていうの。すごく甘くて、コクがあるし、おばあちゃんが勧めるから」

 きふ? きふってどんな字だろう。

 甘いのかー。それは飲んでみたいなぁ。でも酔っちゃうとどうなるかまだ分からないし、ニコに醜態を見せるわけにもいかない。

 何よりケンカになったとき、酔ってたらニコを助けてあげられない。それはちょっと嫌だから、とりあえず脇に置いた。一人でこっそり飲もうかな。

「酔ってもいいときに飲むよ。今日は、やめとく」

「どうして?」

「どうしてって、お父さんとケンカになったらどうするの? 殴り合いになったら止めなきゃ」

 真剣に言った私とは裏腹に、ニコはにっこりと笑って『心配ないよ』と言う。

 どうしてだろうなんて思いながら、お父さんのほうを向くとお父さんはすでに机に突っ伏していた。え……。どうして?

「お父さん、お酒に弱いんだってね。お母さんから聞いてたから、度数が高いワイン持って来ちゃった」

「どうして?」

「お母さんが、『ヒデノリさん、ニコくんを離さないと思うから、酔わせちゃいましょ』って。

本当はね、もっともっと僕のことを知ってほしいし、僕とコトハのことについて話したいと思ってたんだけど。止められちゃって。お父さん、多分すごく動揺してるから」

 動揺しているのは認めよう。

 多分、ニコの存在を認識すること自体嫌なはずだ。でなければ、あれからほぼ一ヶ月、一度もニコの話題を出さなかったというのはおかしい。

 お父さんは、わたしが誰かと付き合っているという事実自体、認めたくないのだろうと思う。

 今までそんなに溺愛されて育った覚えはないのに、それだけは確かだった。

「もっとゆっくり、時間をかけて。僕のことを少しずつ、知ってもらって。そうしたら、付き合うのも賛成してくれるかな? 

それとも、お母さんが言うとおり殴られちゃうかな」

 そんなことは分からなかったが、急にニコが大人しくなって、思わず抱きつく。

 何て言えばニコは満足してくれるんだろう。

 何て言ったら、ニコは笑ってくれるんだろう。別にお父さんだって本気で誰にも渡したくない、なんて考えてるわけでもないだろうに。

「ニコ。二人で、空けちゃおうか、その美味しいっていうワイン」

 お母さんからワイングラスを受け取り、ニコから貰ったボトルを二本持ってもらう。

 それからニコを手招きして、いつもどおりわたしの部屋に案内した。さすがにここでニコに向けて何か言うつもりはない。

 だってお母さんがいるし、お父さんだっていつ起きるか分からないし。それに、わたしがニコに向かって話す言葉を、ニコ以外に聞かれたくない。

「コトハ、一応言っとくけど。僕、普通に成人男性だよ?」

「うん?? 知ってるよ」

 今更何を言ってるんだと思いながら、空いた手でわたしの部屋の扉を開く。

 暗い部屋はぼんやりとしていて、月の光に満ちていた。満月ではないけれど、電気をつけなくても十分家具の配置は見える。

 奥の方に置かれたベッド、入り口近くの勉強机。それから床に敷かれたビーズクッション。

「信用されてるんだろうけどね。ときどき不安になるよ」

 呟くようにそう言われて、意味が分からずに首をかしげると『分かんないままのコトハも好き』とにっこり笑われた。

 別に怒っているわけではなさそうなので、少しだけ安心する。

 しかしニコの言葉の意味がやっぱりよく分からなくてどういう意味でいっているのか気になった。信用しているけど、どうしてそれが不安になるんだろう。

「コトハ。どっち空ける?」

「んー、日本産の方!」

 何となく、外国産よりは身近な気がして、漢字の書かれたラベルを指差す。

 ニコは穏やかな表情のまま頷いて、栓抜き(と言っていいのか?)を使ってコルクを抜いた。ポンと軽い音がして、コルクが抜ける。

 わたしがやったら絶対に零れるだろうと思った。力がいるから、多分反動でボトルを倒してしまうだろう。

 とぷんと暗闇でも十分分かる鮮やかな色合いが光を弾いて、飲んだこともないのに自然と目が吸い寄せられた。

 何だか不思議な匂いがする。嫌いじゃないけど、だけどとても不思議。

「はい、どうぞ」

 差し出されたグラスを恐る恐る手にとって、ちろりと舐めるように飲む。

 お酒だ。うん、お酒。

 美味しいのか美味しくないのか判別しがたい、まずお酒だと分かる味。うーん、美味しい、のか? よく分からず思わずごくっと飲んでみる。

 喉のとおりはよかったけど、やっぱり特別美味しいかと聞かれれば首を傾げるしかない。もう一口飲んでから、やっとニコにコメントを言うことができた。

「お酒、だね」

「そう? まぁ、僕はあんまり飲まないしなぁ」

 わたしの想像する『甘い』と微妙に違った。何だか甘いのは甘いのだが、とろりとした感じ。

 何に似てる、なんていい表せるはずもなく、しばらくその複雑で名状しがたい感覚を口の中に留めていた。

 その正体を探り、結局グラスを空ける。美味しい、というか不思議。

「もういいの?」

「あんまり飲むと、本当にぼんやりしちゃうから」

 水を飲みたくなってしまう。ニコには悪いが、やはりお酒とは相性が悪いらしい。

 多分、飲みなれれば美味しいと感じる口当たりだったので、また挑戦してみたらいいかもしれない。

 とりあえず、お母さんに言って保存してもらおう。確かこの前買った『真空にする』何かがあったはずだ。

 どうやらワインは酸素に触れさせたまま保存するのはよくないらしい。全くもって詳しいことはよく分からないが、そういうものだそうだ。

「ニコー。口の中が甘い」

 さっきは甘くないかもしれない、なんて思ったがいや甘かった。

 とろっとした甘さが口の中に広がって、多分残ったままなのだろう。続けて飲んでしまいたいような、もう止めてしまいたいような。

 どっちにも取れるその感覚に、頭に白もやがかかってきた。酔ったのかもしれない。とりあえず、気分がよくてニコに縋りついた。

「美味しかった?」

「よく分かんなかった」

 お酒の美味しさが完全に分かるまでには、まだまだ時間を要しそうだった。だけど不味いとも感じなくなっていて、ニコに聞いてみる。

「ニコは、飲まなかったね」

「さっきお父さんとお母さんと一緒に飲んでたからね」

 この美味しいのかそうじゃないのかいまいち理解できない味を、一緒に感じてほしかったのにそんなことを言う。

 何だか少し悔しくなって、彼の唇に顔を寄せた。

「コトハ?」

「さっきのワインね、こんな味」

 自分が何を言っているのか、いまいち分かっていない気がする。

 自分がどんな行動を取っているのか、まるで幕が一枚かかったような状態で、他人事のように分析していた。

 あぁ、わたし、今自分からニコにキスしようとしてるんだ、なんて。今までだったら絶対恥ずかしくて、居た堪れなかっただろうに、今は全く気にならない。

 ふわっとニコの唇に自分のそれを押し付ける。

 だけどそれだけでは味が伝わらないということに気が付いて、眉を寄せた。どうすればいいんだろう。あ、そうか。

「口開けてー」

「コトハ、あの、本当に勘弁して。理性が焼ききれる」

「りせいは焼かれないよー」

 酔ってる? わたしは、酔ってはいないはずだ。

 だって、一杯しか空けてない。いくらの見慣れないわたしだって、そんなに弱いわけではないはずなのに。なのに、ぐらぐらする。

 目の前のニコがとてつもなく可愛いサンタさんに見えて、どうしてだか胸が騒いだ。

 ドキドキする。体が熱い。息が上がって、自分の体じゃないみたい。

 唇をほぼ引っ付けたまま、ニコにお願いしたのにニコは頑として口を開けようとはしなかった。

 んーと迷って、ちろりと唇を舐めてみる。びくっと震えたニコを見て、イタズラ心が湧き上がってきた。

 いつも余裕で、わたしばっかり焦らせる彼が、今日ばかりはびっくりした顔でわたしを見つめている。なかなかいい眺め。

「コトハ、下に行こう。お父さんが起きてるかもしれない」

「いいよ、別に。わたしに彼氏ができたのが心配で心配で、仕方ないんだって。ニコが殴られたらどうしようって、今日わたし、そればっかり考えてたんだよ。

ニコが嫌いになっちゃって、わたしに会いに来てくれなくなったらどうしようって。わたしは、ニコの居場所知らないし、フィンランドにすぐ行けるくらい英語が堪能なわけじゃないし」

 そもそも、フィンランドの公用語は英語じゃないだろうなんて今更気がついて、余計に気分が滅入った。

 さっきまで気持ちよくって、すごく明るい気分になってたのに。フィンランド語、それってどんな言葉?

「嫌いになるわけ、ないだろ……」

 呟くような、絞り出すような言葉を聞いて、そうかと納得した。

 まだ顔の距離は近くって、綺麗な瞳がキラキラ光ってこちらを見つめていた。あー、本当に綺麗だ。わたしの黒い目より、ずっと綺麗。

 羨ましくなって、もっと見たくて近づければ、ぐっと腰を引き寄せられてバランスを崩した。

 慌てて体勢を立て直そうと、いつの間にか膝立ちになっていた足に力を入れる。だけど咄嗟のことでそれも十分にはできず、気付いたらニコに抱え込まれていた。

「煽ったの、コトハだからね! 恐がらせないようにって、どれだけ頑張ってたか!!」

 へ? と聞き返す暇もなく、口に熱い熱が灯された。

 さっきわたしがやったみたいな、そんな幼い口付けじゃなくって、もっともっと全部を吸い取られてしまうようなキスだった。

 こんなの知らないのに、どうしてか動揺はなくって、ただひたすらにニコの動きを頭の中で追っていた。

 息苦しいのか、ときめきすぎて胸が痛いのか。

 どちらにしろニコのせいであることは間違いない。酸素を求めて大きく口を開いたはずなのに、それを覆うようにニコに噛み付かれて吐息が漏れた。

「コトハ、甘い」

「だから言ったのに」

 吐息で呟かれた言葉にそう返せば、ワインよりずっと甘いよ、と言われた。

 ん? でも、ワインが甘いからわたしの口の中が甘いってことだよね。なのにどうして、ワインより甘くなるの??

「ねぇ、お願いだから、これ以上僕を翻弄しないで。もう、十分好きだから、もうこれ以上なんてないくらい好きだから。だから、コトハ」

 ぐっと抱きしめられて、ニコの顔が首元にうずまった。

 そのくすぐったさに身じろぎすれば、怒ったように首筋に噛み付かれる。喉の、皮が薄い部分。

 日常で誰にも触られない、自分でさえもあまり触らないその部分に、ニコの唇が、歯が、舌が、髪があたる。

 その意味を考えることなんてできずに、ただその感覚に酔った。お酒に酔ったわけじゃなくって、ニコに酔っていたのかと回らない頭でそんなことを考えていた。

「ニコ?」

「とりあえず、僕をからかった罰」

 罰、で噛み付かれたの? 笑いながらそう零し、少しだけ不機嫌そうにしているニコの頬に同じように噛み付いた。




 一人でソリに乗り込み、それからその場に突っ伏した。もう何なの、あの子。こっちの理性を試してんの?

「何か、ご両親に挨拶するより緊張した」

 自分は日本人ではないから、もしかしたらすごく反対されるのかもしれない。

 現におじいちゃんとおばあちゃんは周囲の反対を押し切るように、そしておばあちゃんにいたっては半ば家出する形で結婚したのだという。

 確かにあの年齢差、国際差だとそういうこともあるかもしれない。時代はもっと昔だったし、国際結婚は稀だったのだろう。

 だから『挨拶をする』というのは、とても重要な儀式だと思っていた。そこで全てが決まってしまう気さえした。コトハに、会えなくなってしまうんじゃないかとも思った。

 だけど挨拶という儀式は意外に和やかに進み、ご飯もご馳走になった。お母さんのご協力があってこその成功だろうと思う。

 反対にお父さんはじっとこちらを見つめて、目の前の男が娘の彼氏として相応しいかどうか見定めているようだった。

 大切な一人娘なら、当然のことだろう。

 だけど重要だったのはその後で、むしろ今自分の中の記憶はそれだけしかなくなっていた。

 彼女からキスされるという非常に珍しい事態が起きただけで、自分の頭の中の回路は役目を果たさなくなっていたのに、挙句唇を……。

「あぁぁぁ!! もう考えちゃ駄目なのにっ!」

 びくっとルドルフが驚いた。

「ごめん、ちょっと動揺してる」

 謝ってその温かい背を撫でれば、慰めるように鼻を擦り付けられる。

「とりあえず、自分がとことんのめりこんでることが分かったよ。うん、それだけ」

 本当は、それだけじゃないけれど。

「コトハ、絶対覚えてないんだろうなぁ」

 そんな意趣返しで、喉に緩く噛んで薄い歯型を、髪で隠れるうなじに鬱血痕を刻んでおいた。これくらいは許されるはずだ。

 お父さんには見つからないように、だけど鋭いお母さんには気付かれるように。ギリギリのそこに、そっと所有印をつけて別れた。これくらい、許してほしい。

「好きすぎて、そのうちどうにかなりそう」

 もう寒くなり始めた夜空に、小さな声が一つ浮かんでゆらりと溶け込んだ。月の光さえ恨めしい、静かな夜にその声は妙に響いて、溶けたその余韻さえ掴まえておきたくなった。

 これくらいだったら、まだR15ではないと信じているのですが。正直どうなのか自分でも判断が付かないです。R13くらい??

 ニコには毎度、理性を試すかのごとく何かが起こっている気がします。


 ちなみに貴腐ワインの匂いや味は調べた上での想像です! 想像ですからね!! わたしはまだお酒が飲める年齢ではないので。

 あまり本気になさらないで下さい。

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