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それが当然だと

 当然だと思うことは多いですが、それが本当に当然のことだというのはあまりにも少ないと思います。結構、当然じゃなくて、特別なことなんだなって気付くことが大切かなぁなんて。

 でも、幸せとか、そういうものが『当然だ』と感じてほしいくらい、幸せになってほしい人もいるんです。

 ……そういうお話にしたかった。(過去形)

「ねー、ことは。9月14日って何の日か知ってる?」

 大学での授業の合間に友人から尋ねられる。『知らないよ』と笑いながら、手元の手帳にちらりと視線をやった。

 それから携帯を確認して、そっとため息を吐く。今日はまだニコからメールが来てない。

 来ないならメールすればいいことなのだが、話題も思いつかなかったので、ただ携帯を確認する作業が続いた。

 今日でもう何度目だろう。メールの着信を問い合わせたかったが、友人の手前そんなこともできない。

「今日はね、セプテンバーバレンタインらしいよ」

 首を傾げれば友人は、なんとも意地悪そうな目で笑った。

 わたしが知っている記念日とは違ったので、物珍しくて友人に続きを促す。同じ日にちでも記念日はたくさんある。

 その中で、ニコが何をするのかは予想できないので、なるべく多くの情報を知りたかった。もっとも、今日来るかどうかはまだ分からないのだけれど。

「3月14日のホワイトデーから半年。別れを切り出す日、らしいよ?」

 へぇと気のないような返事をしつつ、わずかに心拍数の上がった心臓を抑える。

 ニコに限ってありえないと否定しつつも、どきりとしたことは事実だった。まさか、そんなことあるわけないんだけど。

 でも不安になるのは仕方のないことだと言い訳する。こんなときに限って、彼からのメールは来ない。自分からしようかと携帯に手を伸ばす。

「ことはは彼氏いるんだっけ?」

「あー、まぁ」

 言葉を濁してから携帯を手にとり、それから友人の言葉を振り切るように立ち上がった。

「気を悪くした?」

「ううん。別にそれはいいんだけど」

 どんな風にメールをすればいいのか、まして電話してもいいものなのか。

 そもそも、時間はどれくらい違うのか。そんなことさえ分からなくて、今彼がどんな風に過ごしているのか想像もできなくて、小さく唇をかんだ。

「ねぇ、フィンランドって日本と時差どれくらい?」

 突拍子もない質問に、友人は少しだけ首を傾げたが先ほどのことをよほど悪いと思ったのか、素直に悩んでくれた。

「えっと、イギリスまでが9時間だから……。6時間とか、7時間とかじゃないの? ノルウェー、スウェーデン、フィンランドって、フィンランドが一番右だっけ?」

 今から6、7時間前ということか。今が2時半とかだから、8時とか?

 丁度忙しい時間だと思う。かけれないな、と思って携帯をしまった。一体いつになればかけることができるのだろう。というかいつもはどうやって来てるんだろう。

 だって、6時間とか7時間も違えば、こちらで夜遅くてもあっちではお昼とか夕方とかで、とても仕事が終っているとは思えない。

 ……学生とか? でも学生だって授業ありますよね、普通に。もしかして、とんでもない無理をさせているんじゃなかろうかと考え付いて、逆に今まで何も考えてなかった自分を恨む。

 どうして気がつかなかったのか。こんな簡単なこと。

 立ち上がって、そわそわして鞄を持って学校を出ようとする。

「ちょっと、ことは! 4限目始まっちゃう!」

「うん、ごめん! 帰る!」

 学校をサボったのは生まれて初めて。授業がどうでもいいなんて考えたのも、多分初めて。

 彼のことしか頭になくって、他には何も考えられなくて。だけど『どうして』と繰り返し、自分を責めることは忘れない。

 電話してもいいの? 迷惑なの?

 何かしているかもしれない。邪魔してるのかもしれない。毎月会いに来るのだってきっと大変で、すごくすごく無理してるのかもしれない。

 校舎から出て、人もまばらな大学内を走る。携帯を握り締めて、大学の門を出た。息が上がって、苦しいのに何で止まらないんだろう。

 ずるずると門に手をつきしゃがみこんだ。

 頭が痛くなって、気分も悪くて、口元に手を当てた。ぐるぐると色んなことを考えてたら、立ち上がれなくなりそうだった。

 助けてほしかった、誰かに。違う、他の誰でもない『彼』に。

「コトハ?! 気分、悪い? 大丈夫??」

 背中に温かい掌が乗った。次いで優しい声が聞こえて、びっくりして体を起こすと、目の前にはニコがいる。

 口だけが『どうして』と動くのに、息が切れたわたしの口から音は出ない。こみ上げていた涙を親指で掬われ、そのまま頬を撫でられる。

 大丈夫、と囁くように言えば安心したように体を離された。そのわずかな隙間さえ嫌で、思わず抱きつく。

「コトハ? 立てない?」

「……違う、けど」

 不安になったり、そういうことじゃなくって。

 何も知らない自分自身に嫌気が差しただけ。知らないのに、『知らない』事実を何とも思わずにいたことへ、呆然としただけ。

「あー、お姫様抱っこ、じゃ僕の体力が持たないな。背中に乗るとか」

 オロオロとするニコの胸に頭を押し付けて、情けない自分を心の底から罵る。罵ったところでどうにもならないし、意味もないんだけど。

 そうすることしかできなくて、余計にイヤになった。ニコの服の裾を掴んで、頭を振る。

 何も語ろうとせず、離れることもしないわたしを見て、ニコが溜息を吐いて、頭を撫でる。何も聞かない、何も言わない。

 それがニコの優しさであるんだろうけど、何故だか今日はそれが嫌だった。

「ニコ、学生?」

「え、違う、けど」

「そう」

 そこでしばらく沈黙が落ちる。会話が切れて、頭を預けたままその沈黙にじっと耳を澄ませていた。

「ねぇ、コトハ。そろそろ謎解きしてくれる? コトハの考えてること、僕には分からないから」

 ニコが笑って、こちらの顔を見る。

 下から掬うように顎を捉えられて、その仕草にどきりとした。今まで一度としてされたことがない、大人の仕草。

 無理やりではないのに、逆らえない力があった。

「わたし、何も考えてなくって」

「え?」

「ニコのこと、何も知らないのに、『知らないこと』を少しも疑問に思ってなかった」

 何度か気になったことはある。思考の端の方で、ちらちらと瞬くこともある。

 だけど深く考えることなんてなかった。知らないことが、ある意味当たり前のような。知らなくてもいいような。そんな考え方をしてた。

 彼が働いているのかも、とか。来るときに仕事をどうしているのかとか。遠い道のりは辛くないのかとか。

 そんなこと、何一つ考えてなかった。ニコのことが、好きだというくせに。何も、考えてなかったんだ。

「もしかして、知らないことを気にしてる?」

「気に、してなかったことが、情けなかったの」

 ニコの手が背中に回る。顎を捉えていた手は、わたしが俯かないことを確かめるとするりと離れていっていた。

 下唇の下に当てられていた親指がかすって震える。

「情けなかった? どうして、コトハがそう思うの? 話さなかったのは僕だよ?」

 聞かなかったのは、わたしだよ。

 そんな言い訳さえ、彼の瞳は許してくれない。じっと見つめられて、またぐらりと体が傾く。自己嫌悪が、気持ち悪さとなって襲い掛かる。

 何も言えなくて、ただ彼の背中に回していた手で、服を掴んだ。

 助けを求めた。この苦しさから救ってほしかった。

 救ってほしかったけど、自分で解決しなければいけない問題だということも分かっていた。聞かなきゃ、きちんと。言わなきゃ、ちゃんと。

「ニコが、夕方とかに来る日でしょ? でもその時間って、フィンランドではずっと前でしょ? 仕事をしてるんなら、そんなに早く出れるはずないのにって。きっと、すごく無理をして、会いに来てくれてたのに。

わたし、考えもしなかった。時差とか、距離とか、そんなこと、一つも考えてなかったの。それがね、すごく情けなかったんだ」

 口に出してみて、考えながら話してみて、そうなのだと頷く。

 会いに来てくれていることを、段々と当たり前のように感じ始めていたのではないか。会いに来てくれることが、大変なのだと気付いていなかったのではないかと。

「ねぇ、コトハ」

 ニコが、苦く笑った気がした。背中に当てられたては優しくわたしを落ち着かせるように動く。

 責めていないその手の動作は、いつもどおり優しくて、でもわたしの心だけがいつもどおりではなかった。

「僕がさ、無理してるって考えてたの? コトハに会うことを、『大変だ』って?」

 違うよ、とニコが呟いた。

 その反対、と続けられる。

「僕はね。それを当然のことだと思ってほしかった。距離なんて考えてほしくなかった。時差とか、それこそ君の頭の中から消してしまいたいくらい」

 ニコの手がわたしの服を掴んだ。まるで、縋るみたいに。さっきのわたしみたいに。

「一ヶ月に一度だけど、でも会うことが当たり前で。二人の間に距離なんてなくて。それこそ、コトハが助けてほしいって思ってくれるくらい近くに感じてほしかったんだ。

すぐ、会いに行ける距離だと思ってほしかった。それに、会いたいのは僕の方だから。無理とかじゃなくって。コトハに、会えない方が僕には辛いんだ」

 抱き寄せられる。近くに、引き寄せられる。

 いつもよりずっと強いその力は、彼からすればほんの些細な力なのかもしれない。それでもわたしの胸は押しつぶされて、苦しくなって、小さな痛みを覚える。

 それでも、彼が抱きしめてくれているのだという実感は確かにあった。ぎゅっと、確かにここにいるのだという感触があった。

「仕事はねー。お祖父ちゃんとお父さんがやってるおもちゃ屋さんで働いてるんだよね。だからまぁ、二人には悪いけど自由は結構聞くんだ。

お祖母ちゃんとかね、日本の人で。だから、コトハに会いに行くのを応援してくれてるし」

 ほらね、とニコは何でもないように笑ってわたしの不安を打ち消した。

 まるで、悩むこと自体不要なんだというように。とても優しい声で、わたしに語りかけてくれる。

 聞きたかったことを、聞けなかったことを、いとも簡単に話してくれる。こんなことなら、色々悩まずに初めから聞いておけばよかった。

 出身地はどこなの?

 どうして日本語を話せるの?

 サンタさんをする以外にはどんなことをしているの?

「まぁ。でも、コトハが僕に興味を持ってくれてるならいいかなぁー。何かいいね。こうやって自分のことを知ってもらえるのって。理解してもらうって、何だか安心する」

 ほっと息を吐いたニコは、どこか拗ねたような口調で続けた。

 抱きしめた力は少し緩められたが、抱きしめることを止めようとは考えていないらしい。

「コトハが体調悪いのかと思った。すごく心配した! まだ授業中かと思って大学行ったら、蹲ってるし。一瞬で血の気が引いたんだから。もー、ルドルフに心配されるくらい焦ったんだから」

 拗ねたような口調で、叱られているような感覚になる。

 言い訳が許されないほどで、口を開くもニコの顔とぶつかってやめておいた。何だかすごく、心配させてしまったようだった。

 申し訳ない反面、少しだけ嬉しい。

「ちょっとね。あ、ニコ。今日何の日か知ってる?」

 元気が出てきて、笑顔も戻って。わたしってとことん現金なんだと自覚させられる。

 ニコが傍にいるだけで、こんなにも嬉しくなる。ニコも、そうであればいいのにと思った。わたしがいるだけで嬉しくて、心配がなくなるようになればいい。

 そんな存在になれればいい。わたしにとって、彼がそうであるように。

「今日はねー。フォトデーでしょ。メンズ・バレンタインデーでしょ。後は」

「セプテンバー・バレンタインってのもあるらしいよ」

 ぎょっとしたようにニコが目を見開いた。その様子からすると、どうやら彼はその存在を知っていて、わざと言わなかったらしい。

 どうして知っているの、とその目が問うていた。

「コトハ。それ、怒るからね!」

「……冗談だから、怒らないで」

 ぎゅっと今度こそ加減を知らないくらいの力で抱きしめられて、諸手を上げた。降参のポーズを取ると、ニコはゆっくりと笑って『分かればよろしい』と大仰に頷く。

 その様子がおかしくて笑えば、額をくっつけられた。

「ねぇ、コトハ。7月に言った言葉、覚えてる?」

 いきなり問われた問いに、どきりとする。

 きゅっと服の上から棟にかかっているペンダントトップを握り締める。指につけるわけにもいかず、かといって身につけていないと不安で。

 だからずっと首から提げている指輪。この指輪を貰ったときの会話を、忘れることなどできるはずもなかった。

 頭から離れるなんてありえなくて、ふとした瞬間に思い出しては床を転がりまわりたくなるような羞恥を覚えた。

 その人のことを考えて、声に出して叫びたくなるくらい恥ずかしくなるのは今回が初めてだった。

 指輪を贈られることを予期していたらしい母は、何にもつっこまず、ただただニコニコ笑っていた。

 『ニコくんはやるときにはやる子よねぇ』なんて言いながら、わたしがゴロゴロするのを見ていたのだ。

 不思議そうにしている父に何でもないのよ、と笑いながら、母はわたしから話すことを待っていたらしい。

 父に言い訳もできず、かといって母にも相談できず、ただ悶々とする日々が続いていた。先月、どうやってあそこまですっかり忘れていたのか気になるくらいだ。

「うん」

「考えてくれた?」

「すごく、考えた」

 実際は彼の真意がどこにあるのかとか、それは本気なのだろうかとか。疑っていたという方が近い。

 わたしはまだ大学生だし、彼もまだ多分若い。彼が口に出した話は、わたしにとってはもっとずっと先の話で、それでいて憧れがないというには少し無理があるような話だった。

「考えてくれるだけで幸せって言ったら、笑う?」

「でもね。あの、色々と考えててね」

 何と言えば、この気持ちを表現できるんだろうか。

 結婚とか、したくないわけじゃないんだ。うん、したくないわけじゃない。まして、ニコが嫌いなわけでもない。

 好きだ。すごく好き。口に出せば意外と呆気ないけど、それまで悩んだのが馬鹿みたいに軽いけど、だけど言い表せないくらい、好きだ。

 うん、愛してるって言ってもいいと思うよ。

 こんな若い人間が何を言ってるんだと、他の人たちに言われてしまうのかもしれない。

 もしかしたら、それは愛じゃないとか言われてしまうのかもしれないけど。

 でも、わたしは今これ以上に人を大切に思ったりする心を知らないから。わたしの中での、最上級の心はニコにあるから。

 だから、それを愛と呼ぶことにしてる。後々間違っていれば、それは訂正しなくてはいけないんだけど。

 だけど、日に日に大きくなっていくから、多分大丈夫。

「コトハなりに、一生懸命考えてくれるだけで幸せだよ。だって、可能性が0(ゼロ)じゃないからね。

コトハが一生懸命考えててくれるだけで、今はいいよ。確かに早すぎるしね」

 額をあわせたまま、彼が笑った。何も心配ないよと言われているようで、ここがどこかなんて考えずに笑い返す。

 体を離したニコが、手を引いて歩き出すのもそのままについていく。考えるだけで、いいの?

「もちろん、言ったからには僕の心が変わるわけではないし、本音を言えば今すぐにでも攫ってしまいたいよ。うん、本当に。そうできたらどんなにいいだろうって思う」

 彼が呟くようにそう言って、繋ぐ手に力を込めた。ニコはときどき、こちらが赤面したくなるような言葉を言ってくる。

 決して不快なわけではないのだけれど、どこか気恥ずかしくてつい下を向いてしまう言葉たちなのだ。

「でもね。コトハが嫌がるようなことはしたくないし。できれば皆に祝福されたいし」

 町並みを過ぎ、見知った道を歩きどんどんと家が近くなる。あと10分もすれば我が家が見えてくるだろう。

 それでもニコはゆっくりとした足並みを止めることなく、わたしの手を繋いで歩いていく。

「コトハ。今君は、どこまで考えてる? 賛成的、否定的?」

 どこまで、というような具体性は全くない。だけど、せめて『そういう』未来が予想できることは伝えたかった。

「あのね。どんなふうに二人で過ごすのかなっとか、どこで住むのかなっとか。色々と考えてた。すごく、大変そうだなって思ったよ。

だけどね、嫌だなんて思わなかった。まだ早いのかもしれないし、考えなきゃいけないことはすごく多いし、ちょっと反対されちゃうかもしれない」

 特にお父さんとかね。

「だけど。……ニコと一緒にいたいなって、最終的に思っちゃった」

 もっと他に考えることとかあって。相談しなくちゃいけないこととかもあって。きっとわたしたちだけの総意ではどうにもならない事だってたくさんあって。

 だけど最終的に考えたのはそれだけだった。他の誰かと一緒になる未来なんて考え付きもしなかったし、未来を思い描くときには当然のように隣にニコがいた。

 わたしはそれを、当然だと思った。

 ごくごく普通のことだと、それ以外に考えられないと。

 そんなふうに、思っちゃったんだ。

「サンタさんの、恋人になるだけでもびっくりだったのにね。去年まで、わたしはニコのこと全然知らなかったのに。そんなに、知ってるわけでもないのに。知らないことの方が多いのに」

 ニコの言葉に反対する理由なんて考えれば考えるだけ出てくるくせに。出てくるのに、それは決定打にはならない。

 そういう側面があるだけだ、と思うのだ。それに対する解決策だって、いくらでも出てくる。

 知り合って間もないなら、もう少しこうやって一緒に過ごせばいい。そうやって、ニコのことを少しずつ知っていったらいい。

「コトハ。それって、いいように受け取っていい? 僕が、都合のいいように、受け取ってもいい?」

 ひどく気弱なその発言に、『ニコの言葉も、わたしの都合のいいように受け取ってるから』と笑う。

「わたし、サンタさんの奥さんになりたいなぁって思っちゃった」

 笑うようにして言えば、『そっか』と返事をされて抱きしめられた。もう家は目の前だ。

 どうしよう、離れたくない。彼はわたしの足が浮くくらい強く抱きしめて、わたしも彼の肩に顎を乗せた。それくらい、幸せなのだ。


 だけど、そのときだった。


 一番、見つかってほしくないタイミングで。一番、大切なタイミングで。彼の肩越しに、わたしは目を見開いている父を見た。

 言い訳も何もできない状態で。彼に体を預けて。

「……そこで、誰と何をしてるんだ。ことは」

 恥ずかしさと、気まずさと。後は何とも言えない後ろめたさ。そんなものが一緒くたになってわたしに降りかかった。

 そういえば、わたしはまだ『彼氏』がいることさえ、報告してなかったのだ。

 厳しい父の目を目の当たりにして、いっそ気を失えればどんなにいいだろうかと現実逃避を計った。

「お父、さん」

 お母さん。今日、早めに帰ってくるんなら、朝言ってくれればよかったのに。こんなに早く帰ってくるなんて、わたし知らなかったよ。

「あらー。秀則さん。おかえりなさい。あ、ニコくんも。あらあら。四人してどうしたのかしら。さぁさぁ、中へ入ってお茶を淹れましょうね。

そうそう。今日はお夕飯食べて言ってね。ニコくん」

 お母さん、どうしてそんなににこやかでいられるの。というか、こうなりそうだと思ってたの?!

「今日は肉じゃがとお味噌汁よ。純和食にしてみました。秀則さんも好きよねー」

「あ、あぁ。そうだな」

 父の目が揺らぐ。母の目がにっこりと細められる。何だろう、この光景。できることなら自分の部屋に駆け上がりたい。

「あ、あのっ」

 ニコの声が響いたが、父はそれに耳を貸すことなく家に入っていった。その際、わたしの腕を掴むことを忘れずに。ずるずると問答無用で家の中へ入れられる。

 母はニコの手を取って、その後に続いた。

「あの! コトハさんと、お付……」

「ことはの名前を気安く呼ぶな!」

「まぁ、秀則さんったら。うちのお父さんが秀則さんに言った言葉と一緒ー。秀則さんったら竦みあがっちゃって、ニコくんみたいに挨拶できなかったのよ?」

 母の嬉しそうな笑い声が聞こえて、今度こそ眩暈がした。願いが叶うなら、今日の朝からやり直したい気分だった。

「挨拶するにもゆっくりした方がいいでしょ? お母さん、お茶淹れてくるから三人で大人しく座っててね。秀則さん、殴りかかっちゃダメよ? いくらうちのお父さんが秀則さんを殴ったからって。

ニコくん、とっても紳士的で、とてもとてもことちゃんの前で秀則さん殴り返せないから」

 こんな息子ほしかったのよねぇ、なんて言いながら母はお茶を淹れに行ってしまう。わたしも手伝いに行きたかったが、さすがにここへ二人残しておくことは危険だろうと判断して大人しく座る。

 ちなみに、父に引っ張られたままのわたしは父の隣。父の向かい側にニコ。その顔からはいつもの笑顔はなかったが、落ち着いてはいた。

 落ち着きがないのは父の方で、睨んではいるものの……どこか目が泳いでいる。

 ニコと目が合うと、ゆっくりと微笑まれて、でも今回ばかりはそれで安心できなかった。だって、思ってもみなかったのだ。

 お父さんが、ここまで激怒するなんて。ちょっと心配されるかなぁとは思ってたけど。

「ことは、事情を説明しなさい! お嫁さんのところまで全てだ!!」

 涙声なのはつっこまなくていいのかな、と思いながら。わたしは口を開けずにいた。どこまで話せばいいのか。どこまで話したらいいのか分からなかったからだ。

 グルグルと目が回る。あぁ、ダメだ。本当に気分が悪い。目が回りすぎて……。

「ちょっ、コトハっ?!」

 気を失いたい、なんて言ったけど。よもや本当に気を失うなんて、思ってもみなかった。意識が黒く塗りつぶされる瞬間でさえ、ニコしか目に入らなくって、その事実に少し笑った。

 微妙なところで来月に続く。

 お父さんをどんなキャラクターにしようかなーと、お母さんが出てきてすぐに考え始めましたけど。ちなみに、モデルはうちのお祖父ちゃん(母方)と父親です。

『彼氏連れてきたらどうする?』

『殴りかかるかな。あーでも、逃げるかもしれない』(←自分は殴られそうになったらしい)

『結婚するって言われたら?』

『泣く!』(←即答過ぎて、母親が爆笑した)

 一人娘だと、こういうことって珍しくないらしいです。今のところ、そんな必要がまるで見受けられない娘でよかったね、と思わないでもない感じでした。

 娘を持つ世の中のお父さんって辛いですね。

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