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【1】鳴く雛黙るセラフィド


 ぼんやりと空を見上げる。

 どこまでも果てしなく続く青。

 ああ、今日もいい天気だ。


***


 雲一つない快晴の下、せっせと畑を耕す農民が一人いた。


 ふと手を止め、青空を見上げた農民は、眩い太陽に目を細める。翳した手に思い出すのは、旅人の話だった。彼曰く、貴族の手は白く細く滑らかなのだそうだ。

(この手とは真逆だな……)

 農民である己の手は、日に焼け、武骨で、豆だらけだった。

 だが、自分にとってこの手は何にも代えがたい宝だ。

 この手で自分は家族の生活を支えてきた。


 ふと、脳裏に浮かぶのは、今頃家事に勤しんでいるであろう愛する家族の姿。


(さて、もう一頑張りするか)

 『彼女』は再び鍬を握る手に力を込めた。



***



 振り上げられた鍬を遠くから眺めているカラスは思った。本当に、あれが年若い村娘なのだろうか……と。


 娘は名をセラフィドと言うらしい。年は二十歳前後だろうか。カラスが聞くところによれば、昨年の流行病で両親を亡くし、現在弟と二人暮らしだそうだ。両親が残した畑からの収穫物と、村自治団の手伝いをして生計を立てているらしい。


 ここまで聞くと、まぁ、なんていじらしい子なのかしらとさぞ同情を集めそうな境遇だが、ことセラフィドに限って、『いじらしい』などという可愛らしい言葉は似合わない。


 井戸端会議をしていた奥様方曰く、娘婿にしたい村民NO.1だそうな、セラフィド。


 彼女は体つきこそ細いが、背はすらりと高い。

 美男とは言い難いが、素朴な顔には誠実さと生真面目さが滲み出ている。

 無口でめったに顔に感情が出ないのだが、それがまた度量の大きさを示していると、奥様方に好評だった。


 そんな『漢の中の漢』といわれる『年若い村娘』。

 カラスでなくとも一度見てみたいと思うだろう。


 『慎重』なんて言葉は殻の中に忘れてきたぜ! と豪語する無謀な若いカラスは、さっそく村外れにやって来たのだった。


 セラフィドは噂話で聞いた通りの容姿であり、どの人間が彼女かはすぐに分かった。この地方には珍しい亜麻色の短髪が汗をかいた額に張り付いている。確か、東方の山に住む人間があのような色合いだと聞いたことがあるな、とカラスは興味深げに彼女を観察した。


 灰色の瞳はじっと地面を見つめている。

 日に焼けた腕は黙々と鍬を動かし畑を耕してゆく。


 カラスは、残念だ、と一声鳴いた。


 この後、畝に播く豆をお目当てに来たのだが、ありゃぁ、無理だ。若造が耕しているという畑ならば、種播き後にちょいとつまんでもばれやしまいと思ったのだが、考えが甘かったようだ。あれは一人前の農夫の背だ。隙がない。諦めて森で木の実でも探すか、と羽を広げた、その時のことだった。


「おい、カラス」


 無様に木から落ちなかった自分を褒めてもらいたい。

 必死に体制を立て直したカラスが見たのは、己を鋭く睨みつける娘だった。


「二度目はない。次にうちの畑で見かけた時が、お前の最期だ。スープの具にされたくなかったら、もう、ここには来るな。」


 それが仮にも乙女の言う台詞か? そんなだから、婚期を逃したんだろう。二十前後で未婚の村娘だなんて聞いたことがない。だいたい、その殺気と威圧感は何なんだ。本当にただの村娘なのか!? と内心叫びながらも、カラスは必死に羽ばたいて巣に戻った。仲間に今日出会った奇妙奇天烈な娘のことを教えるために。


 セラフィドは知らない。

 この後しばらくの間、カラス達が、

「聞き分けのない雛はセラフィドに食べられてしまうわよ」

 と鳴いていたなんて。



***



 慌てたように飛び去ったカラスを見ながらセラフィドは舌打ちをした。


 彼女は知っていた。

 カラスも調理法次第で美味しく頂けるということを。


(手元に弓さえあれば、スタンへの御土産にできたのだが)


 彼女は豊穣の神に誓った。

(スタイン様。この畝の豆が無事育った暁には、その代金で弓を手に入れて、弟に肉を食わせます)


 神から名をとった弟は、村の市で買い物をしている頃だろうか。

 愛しい、愛しい、弟スタイン。

 セラフィドにとって、たった一人だけの家族。


 セラフィドは、この時まだ知らなかった。

 その愛する弟のおかげで、彼女が平穏な辺境ライフとおさらばする羽目になることを。


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