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【2】蕪のスープと弟の決意

 扉を開ければ、小さな人影がセラフィドの腰に抱きついてきた。


「おかえりなさい! セラ姉!」

 姉の帰宅を笑って迎えた弟スタインに、彼女は灰色の目を細める。

 この笑顔のために今日一日、いや、これまでずっと、彼女は頑張ってきた。


「ただいま。スタン」


 手を洗い、席につけば既に夕食の準備はできていた。

 スタンに礼を言い、豊穣の神スタインに感謝の祈りを捧げて、ささやかな晩餐が始まる。


 ごく薄く塩味をつけた蕪のスープに保存が効く堅パンという質素極まりない献立でも、セラフィドは満足だった。弟と二人、一日の出来事を話しながらのんびりと食事する時間を彼女は何より楽しみにしていた。


「でね、セラ姉。旅人さんがね」


 その日、弟が熱心にしたのは数日前まで村に逗留していた旅人の話だった。セラフィド自身は畑仕事で忙しく旅人と会う機会は残念ながら無かった。しかし、頻繁に村の市場まで買い物や農作物等の取などで行く弟は、随分と旅人と仲良くなったらしい。王都貴族の手についての話も、弟が旅人から聞いたものだった。


 楽しげに語る弟に、我知らず、セラは微笑みを浮かべていた。


 感情が顔に出にくいセラだったが、弟の前では表情筋が緩みがちであった。そうやって微笑んでいる時には年相応の顔に見えるのだが、セラ本人はそのことに気が付いていなかった。普段の無表情からして意識してやっているわけではなかいため、自分が笑った時に周囲が驚愕の表情を浮かべるのを不思議に思うぐらいだった。


 そんなスタン限定スマイルを惜しげもなく浮かべていたセラだったが、彼の次の一言に、一気に顔が強張るのを感じた。


「俺、王都騎士団学校の入学試験に挑戦するから」


 セラは混乱する頭の中で、それまでの話を整理した。


 スタンの言う旅人の話曰く、近年、王都騎士団は戦力低下が甚だしいらしい。

 そこで、広く人材を集めるために、これまで貴族子息に限定していた王都騎士団学校の入学資格を平民にも与えることとなったらしい。


(で、その平民枠に、スタンが挑戦する、と。……スタンが挑戦。……スタンが、騎士団学校に)


 セラの脳裏に、燃え上がる農村が浮かぶ。それは、ここではない名もなき村だった。今では存在しないその村は盗賊に襲われ、王都の騎士団がついた時には……きっと、少なくとも騎士どもは『全滅』したと思っているのだろう。彼らは知らない。ただ一人、森に逃げ込んだ幼い少女が生き延びたことを。


 黙ったままの姉に、スタンは再び宣言した。


「セラ姉。俺、騎士になる!」


 彼は気付いていなかった。姉の瞳に宿った獰猛な光に。


 真剣な表情のスタンに、突如として、ナイフが突きつけられた。あと少しで目に突き刺さりそうな刃と、ただならぬ殺気に、彼は動けない。固まった弟にセラは今まで一度たりとも彼には見せなかった酷薄な笑いを浮かべる。


「騎士に、なる?……お前、自分の言っていることの意味が分かっているのか?」


 低く唸るような声でセラは続ける。


「お前は何のために騎士になる? 地位か? 金か? 名誉か? 騎士ってのはな、スタン。人殺しだ。国の誇りだとか何とか称えられたところで、あいつ等のやってることは、人殺しなんだよ。確かに、あいつ等がいなければこの国は成り立たない。だがな、どんな大義名分があったところで、やってることは盗賊と同じだ。なあ、スタイン。お前に人を殺す覚悟はあるのか?」


 硬直したまま言葉一つ発せぬ弟に、セラは一つ溜め気をつき、殺気を収めた。


(まったく。その旅人とやらは、とんでもない置き土産を残して行ってくれたものだ。……次に村に来た時にはそれ相応の『お礼』をしないとな)


 セラはナイフを持つ腕を静かに下ろした。しかし、スタンはまだ動けなかった。


「やめておけ、スタン。騎士なんて碌な職業じゃない。給料が高くても、常に命の危険が付きまとう。命あっての物種だ。例え一生楽はできなくとも農夫になった方がましだぞ。それに、あの程度の殺気に固まるようでは実戦なら一瞬でやられている。お前には、無理だよ」


 愛する弟にしたいことではないし、進んで言いたい言葉でもない。だが、セラは知っていた。この弟の子供とは思えない聡明さと頑固さを。だからこそ、乱暴な方法でも、きつく叱った方が良いと思ったのだ。


 夕食を続けるぞ、と告げた姉に、ようやく動けるようになったスタンは、叫んだ。


「違う!」


 不機嫌そうに目を細めたセラに、怯みつつもスタンは言った。

「騎士は、民のためのものだ。俺は、俺達みたいな国民を守る騎士になりたい!」


「ふざけるな!」

 セラの怒声が響く。


「騎士が、民を守る? あいつ等が、私達を守ったことがあったか? この村に流行病が蔓延した時、あいつ等が何の役に立った? 騎士ってのはな、スタン。王様とお貴族様のためにあるものだ。俺たち民のことなんて考えてない」


「そんなことない! 確かに、今、騎士団はうまく機能していない。けど、本来、騎士は民のためにあるものだって。そのための改革がもうすぐ始まるって。そうブライトさんが言ってた!」


ブライトとは、旅人の名だったか。頭の片隅で冷静な自分がそう呟くのをセラは聞いた。


「それが本当かどうか、分かるものか!」

「本当だよ! 少なくとも僕は信じる!」

 

 蕪のスープが冷めるまで、二人の怒鳴り合いは続いた。

 だが、セラの一言をきっかけに、スタンは黙り込んでしまった。


「どうしてそこまでして騎士になりたがる?」


 そのセラの問いにスタンは俯いた。そんな弟にセラはさらに畳みかけた。

「私に言えないような理由か? だったら許すわけにはいかないな」


 唇を噛みしめていたスタンは、その言葉に顔を上げた。

「だ、だって! 俺が騎士だったら、セラ姉の村を救えたかもしれない!」


 思わぬ言葉に、今度はセラの方が絶句した。

「セラ姉、言ってただろ。セラ姉の村を騎士が護ってくれたら、セラ姉は、たった一人で、あんなにボロボロになって、つらい思いをしなくて済んだかもしれないのにって。だから、俺、騎士になる! 騎士になって、セラ姉みたいな思いをする人がいなくなるように、民のための騎士団を作るんだ!」


 真摯な瞳で訴える少年は、両親によく似た顔立ちだった。

 血の繋がらないセラを、家族として受け入れてくれた彼の両親に。


(まったく。敵わないな)


 セラは溜息をついた。


「スタン。言っただろう? 村が盗賊に襲われて、一人になって、生きるためにお前に言えないようなことを色々して、そうやって、毎日を生き抜いて、確かに苦しかった。でもな、そのおかげで私はお前の姉になれた」


 セラはそっとスタンの頭を胸に抱え込む。

「だから、泣くな。スタン。お前が悲しむことはない」


 何時の間にか、スタンの頬には幾つもの涙の筋が流れていた。愛する弟の柔らかな髪をセラは優しく撫でてやる。その焦げ茶の髪は、彼の父親譲りだ。

「私は幸せだよ。こんなに姉思いの弟を持てて。ありがとう。スタン。私に、名前と家族と生きる意味をくれて。お前は私の全て。お前の幸せが、私の幸せ。お前の望みが、私の望み」


 じゃあ、と胸元の弟から声がした。眼を赤くしたスタンが顔を上げる。髪と同じ焦げ茶色の瞳は、彼の母親譲りだ。


「王都騎士団学校に入ってもいい? 俺の望みは騎士になることだから」


 今度はセラがスタンの肩に顔をうずめる番だった。

 思いっきり脱力しながら、姉は思った。

 この頑固さは、彼の両親譲りなんだよなぁ、と。

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